第32話 隣の部屋の男
路子は里中を睨んでいる。
里中の言っている事が正しいのなら、柳がなぜ火災現場にいたのか。また、五ちゃんねるの書き込みが早川の娘の仕業だった場合、柳が一連の工作をしたという路子の考え方が根本から狂ってくる
「スンファン電子の柳さんとあなたが、頻繁に会ってるんじゃないかと思ったのよ」
「柳さんと会ったのは二度ほどで、去年の九月にこの会社へ来てから、彼が部品の営業に来社した時だけです」
「あらそうなの」
「ところで、私が被害者だという意味はどういう事ですか?」
「私もちょっと混乱してきたのよ、この事件には大きな陰謀が隠されていると思ってるんだけど、肝心な部分がまだ見えて来ないの」
「はー、そうですか」
「もう少し調べれば真相がわかると思うわ、それまで待ってほしいの」
「私のやってしまった事は公にされるんでしょうか?」
「この事件の結論が出るまで、いたしません」
「それは助かります」
「ところで安田奈々子さんとの関係はいつまで続けるおつもりなの?」
「そ、そのー、奈々子が会いたいって言ってくるもんで……」
「奥さんも娘さんもいるんだから、ほどほどにしておきなさいよ」
「はー」
「今日は良いお話を聞けました、そろそろ失礼しますわ」
路子たちは車に乗って宇都宮の事務所へ向かっている。その車内の中では、
「ロコさま、振出しに戻ったんですか?」
「本当に早川さんの娘さんが、五ちゃんねるに書き込みをしていたらね。私の勘が全て外れって事になっちゃうわ」
「だけど black_fox_chan っていう名前だったら、黒キツネ暗度と同じ人だと誰もが思ってしまいますよ」
「同一人物かどうか、きちんと調べなきゃならないわね」
「このあと、どうするんですか?」
「やっぱりあの小暮さんのアパートへ行って、柳さんの事を調べるしかないわ」
「え、お泊りですか?」
「そうよ」
「僕、がんばりますっ」
「何それ、遊びじゃないんだからちゃんと仕事して頂だいね」
「はーい」
なんだか啓太はウキウキしている様だ。
次の朝、路子が小暮に電話を掛けて、例の部屋に一泊する約束を取り付けた。夕方になってから布団を詰め込んだ車に乗って渋山町へ向かう。途中、ファミリーレストランで食事を済ませたあと、アパート『ボーヌング・コグレ』には夜の八時過ぎごろに到着した。二人は車を降りて一階に住む小暮の部屋を訪ね、鍵を受け取っていた。
「小暮さん、それでは一晩お借りします」
「電気水道ガスは使える様にしてあるわよ。あなたたち、あまり大きな音を立てないでね、うちにも子供がいますから」
「路子、今夜は大きな声を出しちゃだめだよ」
「いやーん啓太さん、恥ずかしい事言わないで!」
路子は啓太の足を踏んづけた。
「うっ」
「車は駐車場の空いている所に停めていいわよ」
「ありがとうございます」
路子たちは車をアパートの駐車場に移動させると、布団を持って二階の部屋へ入る。啓太は一旦車に戻ると、重そうなカバンを持って来た。
「ただいま路子、布団はどこに敷く?」
「調子に乗ってんじゃないわよ。和室に置いとけば、どうせ使わないんだから。あんた、その大きい荷物は何?」
「色々用意して来たんですよ、タオルとかパジャマとか」
「何考えてんのよ! いらないでしょ、そんな物」
「はーぁ」
「さてと、子ブタちゃんがどこにいるか確かめるわね」
路子はスマホの地図アプリを開いた。
「丁度駅を出た所にいるわ、あと七、八分ぐらいで着くわよ」
「来た時に彼の顔を確認しましょうか?」
「今バレるとまずいから、明日の朝にしましょう。そろそろ盗聴の受信機の準備をしておいて」
「わかりました」
七分ほどすると鍵を開ける音がして、となりの部屋に誰かが入って来た。和室で座っている路子と啓太は、それぞれ受信機のイヤホーンを片方ずつ付けている。
「帰って来たわよ!」
「はい」
廊下を歩く音がした後、電気を点けたりカバンや服を片付ける音がする。しばらくして、パソコンが立ち上がる音がした。そのあと、ネット電話の呼び出し音が聞こえて来たのだ。
