第9話 I Don’t Like……

「ばか! ばか! きらーい!!」

「うるせー、オレだって嫌いだー!」

 陽光のあたたかい春のある日だった。

 ミシェルは日用品の買い出しのために、川沿い、河口のそばの自分の店から離れた市街地まで出てきていた。

 その最中のことである。

 近所の子供たちの集まる公園の前を通りかかると、きゃあきゃあと騒ぐ声が聞こえてきた。

「ん?」

 様子を見ようと、ミシェルは振り返る。

 すると。

「お、っと」

 何かが思い切り、ミシェルの方へ飛んできた。思わず手で受け取ってしまう。何を掴んだのか、と手を開いて見てみると、フェルトでできた手のひらほどの人形だった。青い服の端が、泥で汚れてしまっている。

「なんでわたしのおにんぎょうよごしたのー! なんでなげたのー!」

「お前が生意気、言うからだよ、べー!」

「きーっ!」

 喧嘩している声が気になって、ミシェルは公園の中に足を踏み入れる。

「クライヴにアンネ。どうしたんだ?」

 そこには、見知った顔の女の子、そして男の子がいた。

「クライヴがわたしのおにんぎょうよごしたのー!」

「ちげー、アンネがオレの悪口、言ったから仕返ししたんだ!」

「おいおい、喧嘩するなよ。ほら、ちょっと人形を借りるぞ、アンネ」

 ミシェルは公園に据えてあった水飲み場で持っていたハンカチを濡らすと、アンネの人形に着いた汚れを丁寧に濡らして叩き、綺麗にしてあげた。

「これでいいかな」

「わー、ミシェルさん、ありがとう」

「うん。よしよし」

「なーミシェル、なんでアンネばっかりに優しくするんだよ」

「アンネばかりに、じゃないよ。クライヴ。お前にも優しくしたい。だからこそ、今はお前のことを叱る。……仕返しなんてことは、しちゃいけない」

 その一言を聞いて、クライヴは見る間に顔を真っ赤にして。

「なんだよ! みーんなアンネ、アンネ、って! もういい!」

 と、怒りながら、公園から走り去ってしまった。

「クライヴ……」

「まったく、あいつの悪ガキっぷりにも困ったもんだな」

「ねえ、クライヴ、どこかいっちゃうのかなぁ」

 アンネは不安そうに、ミシェルの服のすそを掴んだ。

「そんなことないさ。クライヴも熱が冷めたら謝ってくる」

「でも、いっつもそうなんだよ。わたしはクライヴのこと、きらいじゃないのに」

 泣きそうな声で、アンネは続ける。

「きらいっていったけど、ほんとはきらいじゃないの」

「じゃあ、好きなのか?」

「うーん、すき? きらい? わかんない。でもね」

 一拍置いて、アンネはきっぱりと言い切る。

「クライヴがいなくなったら、つまんない」

 そして、不満がいっぱいに詰まった顔で、頬をふくらまして黙り込んだ。

「……っぷ、あはは」

「なーに! ミシェルさんってば、なんでわらうのー」

「いや、ごめんな。お前さんの顔があんまりにも可愛かったら、つい」

「かわいくないもん」

「可愛いよ。女の子の顔をしている」

「おんなのこのかお?」

 首をかしげて考えるアンネの目線に合わせるように、ミシェルは膝をつく。銀の髪が背中に落ちて、陽光に煌めいた。

 ミシェルの赤い瞳が、アンネの目に優しく語り掛ける。

「女の子はな、誰かを好きになるとますます可愛くなるんだ」

「わたし、クライヴをすきなのかな」

「さぁな。それはお前さんだけが知っている」

「クライヴはわたしをきらいかもしれない」

「わからない。だけど、俺からできることだってある」

「ミシェルさんができることって、なに?」

「俺が出来ることは――花を贈ることさ」



 ミシェルは家に帰り、日用品を置くと、青い薔薇をメインにした花束を持って教会へ向かった。

