第5話 Violete
「やぁ、ミシェル。良く来てくれた」
「よう。今日も墓荒らし頑張ってるか?」
それを聞いた、白衣を羽織りブロンドの髪を後ろで短く括った男は、苦笑いをして言った。
「考古学の研究なんだ、あんまり嫌な言い方しないでくれ」
「ははっ、悪かったよニコラ」
ミシェルは、街を超えてしばらく馬車を走らせた荒廃した、遺跡があちこちに残る現場にいた。
そこで昔ながらの友人であるニコラと合流する。久しぶりに会う友人は、共に疲れた顔をしながらも少しだけ年齢を重ねていて、懐かしさと新鮮さを同時に味わうことになった。
「で、今日の依頼は何だっていうんだ?」
「ああ、これだ」
ニコラが指し示す先には、人が一人、やっと入れるほどの穴ぐらがあった。中は暗く、外から見ただけではその中に何が入っているのかミシェルにはわからない。
わずかな自然光だけで視ようと目を凝らすミシェルの後ろから、ニコラが懐中電灯で中を照らした。
その先には――白骨化した、死体があった。
「こいつぁ……なるほどな」
「ここは、墓なんかじゃないんだ。街の片隅の壁の中なんだよ。空洞があるから、何か重要なものが隠されてるんじゃないかと思ったんだが」
「出てきたもんは、ホトケさん、ってことか」
「その通り」
かちり、と音を立てて、ニコラは懐中電灯の明かりを消した。
「この人物が、どんな顔をしてどんな人間だったのか、少しでも解ればこの街で何があったのか少しは解明できそうなんだ。だから、君に」
「了解したよ。というか、俺にとっちゃ実に簡単な仕事だ」
「そうなのか?」
「当然だ」
そういうと、ミシェルはシャツが汚れるのも構わず、懐中電灯を受け取って穴ぐらの中に入り、骨の状態を確認した。
「うん、これなら大丈夫だ。俺の技術なら、納得できるもんが戻ってくると期待していいぜ」
「そうかい。それなら安心したよ」
ミシェルは、頭をぶつけないよう注意しながら穴ぐらから出てくると、砂埃を払いながらニコラに問うた。
「いつ、この子を俺の店に?」
「明日にでも。早けりゃ早い方が良い」
「ああ、わかった。なら俺は今からリュシオルの店だな。残念なことに『材料』を切らしている」
「君は仕事熱心だな。だから老けるのが早いんだ」
「お互い様だろ。――遺言ってな、大変だな」
「ああ、全くだ」
しばし、二人の間に沈黙が流れた。二人が頭に思い浮かべている人物は、違う。だが、遺言の呪いを残していったという意味では、同じ種類の人間だと言えた。
「さて、じゃあ今からでもリュシオルのところへ行くよ。夕方には着ける。明日、届いたらすぐに作業を始めるよ」
「ありがたい。頼んだよ、ミシェル」
「どういたしまして。こいつを弾んでくれよ、ニコラ」
言いながら、ミシェルはコインを示すハンドジェスチャーをニコラに見せた。
「はいはい、できるだけ頑張るよ」
「ははは、よろしくな。それじゃ」
「ああ、またすぐに」
簡単に挨拶をすませると、ミシェルは定時の馬車に乗り込んで、シカトリスの街へと帰っていった。
りぃん……ドアにつけられたベルが、小さく鳴る。
ごちゃごちゃした店内には、あちこちに球体関節人形や、それに使うパーツが置かれていた。
中には、瓶にごろごろと入れられた眼球や、無造作に筒に刺さった手足など、不気味なこと極まりないものまである。
それらを壊さないよう注意しながら、大柄な身体をかがめて、ミシェルは店の奥へ進む。
ふっと、空間が少しだけ広くなる。そこに据えられたカウンターで、ひとり女性が居眠りをしていた。
「こんちは、リュシオル」
声をかけるが、返事はない。ミシェルは、仕方ないといった顔でリュシオルの肩に手を置いた。
「おい、リュシオル。リューシーオールー。起きろ、この独身女」
