第7話 言い訳
シャワーの音が聞こえる中、僕はベッドの上に腰を下ろしてガチガチに緊張していた。
あの後、僕は、これからどうするつもりなのかとフラウ・ミソラに尋ねた。
すると彼女は――特に行く当てもないので、「ホロルーム」で夜を過ごそうと思っていると言うので、彼女をここまで連れて来てしまった。
「ホロルーム」とは、ネット環境が整った手狭な個室を貸し出している店で、主に若者が恒星間ネットや仮想空間のゲームのなどを行うのに使用する。しかし、家出少女がホテル代わりに使用したり、宇宙難民の避難先になったりと、半ば社会問題化している。
僕は、ここに来るまでのフラウ・ミソラとの会話を思い返していた。
「どうして、あんな通りを一人で?」
「スペース・ハローワークの検索用端末で調べた求人票に、今日からでも働けるお店が幾つかあったので――」
フラウ・ミソラは、気まずそうに顔を背けた。
「性風俗産業の場合、基本的には職業案内のエージェントか、外部のスカウトが面接に同行するんだ。危険な場所にある店も多いし、待遇や給与なんかを交渉するのに、求職者だけだと足元を見られやすいから」
「そうなんですか? ごめんなさい。私、一日でも早く働けたらって思って。それに宇宙に出てくるの初めてで、何も分からなくて」
雨に濡れたフラウ・ミソラは心細そうにそう呟く。
濃いメイクの下のあどけない顔は、今にも泣き出してしまいそうに見えた。
「どうして宇宙にって、聞いてもいい?」
「逃げ出したかったんです」
「逃げ出したかった?」
僕が尋ね返すと、彼女は雨の降る人口の空を見上げてから頷いた。
「地球の暮らしがひどいのは、知っていますよね?」
「まぁ、だいたい」
僕は頷いた後、宇宙の暮らしもさほど変わらないのではと思ったが、それは口にしなかった。
人類同士の度重なる戦争によって、地球は半ば人の住めない星と化していたた。荒廃した都市は海面上昇によって沈み、核の夏によって一年中が常夏と変わらない気候へと変化してしまった。
「星府」の発表した施策――「地球環境保全法」によって、地球はかつての緑溢れる青い星へと生まれ変わるべく、文明やインフラの制御が行われ、現在では星府機関の置かれた幾つかの都市以外は、手つかずのまま放置されている。
しかし、そんな手つかずの場所で生活を営んでいる人たちはまだ多く存在し、星府管理下にない都市や地域には、いくつかのコミューンが誕生していた。俗にいう「スラム」というやつだ。
「地球環境保全法」を発表した星府は、同時に「宇宙植民支援政策」と呼ばれる法律も施行した。これにより、地球で暮らす人はいつでも宇宙に上がることができるようになった。しかし、星府が宇宙移民を全面的に支援しているにもかかわらず、宇宙に上がろうとする人は減少する一方だった。
今では地球で暮らす人を、半ば強引に宇宙に上げる「強制植民」と呼ばれる方法が横行し、スラムからの反発を招いていると聞いたことがあった。
「私が生まれたのは、新宿スラムというコミューンです。他のスラムに比べれば比較的インフラの整ったコミューンだったんですけど、それでも、良い暮らしとまでは言えませんでした」
話し始めた彼女は、空を見上げなら続ける。
まるで偽物の空の中で、本物の星を探しているかのように。
「放置されたインフラを修理しながら何とか生活を続け、汚染されていない土壌を探して食物を育てます。治安も悪く、それを取り締る警察や軍人さんはいません。自警団のようなものはありますが、そう言った人たちがコミューンを仕切りって、自分たちのルールを私たちに押し付けます。コミューンを仕切る人が変われば、ルールも直ぐに変わります」
つまり、小さなコミューンの中でも権力争いのようなことが日常的に起きていて、力のない人たちがそれに巻き込まれているということだろうか?
