第29話 ナタク・フォン

「お前が、私たちの待ち人を連れてきた客人か?」

 

 ナタク・フォンは、僕を認めるなり開口一番でそう言った。

 

 案内された廃ビルの薄暗い地下駐車場は、ナタク・フォンの簡易なアジトの一つらしく、コンピューターやモニターなどの機材が乱雑に設置されていた。武器を携帯した組織の構成員が僕の様子を見守っており、その数は目視できるだけで十数名――気が滅入りそうな人数だった。


「ああ、そうだ」

 

 僕がナタクの問いに答えると、恰幅の良い壮年の男は細い目を見開いて、にんまりと笑って見せた。人民服と呼ばれる立折襟たちおりえりの服を着用し、髪の毛を全て後ろに撫でつけたナタクは、両手を広げて歓迎の意を示した。


「素晴らしい。それではさっそく取引といこう。商品を見せてもらえるか?」

「ああ」

 

 僕は言いながら車のトランクへと移動し、気を失ったままのフーを担ぎ上げて地面に転がせた。


「おお、フー・ランフェイ。何と懐かしい男だろう」

 

 フーを一目見たナタクは、まるで長いあいだ離れ離れになっていた恋人に再会でもしたかのような感嘆の声を上げてみせた。


「しかし、この男を無傷で捕らえるとは。我々、三叉蛇トライアドのネットワークをもってしても見つけられなかった男をこうも易々と、驚嘆に値する」

 

 ナタクは、次に僕をじっと見つめて言った。

 疑われているのでは、と言う考えが過り、僕はいつでも戦闘に入れるように緊張感を高めた。


「客人よ、どうだろう――私の下で働く気はないか? 今の稼ぎの倍、いや三倍の報酬を支払うと約束しよう」

「悪くない話だが、まずはこの取引を終わらせてくれ」

 

 僕はナタクにUSB端末を投げ渡した。


「それでこちらの銀行口座にアクセスができる。振り込みが完了次第、この男は好きにしろ」

 

 できるだけ凄みを効かせた低い声で告げると、ナタクは受け取ったUSB端末を眺めた後、部下を呼んでラップトップ型のiリンクを持ってこさせた。

 そして別の部下に、何か他の指示を与えていた。

 暫くすると、ナタクの部下がバケツを持って現れた。


「何をするつもりだ?」

 

 僕が言うと、ナタクはにんまりと笑みを浮かべて口を開いた。


「こうするのだ――」

 

 ナタクが手を上げると、ナタクの部下はフーの頭を乱暴に掴んでバケツの中に突っ込んだ。それを数回繰り返すと、フーは大きく咳き込み始めた。


「商品に手を出すなと言っただろう?」

 

 僕は苦しむフーには目もくれず、あくまでも平静を装ったままナタクに凄んでみせた。お世辞にも効果があるとは思えなかったけれど。


「客人よ、申し訳ないが、私は酷く臆病で疑り深い。あなたが何かを企んでいるのなら、まずはそれをはっきりさせなければならない」

 

 ナタクは不愉快な笑みを浮かべたまま両手を広げた。


「相変わらず、臆病な狸のままなんだな?」

 

 僕たちの会話の間に目を覚ましたフーが、水で濡れた顔を上げて軽口を叩いてみせた。


「おお、フー・ランフェイ。久しぶりじゃないか? どれだけお前に会いたかったか」

「俺は二度と会いたくなかったがな。お前の臭い息を吹きかけられるのは、汚い仕事をする以上に最悪だったからな」

「相変わらず口の減らない男だ。しかし、お前の減らず口も聞けなくなると思うと、なかなか寂しいものだ。お前が私を裏切り、組織の情報を捜査当局に売り渡してから、私がどれだけの辛酸しんざんを舐めてきたか、お前には分からないだろう?」

「いや、分るぜ。三叉蛇トライアドの上部組織に目を付けられ、粛清の危機に合ったんだろ? お前が築き上げた物の全てを組織にくれてやって、なんとかお前は難を逃れることができた。遠くの星でその話を聞いた時は、笑いが止まらなかったぜ」

「貴様は、自分の立場が分かっていないようだな?」

 

 広い額に青筋を立てたナタクは、懐から拳銃を取り出してそれでフーの太腿ふとももを打ち抜いた。

 フーの悲鳴が響き渡り、太腿からは大量の血が流れはじめる。

 

 ナタクを警戒させないために、フーはタクティカル・スーツを着用していない。完全な無防備状態でこの場にいる。痛みでのた打ち回ろうとするフーの体をナタクの部下が押さえつけ、ナタクはそれを楽しげに眺めた。


「フーよ、無様だな? 拾ってやり、ここまで育ててやった恩を忘れるからそうなる。私の右腕として働いていれば、貴様には多くのものが約束されていたはずだ。本当に残念だ」

 

