第十六話 オムニバースΩ
黒鉄色の直立する壁。空に連なる巨大な柱。いや、それは見上げるほど巨大な足だ。真上に首を折っても目線は先まで届かない。それはおよそ人の形をした何かだ。
単純な高さは十四、五階の建屋ほど。四肢は先ほど分厚く太く胴体はさらにボリュウムがある。全身が黒い鋼で覆われ繊細さなど欠片もない。ただ、ただ武骨だ。
「行こう、クロガネ」
空に声が響いた。半ば肩に埋まるような頭部の傍に小さな人影がある。
ボタンの大きなダブルのジャケット、黒のハーフパンツ。紅いネクタイ、白いソックス、艶のある黒い靴。目許を黒いマスクで覆った少年だった。
巨大な鉄管を擦り合わせるような大音響とともに遥か頭上から鉄錆の塊と氷片がばらばらと雹のように降り注いだ。
巨人が一歩、踏み出した。接地ごとに地面が大きく上下に揺れる。ビルの瓦礫がポップコーンのように跳ね飛んだ。
落下した巨人を中心に辺りの地面は大きく抉れて波紋を拡げていた。瓦礫も立像も消し飛んで同心円状にシステム境界面が露出している。
唯一揺らぐことがなかったのは中央の黒い立方体だ。泥のように押し寄せた瓦礫に半ば埋まって巨人の側に波涛が凍りついたような斜面を積んでいる。
耕起と整地を一歩ごと足許に刻みながらクロガネはブルワーク中央のネクサスキューブ近づいた。眼前の黒い壁はクロガネと同じ高さがある。
ワールドフレームの境界面と同じくそれは物質化されたシステムの外縁だ。あの先にアマルガムオルタのメインフレームがある。
反射処理のない半透明の境界面の奥に複雑なモビールのオブジェが見えた。
「砕け、クロガネ」
クロガネが身体を捻って拳を引いた。複雑に擦れ合う金属の悲鳴が辺りの空気を掻き毟る。眼前の黒い壁面に優に一部屋ほどもある巨大な拳を叩き込んだ。
波が順に這い進むように、ブルワークそのものが大きく撓んだ。空気も瓦礫も弾かれて、粉々に飛び散った。
クロガネがよろめき、後退る。関節の配管が次々と破裂して幾筋もの蒸気を吹き上げた。境界面は無傷だ。
高音の笑い声がサイレンのように鳴り響いた。声の主はまだ遠くにいる。都市の会話補完がまだ中途半端に生きているようだ。
波打って積み上がった瓦礫の先に泥に塗れた青い髪の女が揺れていた。アニマことアムデジールだ。高笑いするたび豊満な胸が跳ね上がる。
「デカきゃイイってモンじゃないのよウ」
芝居掛かった仕草で両手を広げると瓦礫のあちらこちらから無数の彫像が身を起こした。みな白髭の慈善家が被るような紅いキャップを目許まで捻じ込まれている。
「裸にひん剥いてアタシのペットにしてあげリュ」
クロガネをそしてカケルを目指してバトルハッカーの抜け殻が一斉に群がった。
遥か頭上から見下ろせば皮膚の血豆を潰したように地面から紅い雫が滲み出して行く。吸い寄せられるようにクロガネの足許に集まって来る。
それらの姿は異なるが色彩は一様だ。モノクロームに近いほど彩度を欠いた身体の上に生々しい紅のキャップがハレーションを起こしている。
「そのような羨ましい野望など私が許しません」
カケルの背後で声を上げメイド衣装のアルティラνがクロガネの肩にせり上がった。専用チェンバーを介したステップディスクの演出だ。
「いえ。『汚らわしい』の誤りでした。申し訳ございません」
相変わらずの仏頂面でカケルに一礼する。
アルティラνはクロガネの肩から連なる胸の甲板を縁まで進み出た。吹き上げる風にスカートの裾を揺らしながら眼下を睥睨する。
