第12話 Honest feelings

 春のアルティザンは、新しい門出を祝う季節でもあり、花屋は盛況になる。

 このところ、毎日のように白い封筒、【Michele-rose】の封筒が何通も届けられている。その中身はどれも、新生活を始める親類に素敵な花を、という内容だった。

「ふう、今日の分はこれで全部か」

 ミシェルはその中で、今日、受け取り予定になっている花束を全て整え終えた。

 店の前には多くの切り花やミニブーケが揃えられ、いつでも客を迎えられるようになっている。


からぁん――……


 教会の方から時刻を告げる鐘が鳴る。ミシェルはその音を聞いて、ポケットに入れておいた懐中時計を開いた。

 午前九時。いつもの時間。

 ミシェルは表に出ると、軽い石板で作られた看板を、【CLOSE】の面から【OPEN】へと返した。

 鐘の音を合図に、街は活気に溢れる。

 【Michele-rose】のある商店街には、多くの食料店や雑貨屋、薬屋などが立ち並ぶ。

 週末、金曜日である今日は、あちこちの店で割引商品が置かれるので、それを目当てにした客が商店街を往来していた。

「こんにちは、ミスター・ミシェル」

「ああ、シスター・エレーヌ」

「今日も神と故人たちひとびとに捧げる花を買いに来ました。そちらの、ダリアをメインにした花束をくださいな」

「かしこまりました。少し待っていてください」

 エレーヌが選んだミニブーケを手に取ったミシェルは、敬虔けいけんなシスターであるエレーヌが捧げるのにふさわしい、穏やかな翡翠ひすい色の耐水性の紙に包み、同系色のリボンを結んだ。

「どうぞ。金貨一枚です」

「まあ、美しい。神様もお喜びになられますわ。ありがとう、ミスター・ミシェル」

「どういたしまして。またどうぞ」

 エレーヌは満面の笑みでミニブーケを受け取り、修道服の長いすそをひるがえして、商店街を教会のある北の方向へ登って行った。

 昼前までにいくつかのミニブーケが売れていき、同時に、何件かの予約されていた花束が引き取られていった。

「やっぱり春は忙しいな」

 ようやく取れた昼休憩。ミシェルは店の奥にある事務机に向けられた、革張りの椅子に深く座った。

 事務机には朝食ついでに作った簡素なサンドイッチと水差しが置かれている。

 ミシェルはしばし、目をつぶって休息を味わい、水差しからグラスに水を移して一口、口をつけた。

「《亡き者と神へ、わたしは祈りを捧げます。遺志こころを尊び、遺言ことばに法り、亡き者と神を崇めます》」

 食事を前に、ミシェルは大切な人からもらったロザリオを手に祈りを捧げる。

「《神よ。我に命の恵みを与えてくださり感謝します。どうか、この感謝が届きますよう、願います》……いただきます」

 感謝の気持ちを心に、サンドイッチにかぶりつく。千切りにしたキャベツと人参をドレッシングで和えて、何枚かの薄切りのハムとともにパンに挟んだ簡単なサンドイッチ。

 朝のサラダの残りと、買い置きのハム。それだけだ。だが、疲れた体にハムの塩気は心地よく、陽気にしびれた頭に野菜の食感が気持ちよかった。

 食事を終え、休憩時間を示していた看板を取り込もうと席を立ったとき、ちょうど、老婦人が【Michele-rose】の前で足を止めた。

「どうも、ミシェルさん」

「グルナさん。こんにちは。今日はいかがなされました」

「そうねぇ……旦那が亡くなってからしばらく経つでしょう? だから、そろそろ前を向こうと思って。それで、花を買いに来たの。ミシェルさんなら、素敵な花を用意してくださると思って」

「そうでしたか。ありがとうございます」

「とんでもないわ。あんなに立派な式を挙げてもらって。旦那もきっと喜んでいるに違いないわ」

 グルナは、少し前に旦那のエギーユを亡くしていた。彼はもともと身体の強い人ではなかった。それでも時計職人としての仕事を一生涯において誇りにし、毎日、真摯に取り組んでいた。