「あら、ネット電話を始めるわよ」
「録音を開始しますね」
啓太は盗聴機の受信機につないだボイスレコーダーをONにした。
「黒沢さん、今日大変な事がわかりました」
「P社がS社に合併を持ちかけているんです」
「ええ、確かな情報です」
「困りました。今まで上手くいってたのに、こんな事になるのは私も予想していませんでした」
「はい、被害者のスマホに五〇万円で買い取るとメールしたんですが、相手にブロックされてしまったんです」
「え、一〇〇万円でですか?」
「わかりました、今やります」
――ピッピッピ……ピ、
「お待たせしました」
「え、あの画像ですか? 燃えているところは写っていませんよ」
「わかりました、スマホに入っているのでパソコンにつなぐケーブルを取ってきますから、少しお待ちください」
「あら、誰に電話してるの?」
「黒沢さんって言ってましたよ」
「どこかで聞いたわよね、あ! ゼーマン社の記者会見よ」
「経営戦略室の室長でしたっけ、何でそんなところに」
「しっ、だまって」
「今送りました」
「ええ、メールで送って来たものですよ」
「なんですって! 今送った画像にウイルスが入ってるんですか」
「……あの女にやられたかも知れません」
「わかりました、すぐに伺います」
ガサガサと音がしていたと思ったら、廊下を走り部屋を出て行く音がした。
「ロコさま、部屋を出て行きましたよ」
「位置を確認するわ」
路子は慌ててスマホの地図アプリを開く。
「あれ、電源が切られてる。啓太、すぐ追いかけて頂だい」
「わかりました!」
啓太は急いで部屋を出て、隣の部屋にいた男を追いかけて行った。一人残った路子は和室に置いてある布団の上に座って考え込んでいる。
路子は訳がわからなくなって来たという顔をしている。
二〇分ほどして、啓太が戻って来た。
「ロコさま申し訳ありません、見失いました」
「何やってんのよ、もー」
「だって、見つからないように後を付けて行ったら、駅に行く途中でタクシーに乗っちゃったんですよ」
「顔は確認できた?」
「それも、わかりません」
「体形はどうだったのよ」
「はー、ちょっと小太りでしたけど」
「あーあ、さっぱりわかんないわ! もーっ」
――ポロロン、ポロロン。啓太のスマホに着信音がして電話に出る。
「もしもし、あれ正夫君、どうしたの」
「先輩、また早苗のSNSに書き込みが来ましたよ」
「え、どんな書き込み」
「啓太、どうしたの?」
「早苗さんのSNSに書き込みがあったんです」
「スピーカーモードにして」
「はい」
「先輩、今読み上げますよ『タブレットが燃えている動画のコピーを一〇〇万円で買うことあるよ、必ず返事くれよん』って書いてあります」
「ちょっと金田さん、子ブタちゃんはブロックしておいてって言ったわよね」
「ああ、椿坂さんですか、それがピンクの子ブタちゃんからじゃ無いんですよ」
「誰からなの?」
「えーと、@dufuchsnkel です」
「d・u・f・u・c・h・s・n・k・e・l 、ドュフクスンケル……?」
「そうです、返事はどうします?」
「もういいわ、しばらくほおっておいて」
路子は両手で髪の毛をむしって、くしゃくしゃにしている。よほど頭の中が混乱している様だ。丸まった布団を背もたれにして畳に座り、腕を組んで黙り込んでしまった。その内ほっぺたを膨らますと、顔がだんだん赤くなっていく。
「ロコさま、大丈夫ですか?」
「今考えてるんだから、邪魔しないで!」
路子は立ち上がると、今度は部屋の中を歩き始めた。すると、歩きながら上着とシャツも脱いでしまい、上半身はブラジャー一枚になったのだ。啓太は口をポカンと開けたまま壁に張り付いて見ている。
「熱いわー、もーっ」
「……! あら、わかったわ」
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