 日曜は、ミシェルの貴重な休みの日だ。だからこそ、ミシェルは毎週、同じことを繰り返す。

 日用品を買い込んで、教会へ行って墓参り。そして、孤児院に顔を出してから家に帰る。

 今日も同じルートをたどり、花束をある墓に供えたあと、いくつかの墓を回って花の手入れをしてから孤児院に向かった。

「わ、ミシェルさんだ」

「わーい、今日は何して遊ぶ?」

「ミシェルさん、お土産はー?」

 子供たちは思い思いに、ミシェルに話しかける。

「ごめんな、今日は先約があるんだ」

「せんやく?」

「先に約束をしている人がいるってことさ」

「ふーん」

「なあ、クライヴはどこか知らないか?」

「しらなーい」

「わかんなーい」

「裏庭じゃない? あの子、いじけるといっつもあそこにいるもの」

「そうね、きっとそうだわ」

 女の子たちの言葉に、ミシェルはありがとう、とひとつ礼を言って、孤児院の裏庭に足を向けた。

 ミシェルは一度、物置に寄り、中から剪定道具や軍手、掃除道具などを取り出した。

 道具類を片手に裏庭に行くと、確かにそこにはクライヴの姿があった。集会室から繋がっている裏庭に面したデッキに座り、退屈そうに足を揺らしていた。

「よう、元気か、悪ガキ」

「何だよ、ミシェルのおっちゃん」

「はは、おっちゃんか……ま、俺もそんな歳になったかな」

 ミシェルは苦笑いをしながら、道具類をデッキに置く。軍手をはめ、草刈り鎌を手に取った。

「アンネが心配してたぞ」

「心配?」

 ミシェルは、話しながら雑草の刈り取りを始める。春の始まりらしく、青々とした若葉が裏庭を占める。

 育てている花やつる草を傷めないように、そして野草の花を刈り過ぎないように気を付けながら、鎌を動かしていく。

「あんなやつどーでもいいよ」

「どうでもよくないだろ。アンネは良い子じゃないか」

「だって。オレ、『こじ』なんだぜ。それなのに、アイツは『お母さん』『お母さん』って。オレのこと、馬鹿にしてるみたいじゃないか」

「クライヴ……」

「オレだって、好きで『こじ』になったんじゃないや」

 クライヴは、幼い時に母を流行り病で亡くした。移民して間もなくの頃だった。もちろん、親戚などは遠い隣国に住んでいる。だからクライヴは、この孤児院に引き取られた。

 少しひねくれているクライヴは、中々、周囲の子供たちとなじめず、結局、天の邪鬼な性格になってしまった。

「クライヴは、アンネのことが嫌いなのか?」

「ん……嫌いじゃない」

「『お母さん』が羨ましいのか?」

「違う」

「そうだな。お前さんは、素直になれないだけだ」

「うん。ミシェルの言う通りだよ。でも……でも!」

 吐き捨てるように、クライヴは言う。

「いまさら素直になんて、なれないよ」

 そう言って、クライヴはうつむいてしまった。涙こそ流していないものの、今にも泣きそうな顔をしている。

「クライヴ」

「なーに、ミシェル」

「お前さんが、素直になれる手助けをしてやる、って言ったどうする」

「んっと」

 ほんの少しだけ考えて、クライヴは応える。

「アンネに、謝りたい」

「そうか。じゃあ、もうひとつ教えてくれ。アンネのことは、好きか?」

「……うん。好き」

「ガールフレンドとして、愛してる、って意味でいいかな」

 そう言いながら、ミシェルは手早く、裏庭に生えている、星型のがくの中心に黄緑色の花がさいたブプレウムと、実のついたブルーベリーをまとめていく。

「うん。ほんとは、そう言いたいよ。ちゃんと、好きって伝えたい」

「じゃあ、こいつを渡してそう言ったらいい」

 花をまとめた、ブーケ。小さなブルーベリーの実がアクセントになっていて、可愛らしい。ほかに、カスミソウが少しと、白い薔薇が一輪だけ、華を添えるようにブーケの一部に溶け込んでいた。