 しかし、エギーユの人生はあまりにも早く終幕を迎えた。風邪をこじらせ、肺炎になってしまったのだ。

 連日の高熱に耐え、回復しようと奮闘したが、それは叶わなかった。エギーユは、帰らぬ人となってしまった。

 エギーユの最後の遺言ことばは『ドイツアザミをグルナに』、だった。

「もともと、素直な人じゃなかったんだけどね。あの人ったら、最後の最後まえこんなひねくれた遺言ことばを遺さなくったっていいじゃない」

「はは、確かにそうですね」

「はぁ。全く、あの人らしいわ。職人気質で、気難しくて、寡黙で、よくわからなくて……でも」

 グルナは、瞳に涙をためて言う。

「あの人が真剣に、時計に向かう姿が好きだった。繊細な手つきで時計を扱う姿が好きだった。いやね、わたしったら。こんな話をしちゃうだなんて」

「いいえ。いいんですよ。俺はおせっかいですから、グルナさんのそんな話が聞けるのも嬉しいです」

「ありがとう、ミシェルさん。ええと、それじゃあドイツアザミの切り花をいくつか包んでちょうだいな。銀貨二枚分くらいがいいかしら」

「かしこまりました。少し待っていてください」

 ちょうど節の始まりなこともあって、ドイツアザミは店頭のバケツに何本か刺してあった。すでに、丁寧にとげを切り落としてある。ミシェルはそれを三本ほど手に取り、作業台で一束にして耐水紙で包み、普段使いの切り花として使えるように整えた。

「お待たせしました、どうぞ」

「ありがとう、これ、お代ね」

 グルナはミシェルに二枚の銀貨を手渡す。

「毎度どうも。またお待ちしてます」

「ええ。それじゃあね」

 昼下がりの商店街を、グルナは歩く。ミシェルはそれを見送ったが、グルナの姿はすぐに雑踏に紛れて見えなくなってしまった。



 エギーユの気難しさは、シカトリスの中でも有名なものだった。

 厳格な性格で、ときに客と喧嘩になることもあった。しかしよくよく話を聞けば、エギーユの言っていることよりも客の言っていることや使い方のほうが悪い、というのもままある話だった。

 『時計のことならまずエギーユに』というくらい街の人々からの信頼も厚く、それはエギーユの真摯な仕事ぶりからくるものだった。

 エギーユの葬儀は、大々的なものだった。香典が多く集まったこともあり、式を大きく開くことが出来たのだ。

 エギーユが生涯、貫いた時計職人にちなんで、ミシェルは時計草を用意した。もちろん、時計草に込められた花言葉も、彼にぴったりだったからだ。

「貴方の隠し持った情熱を、花に込めて」

 たくさんの花とともに、エギーユが情熱をこめていた懐中時計などがいくつか棺に納められた。

 肺炎の苦しみを感じさせない、穏やかな顔だった。



「ねえ、あなた。どうして私にドイツアザミを、なんて遺言ことばを?」

 グルナはエギーユの遺影の前にドイツアザミを飾り、問いかける。その前に置かれた揺り椅子に座り、ゆったりと背中を預けた。

 エギーユの遺影はカメラに目線があっていない。エギーユは写真嫌いだったのだ。そんなエギーユを、グルナがこっそりと撮った写真が遺影に使われている。エギーユ一人で写っている写真というのは、これが唯一だった。

