第15話 To the deceased you
「ミシェルさん、ちょいと花を包んでくれないかい」
店先を覗き込み、花を見ていた妙齢の女性が、作業台で花の選別作業をしていたミシェルに声をかけた。
「はい、ただいま」
ミシェルはすぐにその言葉に応え、女性のもとへ行く。
「ミーナさん。お久しぶりです。今日はどんなご注文を?」
「旦那のお母さんが七十歳を迎えたから、いつもありがとうって伝えたいんだ。良い花はあるかい」
「もちろんです。こちらのピンクのガーベラと白のダリア、それとカスミソウのブーケはいかがですか」
「ああ、華やかで良いじゃないか。そいつで頼むよ」
「かしこまりました」
そう言うと、ミシェルは提案した花を何本か店頭の水差しから引き抜いて、奥の作業台に入り、ブーケを作ることに集中した。
花を束ね、バランスを整えながら長さを決めていく。束ねた茎を剪定鋏で程良い長さに揃えると、続いて包装にかかった。
撥水性のある紙を花に巻いてから、ミーナのもとに花を見せにいった。
「こちらでどうですか」
「良いじゃないか! やっぱりミシェルさんの腕は違うね」
「ありがとうございます。包装の色はどうしますか」
「そうだね、紫が良いかね」
「はい」
ミシェルは作業台に戻る。手早く花束を薄紫の包装紙で包み、濃い紫のリボンで飾った。
「お待たせしました、どうぞ」
「ありがとね。お代は?」
「銀貨四枚、銅貨二枚でお願いします」
「はいよ。じゃあ、これ」
「確かに。ありがとうございました。またどうぞ」
ミシェルが軽く頭を下げると、ミーナも会釈して店先から離れた。
「感謝、か。良い言葉だな」
言いながらミシェルは、花束を作るときに付いた花びらや葉を、前掛けから払った。
ふと、遠く港の方を見る。
港町の近くに海を臨むオペラハウスも目に入り、近く、ミセス・ファンヌの舞台があることを思い出した。
「また、花を贈りに行くか」
どんな花が良いだろうか。彼女の好きな薔薇か、赤のゼラニウムか……。
そう考えていたときだった。
「ミシェルさんよ」
オペラハウスの方を向いていたミシェルの背後から、声がかかった。
そこに居たのは、友人であるニコラとのつながりで顔を知っている考古学者の顔があった。
「バズさんじゃないですか。どうしたんです」
「いや何、お前さんに仕事を頼もうと思ってな」
「ああ、また……いつもの、ですね」
「そうだ。頼むよ」
「承知しました。今回はおいくつ」
「七本」
「はい」
険しく、やややつれた表情を一切崩さず、バズは言う。
ミシェルは店先のベンチをすすめ、自分は白い菊の準備に取り掛かった。
以前、ミシェルは何故この花を贈るのか、とバズに訊いたことがあった。そのときバズは、「自分の体には遠く、ジパニアの血が流れている。まあ、何代も前の話だがな。その国じゃ、死人には白い菊を贈るらしい。だから、オレもそうしようと思ってな」と、話してくれた。
以来、ミシェルはこの仕事に対しては、いつも白い菊を用意することにしている。季節に合わせ咲くいくつかの種類の白い菊の花を、いつ来るかはわからないバズのために、少量だけ用意することにしているのだ。
「お待たせしました」
店を出てきたミシェルは、黒い装束――宵闇に吸い込まれていきそうなほどの漆黒のマント、それに合わせた濡鴉色の燕尾服に身を包み、頭に使い古された正装帽を被っていた。
【Michele-rose】の顔から、一転して【Ung-rose】の顔に変わったミシェルを見て、バズはひとつ頷いた。
「じゃあ行こうか」
「ええ」
二人が向かうのは、教会の向こうにある墓地だ。
そこでは既に、作業が進められていた。
「やあ、ミシェル」
「ようニコラ。お前も来ていたのか」
「まあね。これでも下っ端だからさ」
「はは、よく言うよ。もうこの道七年だろうに」
「そんなこと言ったらミシェルだって十何年になるだろ?」
「そうだったかな。忘れたよ」
軽く挨拶を交わす二人の背後では、小さな棺がいくつか穴の中に並べられ、今まさに土をかけているところだった。