 ナタクは、フーの顔面に銃口を向けて言った。

 フーは、やれよといった感じでにやりと笑ってみせる。

 僕は、ナタクを挑発するフーが何を考えているのかまるで分からず、ここで死ぬ気なのかと勘繰かんぐった。何とか平静を装いつつ、iリンクを通じてアリサに『どうにかならないか』と、声を荒げていた。


『どうにもならないわよ』

『取引はどうなってる?』

『ナタクの部下が銀行口座にアクセスしたけど、ログイン画面で止まってる。パスはナタクしか知らないはずよ』

 

 僕は、フーに視線を向けた。フーは一瞬だけ僕と視線を合わせ――その瞬間に、僕はこの状況を理解した。


「ナタク、今さら俺に拷問が通じるなんて思うか? 今、一思いに殺しておいた方が得策だ――がはっ」

 

 僕は、フーが言い終わらないうちに彼の顔面を思いきり蹴り抜いた。

 再びぐったりとしたフーを余所に、僕の行動を以外に思ったナタクは細い目を見開いた。


「いい加減にしろ。先に取引だ。俺がここで殺してもいいんだぞ?」

 

 僕は低い声で言い、ナタクを睨みつけた。そして、懐の拳銃を見せる。


「どうやら、客人に失礼を働いてしまったようだ。この男の足が打ち抜かれても顔色一つ変えなかったところを見るに、本当に繋がりはないのだろう」

 

 ナタクは納得したように頷いて、部下にラップトップを持ってこさせた。

 今の一連の行動はナタクの罠――僕とフーの繋がりをあぶり出す為のものらしかった。フーはそれに気が付いて、僕に目配せをしてみせたのだろう。


「取引を終えよう」

 

 ナタクはにんまりと不愉快な笑みを浮かべて、ラップトップを操作する。


『アリサまだか?』

『まだよ。まだ口座にログインしたところ。今からナタクの取引情報を精査する』

『くそっ。フーが危ない』

『分かってるわよ』

 

 僕は内心焦りながら、アリサが取引情報から目当ての情報を探し当てるのを待った。


「口座への振り込みは完了した。確認してみるといい」

 

 僕はiリンクを起動して振り込みが完了していることを確認した。


「ああ、確認した」

「それでどうだろう、客人よ。私の下で働くに気になってくれたかな? いや、その前にこの裏切り者の始末を先にしておこう。この男は、抜け目ない虎だ」

『アリサ、まだか?』

『ちょっと待って。取引記録が多すぎるのよ。ここ最近の、さらに広域宇宙での取引に絞ってるんだけど――』

『ダメだ。もう戦闘に入るぞ』

『ちょっと待って。今、私たちが絞ったトランスポンダの情報と照らし合わせている。あった。人身売買シンジケートと思われる口座と多額の取引記録。宇宙船の手配はもう済ましていて、出向は今から一時間後よ。急いで』

『了解。これより戦闘に入る』

 

 僕はアリサの報告を戦闘合図にして、行動を開始した。

 

 車に仕掛けていた爆薬をiリンク経由で爆発させると、僕の背中で爆音が響き渡った。爆薬に詰め込んだ釘などの金属片が勢いよく四散し、車の周りで待機していたナタクの部下が吹き飛ぶとともに、遠く方でも大きな被害が出た。

 

 僕は、目視で確認できるナタクの部下を光学拳銃で撃ち抜いた。


「なっ、何が――こっ、これはどういうことだ?」

 

 ナタクが突然の出来事に狼狽ろうばいし、そんなナタクを守護するように部下たちがナタクを取り囲もうとしたが――


「こういうことだぜ」

 

 気を失ったふりをしていたフーが、一瞬で拘束を解き、両手に持った仕込みナイフを鮮やかに振り回してナタクに近づく。打ち抜かれた足の痛みなどまるで感じさせず、そしてフーが通った後には鮮血の雨が降り注いだ。

 

 ナタクを守っていた部下が全て血溜りに沈むと、ナタク・フォンは驚愕で目を見開き、自らも部下達の死体によってできた血の海に腰を下ろした。


「馬鹿なっ? いったい何が、何の目的で――」

 

 僕たちの行動の意味がまるで分らないと、ナタクは声を振るわせて自分の目の前に立ったフーを見上げた。


「気にするな、ナタク。お前がそれを知ることは永遠にない」

「まっ、待て、フー・ランフェイ。話をしよう。取引だ。いや、私の全てをくれてやる。組織も、金も、私の持っているもの全てを――」

 

 アジトの部下を掃討し終わる頃には、ナタクはみっともない命乞いをフーにしていた。


「ジャパニーズ、ここは俺に任せて先に行けよ――こっちはゴミみたいな因縁を片付けてから行く」

「分った」

 

 僕は地下駐車場の車を一台盗み、アリサが突き止めた宇宙船の係留地点へと向かった。

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