第31話 Dolls store owner

「ふぁ~あ……」

 リュシオルの大欠伸が、せせこましい店内に響く。

 カウンターにいるリュシオルは、客が来ないことをいいことにのんびりと居眠りをしていた。小さな寝息と欠伸が交互に訪れ、身体が堅くなり過ぎないようにのびをしながら体勢を変えつつ、再び居眠りをする。

 今日もしばらくの間、リュシオルはそうしていた。

 店は、リュシオルの自慢だ。

 人形そのものや、それらのパーツ、ドールアイ、ウィッグに至るまで、この店では何でも揃う。

 表立って看板を出しているわけではないが、特別な客や噂をききつけた人、贔屓にしている者など、喰うにも寝るにも困らない生活を送れるほどの収入はある。

 そのため、リュシオルはのんびりと人形作りに勤しみ、ときにこうして休憩代わりに店番をする。

 そんな日々が続いている。


からん――


 店のドアベルが鳴り、風が吹き込んでくる。夏草の香りに揺らされたパーツが揺れ、擦れ合う音がどこからともなく聞こえた。

 のびをして、リュシオルは来客を迎えようとドアの方を向く。そこには、よく知った顔があった。

「よう、リュシオル」

「あらぁ、ミシェルじゃない。どうしたのお」

 来客は、同じシカトリスの街で花屋を営むミシェル=アンダーグラウンドだった。

 今日もまた、長身痩躯に似合うざっくりとしたファッションスタイルでリュシオルの店を訪れた。

「暑いな、この店。窓開けないのか?」

「仕方ないのよお。日光や風、湿気はこの子たちの大敵なんだもの。で、今日はなんのご用かしらぁ」

 特徴的な、鼻にかかった声でリュシオルは訊ねる。この話し方は母からの遺伝のようなものだ。気がついたら、いつの間にかこんな話し方になっていた。けれど、リュシオル自身はこの声も話し方も嫌いではない。

「ああ、前にも同じことを言っていたな。逆に暖房は大いに焚くくせに」

「いいのよお。だって、冬の湿気と寒さもこの子たちの天敵なんだもの。アタシはこの子たちを守る義務があるの、だからちゃあんと環境を整えてあげなくちゃ」

「はは、仕事熱心だな」

「あんたに言われたくないわよお。これも前に話さなかった? それでも、ミシェルの熱心さをもっと見習いたいくらいだわぁ」

「そんなものか」

「そうよお。花屋もだし――――葬儀屋も、ねえ」

 リュシオルは、ミシェルの副業である葬儀屋の面を支えているところがある。ミシェルが死体を整え、エンバーミングや化粧、装飾など、世話になる部分が多くあるのだ。

「それでえ、今日は何だっけえ。またパテなんかのご用命かしら」

「ああ、それもある。あとは造花用の素材と、リボンをいくらか見繕ってくれないか」

「はぁい。ちょっと待っててねえ」

 言って、リュシオルは居眠りをしていたカウンターを離れる。ミシェルに言われた素材を店の中から集めてくるためだ。

 基本的に、この雑多な店内から自力で目的のものを見つけ出すのはかなりの困難を要する。常連の客であれば、リュシオルに任せてしまう方が楽なことを知っている。それは対して、リュシオルの仕事が確実であるということの裏返しでもあった。

 話し方にそぐわないような手早さで、リュシオルは在庫にあるものをどんどんと集めてくる。肌色と生成り色のパテ、造花用の花びら、花の芯に当たるもの、その他の細かい葉やがくなどのパーツ、色鮮やかなリボンのリール……ミシェルの目的のものは、すぐにカウンターの上に満たされた。