「わぁ!」

「これなら、アンネも喜んでくれるだろう」

「ミシェル、やっぱすごいや」

「はは、ありがとうな。さて、じゃあこの花――ブプレウムの花言葉を、教えてやろうか」

「何?」

「それはな……」

 そっと、クライヴに耳打ちをする。

 ミシェの耳打ちが終わると、クライヴは顔を真っ赤にして。

「そんなのどうしろっていうんだよー!!」

 と、大声を上げた。

 まあまあ、ミシェルはそれを制する。

「それくらいできないと、大人の恋愛ってのはできないぜ?」

「うう……うまくいくかな」

「大丈夫だ。もしうまくいかなかったら、俺がフォローしてやるよ」

「うん。わかった。よーし、俺も男だ! アンネのところ、行ってくる!」

 そう言って、クライヴはミシェルに作ってもらった花束を持ち、裏庭を出ていった。

「あらあら、クライヴったら、急に元気になったわね。どうしたのかしら」

「大丈夫ですよ、先生。俺もあのくらいの年頃のときは、あんなでしたよ」

「そうなの? ミシェルさんがそう言ってくださるなら、心配はないんでしょうけれど」

「そうですよ。男なんて、単純ですから」


「アンネっ!」

 アンネがよく足を運ぶ公園に着いたクライヴは、大声で名前を呼んだ。

 驚いたアンネは、遊具の向こうに姿を隠す。

「あ、待てよ、もういじめないって!」

 そう聞いても、アンネは中々、信じない。

 あちこち走り回って、二人とも息が切れる。

「も、やだぁ、いじめないでよぉ」

 アンネが泣きそうな声で言う。

「いじめないってば。なあ、アンネ」

 クライヴは、大きく深呼吸をしてから、アンネの前に膝をついて言う。

「オレは、アンネのこと嫌いじゃない。赤い髪も、そばかすも、どっちも嫌いじゃない。好きだけど、好きだから、からかいたくなった」

「どうして?」

「う。す、好きってのは照れるだろ!」

「もしかして、てれかくし?」

 アンネは、きょとんとした顔で訊く。

「うるせー! って、違う違う。えっと。俺は、アンネのことが、好きだ。もしよかったら――ずっと、一緒にいてくれ」

 ほんの少し、アンネは考えた。何を言っているのか、理解するのに時間がかかった。けれど、唐突に理解して驚きの声を上げる。

「えぇーっ!」

「な、なんだよー!」

「だってだって、クライヴ、わたしのこと、えー!」

「なんだよ、好きじゃ悪いかよ!」

「だって、だってだって」

 アンネは、真っ赤になった顔を両手で包むようにしている。

「だって、何だよ」

「だって……わたしもクライヴのこと、好きなんだもん……」

「え、えええええっ!」

 クライヴもまた大きな声を上げて、二人は公園の中にいる人々の注目を集めた。

「お、おま、お前っ」

「いじめるけど、クライヴいっつもいじめるけど! あとでちゃんとあやまってくれるし、優しくもしてくれるし、ほんとのお兄ちゃんができたみたいで、好きなのっ!」

「アンネ……」

 二人は、少しずつ距離を縮めていく。

「これ。ミシェルからもらった」

「おはな?」

「うん。花言葉は――」


 そっと、クライヴはアンネにキスをした。

 甘い、甘い頬と唇の接点。幼い感情とは別な、柔らかな感情がクライヴの胸に広がった。


「初めてのキス、だってさ」

 そう言って、クライヴは顔を背けた。

 その背中を、顔を真っ赤にしたアンネが見つめる。

 少しして、アンネは胸に、クライヴの背中を抱いた。

「やれやれ、これで一件落着かな」

 公園の端で、ミシェルが呟く。クライヴのことがやはり心配で、ついてきたのだ。

 目の前に広がる光景。

 平和で、ミシェルが望む愛が溢れる光景。

 それが、明日も明後日も続けばいい。

「さて、帰ろう」

 ミシェルの望む光景には、代償がある。

「【Ung-rose】の仕事が、まだ残ってる」

 死が、常に付きまとう。

 初夏の陽光の中でも、人は刻々と命をすり減らす。

 どうか、彼らにも幸せな人生を。

 そんな願いを抱きながら、ミシェルは公園を後にした。


【初めてのキス――fin.】

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