第14話 不振な振る舞い
前川はビビりながらタブレットに近づいた。震える右手の人差し指を画面のメッセージの枠の中に押し付けた。
「ひゃー」
すると、画面のメッセージが消え、ヘアードライヤーを持って裏面を温めている里中の静止画が映ったまま止まっている。
「あら、火をふかないのね」
路子は消火器のホースを持って構えていたが、それをコンクリートの床の上に置き前川の横に立った。前川は指をさしたまま目を閉じて、動けないでいる。里中はヘアードライヤーのスイッチをオフにする、啓太も動画撮影を停止した。
「残念だわ、再現すればこの事故調査は終わったのに」
「そんなに簡単に火災事故は起こりませんよ」
里中はやれやれと言った感じでヘアードライヤーのコードをコンセントから抜くと、そのコードを束ね始めた。奈々子も少し冷めた様子でキーボードを鞄の中にしまい始めていた。
「ロコさま、何も起きませんでしたね」
「まあこんなもんよ、ちょっと前川さん大丈夫?」
前川はまだ固まっている。
「前川さん!」
路子は前川の背中を叩いた。
「……え、」
前川は目を開けるときょろきょろと辺りを見渡した。
「なんだ、燃えなかったんだ。やだなーこんな仕事は」
「何言ってるの、営業の人は進んで嫌な事をするものよ。さあ戻りましょうか」
路子たちはオフィス・カフェの中へ戻って行った。
路子はふかふかの席に戻ると、再びボイスレコーダーをテーブルの上に置く。
「さて皆さん、通常の状態では火災が起きないことがわかりました。欠陥の原因はあの燃えたタブレット自身の問題だったのかしら」
「ええ、さっきも言いましたが、積層チップバリスタに異常な電気が流れたんだと思います。あの部品が過熱すると一〇〇〇℃以上になりますから」
「そんなに危険な部品なのに火災の対策は施していないの?」
「以前は直に3D画像処理ユニットをタブレットのプリント配線板に組み込んでいたので火災の対策を十分考慮していましたが、別々になったので彼らの設計と食い違いがあったのかも知れません」
「なるほど、真っ当な考察ね。それでは、火災が起きるメカニズムをペールキューブ社と協議してください」
「はい、承知しました」
「ところで里中さん、どうしてペールキューブ社をお辞めになったの?」
「……それは個人的な問題でお答えできません」
突然の質問に里中は少しイライラしているようだ、急に渋い顔になった。その顔を見て路子は、前川の足を靴のつま先でつつく。前川は一瞬なんの事かわからない様子だったが、路子の目が自分と里中を見る目配せを見て理解したようだ。
「さ、里中さん、辞める前に早川さんと大喧嘩していましたよね」
「……」
「あなたのような優秀な人が、うちの会社を辞めてしまった訳を僕も知りたいなー」
「そんなこと、どうでもいいじゃないですか」
里中は語気を強めた。
「里中さん、何か早川さんを恨んでらっしゃるんじゃないの?」
「……」
「それとも、スンファン電子から何か誘いがあったの?」
「そんなものありません、火災事故と全く関係ないでしょ」
「まあいいわ、私はこの事故が偶発か故意の過失かを見極めたいのよ、このあともあなたがペールキューブ社を辞めた原因を尋ねるかもね」
里中の苦虫を噛んだような顔を奈々子は、心配そうに見つめている。里中はそれに気づくと、二人は目を合わせてお互いを見合った。路子はその二人の様子を見逃さずに観察している。隣に座っている啓太は、路子の臆さず物を言う仕事ぶりを感心しながら見守っていたが、そろそろ自分の出番だと思った様だ。
「ロコさま、里中さんって仕事も出来てかっこいい人ですよね」
「こんな素敵な職場で働いてらっしゃるのが羨ましいわ」
「はあ、そうですか」
里中の硬い雰囲気が少し和らいだ。
「里中さんはハンサムだしモテるんでしょ?」
「いやいや、結婚して中学に通う娘もいるんです」
「あらそうなの、もっと若い方だと思ってました」
大きな目をパチパチさせる路子の大げさな驚き顔を見て、里中はクスっとした。