「ん……あぁら、誰かと思ったらミシェルじゃないの」
気怠げな動作で、乱れたボブカットの金髪をかき上げつつリュシオルは顔を上げた。
「相変わらず悪趣味な店やってるな……入る度、ちょいと背筋が凍る」
「あんたに言われたくないわよぉ。ていうか、アタシのこと、言えたもんじゃないでしょ」
「は、まぁな」
「それで? 今日は何の用事? やっと結婚してくれる気になったの?」
「誰がお前なんかと」
「駄目なのぉ? もうこれ以上、独り身なんて嫌なんだけど」
「この悪趣味な店畳んでから言いやがれ。買い物だよ。こいつを頼む」
ミシェルは、小さな紙に書いたリストを渡す。それを眠そうな目で確認すると、リュシオルは大きく背伸びしながら立ち上がった。
「ふぁー……あ、面倒ねぇ、全く」
立ち上がってもミシェルの三分の二ほどしかない、小柄なリュシオルはあくびを繰り返しながら店の奥へと消えていく。
ひとり残されたミシェルは、ぐるりと店の中を見渡した。
空中に吊るされた人形の胴体や、人形のために作られたウィッグ。出来上がった人形は所せましと棚に並んでいる。
そのどれもが、憂いと優美を備えた整った顔をして、ミシェルのことを見つめていた。
そんな中で、ミシェルはさきほどポラロイドで撮影をしておいた、今はニコラの手元にある例の白骨死体の写真を見ていた。
じっくりと、舐めるように、穴が開くほどにまじまじと見る。
そうしてから、その端正な顔を緩めて、
「……中々の別嬪さんじゃねえか」
と、言ったのだった。
「あぁいよ、お待たせ~」
どさり、とリュシオルはミシェルが頼んでおいた品物をカウンターに置いた。
人形の素体用の粘土や、金色のロングのウィッグ、盛り剤として使う硬化パテなど、品物は数十点に及んだ。
「あれとこれとそれとそれで――ほい、お値段はこれっくらぁい」
「高くなってねえか? ぼってるんじゃねえだろうな」
提示された値段は、豪勢な夕食を二人分にワインボトルを付けても釣銭が来るような額だ。しかめっつらをするミシェルに、うんざりしたような顔でリュシオルも言う。
「そぉんなことないわよぉ。この家業、最近じゃ少なくなってるから、そもそもの仕入れ値が上がってるの」
「ったく、仕方ねえな」
ミシェルは無造作に懐に右手を入れると、黒の革財布から一番額面の大きい札を二枚、リュシオルが肘をつくカウンターに置いた。
「まぁいどありっ」
「おう、また頼むよ」
「はぁい。次は結婚の申し込みもついでにね?」
「そっちのほうはお断りだ」
「えぇ~」
軽いやり取りをする中で、ミシェルは持参していた荷袋の中にてきぱきと品物を詰め込み、背負い込んだ。ぶら下がっていた人形の脚にあたって、少しだけ店内がざわついた。
「それじゃあ、またな」
「じゃぁねぇ~、ふぁー、あ」
ミシェルがもう一度ドアにつけられたベルを鳴らすころには、リュシオルはすでに夢の中にいるのだった。
真夜中、日付が変わる頃。
明日にでも、と言った荷物――ニコラの手元にあった白骨死体――は、今ミシェルの手の中にあった。
荷物を持って、ミシェルは地下にある自分のもうひとつの店【Ung-rose】への階段を下っていく。
みっつある作業台のうち、左手奥の作業台を選んで荷物を広げた。からから、と人骨が乾いた音を立てて転がる。最後に、頭蓋が転がった。
その小ぶりな頭蓋をミシェルは手に取り、自分の正面へ、目の高さへ持ち上げ、瞳が在ったであろう場所に視線を合わせる。
じっくりと、対話するように視線を交わらせた後に、ミシェルはひとつ頷いた。
「うん、よし。やるか」
黒のロングジャケットを肩にかけ、皮手袋を外しシャツの腕をまくる。
その手が伸びた先、もうひとつの作業には、今日リュシオルの店で買ったばかりの硬化パテがあった。他にも、大ぶりなボウルに入れられた大量の肌色の粘土や、切りそろえられ、人の頭を模したスタンドにかけられた金色のウィッグなどが並べられていた。