「相変わらず仕事が早いな。お前みたいな奴、あとは性格だけ直せば貰い手くらいあるだろうに」

「あらぁ、アタシのこと貰ってくれるのお?」

「誰が。俺は恋愛に興味が無いって何度言ったら」

「ざぁんねん。また今度にするわあ。はい、お値段はこれっくらぁい」

「ん、わかった」

 ミシェルは財布の中から額面の大きな札を何枚か出し、値段に見合う数を揃えてリュシオルに渡した。

「はぁい、まいどありっ」

「ありがとうな。また店にも来いよ。そろそろ水曜に茶会でもしよう」

「いいわねえ。アタシもそろそろ店の外でのんびりしたかったところよ」

「そうか、ならいいな。少ししたら電話なり手紙なりで招待するよ、待っててくれ」

「あぁい。ふぁ~あ。じゃあアタシ、また少し寝とくわあ。またね、ミシェル」

「ああ、それじゃあまた」

 ミシェルが荷物を持って別れを告げ、カウンターから離れて少し経ったころ。

 ドアの方から「おっと」とミシェルの声が聞こえた。リュシオルが何事かと緩慢に顔を上げると、店先でミシェルと誰かが話をしているのが聞こえた。

「あらあ?」

 話はそれなりに盛り上がっているらしく、ミシェルの楽しそうな笑い声と、馴染みのある声がリュシオルの耳にも届いた。


からん――


 それじゃあね、とミシェルと誰かが別れの挨拶をしながら、リュシオルの店にその誰かが入ってくる。

「おーう、リュシ! 今日も美しい金の髪をしているね! その小さな身長も可愛らしい~」

「ジーン、あんたまた来たのお? 暇人ねえ」

「何を言っているんだ。玩具屋としては人形と素材の仕入れは生命線なんだよ? そうとなったら、きみに会いに来るしかないだろう!」

「それはいいんだけどねえ。あんた、許嫁がいるからってアタシと結婚する気もないくせにい……そんな甘ったるいことばあっかり」

「いいじゃないかそれくらい。オレはミシェルが花を愛でるように全ての女性を愛したい――そんな男なんだからね」

「はあ。そういうもんなのかしらあ」

「そういうものなんだよ、リュシ」

「それはいいからあ。注文はなあに? 綿も布も揃えたはずじゃあないかしら」

「うっ」

「ん? どうしたのお」

「いやいやいやいや! なんでもないよ、なんでもない!」

 ジーンはぶんぶんと手を振り、何かを否定する。何を否定しているのかわからず、リュシオルは首を傾げた。

「まあいいけどねえ……じゃあ、今日は何のご用かしらあ」

「えーと」

 数回、ジーンは「えーと、えーと」などと言葉を濁すのを繰り返し、最終的に何かを思いついたような顔で突然、叫んだ。

「ファー素材! ファー素材を買いに来たんだよ。ほら、〈星巡りの日〉が近いだろう? 小さい子には人形じゃなくてぬいぐるみの方が親しみやすいだろうから、うちでも取り扱うんだ」

