第25話 住宅街の一軒家

「誰に復讐しようとしたのかしら? まあいいわ、本人に聞けばわかるんだから」

「里中さんは悪い人じゃありません」

「でも現実には火傷を負った人がいるんだから、罪を犯したのよ彼は」

「ええ、それはそうですけど……。彼をとがめないでください」

「あなた、そんなに彼の事を思ってるの?」

「今の私は彼の優しさが無いと、生きていけません」

「あなたには旦那さんがいるし、彼だって奥さんがいるわよ」

「それは十分承知しています。でも、どうしても彼に会いたくなるんです。たとえわずかな時間しか会えなくても、幸せと思える瞬間をずっと持っていたいんです」

「わかったわ、私はあなた達の関係に口出ししないし、公言もしないわ。あと、彼が会社を辞めた理由をあなたは知っているの?」

「娘さんの事で早川部長ともめごとがあったのと、このままここに住んでいたら家庭がめちゃくちゃになるって言っていました」

「そのもめごっとて何?」

「詳しくは、教えてもらっていません」

「そう、あなたの話は大体わかったわ」

「安田さん、今日は言いづらい事を話してくれてどうもありがとう。ロコさまはあなたを責めたりしませんよ、安心してくださいね」


 路子は奈々子に職場へ戻るように指示したあと、前川へ電話をしてから食堂を出る。二人は車に乗り守衛所で訪問者カードを返却してから工場を後にした。


「ロコさまは、安田さんの不倫の話をどう思っているんですか?」

「不倫はバレなければいいんじゃないの」

「へー、肯定派なんですか」

「女性はいつでも誰かを愛することが一番大切なのよ。里中さんと安田さんだって、もしも二人が出会う時期が早かったら結婚していたかも知れ無いしね。最良の相手なんてそんなにタイミングよく見つからないと思うわ」

「だけど二人とも家庭があるじゃないですか」

「そういう環境だから、かえってお互いの愛が深まるんじゃないの」

「わかんないなあ、僕には」

「後ろめたい気持ちと限られた時間って、普段より気持ちが昂るんじゃないかしら。啓太も何人も好きになれば、わかる様になるわよ」

「ロコさまは誰かを好きになった事はあるんですか?」

「私は仕事だけを愛しているのよ、今は。わかってるでしょ」

「はいはい、ところでこの後どうするんですか?」

「渋山町の里中さんが住んでいた所を見てみたいのよ、ここの直ぐ近くだし。検査部の南野さんだったら里中さんの以前の住所を知っていると思うわ、今すぐ電話して聞いて頂だい」