指揮者のように両手を掲げるやクロガネの全身いたる所に銃座が突き出した。腕ほどの砲身からトレーラーほどの砲台まで多種無数に生え出して行く。
「撃ちませい」
抜け殻の軍勢がたじろぐ間もなくそれらは一斉に火を噴いた。
狙いは正確、弾種は的確、砲撃は残酷なほど確実に接近を阻んだ。
クロガネの足下に辿り着けた者は一桁を上回る程度だ。だが火箭を弾き掻い潜る者、飛行や跳躍を使って近づく者もいる。
意思こそないが彼らは接続者なしに特異な能力を発揮していた。あの日ブルワークに降った黒い杭はメタフレームの機能そのものを縫い留めている。
甲板から一歩無造作に踏み出してアルティラν宙に出た。はためく裾を両手で押さえて数十メートルを真っ直ぐに落ちる。
クロガネの右脚半ば粘着性の糸を使って這い登っていたフレームをアルティラνは落下の勢いそのままに踏み抜いた。外装の突起を掴んで身体を捻り横手の銃座に飛び移る。
支柱の上に立ち操作認証を介してペダルを蹴った。クロガネに艤装されたカタパルトに乗りアルティラνの身体は再び宙に跳ね上がる。
『やはり不可侵設定だ。あれの突破には特定のキーが要る』
カケルの耳許にアリアンの声が響いた。
「それはどこに?」
吹き荒れる風に負けじと声を張ったせいでカケルはつい大声で問い返した。
『そのものはない。だがキーになりそうな奴なら心当たりがある』
アリアンの指差すそれはすぐに分かった。カケルがアニマのいる瓦礫の丘を振り返る。カケルの視界を塞ぐように、紅いキャップが飛来した。
刹那、空を横切るそのフレームに真下から延びたアルティラνの軌道が直交する。相手が気づいて身構える前に、アルティラνは灰色の頸を抱えて身体を捻った。互いの身体を振り子にして、大きな円を描いて回る。
紅いキャップのフレームを投げ捨てアルティラνは反動を使ってクロガネの胸に飛んだ。ほぼ垂直に着地すると頭部まで一気に駆け上がる。
頸の捻じれたフレームは関節の壊れた人形のように明後日の方に飛んで行った。
瓦礫の津波が作った丘の上でアニマは苛々と爪を噛んでいる。
遠景にようやく人型と認識できるクロガネが徐に彼女の方を向いた。光る双眸が真っ直ぐに射る。鉄の軋む音が遅れて聞こえた。
「何、何アンタ」
クロガネがアニマに向かって踏み出した。撓んだ地面が波打って揺れが近づくのが見えた。身体が跳ねて尻から落ちた。足下の瓦礫が崩れて滑り落ちる。
「調子コクんじゃないよ、ブリキ缶」
アニマの叫び声と同時にクロガネの足下から瓦礫を突き上げて銀色の腕が伸びた。そのまま足に縋りつく。
巨体が引かれつんのめる。
倒れるかと思いきやクロガネは右膝を折って身体を屈めた。巨体を伸ばし右足を軸に左足で弧を描く。縋りつく銀色の腕を、その身体ごと瓦礫から引き摺り出した。
クロガネが旋回する。鉄管を引き擦る轟音が耳を聾した。
紅いキャップを被ったアルティメッターの巨体が宙を泳いでネクサスキューブの黒い壁に跳ねた。
最大級の大きさを誇るバトルハッカーもクロガネに比べれば三分の一ほどの大きさだ。体躯が人に近いだけに却って貧相にも見える。
だが地面に伏したアルティメッターの周囲に瓦礫が吸い寄せられた。寄り集まって蠢いたかと思うとアルティメッターを覆って膨れ上がった。
まるで地面が捲れ上がるように急速に巨大化する。アルティメッタ―を浸食したのはディザスタークラスのクラッカーツール、カイジュウだ。
「ほうら、第二ラウンドよン」
崩れた足場に尻を挟まれたままアニマが声を上げて笑った。
