第2話 I'll give a special to you
「ミシェルさん、おはようございます」
こんこん、と軽快に店の扉がノックされる。
店の前には鉢植えにされた色とりどりの花が咲き、レンガ造りの簡素な街に彩りをつけている。
ノックした少年は、川から吹き抜ける風に金のくせ毛を揺らしながら、店主――ミシェル・アンダーグラウンドが出てくるのを待った。
「よう、おはようさん」
出てきたミシェルの目の下には、くっきりと黒ずんだ隈が見えた。
それを見て、少年は心配そうに碧の瞳でそれを覗き込む。
「はい。……また寝不足ですか?」
「まぁな。そっちは元気そうで何よりだよ、イヴェール」
「もう、仕事熱心すぎですよ」
気怠そうなミシェルの笑顔に、イヴェール・ソルは困ったような笑いで返した。
「今日の、家からの仕事です。また良いのを頼みますね」
そういうと、イヴェールは赤い封蝋の白い封筒と、蒼い封蝋の黒い封筒を取り出した。
白い封筒の宛名は【花屋 Michele-rose】
黒い封筒の宛名は――【Ung-rose】
「今日はこの二件だけか?」
「はい、父が受けたのは」
「了解したよ。親父さんにも承ったと伝えてくれ」
「はぁい!」
にっこりと笑い、イヴェールはミシェルがいつも手間賃にとくれる菓子を受け取って、小走りに石畳の道を走っていった。
封筒を手にしたまま、ミシェルは花が色とりどりに咲く店内を横切り、窓際に据えられた事務机の前に立った。
事務机の上にはいくつかの封筒がある。五、六通の白い封筒と、一通の黒い封筒。
それらの上に、手にしていた封筒をぱさりと置いた。
からぁん――……
遠くで朝九時を告げる鐘が鳴った。
それを合図に、事務机の横に立てかけてあった看板を手に取り、再び花たちの前を横切る。
両開きのドアを開け放ち、ストッパーをかけて看板を置いた。
【花屋 Michele-rose】
今日も、ミシェルの一日が始まる。
◆
ミシェルの仕事は、自分でもやり甲斐がある、と自信を持って言えるほどの盛況ぶりだ。
ひっきりなしに訪れる、花を求める人々に心を込めた花束を作り、喜びに満ちた顔を見て、ミシェルも微笑みを浮かべる。
「やっぱりあなたの仕事はパーフェクトね、ミシェル」
そのうちの一人、赤いドレスに身を包んだ妙齢の女性が、ミシェルのことをたたえた。
「ありがとうございます、ミセス・ファンヌ。貴女の活躍も良く耳にしますよ」
「もう、女優業のことはいいの。それより、あなたのことを独り身にしておくのはもったいないわ。早くうちの娘をもらってちょうだいな」
「はは、ありがとうございます。でも、まだ俺は副業も続けたいので」
ミシェルの副業という言葉に、ファンヌの顔がほんの少しだけ曇る。
「ミシェル……あなたのことは、この街の誰もが素敵に思っている。もちろん、あなたの仕事も含めて、とても素敵だと思っているわ」
「それは、どうも」
「だからこそ、そんな副業なんてやめておしまいなさい。このシカトリスからそんな仕事なんてなくなっても、隣街なんかから借りてきたらいいんだから」
「――お言葉ですが、ミセス。俺はこの仕事にも、副業にも誇りを持っています。だからこそ、やめることはできないんです」
ミシェルは、銀色の髪を揺らしながら手を伸ばし、一輪の白百合の花を手に取った。
「これはあの人との約束で、あの人が居るからこそ俺はこうして生きていて。それが誇りでならないんです」
「ミシェル、でも」
「俺は辞める気はないですよ、ミセス」
一歩、ミシェルはファンヌへ近づいて――ファンヌの持つ花束に、そっと手を伸ばした。
「俺は、俺の誇りを大切にしたいので」
そして、一瞬だけ寂しそうな顔をした。すぐにミシェルは穏やかな微笑みを取り戻し、紅薔薇の花をファンヌの花束へ、す、と刺し入れる。
「どうぞ、ちょっとしたおまけです」
「……あなたは、本当にいい子ね」
