第7話 I wish for world peace
ミシェルの通う、いくつかの馴染みのバー。
いくつかあるそれらの中には、多人数で飲み喰いするパブリックバー『グラティチュード』も含まれる。友人たちと飲もう、というときはもっぱらここに居ることが多い。
しかし今日は、ミシェルの気まぐれでここに居た。『誰か、知り合いに会えるかもしれない』という期待の意味も込めて、だ。
半面、外食も兼ねていた。ここの食事は美味しい。シカトリスの住民、お墨付きの店なのだ。
「ミシェルよぉ。あんたまたそんな飲み方してんのかい?」
「はは、まぁな」
「ダメだぜ、オレみたいに健康的に飲まなきゃ」
「フレッドは食いすぎだろ。そんなに飲み食いして細身なのは羨ましいよ」
「がっはは! よく言われるぜ」
ミシェルの居るカウンターには、少量ずつのナッツとチーズ、乾燥肉の盛り合わせが乗せられていた。
対して、少し離れたフレッドのテーブル席には、仲間の分も含めて腸詰肉や揚げた味付きポテト、焼いた肉、煮込んだ豆など数々の料理が並んでいた。飲んでいる酒も、麦酒が中心だ。
「あんまり酒ばっかり飲むなよ、ミシェル。早死にするぞ」
「それじゃあ、自分の葬儀をあげなくちゃ、だ」
「冗談言うなよ。『死人に口なし、遺言だけが彼らの言葉』だぜ」
「……そうだな。でも俺はビリーオが嫌いだ」
「そんなんじゃ葬儀も苦労するだろうに。ああ、ユリナ。麦酒をもう一杯」
「あいよ、待ってな」
ユリナはそう一声言うと、豊満な身体を身軽に動かし、すぐに木製のジョッキに麦酒を入れ、フレッドに差し出した。
「お待ち」
「あんがとよ。それじゃ、ミシェルも良い酒を」
「ああ。フレッドも」
そう言って、フレッドは仲間の待つテーブルへと戻っていった。
「良い酒、ね」
ミシェルは軽いつまみの後、すぐに食事をしようと思っていた。だが、急に気が変わり、この雰囲気を楽しみたくなった。結局、食前酒の次にシャンパンを少しずつ飲みながらナッツなどをつまんでいた。
「ああ、ミシェルも来ていたのか」
「ニコラ。お前が来るのも珍しいな。仕事は?」
「一段落したからその中休みにね。ユリナさん、とりあえずキールをお願いします」
「あいあい。ちょいと待ってな」
ユリナはワイングラスにリキュールと白ワインを注ぎ、軽くマドラーで混ぜてニコラの前に差し出した」
「あい、どうぞっと」
「ありがとう」
「じゃ、呑みさしで済まないがニコラの仕事の中休みに」
「どうもね、ミシェル」
二人はそうしてグラスを合わせ、小さな音を立てた。
「よかったら、これつまめよ。俺には多すぎる」
「またかい? まったく、そんな不健康な飲み方したら」
「早死にする、だろ。さっきフレッドにも言われた」
「わかっているならなおさら、何か食べてくれよ。また痩せたんじゃないか」
「そうかね」
「そうだよ。おごるから何か食べてよ。何がいい?」
「軽いものがいいね」
「はぁ……まあいいか。ユリナさん、腸詰肉とポテト。ポテトは茹でにしてちょうだい」
「重くないか?」
「そんなことないよ。これくらいは食べて」
料理が運ばれてくる前に、ニコラはいくつかナッツを口に放り込み、キールに何回か口をつけた。
「ああ、塩気が心地いいよ」
「お前の仕事は汗をかくからな」
「本当だよ。考古学なんて言うけど、ほとんどは机の前じゃなくって洞窟の中だからね」
「そんで、墓荒らしに死体見分、っと」
「おいおい。そんな言い方しないでよ」
「俺の仕事柄としてはそう言うしかないね」
そしてミシェルは、ニコラの困った顔が面白い、といった風に笑った。
「ところで、聞いたかい」
「何をだ? 隣の戦争か?」
「そうそう。その通り。何でもうちの国からも軍事協力することになったらしい」