慄くようにクロガネが揺れた。テーブルクロスを引くように足下の構造体がカイジュウの身体に吸い出されて行く。対峙するカイジュウは以前より遥かに大きかった。
分厚く縊れのない胴の終端は短く先細りした尾と長く伸びた頸が二本。樽のような四肢があり、前肢は長くゴリラのように地に拳をついて巨躯を支えている。
「もう貧弱な坊やじゃないわよウ」
カイジュウの肩がクロガネの頭を越えた。クロガネの周囲は人で言う踝ほどの高さまで沈下している。接地しているのは剥き出しになったシステム境界面だ。
装甲を引き毟るような突風の後から太い腕が横殴りにクロガネを襲った。肘を上げて一撃を受けるや鉄が軋んで瓦礫が散った。
クロガネが身体ごと押される。頭上から喰らいつこうとする二つの頭を砲撃で牽制しながら鋼の拳を打ち込んで反撃する。
カケルの身体は激しく揺さぶられた。重力設定をクロガネに固定し慣性演出を抑えてはいるが視界は大きく目まぐるしく動く。
カケルに降り注ぐ破片や突風は辛うじて遅延干渉場が防いでいた。そんなカケルの身体を支えるようにアルティラνが背後に立っている。
干渉場の範囲は狭くないがアルティラνはカケルの背に身体を摺り寄せた。クロガネに意識を没入させるカケルにはそれを意識する余裕がない。
鋼の腕が軋みながら伸びた。カイジュウの片方の頭を捉え下顎を掴んで腕に巻き込んだ。もう一方の腕で殴り掛かる前肢を抱え込む。
だがカイジュウにはあと二本分の自由がある。クロガネは肩をぶつけてカイジュウの巨体を抑え込んだ。
ひと抱えもある瓦礫が小雪のように吹き散らかり雨垂れのように甲板に降って銅鑼の音を轟かせた。アルティラνが目を眇める。甲板の継ぎ目が微かに滲んていた。
迷彩を纏ったフレームだ。背中に生えた金属の触手を巧みに使って這うようにカケルに近づいて来る。
足許の巨人が殴り合う状況で自在に動ける者は多くない。だが振り落とされないほどの強靭さや器用さを備えた者はなおもカケルを狙ってクロガネの上を這い回っている。
アルティラνの身体がくるりと回った。裾から伸びた真っ直ぐな脚が迫る触手を蹴り上げた。踵で縫い留め側転して本体に迫る。
カケルの身を守る遅延干渉場も低速の物体は透過してしまう。人の目に素早い程度の動作であれば阻むことができない。
三倍の数の腕を払い落としてアルティラνは相手の頸部に指先を突き入れた。
不意にカケルの背後に緋色のフレームが実体化した。
振り向いたアルティラνに残った触手が絡みつく。
緋色の軌跡が尾を引いた。
気づけばカケルの背後に沸いたフレームはアルティラνの代わりに触手に埋もれている。銀色の髪が揺れていた。
縺れた二体のフレームは無造作に突かれてクロガネの外に飛び出した。千切れ飛んで来たカイジュウの頸にぶつかって悲鳴も残さず落ちていく。
「居候の身ですからね。掃除くらいはさせてください」
シリウスがアルティラνに微笑んだ。彼には遅延干渉場の制御権限が付与されている。クロガネの上で彼より疾い者などいないだろう。
「ありがとうございます。鬼畜責めの人」
「はい?」
「いえシリウスさま。でも、お館は広うございますよ?」
アルティラνは一礼してそう言った。
アニマの眺める先でカイジュウと巨人が縺れ合っている。カイジュウの上背は巨人より大きいが動きと火力は巨人が圧していた。
だがカイジュウはどこかが欠損してもすぐに瓦礫が補ってしまう。あの分厚い身体の奥にあるカーネルを破壊しない限り何度でも蘇るのだ。
「先にバテんのは少年の方よ」