「そんなことはないですよ。ちょいと我は強いですが」
「わかったわ。今日のところはこの花束に免じて許してあげる。いつか、あなたがその悪夢から覚めることを願ってね」
かつ、かつ、と赤いヒールの音を立てて、ファンヌは店の軒下に出た。そのすぐ近くには、ダークレッドで飾られたシックな馬車がとめられている。
「じゃあね、ミシェル。また会いましょう。こんどは劇場にも花を頂戴ね」
「ええ、またお会いしましょうね、ミセス」
ファンヌを乗せた馬車を見送り、ミシェルはひとつ、満足のため息を吐いた。
「さて、そろそろ副業を始めるかな」
そう言葉にしたと同時に、夜の始まりを告げる午後五時の鐘がシカトリスの街に響いた。
ミシェルは表に会った看板を畳み、両開きの扉を閉めてカーテンを閉じる。花たちを保存するための冷蔵装置が立てる小さな唸りだけが店に残った。
そこにミシェルの大きな足がたてる足音が重なる。
一歩、また一歩と店内の奥に進むとともに、ミシェルの顔が険しくなっていった。
事務机の左手、少しだけ奥まったその空間に、重そうな古びた扉があった。
机の上の黒い封筒を胸ポケットにしまい、電池式のランプをを片手にその扉を押し開ける。
暗い。光源の全くない扉の向こうからは、少しの湿り気を帯びた冷たい空気があふれてくる。
ミシェルは左手に持っていたランプのスイッチをひねることで、明かりをつけた。
電池式の安っぽい明かりが、扉の向こうに広がる風景を照らし出した。
下へ向かう階段。石造りのそれらは薄く濡れていて、奥の空間の湿り気が強いことをあらわしている。
ミシェルは階段を一段、一段、確かめるように降りて行った。大げさなほどに、硬い足音が石造りの壁に響く。
――――ふ、
階段が終わると、唐突に広い場所に出た。
小さな部屋、と言ってもいい。そこにはいくつか台が並び、そのうちの三つに布が掛けられている。
一番奥には、机として使われている大理石の台がある。そこへ、ミシェルは電池式のランプと、胸ポケットに入れていた封筒を置いた。
封筒の数は、三通。
布が掛けられている台は、三台。
ミシェルは、壁のフックに掛けられていた黒いロングジャケットを、音を立てて羽織る。
「この度は、ご愁傷様です」
コートの裾は、闇に沈んだこの部屋に溶けて消えてしまいそうなほどに黒い。
チープな光が照らす銀色の髪と赤い瞳だけが、ミシェルがここに居るという存在を証明している。
ミシェルは大理石の台の上に置いてあった薄手の黒い皮手袋を手にはめると、布が掛けてあった台の上のひとつに近寄り、おもむろに布を剥いだ。
人形、と、誰もが最初は誤解するだろう。それほどまでにその死体は精工に組み立てられていた。
組み立てられて、いた。
その死体は真夜中、朝に港で見た赤茶色のくせ毛をした、腹がずたずたに引き裂かれた死体そのものだった。
だが到底、死体とは思えない様相である。死装束として着せられている深い緑色のスーツから見える襟元に、辛うじて縫合の痕が見える程度で、目立った傷跡は他にはないのだから。
愛おしそうに、ミシェルはその頬に触る。
恭しく顔色を窺うように、しばらくそうしていた後に――机の上にあった一枚の封筒を手に取った。
宛名は、【Ung-rose】となっているその封筒の中身。
便箋に書かれた内容は……
「死人――リラ・マグノリアの葬送を依頼、か」
ミシェルのその頭の中では、三人分の死体をどう葬送しようか、それだけで頭がいっぱいだった。
【Ung-rose】、それはミシェルのもう一つの店の名前。
この副業こそがミシェルの誇りであり、花屋ではないまた別の側面。
この、死体の世話と葬送こそが――
葬儀屋としての、Michele=Undergroundの惨憺たる日々なのだった。
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