 しかし、その眼の先には生涯、情熱を注ぎ続けた時計があり、職人らしいといえる写真だ。

「あなたはいつも、素直じゃないんだから。わたしが機嫌を損ねるたびに、このアザミを買ってきたわね」

 グルナは、アザミの花をしげしげと眺める。綿毛のようにふわりとふくらんだ、鮮やかな赤紫色の花房が可愛らしい。

「そのときもなんにも言わなくて……だけど、わたしはあなたが一輪だけ買ってくるアザミが好きで、どんなことでも許してしまっていたわ」

 グルナの右眼から、ひとしずく、涙が落ちる。

「あなた。どうしてアザミなの? もう訊けないわ。どんな理由があったの? わたしは、あなたに愛されていたの? あなたを幸せに出来たかしら?」

 グルナの疑問は尽きない。

 愛する人への悲しみと、問いかけと、愛が、次々と胸から涙になってあふれ出す。

 グルナはそのまま泣き続け、いつの間にか、泣き疲れたまま揺り椅子の上で眠ってしまった。




 次の日、グルナは散歩のついでにミシェルの店に寄ることにした。

「こんにちは、ミシェルさん」

「おや、グルナさん。ようこそ」

「またお花をくださいな」

「ええ、もちろんです。どんな花をご所望ですか」

 ミシェルは、手を広げて店の前に咲く花々を示して見せた。

 季節もあって、色とりどりの花が【Michele-rose】に並べられている。

「あ……ドイツアザミ……」

 グルナの目についたのは様々な花の中でもひときわ鮮やかな赤紫色を誇らしげに揺らしているドイツアザミの姿だった。

「こちらですか」

「ああ、いえ、ね。主人が昔、よくドイツアザミを買ってきていたのよ。どうしてこの花なのかしら、っていつも思っていたの。理由はわからないのだけれどね……あの人が、好きだったみたいだから」

