第11話 事件の調べ方
「あら、大事な事を忘れていたわ!」
路子は何かを思い出して、帰り支度をしている啓太に声を掛ける。
「啓太、パソコンはまだしまわないで」
「え、どうしてですか?」
「例の不審な男の写真をこの人たちに見せるのを忘れていたのよ、ちょっと皆さん、もう少しだけお付き合いください」
路子は、席を立って会議室を出ようとしていた早川たちを呼び止めた。啓太は閉じていたパソコンを開いて不審人物の顔を拡大した画像を開く。
「前川さん、例の不審な男をみなさんに確認してもらえます?」
「ああ、あのスンファン電子の男の事ですよね。みなさん、こっちに集まってください」
前川は手招きして早川たちを路子の傍に集合させた。
「みなさん、ここの画面に映っている男は火災事故が起きた時に、車を止めてその様子を見ていた人です。この男をご存知の方はいらっしゃいますか?」
みんなは啓太のパソコンの画面を覗き込む。すると、
「はい、この男なら知ってますよ」
南野は、はっきりと答えた。
「あら、あなた知っていらっしゃるの」
「ええ、この男はスンファン電子の営業の
「そうなのよ、私も偶然にしては出来すぎだと思っています。この人にも接触したいので名刺の写しを頂けます?」
「はい、分かりました。検査室に戻ったら、柳さんの名刺のコピーを椿坂さんのメールへ送ります」
南野の横にいた早川は難しい顔をしながら、まだ画面を注視している。
「早川さんもこの方をご存じなんですか?」
「あ、いや、どこかで見た顔だけど、どこで会ったのか思い出せないんです」
「そうですか、それでは皆さん、もう職場へ戻っても構いませんよ。私たちも引き上げますから」
「今日は申し訳ありませんでした」
奈々子が頭を下げながら、路子から借りたハンカチを返しに来た。
「全然気にしてないわよ、大根のこと以外は」
路子は笑顔でそれを受け取った。その後、早川たちは会釈をしながら会議室を出て行った。
「ロコさま、やはりスンファン電子の人でしたね」
「ほうら、私の言った通りでしょ」
前川は得意顔になっている。
「前川さんのおかげで今日はすごく仕事がはかどったわ、ありがとう。ラボトライ社の里中さんに会いに行く時も一緒に着いてきてくれないかしら」
「はい、一緒に行きます!」
また前川は目じりが下がり、デレデレの顔になっていた。
路子と啓太が玄関を出る時、前川は深々と頭を下げて路子たちを見送った。会社にとっては顧客でも何でもない路子たちを丁重に見送る必要などないはずだが、前川は路子の事を完全に慕っている様だ。かなり長い時間頭を上げなかった。
路子たちは丸っこい車に乗り込み、守衛所に立ち寄ってから宇都宮の事務所への帰路に就く。その車の中で路子は、肩こりをほぐすように頭を左右に倒しながら運転していた。
「今日は疲れたわ、あの安全靴に鉄板が入っていて重かったから」
それを聞いた啓太が、アクセルを踏む路子の足元を見てドキっとする。
「あれ、ロコさま生足じゃないですか!」
「そうよ、履いてきたパンストはゴミ箱に捨てたわよ。でも洗面所で足を洗っているところを安田さんに見られちゃったの」
「え、僕も見たかったなぁ」
「啓太! 何言ってんのよ、まったくもう」
「すみません、……でも今日は色々と聞き出すことができましたよね」
啓太はつい、路子の足を洗う姿を妄想してしまった自分をごまかそうと、話題を変えたかったようだ。
「前川さんをおだてたのが上手く行ったわね」
「早川さんって少し怪しくないですか、里中さんを使ってSDカードを盗もうとしたんじゃないかな」
「うーん、どうかしら。それよりも私は、早川さんが里中さんと喧嘩していたって言う方が気になるけど」
「それじゃあ、次は里中さんの所を訪ねるんですか?」
「とにかく彼に会わないと、この問題は解決しないわね」
「それと、スンファン電子の柳っていう人と、どうやってコンタクトするんですか?」
「そうねえ、いきなり会うわけにはいかないわよね」
「UG保険の熊田さんに紹介してもらうのはどうですかね」
「うーん、もう少し慎重に考えたいわ。事件に関わっているかどうか見極めてからでないと、ただ会ってもうまくいかない気がするわ」
路子はこのあとの調査方法を、あれこれ悩みながら運転しているようだ。啓太はズボンの裾からのぞく路子の白い生足のくるぶしを、路子に気づかれないようにちらちらと見ていた。
◇ ◇ ◇ ◇
夕方の四時過ぎに路子たちは事務所に着いた。オレンジ色の太陽が向かいのビルに隠れると事務所の中は急に暗くなる。路子は自分の机の電気スタンドを点けて椅子に座るとすぐ、パソコンの電源を入れてメールをチェックした。
「南野さんからメールが届いているわ」
「柳さんの名刺ですか?」
「そうよ、東京の池袋に事務所があるみたいよ」
「池袋から事故現場へ行ったとすると、事故の前に移動しないと間に合いませんね」
「啓太、洞察力が鋭くなったわね」
啓太は路子に褒められるとモチベーションが上がるようだ、すかさず席を立つ。
「ロコさま、今日の打ち合わせの内容をまとめておきますから、ボイスレコーダーを貸してください」
啓太は立ち上がって路子の傍へ行く。路子は胸のポケットからボイスレコーダーを取り出す。
「はい、これお願い」
啓太が差し出した両手の手のひらの上に、ボイスレコーダーを優しく載せた。それを受け取った啓太は自分の席に戻った。
「このスンファン電子の営業の柳さんって人は、どうやってタブレット火災を予知できたのかしら。それとも偶然出くわしたの」
「偶然はあり得なさそうですよね」
「多分この男は、ラボトライ社の里中さんと面識があるはずよ」
「里中さんの開発した3D画像処理ユニットを、スンファン電子でも採用している訳ですからね」
「もし、このタブレット火災が単なる欠陥じゃ無かったら、かなり複雑な構図を調べないとならなくなるわ」
「複雑な構図?」
「元々はペールキューブ社だけでUG保険向けのタブレットを開発できたのに、里中さんが会社を辞めてしまったからライバルのスンファン電子と競合する羽目になったのよ。だから里中さんが辞めた理由も調べなくてはならなくなるわ。それと、ペールキューブ社とスンファン電子の企業間の紛争になるかも」
「なるほど」
「もし、このタブレット火災事故が仕組まれたものだったら、警察の捜査も必要になってくるわね」
「傷害罪の捜査ってことですか?」
「火傷を負った川崎さんが警察に被害届を出せば、今すぐにでも警察は捜査を始めるでしょうね」
「ロコさま、警察沙汰にするんですか? この案件」
「する訳ないわよ、そんなことしたら私たちの調査は打ち切りになってお金を貰えなくなるじゃない!」
「はー?」
「啓太、しっかり稼がせてもらうわよ、このホルモン焼タブレットの案件」
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