「ああ、そうなのねえ」

 納得がいったリュシオルは、カウンターを離れ、ジーンの求めるものを探しに行こうとした。

「あ、あ、リュシ」

「うん? なによお」

「いや、えーとね」

「なあに。いつもいつも歯切れが悪いわねえ」

「えーと。あ、そうそう、そうだ。ラベンダー色のリボンをひとつ、つけてくれるかい?」

「あぁい。わかったわよお」

 ジーンの歯切れの悪さはいつものことだ。リュシオルはジーンを放っておいて品物を探しに行くことにした。

「まあったく。幼馴染とはいえ変な奴ねえ。アタシの好きな色とか、そういうものばっかり買っていくしい」

 ジーンが求めるものは、どれだろうか。リュシオルは思案しながら物を手に取る。

 次々に手に取って、カウンターに置いてはまた離れ、再びカウンターに戻る。

「はい、じゃあお値段はこれっくらぁい」

「うん、うん、うん。いい値段だ、買わせてもらおう」

 財布の中を確認したジーンは、出された額よりもやや多めの金額を手にしてリュシオルに差し出した。

「あらぁ? ちょっと多いんじゃない」

「いいんだ。リュシへの気持ちだよ」

 そう言って、ジーンはばちりとリュシオルにウィンクをしてみせた。

「そういうことなら受け取っておくけどぉ……でも、悪いわぁ」

「いいの、いいの! さ、受け取ってくれ。あ、あ、そうだ! 今度、一緒にレストランにでも行こう、それから茶会にも招待したいんだ、あとね、あと」

「はぁいはいはい。わかったわよぉ。一個ずつ話してちょうだい」

「う、うん」

 リュシオルがきちんと話すように指示をして、やっとジーンは落ち着きを取り戻す。

「ええとね、リュシ。ちょっと相談したいことがあるから、今度リストランテにでも行きたいんだ。どうだい?」

「あら、【グラティチュード】とか、トラットリアやパブじゃあないってこと?」

「そうなんだ。ほら、リストランテの方が静かに話せるだろう」

「でもアタシ、そんなにお金に余裕ないわよぉ。まして、あんたが選ぶような高級な場所なんて」

「大丈夫、オレが全額出すよ。それならどうだい」

「うぅん……」

 少しの間、リュシオルは悩んで。

「仕方ないわねえ。一緒に行ってあげるわよ」

 ため息を吐くように言ったリュシオルの言葉に被さるように、ジーンは「やったぁ!」と飛び跳ねた。

「あんたねえ。アタシよりも良い女性ひと、いるんじゃあないんだっけ」

「うっ」

 リュシオルの言葉に、ジーンはどきりとした。先にリュシオルが口にした通り、ジーンには許嫁がいるのだ。

 まったく、と心の中でリュシオルは悪態を吐く。

「あのねえ、ジーン。あんたってばあ……」

「あーあーあー! ごめんねリュシ! もう行かなくっちゃならないんだ! このあと、えっと、えっと、そう……そう、打合せがあるから!」

「そんなに大騒ぎしないでちょうだあい。時間がないなら、早くいきなさぁい。じゃ、まいどありっ」

 にっこりと、リュシオルは笑う。ぷっくりとした唇と、金の睫に囲まれたぱきりとした瞳が、笑みの弧を描く。屈託のない笑顔の中に、ほんの少し、リュシオルの持つ特有の色気があった。

 一時、ジーンはリュシオルの笑顔に見惚れる。

「ほらぁ。早くなさあい」

 リュシオルにせっつかれ、やっとジーンは我に返る。時計を見る。次いで、リュシオルの顔を見る。

「リュシ」

 小首を傾げ、リュシオルはジーンのことを改めて見詰める。ジーンはリュシに、意を決して言う。

「ちゃんと、話がしたいから。今度のレストランは、期待していて」

 ジーンはそれだけ言い残して、ばたばたと店を出ていった。ドアベルが鳴り、入れ替わった空気に人形たちがからからと鳴いた。

「なんだったのかしらあ。ふぁーあ」

 当のリュシオルはもう興味を失くしたと言わんばかりに、背伸びをして欠伸をぷかりと浮かべた。

 そういえば、とリュシオルは思い至る。

「ミシェル、あの子はまだヴァレリアンさんに囚われているのねえ」

 思えば、ミシェルとはシカトリスに来たときから顔を合わせ、次いで、キャリエールに離れ、それから戻ってきたとき。そのくらいの頃から付き合いがある。

 詳しく思い出そうか、と、思ったのだが。

「ふ、ふあぁーあ……眠いわぁ」

 リュシオルの中で、眠気の方が優先された。

「恋愛に、結婚に、家族、ねえ」

 求めているものは、ささやかな愛情の形。リュシオルの求める、愛情の形だ。

 型にはめずとも構わない。それが、愛であるならば。

 けれど。

「無理やりにしたって、叶わないのよねえ」

 ぽつり、呟いた声は人形たちの耳を掠め、店の奥深くへ眠りにいった。


 からぁん――……


 遠くの方で、教会の鐘が鳴る。

 鐘の音を合図に、リュシオルは再び浅く、甘い眠りに落ちていったのだった。


【人形屋の主――Fin.】




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