第16話 A person dislike

 ある水曜日の午後のこと。

 ミシェルの店、【Michele-rose】は半休の日に、バズが店を訪問した。

「こんにちは、バズさん。また菊ですか」

「いや、今日は違う。オレからとある人に花を贈りたくてな。まあ、袖の下と言っちゃそのまんまなんだが……それでも、何もしないよりか良いと思う」

 袖の下、とミシェルが首を傾げていると、バズはどこか言いよどみながら、先を続けた。

「何だ、その。国から遺物についての依頼を受けてよ。そのことに関して、ベルナールって爺さんに話を聞きたいんだ。だが、何分、頑固な爺さんで話を聞いてくれないんだ」

「ああ、それでまずは花を」

「そういうこった。悪いな、今日は半ドンだってのに」

「いいえ。これも俺の仕事ですから」

 ミシェルは自分の使命に誇りを持って言う。贈りものとして花を選ばれるのは、花屋にとっては素晴らしき名誉だ。その嬉しさにミシェルは心を躍らせた。

「それで、どんな方なんですか」

「まあ頑固な爺さんだよ。こっちの話なんか聞いちゃくれねえ。ボケてんのかどうか知らねえが、オレたちのことを〈敵国の先兵〉だとかなんとか言って、会話も何もねえよ」

「そんな人なんですね……なるほど。少し難しそうな話です。でも、俺はお会いしたことが無いような気がするんですが」

 この街のことを、ミシェルはよく知っている。それこそ、ヴァレリアンとともに毎日、花屋に訪れる人々の顔を覚え、そうでなくとも病院や孤児院、保護施設などに顔を出して様々な人と出会ってきた。

 それなのに、ミシェルはその人物のことをよく知らない。これは、異例なことだ。

「そりゃそうだろうよ。脚を悪くしていてもう長いこと家から出てこないし、家政婦がひとり、たまに家に出入りする程度だ。それどころか、川のそば、ノワール森の中に爺さんの家はある」

「なるほど。それなら俺は知らないかもしれません。ヴァレリアンに、あの辺りには行かないようにと言いつけられていたので」

「そうだったな。この依頼、大丈夫か?」

「ええ。俺の過去は、もう過ぎ去ったものなので」

 ミシェルは、にっこりと笑った。

 過去、エクリプセの街で半分死んだように過ごし、ラポカリトスへ信仰を捧げる人々から虐げられてきたミシェル。そんな過去と、ミシェルは決別しようとしていた。

 もう、ヴァレリアンに出会う前の自分ではない。ノワール森へ行っても大丈夫だろう。

「どんなことをお聞きになりたいんですか」

 ミシェルは腰に巻いていたエプロンからメモ帳とペンを取り出し、バズの言葉を書き留める。エクリプセとの確執のこと、この街、シカトリスの過去、シカトリスに伝わる信仰の核になっている書物〈レーグル〉に関すること、などが挙がった。

 話を全て聞き終わると、バズは「あとはミシェルさんに任せるよ」と告げ、店先から去って行った。

「よし。やるか」

 思い立ったが吉日、と、ミシェルは花束を作り上げる。午前中に売れ残った花と、明日に出すはずだった花をバランスよく取り込み、男性の家に置かれても違和感のないような、シックな雰囲気の花束にした。

「そうだ。グラースさんのところに」

 家から長く出ていない老人なのだ、ということを思い出し、ミシェルはベルナールのもとへ向かう前に、ガラス職人であるグラースの店へ寄ることにした。花瓶がないだろう、と考えたのだ。