「エギーユさんは、その花の花言葉を愛していたんですよ」

「花言葉?」

「ええ」



 少し昔の話になる。

 ミシェルがやっと一人前に仕事ができるようになったころの話だ。

 ミシェルは毎日、店を切り盛りする忙しさに身を浸し、なおかつ花言葉や花の育成などの勉強に明け暮れていた。

 そんなある日、街の中でも堅物で有名なエギーユが店を訪れた。

「妻に、花を贈りたい」

「かしこまりました。どちらにしましょうか」

「いや、なんだ、その……わからん。どんな花を妻が好きなのかも、ご婦人方に人気がある花も、わからんのだ」

「そうなんですか」

「ああ。何分、妻を大切に思う気持ちはあってもそれを素直に伝える術を知らん。だから、どうしても口下手になってしまう」

「なるほど。今日は、どういった理由で花を?」

「妻と喧嘩してな。あまりに構わないでしまっていたから、怒らせてしまった」

 よく晴れた春の日だった。どんな花が良いのか、ミシェルは頭をひねる。

 女性に人気があるのは薔薇やダリア、アネモネなど、花びらが大きく華々しい花たちだ。

 しかし、エギーユがグルナに贈るにはどこか不釣り合いな気がした。エギーユには、もっと素朴な花が似合うと、ミシェルは考えたのだ。

「そうだ」

 ミシェルは、一度エギーユに断って店の中に戻り、花のスケッチと花言葉を記してあるノートを開いた。

 思い当たる花があったのだ。鮮やかな赤紫で、素朴で、花束には向かないものの切り花として一輪挿しなどにすると映える美しい花と、その花言葉に。

 その花の言葉は――



「『素直な恋』です」

「え?」

 ミシェルはドイツアザミを一輪、バケツから抜き取り、グルナに見せた。

「この花の言葉です。ドイツアザミに込められた花言葉は『素直な恋』。エギーユさんは喧嘩したときも、記念日も、感謝するときも、この花を必ず買っていかれました」

「ええ、確かにあの人は、いつもこの花をくれたわ。少し季節外れなときも、ミシェルさんに無理言ったって言いながら」

「それは、グルナさんにどこか素直になれない自分のことを、伝えたかったんだと思います」

 ミシェルは一度、店の中に戻り、手にしたドイツアザミに深紅のリボンを結び、改めてグルナに差し出した。

「受け取ってください」

「どうして。あの人はどうして『素直な恋』なんて言葉を?」

「エギーユさんは――」



 ドイツアザミを手に入れるには、少し季節外れのある日。

 ミシェルの店を訪れたエギーユは、花の入ったバケツを指さしこういった。

「ミシェルさん。またドイツアザミを包んでもらっていいかい」

「ああ、エギーユさん。どうも」

「また妻と喧嘩してしまってな。どうしても、素直になれん」

 エギーユはしわの刻まれた顔を少しだけ歪め、禿頭を掻いた。

「ははは、そうですか。それでまたドイツアザミなんですね」

「それしか方法を思いつかん。時計を動かす以外は不器用でならんよ」

 ドイツアザミの花をバケツから抜き取りながら、ミシェルは言う。

「それで良いんですよ。俺は花に言葉を込めるっていう行為、好きですから」

 作業台で、いつもエギーユがグルナに花を贈るときに選ぶ色――薄紫の耐水紙に深紅のリボン――を選び取り、可憐に包む。

「たとえ花という形でも、素直になれるのは良いことだと思います。そして、それをお手伝いすることが俺の仕事ですから」

 ブーケの形になったドイツアザミを受け取ると、エギーユは小さな声で「ありがとう」と礼を言った。

「もう少し、話に付き合ってもらってもいいかい」

「もちろん。中に椅子がありますので、そちらへどうぞ」

 店の中にエギーユを促し、ミシェルは折り畳みの椅子を二脚と、同じく折り畳める机を出してきて、エギーユをもてなした。

「グルナのことを、愛しているんだ。それはもう、とても」

 ぽつぽつと、エギーユは話し始める。

「時計のことしか能のない男に、他人のことを粗末にするこんな男に、いつもついてきてくれる。それに感謝して、そして愛している」

「素敵ですね。お二人の愛は、深い」

 ミシェルは頷く。

「ああ。そう思ってくれるならありがたい。でもな。それを伝える術を知らないんだ。時計と歯車しか目に入れてこなかったんだ。誰かと話をするのも苦手な、こんな男に……」

「そんなところを、グルナさんは愛しているんだと思います」

「そうなのか?」

「不器用で、不愛想なところは確かにエギーユさんにはあります。でも、グルナさんは、エギーユさんが真摯に時計に向き合う姿を、愛しているんだと思います。だから、グルナさんはエギーユさんとずっと一緒に居られるんですよ」

「そうか……そうか……なるほど、な」

「はい。だから、エギーユさんなりの愛の形でいいんです。花を贈る、というエギーユさんのその心が、大事ですから」

 その言葉に納得したのか、エギーユは無言で、銀貨三枚を財布から取り出し、ミシェルに渡す。

「ありがとうございます。丁度、ですね」

「こちらこそありがとうよ、ミシェルさん」

「またどうぞ。いつでもお待ちしています」

「ああ、また世話になる」

 手を軽く掲げて挨拶にしながら、エギーユは椅子から立ち上がる。店の外で一度、ミシェルの方を振り返ってもう一度手を掲げた。その後、商店街の雑踏の中に消えていった。



 ミシェルが過去を語り終えると、グルナは瞳に涙を溜めていた。

「そうなのね。そんなことを、想っていてくれたのね」

「ええ。エギーユさんはグルナさんのことをとても愛していました。花に深い愛情を込めていました」

「ありがとう、ミシェルさん。そのことを覚えていてくれて、ありがとう」

「いいえ、こちらこそ。俺はただ思い出を語っただけです」

「ふふ、あの人らしいわ。本当に最後まで、素直じゃなかったんだから」

「そうですね。でも、だからこそ、こうして花に心を込めていたんでしょう」

 グルナはミシェルからドイツアザミを受け取って、目に溜めていた涙をぬぐった。

「本当に、ありがとうね。こちら受け取るわ」

「どうぞ」

 受け取った花を、グルナは大事そうに両手で握った。

「ミシェルさん。思い出から、葬儀まであの人のことを見ていてくれて嬉しいわ。どうか、これからもわたしとあの人をよろしく頼むわね」

「もちろんです。またどうぞ」

 グルナは小さく礼をして、ミシェルを背にして歩き出した。

 春風が吹く。ほんの少しひんやりとした北風混じりの風だ。

 どこかから菓子が焼ける香りが漂う。その香りに、ミシェルはいつもヴァレリアンが午後のおやつに用意してくれていた菓子を重ねた。

「懐かしい思い出ってのは、色んなところにあるんだな」

 さらりと、春風はミシェルの銀の髪を撫でる。乱れた髪を手櫛で整え、花に向き直る。

「さ、仕事の続きだ」

 春風の吹く中で、ミシェルは花びらが散ってしまった花などを抜き取る作業をする。

 ヴァレリアンから教えてもらった、大事な作業。

「俺は、ヴァレリアンに対して素直でいられたかな……」

 少し、生意気だったかもしれない。

 そんなことを思いながら、ミシェルは春風に吹かれて揺れる赤いダリアを見ていた。


【素直な気持ち――fin.】

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