故人を悼み、敬い、崇めるこのシカトリスで行ったにしては、やけに簡素な棺。それらは全て、考古学研究のために掘り返した遺跡から出土した無縁の白骨遺体たちのために用意されたものだ。
普通なら、縁の無くなった故人は、葬儀屋が独りでその仕事を依頼人から引き受け、質素な式を挙げ無縁墓に埋葬される。だが、バズはそのしきたりに法(のっと)らず、自分でこういった遺体のために無名の墓を用意して、調査の終わった遺体から順にそこに埋葬している。
「では、先に式を」
「よろしく頼むよ」
ミシェルが先導して、穴を越えた場所にある無名の墓碑に近づいた。
七本の白い菊を墓碑に供え、ミシェルは命を悼む祈りの言葉を口にする。
「《亡き者と神へ、我は祈りを捧げます。
祈りの言葉は続く。
「《神よ、今あなたのもとに命が逝きました。どうか巡りの中、彼らに
そして、ミシェルは胸の前で手を組み合わせ、
ミシェルの後ろにいたバズとニコラの二人も、そっと胸に手を当て、ミシェルに倣った。
しばし、静寂を過ごした。
ミシェルが顔を上げ、立ち上がる。
「バズさん、また名前は解らないんですか」
「そうだ。みんな無縁で、名前も――いや」
一拍、バズは口ごもる。どうしたのかと首をかしげていると、バズはミシェルとニコラにこう告げた。
「昔。もう昔の話だ。生まれてくるはずだったオレの子供と、そして死んだオレの妻と同じ名前の家族が、一組いたよ」
かぞく、と、ミシェルは口の中で繰り返す。かつて自分が失い、与えられ、再び失ったもの。
その思い出は、甘い染みのように、ミシェルの頭の中にセピア色で残されている。
「理想の家族だったよ。残されていた手紙、日記、肖像画。そのどれもが、オレが望んでも手に入らなかったものだ。はは……皮肉だな。その故人(ひと)たちは今度こそ幸せになろうと思って生まれてこようとしたんだろうに」
「何故、彼らはお亡くなりに?」
「テロだろうな。家の中のあちこちに、過去に使われたと見れる鉄片が落ちていた。そのテロがどうして行われたのかはまだ調査中だ。だが、異教徒だった、と考えられている」
「異教徒、ですか」
ミシェルは確認するように繰り返す。
「ああ。この街がプレシュールからシカトリスに名を変える前の話だろうな。シカトリスに名前が変わって早一世紀半。だが、この街にはまだこの土着信仰は根付いていなかった」
「というと、俺たちが信仰しているビリーオも?」
「そう。プレシュールには無かった。どちらかというと、今は『ラポカリトス』の拠点になっているエクリプセの街に伝わる宗教のほうに近いほうのものがあった」
「…………!」
驚きと戦慄に、ミシェルの背筋が凍りつく。かつて自分が暮らしていた街の名が、今、ここで出ると思わなかったからだ。忌み子として扱われ、孤児院にさえ入れてもらえず、街はずれでゴミをあさって暮らした日々を思い出してしまったのだ。それと同時に、あることに思い当たる。
「じゃあ、もしかしてその人たちは」
「そう。ミシェル、お前さんと同じ赤い瞳に銀の髪を持つ子供を抱えていた。それが、異教徒とされた原因だろうな」
「その証拠もあるんでしたよね、先生」
ニコラが、臆せずにバズに問う。
「ああ。近くのこの家族の親戚の家から見つかった遺髪入れに、銀色の髪が入ったものが見つかった。髪の質から見るに、子供のものだろうという見解だよ」
「そんなに昔から、あの人たちは、あんなことを」
「あんなこと、というがな、ミシェルさんよ」
バズは、くたびれた白衣のポケットから煙草の箱とマッチを取り出し、箱の底を叩いて煙草を取り出した。
「お前さんが思っているよりずっと、カミサマってのは偉大なんだそうだ。お前さんを傷つけたカミサマを許せとは言わんがな。他人様の宗教にゃ口出ししちゃならねえよ」
そう言って、バズは口元の煙草に火をつける。美味そうに煙を吸い込むと、青空に口の中で転がした紫煙を吐き出した。