「気に入ってもらえると良いな」

 ミシェルは期待を持ちながら、仕事で汗を吸ったシャツから余所行きの服へ着替え、花束を持って家を出た。



 ベルナールの家に着くと、ドアの前に数人、国公立機関の制服を着た人間がたむろしていた。ドアを何度も叩き、中にいるのであろうベルナールへ問いかけている。

「ベルナールさん、ここにいるんでしょう。話を聞かせてください。これは国からの調査命令です。早く開けてください」

 そんなことを早口でまくし立てては、激しくドアを叩く。その度に古びたドアは軋む。やがてベルナールの方も限界が来たのか、

「煩いわい!!」

 と叫ぶ声が聞こえた。

「わしゃもう生い先短いんだ、あんたらにとやかく言われたくない!」

「いえ、だから勧告などではなく、調査を」

「かっ! 調査だか何だか知らんが、わしゃ協力もなんもせんわい。とっと失せろ!」

 その一喝に、制服を着た人物たちはすごすごとドアの前から散る。そこで、制服の一団はミシェルの姿に気が付いた。

「ああ、あなたは花屋の。バズさんから聞いてますよ」

「ええ。【Michele-rose】店主のミシェルです。今、何をなさっていたんですか」

「いやはや、みっともないところをお見せして申し訳ない。国からの調査依頼のため、彼……ベルナールさんから話を聞こうと思ってるんですがね。どうにも頑固で、我々から話かけてもあれですよ。まったく」

「本当、厄介な爺さんですよね」

「いっそ、死んじまえば調査なんてしなくていいんですがね」

 そんな軽口を叩いて、一団からわはは、と笑いが起きた。

「……そんなこと、言うもんじゃないですよ」

 怒りが、ミシェルの中に生まれる。葬儀屋としての、【Ung-rose】としての顔がつい出てしまう。

 ミシェルは表向きで花屋を営む一方で、死に直結する葬儀屋もこなしている。しかし、制服の一団はシカトリスの人間ではないのだろう。それを知らないからミシェルの前で死についての軽口を叩けたのだ。

「失敬、失敬。いやぁ、もう何度目かになる派遣なものでね。毎度こんな感じなので、嫌気がさしてしまって」

「それでも、そんなことを言ってはいけない」

「おや、お怒りですか。すみませんね、ちょっと口が過ぎました」

 制服の一団のひとり、ミシェルと話を交わしていた人物は適当に謝る。それが口先だけだというのは、にやにやと笑う表情からすぐにわかった。

「あなたたちは帰ってください。この人は、俺の大事な客なんです」

「おっとそうでしたか。いやぁ、失礼しました。なら、我々はこれで」

 そう言うと、制服の一団はそばに停めてあった馬車に乗り込み、その場を去って行った。

「さて……」

 ミシェルは改めてベルナールの家を見た。駆け寄り、家のドアをノックする。

「ベルナールさん。初めまして、ミシェルと言います」

「かーっ、まだ何か用か!?」

「いえ、俺はさっきの人たちとは違います。あなたに、花を用意してきました」

「花……」

 そこで、ベルナールの声は途切れる。しばし静かになったかと思うと、ドアが開き中から車いすの老人が姿を現した。

「お前さん、ヴァルの弟子か」

「! どうしてヴァレリアンのことを」

「ふん、わしゃあいつに世話になっていたからな。しばらく姿を見せないから、どうしたものかとは思っていたが。もう十年ほどになるか」

「師匠は」

「風の噂で聞いとったよ。流行り病だろう」

「ええ。身体が弱かったみたいで、すぐに……ベルナールさんのところにご挨拶に来れなくて、すみません。俺はこの森に近づかないように言われていたので」

「そうか。ふむ、エクリプセに捨てられていたんだったな」

 じっとベルナールはミシェルのことを見る。背の高いミシェルの、銀の髪から赤い瞳までじっくりと見て言った。

「花束、か」

「そうです。ベルナールさんに」

「むう」

 ひとつ唸ると、ベルナールはあごに右手を当てて何かを考え込んだ。ミシェルを家に招くかどうか迷っているようだ。

「ヴァルの話も聞かせてくれるか」

「もちろん」

 すると、ベルナールは頷いて、車いすを反転させた。

「……入んなさい」

「ありがとうございます」

 招かれた家は立派なものだった。しかし、人が生きているというにはやや綺麗すぎるような気もしたし、同時にどこかほこりの匂いもし、ベルナールがひとりで生きるには持て余すような家であることを察せられた。

