第6話 ララバイ

「ゴッサム」の中心であるミッドタウンの繁華街。

 幾つもの通りが格子状に流れ、高層ビル群が立ち並ぶ摩天楼まてんろう


 この繁華街一帯のことを、人々は世界の交差点――「ワールドスクエア」と呼ぶ。


「ワールドスクエア」の建物の外壁には、派手なビルボードや電光掲示板が幾つも設置され、人類圏を代表する巨大企業の広告や、有名アーティストのホロディスプレイが掲げられている。「ブルーアベニュー」と呼ばれる通りには、劇場、映画館、レストラン、ホテル、娯楽施設などがずらりと並び、人類圏最高のエンターテインメントが集まっている。


 宇宙中から観光客が集まる場所であり、それがこの交差点が「ワールドスクエア」――世界の交差点と呼ばれる由来にもなっている。

 

 そんな眠らない摩天楼の裏。

「ネオ歌舞伎町」と呼ばれている怪しげな一画に――僕は足を運んでいた。極彩色のネオンに、眩暈めまいがしそうなくらい刺激的なホログラフ。そのほとんどは、形容しがたいポルノグラフィティばかりで、僕は目線に困ってしまった。


 ネオンに照らされた薄暗い通りを歩く僕の手には、一枚の名刺が握られている。

 フーが去り際、僕の肩を意味深に叩いた理由が、この名刺だった。僕のジャケットの胸ポケットにさりげなく忍ばせたその名刺には「ララバイ」という店の名と、アザミと言う女性の名前が記載されていた。「いい店を紹介してやる」とフーは言っていたが、早くもそれを行動に移したようだった。

 

 僕は、紫の字に黒い文字で「アザミ」と書かれた名刺をじっと眺める。コンタクト型のiリンクが、名刺に記載された情報を読み取り、視界上に拡張現実として表示する。

 今、僕の視界には、僕だけにしか認識できない映像と情報が浮かび上がり――「ララバイ」までの簡単な地図と、立体化したアザミ嬢がいやらしく僕に手招きしている。ご丁寧にアザミ嬢の出勤表や「ララバイ」の料金表までもが表示され、僕は思わずゴクリと唾を呑んだ。


 基本二時間コース。

 本番あり。

 コスチューム選択可。

 他オプションプレイ多数。


「これ、いったいどんな店なんだ? 本番って――本番か?」


 僕は、緊張でガチガチになりながらも足を進め続け、そして「ララバイ」まで後一ブロックという所で、不意に足を止めた。僕が歩いている通りと交錯した更に細い通りの先で、数人の男たちが一人の女性を囲んでいた。視界を拡大してみると、どうやら女性が男性を誘っているという雰囲気でもなさそうだった。

 

 公娼制度の置かれていない「ゴッサム」では、女性が通りに立って客を引く行為は禁止されている。事前に調べた限り、女性が一人で通りに立つということはまずないはずだった

 おそらく、間違えてこの通りに足を運んでしまった観光客が、自制の利かなくなった男たちに詰め寄られているのだろう。こんな場所ではトラブルは茶飯事のようで、誰一人として男に取り囲まれた女性に見向きもせず、心配する素振りすら見せない。誰かが警察を呼んでいたとしても、到着までには時間がかかりそうだった。


 僕は溜息を一つ落とし――コンタクトに映っている拡張現実を消し去り、アザミ嬢にララバイを告げた。

 僕は、細い路地に入って行った。


「あの、やめてください。私、そんなつもりじゃ――」

 

 悲鳴交じりの震えた声が聞こえ、それをかき消すように男たちの下種な声が重なった。


「おいおい、こんな通りを一人で歩いて、それはねぇだろう? しかもそんな格好でよお」

「ああ、誘ってるんだろう?」 

「ヒヒッ、いいもんもってるじゃねぇか?」

「おっ、お願いします、やめてくださいっ」

「俺たちじゃ気に入らないってか? 安心しなよ、顔は悪いけど、あっちの方はいけるぜ? なんてったってどかいからよ」

「――ひっ」

 