「だけど……オレはカミさんも子供も幸せにできなかった。その家族は幸せだったのかというと、そうじゃなかった。そう思うとな。ミシェル、お前さんがカミサマを恨む気持ちは充分解る」
もう一口、バズは煙草に口を付けた。
「カミサマってなぁ、残酷だよ」
三人は、空を仰ぐ。
高い空は憎らしいほどに青く、どこからか涼やかな風が、吹いていた。
◆
そのとき、ミシェルは自身の年齢を知らなかった。
覚えているのは、自分の髪の色が銀色だということ。自分の瞳が赤色だということ。自分が街はずれ、ノアール森近くのスラムに捨てられたこと。
何故、捨てられたのか。ミシェルはまだ解っていなかった。当然だ。幼年学校生にも満たない年齢で捨てられたのだから。
捨てられてから二年ほど経ったころだろうか。自分が忌み子であるということを、スラムに生贄用の孤児を探しに来た、物好きな占い師の老婆に教えられた。
ラポカリトス。
彼らが信仰する宗教の名前だ。それすらも、老婆に教えられるまで知らなかった。
老婆から教えられたことは三つ。
ラポカリトスでは『忌まわしきもの』を遠ざけなければ災いが起きると云われていること。
フードゥル川で分かたれた傷のプレシュールの地と蝕のエクリプセの地。そこには『忌まわしき堕天使』が降りたと云われているということ。
宗教観念で言うところの『忌まわしき堕天使』の中に『赤眼に銀の髪の者』がいるということ。
それらを聞いたときに、ミシェルは思った。
「俺は、ここにいちゃいけない存在なんだ」
絶望。
それしかなかった。
身寄りはない。お金もない。住むところも、着るものも、食べるものさえもない。
それどころか、この先もずっとこの生活が続くのかと思うと、老婆を見送る視界がぐらりと歪むような錯覚さえ覚えた。
それからしばらく、ミシェルは歪んだ視界の中で暮らした。
毎日、ほんの少しの食事。
暑くても、飲める水が無い。
寒くても、着られる服は少ない。
そうして暮らしながら、ミシェルは冬を迎えた。
これが最後の冬になるかもしれない。どこか心の奥で、そんなことを考えていた。
ヴァレリアン=アンダーグラウンドと出会ったのが、そんな雪の日だった。
漆黒のケープを肩にかけてもらい、忌み嫌われた銀髪を撫でてもらった。
浮ついた気持ちが、心を動かしてならない。どうしても、気持ちを入れ替えて貧しく生きようと思えなくなってしまった。
「あいにいきたい」
原動力は、それだけだった。
街の地図はいたるところにあった。大通りの掲示板を覗き見れば、簡単に見ることができる。ヴァレリアンが残してくれたケープは、銀色の髪を隠すことに大いに役立った。フードを目深に被り、大通りへと足を踏み出す。
「橋を渡ればすぐだ……!」
心に決めた。
底の剥がれかけた靴で石畳を歩く。被ったフードに手を添えて足早に歩きだす。
街の末端、橋のすぐそばまで来たときのことだった。
「あっ」
「いってぇな、何しやがる、このガキ!」
大柄の男性の脚に、蹴り飛ばされてしまう。男性はどうやら、ミシェルにちょっかいをかけようと、わざと蹴り飛ばしたようだ。ケープがはだけてしまい、ミシェルの銀の髪があらわになる。
ミシェルが上半身を起こして振り返ると、男性のにやにやした目がミシェルを見ていた。
「あんだぁ、こいつ……」
すぐにそれは訝し気な目に変わり、途端に愉快そうな顔に変わる。
「おいおい見ろよ! こんなところに『堕天使』がいるぞ!」
どうしたのか、と男性とミシェルを取り囲んでいた人々が、ざわ、と沸き立つ。
「何でこんなところにいるんだ、お前ぇ? とっとと失せろッ」
「う、わぁっ!」
再び、ミシェルは蹴り飛ばされる。さらにその頭に、どこからか飛んできた石が当たった。
「いたっ」
「この『堕天使』! 消えろ、どっかいっちゃえ!」
どこかの子供が投げたものらしかった。
しかし――それを皮切りに、いくつもの石の雨が、ミシェルに襲い掛かった。
「や、嫌だ」
たまらず、ミシェルは走り出す。橋まではあと少しだ。
もう少し、もう少しで渡り切る。
だが。
どん
と、誰かの身体に当たった。