「これは、俺からベルナールさんに」

 ミシェルは手土産の花瓶と花束を手渡す。ベルナールは花瓶の包みを開き、花束を見つめると、感嘆のため息をついた。

「さすがヴァルの弟子なだけあるな。良い花だ」

「どうも。ベルナールさんのお気に召したようで何よりです」

「――先に、お前さんの方から話しなさい」

「はい」

 それからしばらくの間、ミシェルはヴァレリアンとの日々がどんなに素晴らしかったかを語りつくした。

 ヴァレリアンの話に花を咲かせたあと、ミシェルは持参した花瓶に花を生けた。それが気に入ったのか、ベルナールは何度も頷く。

「うむ。うむ。お前さん、良い子に育ってよかったな」

「そうですね。これも、師匠のおかげです」

「……では、今度はわしの昔話か」

「お話いただけますか」

「応。――昔だ。もうだいぶ昔のことになる」

 ベルナールの口から語られたこと。

 戦争。混乱。アルティザン国での歴史。エクリプセとシカトリスの確執。その頃には〈レーグル〉がシカトリスに広がっていたこと。

 約八十年前ほどのことをベルナールは話してくれた。記憶が残っている部分と、残っていない部分があいまいだが、と苦笑いを浮かべながらも、真摯に聞くミシェルの姿が嬉しいのか、しっかりとした言葉で語ってくれた。

「俺は、こういう街の歴史はあまり知らないので、ベルナールさんの話は面白いです」

「そうかそうか! そいつはよかった。わしも話し相手がいないでのう、あんたが来てくれてよかったよ」

 ふと、ベルナールは時計を見る。そして、ため息をついた。

「ミシェルさんよ。わしゃ、早くあんたと出会っていたかったよ」

「どうして、ですか」

「この家に来る家政婦も、国公機関も、みんなわしのことを厄介者扱いして去っていく。妻に先立たれたあと、もう何人、家政婦が辞めていったかもわからんし、国公機関の人間が入れ替わったかわからん」

「そんな。ベルナールさんはとても良い方ですよ。俺はそう思います」

「そうかい、そうかい。あんたは本当にいい子だなぁ」

 ベルナールは、車いすに手をかけてミシェルにそっと近づく。

「お前さんは、〈レーグルの主〉に愛されておるよ」

「……? どういう意味ですか」

「そのままの意味……さ……そして、わしの愛は……終わった、らしい」

 静かにそう言うと、ミシェルの頬に触れ、愛おしそうに撫でた。

 それが、最後の行動だった。

「花束、ありがとう、な」

 ゆっくりと、ベルナールの手がミシェルの頬から落ちていく。ミシェルは思わずその手を取ったが、ベルナールの身体は車いすから落ち、床に倒れてしまった。

「ベルナールさん? ベルナールさん!」

 意識が無い。何度ゆすっても、瞳孔が開き、濁った眼が透き通ることはない。――死んで、いた。

 ベルナールは、故人たちのもとへと、旅立ったのだった。



 後日、ベルナールの葬送が行われた。

 祈りの言葉を唱えるのは、これまで辞めていったという家政婦数人と、表向きには〈交流があった〉とされる国公機関の数人だけだった。

「ああ、やっと死んだわね」

「長かった」

「あなた、よくやったわよ」

「やっと我々も解放されますね、長官」

「しっ、あの人は……花屋で葬儀屋のあの男が、煩いぞ」

 そんなひそひそという声が、教会が静かであるがゆえにミシェルの耳に届く。この場で悲しんでいるのは、ミシェルだけのようだ。

 ベルナールが入る墓は、無縁墓だ。妻は散骨を望んだらしく、墓は用意されていなかったのだ。

 棺に土をかけ終わり、最後の祈りが終わると参列者はなんの未練も無いといった風に解散する。

 ミシェルだけが、墓の前に立っていた。

「ベルナールさん……ベルナールさん。俺は」

 無縁墓の前の、新しい土にそっと、ミシェルは黒い手袋越しに触れる。

「俺が〈主に愛されている〉って、どういう意味ですか。俺がこの街に来たのには、どういう意味があるんですか」

 教えて、ほしかった。

 その言葉は、風にさらわれて消えていった。


【嫌われる人――fin.】


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