「アルティザンからもだって! そんなことしたら葬儀屋がいくつあっても足りないぞ」
「仕方ないけれどね……兵士は国家資格が無くても職業にできるから」
アルティザンの、風変わりな国家基準。国内で専門の仕事をするには、国家資格が必要になる。無論、仕事の種類によって試験の難易度は変わるが、鍛冶屋からこうした飲食店まで、国家資格が無いと仕事として認められないという基準がある。
葬儀屋も花屋もそれにもれず、国家資格が必要だ。
「例外の貧乏人は死んでから出直してこいってか」
「そういう言い方も良くないけど、でも、そう言われても仕方がないよ。アルティザンはもともと、ティーグル国とは平和協定を結んでいるんだから、普段は戦争とは関係が無い」
「だがそれは『協定』だ。条約じゃない。いざ戦争になれば引っ張り出すぞってことだよ」
「うん……まぁ、そうなんだけど……」
「どうせその向こうのレオバルド王国が国土をよこせってんで戦争をふっかけたんだろう」
「そうだろうね。どうして、人は争うのかな」
真剣な話をしている、と悟ったのか、ユリナは無言で料理を運んでくる。ニコラは片手をあげて礼の代わりにした。
「そりゃあ、力が欲しいからだろう」
「そんなものが力、って言っていいのかな」
「さぁな。間違いないのは」
ミシェルは、腸詰肉にナイフを入れて言った。
「死人が多く出るのは間違いない、ってことだ」
その言葉に、ニコラは黙る。
少しの間、二人の間に会話が無くなる。パブリックバーの喧騒だけが耳に聞こえてくる。
いじけた子供のようにポテトをいじっていたニコラが、ふと口を開いた。
「エドワードは大丈夫かな」
「まさか、あいつ!」
「そう。少し前の手紙にあの辺りを旅しているって書いてあった」
「そんな」
「巻き込まれていなきゃいいけど。もしもレオバルドの戦争に兵士として参加していたら、命が無いかもしれない」
「今、どこに居るのかわからないのか」
「国境近くの山小屋にしばらく滞在する、って。でも資格は持っていない。昔の資格証明書も期限が切れているだろうしね」
「畜生……」
ミシェルはそう吐き捨てると、シャンパンをあおった。ユリナを呼ぼうとカウンターの中を見ると、すぐそばにユリナは居た。
「麦酒でいいかい?」
「ああ、頼む」
「あいよ」
ミシェルはその酒を受け取るなり、ジョッキの三分の一ほどを一気に飲んだ。
「山の方にいるなら安全だと思うんだけどね」
ニコラは言う。
「せめて、そこに滞在してくれていれば、僕たちも安心できる」
「手紙は、届くか」
「たぶん。確証は持てないけれど、この国の郵便職員だって有資格者だ。誇りは持ってるはずだよ」
「なら、それに賭けてみるか」
そうして二人は、食事に手を付けた。
翌朝。
ミシェルはすぐに机に向かい、【Michele-rose】の開店前に手紙を書いた。
『親愛なるエドワード=ワトソンへ』
『エドワード、元気でやっているだろうか? 隣国で戦争が起こっていると聞いた。悲しみの溢れる戦場だとも聞いている。お前の無事を知りたい。そして、無事を願うためにこの栞を受け取ってくれ』
『ミシェルより』
ごく短い手紙。これはミシェルのいつもの癖だった。手紙となると、言葉として伝えることに違和感を覚え、巧く文章にできないのだ。
だから、ミシェルはいつも、カードや栞を――押し花で飾ったものを――同封して送るのだった。
エドワードに送る手紙に入れた栞は、小ぶりのアイリスと紫のアネモネの花があしらわれている。
その裏に、短く『Waiting for you with hope』と、『希望をもってあなたを待つ』と書いた。
この栞を飾る花に込められた花言葉だ。