「了解です」

 啓太は南野のところへスマホで電話を掛け、里中が住んでいた住所を聞き出すと路子は渋山町へと車を走らせた。


 渋山町の住宅街の路地に一軒の誰も住んでいない家がある。その家は三階建てで一階は車庫の隣に玄関がある幅の狭い住宅だった。路子は車をその家の前に止めて外に出た。

「この家ね」

「きれいな家ですね」

「半年ぐらいしか住んでいなかったんでしょう、まだ新しいわね」

「ロコさま、不動産屋さんの看板が立っていますよ」

「本当だわ、『美羽不動産』がこの家を売っているのね。まだ売れてないのかしら」

 路子はスマホを取り出して、不動産屋の看板と家の外観の写真を撮り始めた。

「あら、あそこちょっと変ね」

「どうしたんですか?」

「車庫に扉が付いていた跡があるのに、肝心の扉が無いのよ」

「あ、本当だ。扉を支える金具だけ残ってますね」

「なぜ外したのかしら、取りあえず色々な所を撮っておくわ」

 路子が家に踏み込んで写真を撮っているとき、外で待っていた啓太は、制服を着た女の子がこちらへ歩いて来る姿を見つけた。

「! ロコさま中学生らしき女の子がこっちに来ますよ」

「え、本当」

 路子は撮影を中断して道路に出る。その女の子が家の前を通りかかろうとしたところで声を掛けた。

「ちょっとお嬢さん、この近くの中学生?」

 女の子は急に声を掛けられて一瞬びっくりしたが、スーツを着た路子の姿にそれほどの不信感を抱いていない様子だ。

「はい、そうですけど」

「えーと、何中学?」

「渋山第一中学校です」

「この家に住んでいた中学生の女の子のこと知ってる?」

 それを聞いた途端、女の子の顔がこわばった表情になる。

「……」

「その子はどうして引っ越しちゃったのかしら?」

「……おばさん、学校からはその問題の話をしてはいけないと言われています。さようなら失礼します」

 女の子は振り向くと、足早に去って行ってしまった。

「あらまあ、かん口令が敷かれているのね、大事な話が聞けると思ったのに」

「いじめ問題って、学校関係者は神経質になりますからね。極力外部に漏らしたくないんじゃないですか」

「でもいじめ問題の真相がわからないと、里中さんの行動が理解できないわ」

「学校へ行っても教えてくれないと思いますよ」

「仕方ないわ、取りあえずこの不動産屋さんにでも行ってみましょう」

「ロコさま、子ブタちゃんもこの近くに住んでいるんでしょう? そこも見ておきませんか」

「そうだったわ、ちょっと待ってね地図にピン止めしてあるから」

 路子はスマホの地図アプリを開く。

「ここから二、三〇〇メートルくらいだわ、すぐ行ってみましょう」

 路子たちは再び車に乗り、地図の経路を調べてから走り出した。


「この建物よ、えーと『ボーヌング・コグレ』とうい名前だわ」

 路子が指を指した建物は三階建てのマンション風のアパートだった。

「啓太、表札を確認してきて」

「了解です」

 啓太だけ車から降りると、そのアパートに近づいて郵便受けを調べる。それをスマホの写真に収めてからすぐに戻って来て、すぐに車に乗り込んだ。

「ありました、柳って名前が」

「やっぱりそうだったのね、子ブタちゃんは柳さんで間違いないわ。それにしても里中さんと柳さんがこんな近くに住んでいるっておかしいわね、何か意図的な感じがするわ」

「柳さんは里中さんに接近するために、ここに引っ越して来たって事ですか?」

「それも考えられるわね、次は不動産屋さんへ行きましょうか」


 路子は車を走らせてその場を立ち去り、最寄り駅の近くにある不動産屋へと向かう。駅前の商店街の通りに面した『美羽不動産』の看板を見つけると、すぐ隣にお客様専用の駐車場があった。路子はためらう事なく、その中へ車を進入して駐車した。

 美羽不動産のウインドウには、住宅物件の案内票がずらりと並んでいる。路子と啓太は自動ドアを開けて中へ入って行った。


「いらっしゃいませ、どの様な物件をお探しですか?」

 カウンター越しに、三〇代の営業マンと思しき男性が声を掛けてきた。

「ええ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

「どうぞこちらへお座りください」

 営業マンは、自分がいるカウンターの前の席に二人が座るよう手招きをした。路子たちがその椅子に座ると、

「どの様なご用件でしょうか?」

 路子はスマホを取り出して、さっき撮った写真を開き営業マンに見せた。

「この家、お宅で扱っているんでしょう?」

「はい、弊社で販売しております。ご購入をご希望でしょうか?」

 営業マンはいきなり上客がやって来たと思ったのか、身を乗り出している。

「購入できる程のお金は持ち合わせていないわよ。この家、賃貸にできない?」

「はあ、売り主様と相談しない事には何とも申し上げられません」

 営業マンはちょっとがっかりした顔になった。

「あらそう、とても気に入ったのに。ただ一点を除いては」

「え、どの様なことがお気に召さなかったのですか?」

「あの家、車庫が付いているじゃない。でも車庫の扉が壊れていたのよ」

「はあ、そうでしたかねえ」


「私は車庫の扉が壊れた原因を知りたいのよ、あなた何か知ってる?」

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