「今日はこの辺で帰ります。里中さん、ペールキューブ社の設計者と連絡を取って火災のメカニズムの報告書を作成してくださいね」
「わかりました、すぐに調べます」
「それでは、前川さんと安田さん、帰りましょう」
路子はボイスレコーダーのスイッチを切って胸のポケットに入れ立ち上がる。啓太や前川たちも帰り支度をした。路子たちが玄関へ通じる廊下を歩いていると、奈々子が急に立ち止まって里中と話をし始めた。路子はその様子が気になったが、玄関を出て安田を待つことにした様だ、そのまま歩いて行った。
暫くして奈々子が玄関を出てきた。
「お待たせして申し訳ありません」
「何のお話をしていたの?」
「……ええ、ソフトの件で彼に質問があったので」
「あらそう、前川さん、このあと何処かでお話できないかしら?」
「はい、僕は直帰する予定ですよー」
「安田さんは?」
「わ、私は用事があるので急いで帰らないといけないんです。西部秩父駅から電車で帰ります」
「そう、残念だわ。取りあえず西武秩父駅まで行きましょう」
路子と前川たちは車に乗り込んで西武秩父駅へ向かった。
駅のロータリーに着くと、路子は車を降りて前川の所へ行く。すると、奈々子が助手席のドアを開けて出てきた。
「今日はお疲れさまでした、私はここで失礼します」
「安田さん、気を付けて帰ってね」
奈々子は駅の切符売り場へと歩いて行った。それを見届けたあと、路子は前川に声を掛ける。
「ちょっと前川さん、安田さんと里中さんってペールキューブ社にいた時、どういう仲だったの?」
「よく一緒に夜遅くまで仕事をしていましたよ、それが何か?」
「それだけ? 今日の二人の様子がおかしかったのよ」
「はー、そうでしたかね。ところで何処で話をします?」
「安田さんと話がしたかったのよ。今日は私も帰るわ、じゃあまたね」
路子はさっさと自分の車へ戻って行くと、前川は少しがっかりした顔で車を発進させた。路子は車に戻ると運転席に座るが、エンジンを中々掛けないで駅の方を見ている。
「ロコさま、どうしたんですか」
「安田さんがまだ切符売り場の所でうろうろしているのよ」
「あ、本当だ。なんで電車に乗らないのかなあ」
「こっちをちらちら見てるわ、移動して様子をみましょう」
路子はロータリーを出てビルの陰に車を移動させると、ハザードを点滅させて停車した。
「ここで彼女を見張りましょうか、啓太、様子を見て来て」
啓太は車を降りて、ビルの陰から安田の行動を見守った。路子は運転席に座ったままバックミラーで啓太の様子を窺っている。
二、三十分が経過したころ、啓太が慌てて車に戻ってくると運転席のドアの窓ガラスを叩いた。路子はドアの手回しハンドルを回して窓ガラスを降ろす。
「ロコさま、ドイツ製のSUVが駅の前に止まって、その車に安田さんが近づいて来ました!」
「やっぱり、里中さんと待ち合わせしてたのね。啓太、早く車に乗りなさい」
啓太が急いで助手席に座ると、路子は車を無理やりバックさせて駅が見える位置まで移動した。紺色のドイツ製のSUVはすでに走り出している。路子は慌てて元のビルの陰に車をずらすと、バックミラーでSUVがロータリーを出てくるのを確認する。SUVは路子の車と反対の方向へ曲がって行った。路子はそれを見届けると、車をUターンさせて後を追いかけた。
「安田さんが乗っているかどうか分からないわね、車に乗り込んだところは見てないんでしょう?」
「多分乗っていると思いますよ」
「どうかしら、ここからは見えないわ」
路子たちはSUVの後ろに二台の車を挟んで追いかけている。人気の少ない道を十五分ほど走ると、SUVはある場所で左に曲がり見えなくなった。
「あら、車庫に入ったのかしら?」
路子がその場所に着くと、何枚もの緑色のゴムのカーテンが掛けられた建物があった。
「あらら、ラブホテルに入っちゃたのー、いやーん」
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