それらを入れて、祈るように宛名を書いた封筒に入れる。
「どうか、大切な命に届きますように……」
アルティザンに伝わる伝承や格言を収めた『ビリーオ』には、命あるものへの言葉は少ない。ミシェルはその中で、かろうじて覚えていた言葉を口にする。
「『あなたの命よ、そこに在れ。
そうして、両手を組んだ。
◆
こんこん。
朝の九時前。
いつものように扉をノックする音が響く。
「ミシェルさん。イヴェールです」
「ああ……入ってくれ」
「はい」
店に入ると、ひどくやつれた様子のミシェルの姿がイヴェールの目に入った。
「どうしたんですか?」
「何でもないよ、大丈夫だ」
「何でもなくないですよ、ミシェルさん、何か気になることでもあるんですか?」
「……ちょっと、友達がな」
「ご病気ですか?」
「いや、戦争のほうだ。イヴェール。お前さんはこんな血なまぐさいことは知らなくていい」
「そう、なんですか」
「お前には、しっかりとロッシュさんから石切職人の仕事を継いでほしい。だから、戦争のことなんて気にするな」
「……はい」
「よし、良い返事だ。今日の仕事は?」
「えっと、これです」
イヴェールは、肩に下げていたカバンの中から何通かの封筒を取り出した。
それを見て――ミシェルは、顔を訝しげに歪めた。
白い封筒が、三通。
黒い封筒が、七通。
【Michele-rose】への依頼よりも、【Ung-rose】の依頼の方が多いのだ。
花屋の仕事よりも葬儀屋の仕事のほうが多い。それは、アルティザンの兵士がティーグル国の戦争で死んでいったことを意味する。
封筒を受け取る手が、震えた。
「ありがとう、な」
「ミシェルさん……」
「大丈夫だ。覚悟は、していた」
「今日の午後にも、という話です」
「わかった。イヴェール、これ」
ミシェルは、いつもの習慣通りにイヴェールに小さなキャンディを差し出した。
こうして、ロッシェから受ける花屋と葬儀屋の仕事を運ぶのが、今のイヴェールの修行だ。
「ねえ、ミシェルさん。これ、今日はミシェルさんが食べてください」
「俺が?」
「はい。ボクからの贈り物です」
きょとん、としたミシェルの顔に、イヴェールは笑顔で向かう。
「少しでも、元気を出してほしくて。それと、これ」
近くのバケツにさしてあったデイジーの花を一本、イヴェールは引き抜いて、一枚の銅貨をミシェルに渡した。
「いつか、『平和』になりますように……デイジーの花言葉にお願いをこめて、これを買います」
「……ぷ、あははっ」
イヴェールの無邪気なその行動に、ミシェルの顔は明るくなった。
「ありがとう、イヴェール。お前のおかげで元気が出たよ」
「よかった! ミシェルさんは笑顔のほうが似合います」
「よし、仕事にかかろうか」
からぁん――――
遠くで、時を告げる鐘が鳴る。
「それじゃあミシェルさん、ボクはこれで」
「ああ。良い一日をな」
「はぁい!」
イヴェールは、陽光に透ける金髪を揺らし、ドアの外で手を振った。ミシェルはその姿が見えなくなるまで、見送った。
「さて、と」
ミシェルは白い封筒の一通目、花屋【Michele-rose】の仕事に取り掛かった。
平和を願う式典への、花束の依頼だった。
その依頼に対して、ミシェルはクチナシとカスミソウ、そして実の付いたオリーブのブーケで応えた。もちろん、精いっぱいの花言葉を添えて。
ミシェルが午前の花屋の仕事を終え、事務方の机仕事から解放されると同時に、午後一時を告げる鐘が鳴った。
「ああ、昼飯食い損ねたな」
ぼうっとそんなことを思い、もうしばらくしたら【Ung-rose】の仕事の『荷物』が届くころだ、と思い、準備をしようと背伸びをした。
すると、唐突にノックの音が店に飛び込んだ。
「何だ?」
