第34話 the missing article
「――――、以上です。それでは、今回の報告は以上です」
登壇したバズが、定例会の終わりを告げると、簡素な椅子に座っていた研究者や考古学者、古代学者たちがめいめいに立ち上がって、書類を束ねた大仰な手帳やファイルを持って出口に向かった。
バズはそれを見送りながら、自身もテーブルに広げた書類をまとめ壇を下りた。
「お疲れ様です、バズ先生」
革張りがあちこち剥げた鞄を持ちあげたところで、バズは後輩にあたるニコラに声をかけられた。
「おう」
「今日もいい会合になりましたね。あんなにサンプルが取れるのも珍しいし、それを研究できたのも大きい。これも先生のおかげですよ。僕、やっぱり先生のこと尊敬します」
「あんがとよ。さて、ちょいと頼む」
「わかりました。ミシェルのところに、五本ですね」
「ああ」
ニコラはにっこりとした笑顔を向け、会場の傍にある公衆電話に向かう。バズが求めているのは、ミシェルの店で用意されている白の菊だ。
ミシェルは不定期に行われるバズの〈儀式〉のために、いつも白い菊を少量、仕入れている。
バズは今日も、サンプルとして採取された遺骨の一部をもらい、研究に使う部分をより分けた残りの、ごくわずかな遺骨を〈墓〉の中に入れ、花を供えようというのだ。
今日中に〈儀式〉を行えるだろう。バズは鞄の中に入れてある小瓶を取り出し、まじまじと見る。中には、小さな遺骨と思しき破片かいくらか。眺めるために傾けると、からり、と軽い音が鳴った。
「やっぱり、プレシュールには宗教団体のテロがあったのか」
先日、調べてきた遺跡のことを思う。シカトリスからしばらく離れた遺跡――名もない、砂と岩に覆われた土地――そこで見たものを。
遺跡はかつて繁栄したであろう文化が見て取れた。中にはシカトリスに伝わる〈ビリーオ〉の元となる文や絵が描かれた遺構もあった。そして、その一部は何者かの手によって破壊されていた。
破壊されたのは過去、栄えていた頃の一時だろうと推測される。宗教戦争が起きたのだ。
バズをはじめとした研究者たちは、宗教戦争の起こりや終焉、及び過程を調べ、〈ビリーオ〉に繋がる文化を見出そうというのだ。
「でもまあ、オレのやってることは自己満足だよな」
バズは、小瓶をそっと握り、冷たさを手になじませる。ガラスでできた瓶は、ほどなくして手の温度になじみ、あたたかくなる。
「先生、連絡が終わりましたよ。ミシェルがすぐに用意してくれるそうです。五本の白い菊、って言ったらすぐに先生のことだってわかったみたいですよ。僕から電話したのになあ。あ、先生、喉渇いたりお腹空いたりしていませんか? 僕は緊張しちゃって。土曜日だから、隣の教会に何か屋台が来てるかも。行ってきましょうか」
ニコラの弾丸のような言葉に、バズは短く「いや」とだけ答える。
「そうですか。なら、もう墓地に向かいましょう」
やや落ち着いた様子のニコラと、終始、落ち着いているバズ。二人は、〈儀式〉を行うために墓地へ向かうことにした。
◆
かつて、バズは住処を転々として暮らしていた。各地の遺跡や遺構を調べ、文化を読み取るためだ。
愛する妻と子供は共に暮らすことを選んでくれていて、毎度の引っ越しや赴任を笑顔で応援してくれた。
バズと家族は、祖先のジパニアからの血と故郷であるシカトリスの文化を大事にしており、神や
そんなある日のことだった。
「動くなァ!!」
思い切りガラス窓が割られ、家の中に大勢の男が殴り込んできた。
怒号と銃声が発せられ、家族の悲鳴が響く。
食事時であったこともあり、三人は家の居間で平和に過ごしていた。最中のことだった。
子供と妻は思い切りガラスの破片を浴び、切り傷にまみれた。
「なんだ、お前ら、何のつもりだ!」
「【ラポカリトス】だよ。あんたらを粛清しにきた」
「――――、あの宗教団体か……ッ、お前たち、逃げろ!」
バズの叫びが届くと同時に、弾丸もまた妻の頭を掠った。再び血液が舞い、悲鳴が上がる。
「動くんじゃねえ。お前らはここで死んでもらう」
「な、どうして」
