第7話 人の少ない工場

「ここでタブレットを開けるのは、場所が良くありません。検査室の方へ移動してもよろしいですか?」


 検査部長の外山は、この場の雰囲気を変えたい様だ。わざわざ工場の中へ路子を連れ出そうとしている。


「それは構いませんが、工場の中ですと社外秘の物や書き物などが、沢山置いてあるのではないですか?」

 路子は自分のペースが乱されると感じているのか、少し警戒している様だ。

「確かにそうですが、道具やら照明設備もここより揃っていますから。あなた方はライバル会社の人でも技術者の方でも無いので、工場に入ってもらっても全く問題ありません」

「……わかりました、では早速行きましょうか、啓太準備して」

「ちょっとお待ちください。当社の工場に立ち入る場合はヘルメットの着用と安全靴を履く事が規則で決められております。おい、前川君、お二人分を用意してくれ」

「安全靴? なんですの、それ」

「足のつま先から甲の部分を保護するために、鉄板が被さっている靴です。三〇キログラムぐらいの物が足に挟まっても怪我をしません」

「そんなもの履くの嫌ですわ」

「検査室に行く途中、工作機械が並んでいる工場の中を通ります。その場所は天井に大型クレーンが走行していまして、何か落ちてくるかも知れません。また、工作機械から金属の切り屑が出ます。足場が悪く切り屑などを踏んでしまい、おみ足に怪我をされても困りますので」

 路子は外山の目を見つめる。外山はふくよかで物腰の良さそうな顔立ちだが、目がすわっていた。傍からは、二人の間に無言の駆け引きが行われている様に見える。


「わかりました。着用いたします」

 路子は腹をくくった様だ。

「えーと、申し訳ありません……」

 前川がもごもごしてしゃべりだした。

「本日は工場見学をなさるお客様がいらしておりまして、お客様用のヘルメットと安全靴を用意できません」

「何よそれ?」

 路子は苛立ちを隠せなくなってきた。

「あっそう、じゃあ南野君、うちの検査部員の物を持って来てくれ」

 外山はしめたという顔つきで素早く指示を出す。

「はい、わかりました」

 南野は言われるまま会議室を出て行った。


「全く嫌な部長ね、汚い靴だったらどうすんのよ……」「ロコさまだいぶイライラしてるな。初め高圧的に出すぎたんじゃないのかな、反撃してきたぞ」、路子と啓太がつぶやく。


 暫くして、南野が戻って来た。

「こんな物しかありませんでした」

 南野が持って来た白いヘルメットは手垢で薄汚れ、黒い安全靴は男性用の物で表面の革の部分が所々剥げている。ヘルメットを会議机の上に置き、安全靴は路子と啓太の足の前に並べた。

「あらまー、ちょっとでかすぎるわよ、この靴」

「ロコさま、我慢しましょう」

 路子は安全靴の中を覗くため、しゃがみ込んだ。

「キャー、臭いわね、この靴!」

「すみません、夜勤の者が使用していた物しか無かったものですから」

「……」

 路子はしゃがみ込み鼻をつまみながら、じっとしている。

「今朝まで誰か履いていたのね、だけどここで弱みをみせる事はできないわ」

 啓太は自分の靴を脱ぎ安全靴に履き替え、平然とヘルメットを被った。

「ロコさま、早く準備してください。みなさん待っていますよ」

「わかっているわよ」

 路子は観念して立ち上がり、右足の靴を脱ぐ。恐る恐る足のつま先を安全靴の中に入れていく。

「! まだ生暖かいわ……」

 さらに靴の奥まで右足を入れると、

「! 湿ってるのー」

 顔をゆがめ、少し震えながら左足も安全靴を履く。

「いやーん、ぬるぬるする。買ったばかりのストッキングなのに、捨てなきゃならないわ」

 路子は両足をわなわなさせながら、ヘルメットを手に取る。

「! これもくっさーい、もう」

 髪の毛を上に持ち上げながら、しぶしぶヘルメットを被った。


「ヘルメットは、あご紐もしっかりお締めください」

 外山は少し勝ち誇った様子に見える。

「さあ、検査室へ参りましょう」

 啓太は、燃えたタブレットをプチプチに包み手提げカバンに入れた。路子はノートパソコンをたたむと、右手に抱える。

「ロコさま、僕のパソコンは置いて行ってもいいですか?」

「あんたのパソコンはいらないわ」

 路子と啓太は、外山部長の後に続き会議室を出る。前川や、他の者たちも会議室を出た。路子は辛うじて毅然とした態度を保っていたが、サイズの合わない靴が踵からずれる度に、パカパカと馬のヒズメの様な音を出しながら廊下を歩いていた。


 会議室を出て事務棟の玄関から外に出る。事務棟の奥にある工場建屋まで外山を先頭に一列になって歩いている。工場建屋は三階建ての白い建物だった。工場の入り口の扉の前に来ると、早川が立ち止まった。

「私どもはこの工場の二階へ行きます」

 早川と安田奈々子は工場の入り口の横にある階段を上って行く。その途中、

「前川君、一緒に来てくれ」

「え、はい、わかりました」

 前川も階段を上って行った。


 外山が工場建屋の鉄の扉を開けて中に入る。工作機械の音や、金属を叩くような音と共に少し焦げ臭い匂いがする。路子と啓太が中に入り南野も続いて入ると扉を閉める。外山と南野は、壁に掛けてあるヘルメットを取って被った。

 工場の天井は高く、水銀灯ランプが何列にも並んでいる広い空間だ。天井のすぐ下にある大型のクレーンが工場の幅いっぱいに橋げたが掛けられ、その橋げたの中央に大きなフックが鎖でぶら下がっていた。中央の通路の脇には種類の違う何台もの工作機械が整然と並んでいたが、フル稼働では無く作業員はまばらだった。


「この工場は、金型と言う名前のプラスチックなどを成型するときに使用する硬い金属を削ったり、組み立てラインや製造設備用の機械部品を作る所です」

「あらまあ、随分と沢山の機械が並んでるのに作業する方は少ないですね」

「最近は自社で製造設備を作るというのが減ってきています」

「アウトソーシングってやつですか?」

「言葉はしゃれてますけど、ほぼ人減らしですよ。利益優先ですから」

「働いている方は若い人が少ないのね」

「新しく入ってくる技術屋は、ほとんど開発の方へ配置されます」


 外山の後に続きキョロキョロしながら通路を歩いていた路子は突然立ち止まる。

「ちょっと外山さん、ここで働いている方はヘルメットを被って無いじゃないの」

 路子が言うように、工作機械を操作している人たちは布の帽子を被っている。

「ああ、あそこにいますよ」

 外山が指さした先にはクレーンを操作している二、三人の作業員たちがヘルメットを被っていた。

「本当は玉掛って言うクレーン作業の時だけ、ヘルメットの着用が義務付けられているんです」

「! やられたわ」

 路子は罠に掛かったと思った様だ。スーツ姿の女性が手垢の付いた白いヘルメットを被り、ぶかぶかでぬるぬるする安全靴を履き、ノートパソコンを抱えて工場の真ん中で立ちすくんでいる。

「あなたのヘルメット姿をどうしても見たかったので」

 そう言うと、外山は頬をもち上げニヤリとする。

 路子は『あとで必ずこの男に仕返ししてやるわよ』と言う目をしながら、外山を睨み返した。


 工場の奥へ進むと、上半分がガラスの仕切りで区切られた検査室の前に着いた。

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