第13話 In the Night -Nightmare-

「ヴァレリアン! ねえ、ヴァレリアン!」

 赤い髪の、紳士的な背中が振り向く。金の目が、幼いミシェルのことを映した。

「見て。俺、初めて花を咲かせたよ! ヴァレリアンの髪と同じ、赤い色だ!」

 ミシェルの手の中には、鉢植えの赤いダリアの花があった。

 それを見て、ヴァレリアンはにっこりと微笑み、ミシェルの銀色の髪を撫でた。

「俺、いつかヴァレリアンみたいな花屋になりたい。この街のこと、たくさん知ってたくさん覚えて、みんなのことを笑顔にしたい」

 そこまで言ったところで、ミシェルはほんの少しだけ顔を曇らせて言った。

「でも……花を咲かせるのは難しかったな。俺に、できるかな」


 大丈夫だよ。


 ミシェルの頭上から聞こえていたヴァレリアンの声が、急に耳元にまで下がった。

 ヴァレリアンはあやすように銀色の髪を撫でながら、ダリアの花にそっと触れる。

 優しい声がミシェルの心を落ち着かせる。


 これはお前が咲かせた花だ。お前がいなかったら咲かなかった花だ。心配はいらない。いつかきっと、ぼくのような花屋になれる。


 それを聞いてミシェルの顔が、ぱぁ、と輝いた。

「うん! やった、ヴァレリアンがそう言うなら、きっと本当にそうなんだ!」

 ミシェルの笑顔を見ると、ヴァレリアンは立ち上がり、夕日に顔を向ける。ミシェルの手の中のダリアと同じ色の赤が、ゆっくりと山入端やまのはに落ちていく。


 それなら、もうひとつの仕事も教えなくちゃならないな。


 ヴァレリアンがそう言った。

 だけれど、その声が思い出せない。

 確かに優しい響きだった。優しかった。とても、落ち着く声だった。

 ああ、もう聴くことは無い。聴けることは無い。最後の遺言ことばは――




「――っ、は」

 悪夢から、目が覚める。

 初めて花を咲かせたあの日と、ヴァレリアンを看取ったあの日がぐちゃぐちゃに混じり合った、残酷な夢。

 ときにミシェルは、それに悩まされていた。

 ミシェルは手の甲で額の汗をぬぐい、枕元に据えていた水を飲んだ。

「ヴァレリアン……」

 遺言の呪いを、ミシェルは受け入れる。それが、ヴァレリアンと結ばれている最後の絆だからだ。

 もうその遺言を告げた声すら思い出せずにいるのに、未だにそれに縋りつく。

 女々しい自分が嫌になる。そんなときもあった。

 だが。

「ヴァレリアン。褒めてくれた、育ててくれたアンタのために――俺は、不幸の代わりに幸福を運ぶよ」

 


 再びの、夢の中。

 幼いミシェルは、檻の中に入れられていた。

 赤い瞳に銀の髪。

 化物と呼ばれ不幸を運ぶ悪魔の扱いを受け、親の顔も知らずただ、迫害を強いられていきてきた。

 五歳のとき、限界がきた。

 幼いながらミシェルは、川へと身を投げた。

 ――下流のコレーヌ川に着いたのは、ただの偶然でしかない。

 そこで、ミシェルはヴァレリアンと出会ったのだ。



 お前はもう、不幸を運ばなくてもいい。



 そう、優しいテノールで聞かされた。

 ああ、もう思い出せないのだ。彼の声を。彼の歌を。彼のため息を、笑い声を。



「ヴァレリアン――……」



 夢の中か、現実か。

 定かではないが――一滴、ミシェルの頬を涙が伝った。

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