ひとつ、ひとつ、たおやかに。優しい手つきでミシェルは人骨にパテを盛り、硬化を待ち、その間に次の作業に移る。
繊細なその作業は、何時間も、何時間も、何時間も、何時間にも――
◆
気が付くと、ぼんやりと白い、見慣れない街の中にミシェルは呆然と立っていた。
直前まで何かをしていたはずだ。真剣に何かに取り組んでいたはずだ。しかし、それを思い出すことができない。
頭を二、三度振り、目を覚まそうとするが無為に終わった。
消沈とした声で、ミシェルは思ったことを素直に口にした。
「何なんだ……ここは、どこだ?」
「――ここは、ブレシュールの街です」
思わぬ回答をしたその少女の声に、ミシェルは背後を振り返る。
やや目線を下げると、そこには金のウェービーロングが美しい、白人の少女が佇んでいた。
「ブレシュール?」
「ええ。わたしが住んでいた街」
「過去のことなのか」
「今となっては、そうです」
ミシェルにとって、その問答はひどく無意味に思えた。そんな街の名前は聞いたことが無かったし、少女の声にも、顔にも覚えが――否。
「きみ、は」
「わたしを綺麗にしてくれて、ありがとう。穴の中から出してくれて、こんな風に飾ってくれて、本当にありがとう」
「……そうか。やっぱり別嬪さんだったな」
「ふふ、ありがとう」
少女は、礼を繰り返しながら照れくさそうに笑い、身をよじった。
「きみ、俺に伝えたいことはあるかな」
「ええと……それなら、ひとつだけ欲しいものがあるの」
「何だい?」
「私のこの身体に、骨に、紫色の薔薇をください。あなたが造り直してくれたこの身体を、誇りに思って眠るから」
「お安い御用さ。なんせ、本業は花屋なもんでね」
そう言ってミシェルが顔を綻ばせると、少女もまたえくぼを作って笑った。
「じゃあ、わたしはもう帰るね、ばいばい、お兄さん」
「ああ、じゃあなお嬢ちゃん」
そうしてミシェルは――
――目を、覚ました。
気が付くと、ミシェルはラタンの椅子に腰かけたまま突っ伏して寝ていたようで、間近には、骨格復元を完成させたばかりの少女の人形があった。
薄く、淡い色で化粧をさせたその唇はやわらかに笑みの形を作り、安らかな、少女らしいあどけない寝顔を彩っている。
ミシェルは、すぐに立ち上がって地上の保冷庫に行き、一輪の薔薇を持って帰ってきた。
一輪の、紫の薔薇。
少女の願いをすぐに叶えて、その日はそこで、眠りにつくことにした。
◆
「へぇ、そんなことがあったのか」
「ああ。中々に数奇なもんだったよ。事実は何とかより奇なりってやつだな」
「確かに、とんでもないファンタジーじゃないとお目にかかれないような体験だね」
ミシェルは、朝一番の馬車でニコラのもとへ少女の骨格復元標本を届け、昨夜見た夢のことを話題にあげた。
「そうだ、ミシェル。それなら面白いことを試していいかい?」
「何だ?」
「君は知らないはずの情報だ。この、僕たちのグループが研究している遺跡の、街の名前はわかるかい?」
「その子が自分で言ってたよ。『ブレシュール』だったか?」
「…………! 合っている、なんで」
「だから、教えてくれたのさ」
ミシェルは棺を開けて、金色のウェービーロングの髪を陽光にさらした。
少女の、紅葉のような小さな両手の中には、色あせないようドライ加工を施した、紫色の薔薇が握られている。
「この子が、な」
少し茶目っ気にミシェルが言う。ぽかんとしたニコラの顔の下で、少女の顔がにわかにえくぼを作ったような気がした。
【この死を誇りに――fin】
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