今は、店自体は休み時間になっている。それでもノックするということは、それなりの用事があるのだろう。
羽織ろうとしていた漆黒のロングジャケットを手放し、ドアへと向かう。
「どなたですか」
「ミシェル=アンダーグラウンドさんですね。郵便です」
「郵便だって?」
ミシェルがこの時間に郵便を受け取ることはまずない。まして、ポストに投函されない重要な手紙など――
「もしかして」
ドアを開けると、赤い制服を着た国家郵便機関の職員が、ミシェルへの手紙を持っていた。
差出人は、エドワード=ワトソン。
「やっぱりか!」
「お待たせして申し訳ないです。やっと届けることができました」
「ありがとう、職員さん。俺も、この手紙が届いてほっとしたよ」
「こちらこそ。それでは、またご利用ください」
職員が去ると、ミシェルは机に駆け寄り、もどかしく思いながらペーパーナイフで封筒を開けた。
中身は、数枚に及ぶ手紙。これが、エドワードの遺言になるかもしれない。そう覚悟して、便せんを開いた。
『親愛なるミシェル=アンダーグラウンドへ』
『やあ! 元気にしているかな。こちらはとてもいい天気だ。調子もいい。元気だ。自信をもって言えるよ』
『きみの手紙がいつも通りのぶっきらぼうな内容で、笑わせてもらったよ。ミシェル、そんな風だと女の子にモテないよ? まあ、きみにとってはどうでもいいことか』
『とりあえずだけれど、ぼくは山岳ルートを通って東方の国に抜けることに成功した。これで兵士として駆り出されなくても済むようになったよ。やったね!』
『この栞を見る限り、【Michele-rose】は繁盛しているみたいだね。安心した。ヴァレリアンさんから継いだ店だもん、大事にしているとは思っていたけれど、それよりももっと大事にしているのかな。想像しておくよ。ぼくがアルティザンに帰るのはまだまだ先になりそうだから』
『これからは東方のルートを通ってシンやイッタリ、スパーニャなんかの国々を回って、ジパニアという島国までたどり着こうと思っている』
『なんでもジパニアでは、黄金がざっくざっく掘れるとか……! きみたちへのお土産になるかもね。期待していてよ!』
『それじゃあ、この手紙はこの辺で。次に滞在する場所が決まったら、また手紙を送ります。バーイ』
『エドワード=ワトソン』
明るい、エドワードの人柄そのものを表すような、そんな手紙だった。
戦場で危ないことをしているかと思っていたら、真逆。
「は、はは」
拍子抜けしてしまい、ミシェルは椅子にへたり込む。
「くっくっく……あはははは!」
間を置いて、エドワードが戦争なんかに巻き込まれるような人間じゃないことを思い出し、心配していた自分とエドワードからの手紙の温度差に笑いがこみ上げる。
「ミシェエール!!」
「うわぁっ!」
「ミシェル! ミシェル! エドワードから無事の知らせが!」
「お、落ち着けニコラ。ほら、俺のところにも届いた」
「よかった……よかった……! うっ、えっぐ」
「心配し過ぎなんだよお前は。ほら、鼻水ふけ」
「ん、っぐ」
柔らかい紙をニコラの鼻に押し付ける。
鼻をかんだニコラは、ほっとした笑みを見せた。
「よかった。本当によかった……大事な友達を亡くさなくてよかった」
「はは、エドワードはこんなんでくたばる奴じゃないだろ」
「ふふふ、そうだったね」
ふたりは、ひとしきり笑った。
戦争は、いつ、どこで起こってもおかしくない。どこで行われていてもおかしくない。
けれども、ミシェルは――友人の、ひいては人々の、世界の、平和を願うのだった。
【世界の平和を願う――fin】
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