 聞くに堪えない低俗過ぎる言葉を浴びせかけられて壁際に追いやれた女性は、為す術なく立ち尽くしている。女性を囲んでいる男の数は四名で、遠巻きにそれを見守っている男が二人いた。

 

 相手の数は六人。

 一瞬で制圧するには少しばかり数が多かった。


「あのー、」

  

 僕は当たりに気を配りながら一番手前の男性に声をかけた。


「何だよっ、今取り込みちゅ――」

 

 男が振り返った瞬間、僕は男の顎を目がけて右フックを放ち、勢いよく拳を振り抜いた。


「――、がはっ」


 脳を揺らされて意識を失った男性が、直立不動のまま路地に倒れ込み、他の男たちは何が起きたのか理解できずにいた。僕は即座に別の男の腹部に右蹴りを放ち、その後ろに控えている男二人と衝突させた。ドミノ倒しの要領で三人が路地に転げると、僕は女性の手を掴んで青ざめた顔を覗き込んだ。


 僕は「まさか?」と自分の目を疑ったが、それは後回にして声を発した。


「走って」

 

 そして、僕は女性の手を引いて一目散に駆けだした。


「はっ、はい」


 呆然している女性も僕に手を引かれて我に返り、直ぐに駆け出す。


「てめー、待ちやがれ」

「おい、ぶっ殺すぞ」

 

 背中からは罵詈雑言が飛び交い、遠巻きに眺めていた男二人が後を追ってくる音が聞こえた。


「振り返らないで、とにかく走るんだ」

「わっ、分りました」

 

 僕は視界に逃走経路を表示させ、最短距離で大通りまで出られる経路を検索――万が一の為、いつでも銃を抜けるようにしておいた。最初から銃を抜いて警告をしても良かったし、捜査中に使用する身分証を見せれば警察を名乗ることもできたけれど、あの場で人目につくことは避けたかった。

「ネオ歌舞伎町」にいたということは、誰にも知られたくない。絶対に。絶対にだ。


「はぁはぁ、はぁはぁ」

 

 背中から女性の荒い息遣いが聞こえてくる。しばらく通りを全速力で駆け続けたため、そろそろ体力が限界に達したみたいだった。「ネオ歌舞伎町」を抜けて健全なビルボードの立ち並ぶと通りに出ると、僕たちの姿は直ぐに人ごみに紛れた。


「おい、どこだよっ?」

「逃げてんじゃねー」

 

 僕たちを追って通りに出た男たちが声を上げるが、僕たちは人の流れに沿って目立たぬように通りを歩き続ける。そして路地裏に入り、そこでようやく足を止めた。


「ふー、これで何とか逃げ切れたかな?」

 

 僕は溜息と共にそう言ったが、まだ警戒を緩めずに路地の先を見つめ続けた。

 そして、これからこの状況をどうしようかと頭を悩ませた。


「――冷た?」

 

 すると、夜空が投影されたコロニーの空から人口雨が振り始めた。

 

 円筒状のコロニーの中心を縦貫する「環境制御システム」がスケジュール通りに雨を降らせたのだろう。天気の予定表はネット上でいつでも閲覧可能であり、お知らせ機能を使えば数分前に天気の変化を知らせてくれる。

 だけど、コロニーでは天気の変化を気にする者はほとんどいなかった。宇宙に出てしまうと雨に濡れるという行為でさえ特別なことに様変わりするようで、コロニーで暮らす人々は喜んで雨に濡れ、天気の変化を楽しむという習慣を身に着けていた。


「あ、あのっ――助けて下さって、ありがとうござます」

 

 雨を浴びてようやく落ち着くことができたのか、女性は深々と頭を下げてお礼の言葉を発した。

 雨は静かに降り続け、「ゴッサム」を濡らしていく。

 僕たちの足元には小さな水溜りができていた。


「そっちこそ大変な目に合ったんだ、気にしなくていいよ。それより、一旦顔を上げよう。僕の顔を見て」

 

 僕が言うと、おずおずと顔を上げた女性が真っ直ぐに僕を見つめて、そこで「あっ?」と間の抜けた声を出した。


「――もしかして、スペース・ハローワークの?」

 

 フラウ・ミソラは、そこでようやく僕を認識にした。

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