もうだめだ、ここで死ぬのだ。そう、ミシェルは覚悟した。
「おや? ミシェルじゃないか。どうしたんだい、君」
「え……あなたは」
そこには、燃えるような赤い髪を、癖を活かしながらも背中で束ね、ゆったりとほほ笑んでいるヴァレリアンの姿があった。
「ヴァレリアン!」
「そうだよ。久しぶりだね。どうしてこの街に?」
そう言われて振り返ると、ミシェルの背後には橋があった。いつの間にか、橋を渡ってシカトリスの方へやってきていたらしい。
追ってきたはずのエクリプセの人間たちは、シカトリスに来ることを嫌ったのか、姿を消していた。
「お、俺、ヴァレリアンに会いたくて」
「素晴らしい! 嬉しいよ、ぼくに会いに来てくれるだなんて」
「このケープの、お礼がしたくて……」
そう言って、ミシェルはケープの端を引っ張った。すると、びり、と裂ける音が聞こえて、穴が空いてしまった。ほかにも、石が当たったのか泥の汚れやすり切れた傷、穴などがあちこちにあった。
「あ……」
ミシェルは、悲しみに瞳に涙をためる。こんなに汚しては、ヴァレリアンに怒られるかもしれない。どうしよう、と考えていたときだ。
「よかった。このケープは君を守ってくれたんだね」
「え、でも」
「ぼろぼろになってしまったってことは、君の身代わりをしてくれたということだよ。安心して。怒るつもりなんてこれっぽっちもないよ」
その言葉を聞いて、ミシェルはためていた涙をこぼした。耐えきれなかった。嬉しさと、悲しさと、情けなさと、安心と。何とも言えない複雑な感情とともに、涙は溢れた。
「あはは、泣かないで、ミシェル」
ヴァレリアンは、ミシェルの頬をポケットから出したハンカチで拭う。
そんなことをしていると、曇天の空から、白い羽のような雪が落ちてきた。ひとひら見つけたと思ったら、次々に雪は空から舞い降りる。
「そうだ。ミシェル、君に行くところが無いのなら、ぼくの家に来るっていうのはどうだい? せめて、あたたかい飲み物でも飲んだらいいよ」
「いいの……?」
「ああ、もちろんさ!」
その日、ミシェルは希望の光を見出した。
以来――ミシェルは、ヴァレリアンのもとで暮らすことになる。
◆
「バズさん」
「何だ」
「神様っていうのは、時に残酷かもしれません」
「そうだろうな」
「でも、ときには優しいこともあるんです。だからこそ、俺はヴァレリアンと出会うことができました」
「ヴァレリアンか。懐かしい名だな」
「彼に会うまでは、確かに俺は神様を呪い、恨み、憎んでいました。でも、今は違います」
「そうなのか」
「はい。今は、ヴァレリアンと会わせてくれた、この街に伝わる神様のことを信じ、敬っています。――神様たちがいないと、俺はあのまま、一生を終えることになっていたでしょうから」
「そうか……」
ミシェルは、青い空を仰ぐ。
「だから、今ヴァレリアンを護ってくれている神様っていうのは、バズさんの言う通り、俺が思っているよりもずっとずっと、偉大なんだと思います」
目をつむり、ミシェルは遠く、燃えるような髪を持ったヴァレリアンの姿を思い描く。
偉大。
きっとそれは、神様だけでなく、ヴァレリアンにも言える言葉だ。
ヴァレリアンの心の大きさに、ミシェルは助けられた。
「白い菊の花言葉を知っているか、ミシェルさん」
「『真実』だったかと思います」
「ああ、その通りだ。オレたちは――神様なんてものの真実を、全く理解できていないのかもしれないな」
「それでも、いいです」
まっすぐに、バズの方を向いてミシェルは言う。
「奇跡は、ありましたから」
「はは、そうだな。いつか、オレたち《家族》にも」
バズはミシェルから視線を外して、空を見る。
「『
ミシェルも倣って、再び空を仰ぎ見る。
ヴァレリアンがいたという真実。出会えたという真実。
その全てを受け止めるように。
青い空は、どこまでも続いていた。
【真実――fin.】
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