「どうしてそんな酷い環境なのに、スラムの人たちは宇宙に上がらないんだろう? 宇宙に上がれば仕事なんかいくらでもあるのに」
僕が尋ねると、フラウ・ミソラは苦笑いを浮かべた。
「きっと怖いんです」
「怖い?」
「はい。私たち地球で暮らす人は、空を見上げればいつもそこに在る大きな輪に見下されているような気がして、そんな宇宙に上がるのが怖いんです」
僕には、彼女の言っていることの意味がよく分からなかった。
確かに「オービタルリング・コロニー」は、地球から見れば星に架かった輪のように見えるけれど、地上を見下しているというようなものではない。
「でも、星府も宇宙で暮らす植民者も、地球に暮らしている人が宇宙に上がってくることを歓迎しているし、見下しているなんてことはないと思うんだけど」
「かもしれません。それはきっと、私たちスラムで暮らす人が勝手に抱いている偏見というか、一種の諦めなのかもしれません。いいえ、それですらなくて、単なる言い訳です」
「諦め? 言い訳?」
「地球で暮らす多くの人は、たとえ今の暮らしが過酷であっても、その中から抜け出したくないだけなんです。生きる環境が変わってしまうことを恐れているんです。だから、宇宙に上がらないための理由だったら何でもいいです」
どんなに過酷な環境だとしても、自分たちの勝手知ったる場所、理解の及ぶ世界のほうが居心地良いということだろうか?
「でも、ミソラさんは宇宙に上がってきた。環境を変える決心をした」
僕が言うと、フラウ・ミソラは泣きそうな顔で微笑んで首を横に振った。
「違います。決心なんて何もしてきてない。私は、ただ逃げ出したかっただけです。地球の重力から」
そう言ったフラウ・ミソラの今にも壊れてしまいそうな横顔を思い出していると――不意にバスルームの扉が開く音がした。ペタペタという足音が聞こえ、シャワーを浴び終えた彼女が近づいて来た。
僕は、咄嗟に部屋の中を見回した。
照明を点けることも忘れていた部屋の中は薄暗く、かろうじて部屋の輪郭が分かるというものだった。
「あ、あの、シャワーいただきました」
フラウ・ミソラの方に視線を向けると、僕はあまりの光景に我が目を疑った。
彼女は、バスタオル一枚を巻いただけの姿だった。
「どうしてそんな恰好を? 着替えなら置いておいたはずだけど?」
僕が慌てて言うと、彼女は僕が腰を下ろしている直ぐ隣に腰を下ろした。二人分の重みでベッドが沈み、僕たちの肩はそっと触れ合った。彼女から石鹸の香り漂い、纏められた髪の毛によって露わになった
何よりタオルから零れんばかりの乳房から、僕は目を背けることができなかった。おっぱいがおっぱいだった。
「あの、その、ミソラさん? そんな恰好じゃ風邪ひくんじゃ?」
「どうせ脱ぐことになるから、いいかなって思って」
「どうせ、脱ぐことになる?」
僕は言葉の意味が分らずに言った。
彼女はくすりと笑った後、僕を真っ直ぐに見つめた。僕の肩に優しく触れて、ベッドにそっと押し倒す。彼女は、片方の手で僕の太腿を擦り、もう片方の手を僕の頬に置いた。
そして目を瞑って僕の顔に自分の顔を近づけ、唇を重ねようとした。
「待って。ダメだっ、こんなの――」
僕は彼女の行動を静止した。
緊張のせいか、いつもよりも大きな声を上げてしまった。
「えっ?」
彼女は、本気で驚いたような顔をしていた。
「あの、もしかして本気で言ってます?」
「ごめん。正直なところ、何が何だかよく分かってないんだ」
全く何も分かってないないって訳じゃなかった。
フラウ・ミソラは顔を真っ赤にし、気まずそうに目を背けた。
「ごめんなさい。私、せっかく親切にしてもらったのに、こんなはしたない姿を見せてしまって。あの、直ぐに着替えてきます」
彼女は、逃げるようにバスルームへと向かって行った。
僕は、彼女に恥をかかせてしまったと思った。
そして、彼女を傷つけた。
無意味に優しくしてしまったとも思った。
僕の部屋になんて、連れてくるんじゃなかった。
僕は、無機質で生活感のない自分の部屋を眺めた。
勝手知ったる自分のマンションの一室が――
まるで、他人の部屋にようによそよそしく見えた。
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