「知り過ぎるのもいけないもんだぜ、旦那」
それからのことは、バズの記憶の中にない。あまりのショックで記憶の一部が飛んでしまったのだと、医師から告げられた。さらに、あちこちの打撲と切り傷、弾痕を治療するためそのまま入院だとも。
そのとき住んでいた街に、ミシェルやヴァレリアンのような腕の良い葬儀屋はいなかった。そのため、退院したときに再会した家族はぐちゃぐちゃで、見る影もなかった。家族だったものはただ張りぼての中に入れられていただけで、それを無理やりこじ開けた先にあった肉塊が、バズが愛した者たちだった。
あまりのショックに、バズはその場で気絶するかと思った。辛うじて意識を保ったものの、担当の葬儀屋に遺髪入れを渡されて、泣き崩れた。
「どうして、どうして!」
何も、誰も悪いことなどない。ただ思想の違いがあっただけだ。
深い深い溝は、どうしたって埋まらない。いつか、溝は争いと滅びを呼び、悲しみを創り出す。
たまたま、バズと家族だっただけ。
バズが知り過ぎたためだと、男の叫びがバズの微かな記憶の中にこびりついていた。
ならば、とバズは思う。もっと知るべきだと。もっと考えるべきだと。
文化と宗教の溝を測り、埋めることは叶わなくとも、いつか来る不幸を遠ざけるために尽力しようと、決めた。
きっと、家族はバズの決意を望んでいる。
振り返ることは、できない。
バズは、未来へ歩き出す――――
◆
ミシェルは店にイヴェールを置いて、バズの待つ墓地へ向かっていた。
深淵の闇のような燕尾服に身を包み、両手に薄手の皮手袋を嵌め、頭に使い古した正装帽を乗せた姿で。
【Ung-rose】の店主として、バズの依頼をこなそうというのだ。
「よう、ニコラ」
墓地には、先にニコラが着いていた。考古学者の一員であるニコラは、バズを師と仰ぎ研究を重ねている。
そのため、こうして〈儀式〉に参加することもあった。今日も、どうやら参加しようというらしい。
「ああ、ミシェル」
「……どうした? いつもの弾丸のようなしゃべりはないのか」
「ちょっとね」
「何か、あったか」
「先生が、泣いてるところを見ちゃってね。すごく、すごく悲しそうな顔をしていた。過去を思い出しているんだろうな、って、もちろん思ったんだけれど、かける言葉を思いつけなくて。そのまま、先生よりも先にここへ来ちゃったんだ」
「そうだったのか。バズさんの過去は――深い傷があるからな」
「うん、だね」
そう言って、ニコラは空を仰ぎ見る。夏空が清かに広がり、遠くに入道雲が浮かんでいる。夕立を連れてくるような雲ではないものの、青に浮かぶ姿は鯨を連想させる。
実に平和な光景。たったこれだけの平和が、どれだけ幸福なことか。ミシェルにもニコラにも、理解を深めようと思案するが、平和であれという思いが募るばかりで、いっこうに理解できない。
からぁん――……
教会の、鐘が鳴る。それすらも、平和を象徴しているかのようで、ミシェルはどこか物悲しくなった。
「よう、ミシェルさん」
ミシェルが振り向くと、バズの姿があった。いつものようによれてくたびれた白衣を着て、疲れた表情をしている。会合があったためか、無精髭こそ剃ってあるものの、疲れを隠しきることはできていない。
「どうも。ご用命ありがとうございます」
「いや、こっちこそな。いつも無理な頼みをきいてもらってる」
「花屋の領分ですよ。こちらでいいでしょうか」
「ありがとう」
バズは、ミシェルから差し出された純白の菊の花に納得し、ひとつ頷くと花を受け取った。
花を手にしたまま、バズは墓地の一角にある石碑に近寄り、一本ずつ花を丁寧に並べてから、両手を組んで祈りを捧げた。
「じゃあ、〈儀式〉の方も頼む」
「わかりました」
ミシェルは、バズが離れたところで石碑の前に出て、燕尾の裾を払い膝をついた。
「『亡き者と神へ、我は祈りを捧げます。遺志を尊び、遺言に法り、亡き者と神を崇めます。我の祈りを受け入れてください。我の命を見守ってください。どうか、この祈りが届きますよう、願います』」
幾度となく唱えてきた、祈りの言葉。
祈りをいくら捧げても、必ず平和が訪れるという確証はない。祈りの言葉は、平和の象徴だが、あくまで象徴でしかない。
この平和がいつまでも続くよう、ミシェルは強く願う。どうか、この街に、人々に、平和が訪れるよう、ずっと、ずっと平和が続くよう、願う。
祈りを終え、ミシェルはそっと立ち上がる。
「ありがとうな、ミシェルさん」
「……俺には、平和を祈ることしかできませんよ」
「いいんだ。それくらいの方が、オレの気持ちも楽だよ」
夏の風が吹く。街を抜けて、教会から街境にあるフェードル川へと向かう風だ。青草の匂いを含んでいる。静かで、力強い風。
バズの白衣が、ミシェルの銀の髪が、風にさらされて揺れる。ニコラも風がくる方を向いて、空気を楽しんだ。
「オレはな、本当はもう家族の顔を覚えていないんだ」
バズは、俯いて言葉をこぼす。悲しみに溢れた、哀しげな声で。
「あの事件のあと、どうしても思い出せなくなっちまったんだよ。妻が、子供が、どんな顔で悲しんで、怒って、楽しんで、笑っていたのか。事件のせいでアルバムすら失くなった」
ゆっくりと、バズは顔をあげて、空を仰いだ。濃い水色が透ける空に、視線が泳ぐ。どこに視線が向いているのか、ミシェルとニコラには伺い知れない。
「最後に見たのは、肉の寄せ集めだったからよ。それがもう何年も、十何年も前のことだ。記憶ってのは、風化しちまうもんだな」
普段の癖で、バズは顎の無精髭を触ろうとする。しかし、いつもと感覚が違い、一瞬の戸惑いののちに、今日は髭を剃っていたのだと思い出す。
「昔は、毎日剃ってたんだがな」
言って、ミシェルとニコラの方を向いて、バズは寂しそうに笑って見せた。
「ねえ、先生」
「何だ」
「家族のこと、思い出せないのは辛くないですか」
「そうだな……もう、そんなことも忘れちまったよ。ああ、違うな。麻痺しちまってる、の方が正しいかもしれんな」
「でも! でも、奥さんと子供さんは、忘れてなんてほしくないと思います。きっと先生のことを、ずっと思っています。二人は、先生のことを天から見守っているんですよ。ねえ、ミシェル、そうだろう?」
ニコラは、口を回してミシェルに問いかける。どうか賛同してほしいという気持ちからの行動だった。
けれど、ミシェルの口から出たのは、意外な言葉だった。
「――――わからない」
ニコラの喉から、え、と小さく吐息が洩れた。バズも、不思議そうな顔でミシェルを見る。
「バズさんの家族は、確かに平和を願っている。それに、天にもいらっしゃるだろう。けれど」
そこまでで一度、ミシェルは言葉を切って。改めてバズに向いて、続けた。
「最後の姿が、もしもバズさんにとって辛いものだったのなら、きっと忘れてほしいとも願っていると思います。もう思い出せないのなら、いっそ忘れて、新しい平和と幸福を生きてほしいと」
真剣な面持ちのミシェルは、しっかりとバズの顔を見ている。バズは、ミシェルの眼差しに一瞬だけ否定の視線を返したが、思い直して、瞳を閉じて頷いた。
「そう、だな。もしもあいつらが、俺の幸福を願ってくれているのなら……きっと、こびりついた恐怖なんざ、忘れてくれって思ってるかもなあ」
墓地の向こうで、教会に遊びにきた子供たちと交流する人々の声が聞こえる。バズの子供や妻が生きていれば、交流する光景に馴染んでいたかもしれない。
想像するだに幸せそうだと思うが、それは全て、空想の中の出来事だ。
「なあ、ミシェルさんよ」
「はい」
「また、白い菊を頼んでもいいか?」
「二本で、よろしいですか」
「ああ。それで十分だ」
バズは、遠くに広がる空を見る。冬の空よりもずっと近い場所にある空を。
妻と、子供が昇っていった空を。
ミシェルとニコラも、それに倣う。
明日も、いい天気だろう。遠くまで見通せる、天が近い空だ。
バズも、ミシェルも、ニコラも。空に浮かぶ平和を思って、幸福の最中にいる子供たちの声を聞いていた。
【もうないもの――Fin.】
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