今や戦場は剥き出しのシステム境界だ。底まで掘り返されたことで、振動伝達の演出は却って弱まっていた。アニマの足許も揺れこそすれ先程のような崩落はない。
「そろそろ抑えの投入かしら?」
悩ましげな目線を左右に投げて呟いた。ふと気づいて目を眇める。クロガネの腕が真っ直ぐこちらを向いていた。
何かが腕を滑って宙に打ち出された。彼女を目掛けて飛んで来る。
砲撃だろうか。アニマは総毛立ち幾重も障壁を展開しながら後退った。
実測値を見て呻く。弾頭の大きさに違和感を覚えた。
それが何かを考える暇もなく着弾が迫った。直前、弾頭が花のように開いた。割れて拡がった殻が空に散って障壁を割っていく。花弁の芯が幾つも落ちて、地面を滑る。アニマの間近に滑り込んだひとつが数秒ほど数えて揺れ止まった。
目を遣った殻の縁に銃口が突き出した。
足許に土煙りが跳ねる。慌てて避けると火線が石を弾きながら追って来きた。連なる乾いた破裂音。火薬式銃器の演出だ。
落下した芯から人影が身を起こした。足許から焦げ茶のキャトルマンを掴み上げ目深に被って立ち上がる。
「その節は世話になったな」
ウエスタンコートの裾を払ってガンズロウはそう言った。呆けた顔を不意に顰めてアニマは声を上げた。
「出たわねロリコン探偵」
「誰がロリコンだ」
心外な名にガンズロウが噛みつく。
「幼女略取でしょうが。おとなしくあのガキを渡しなさいよ」
「やっぱりてめえも噛んでたのか」
舌打ちして睨む。ヘブンサーキットでレイνを攫おうとした連中も、恐らく彼女が手配していたに違いない。
「喋り過ぎだ。時間が勿体ない」
耳許の声にアニマは総毛立った。いつの間にか背後に佇む黒衣に自分の影が立ち上がったような錯覚すら覚えた。反射的に飛び退り、本能的に逃走する。
「変態バンパイアまで」
デアボリカは罵声に動じなかった。むしろ乗じて言葉を返す。
「おまえの身体に訊きたいことがある」
「変態ッ、変態よゥ、助けてェ」
アニマが悲鳴を上げて逃げて行く。
ガンズロウがハンドガンを掲げアニマの足許を撃った。数度瓦礫を砕いた先でアニマは竦んだように立ち止まった。
「悪趣味な奴だ」
ガンズロウがデアボリカに歩み寄って呟いた。
「端的に目的を言っただけだ」
二人の目的はアニマの確保だった。
クロガネの物理変換だけではネクサスキューブの境界面は突破できない。ブルワークとの接点を極小化することで不可侵領域を構築している。
だが関連リンクは何処かに存在するはずだ。それをキーに事象変換することができれば境界面は突破できる。それがアリアンの結論だった。
ならばキーになりそうな者はひとりしかいない。
「まあいい、やることは同じだ」
ガンズロウが銃を掲げた。
「なーんて、ネ」
怯えていたはずのアニマが振り返って舌を出した。
ガンズロウは反射的に引鉄を引いた。項の悪寒には逆らわないのが信条だ。早まったかとも思ったが、デアボリカも同様にダガーを放っていた。
灰色の影が視界を掠めた。気づけば眼前に女がいる。
切れ込みの深いツートンのボディスーツ。艶のあるサイハイブーツ。掲げた両手はオペラグラブに包まれている。
女が握った掌を開くとガンズロウの放った弾丸がぽろぽろと零れ落ちた。スペリオーラだ。本来なら燃えるような赤い髪が緋色のマスクの下に押し込められている。
その背には風を孕んだ帆のような灰色のケープがアニマを覆っていた。
一拍置いてアンベールの幕のように落ちる。ケープの男にもたれ掛かったアニマが芝居掛かった驚きの表情で振り返った。
男は武骨で無表情。迷彩柄のハードスーツに身を固めている。ナイトシーカーだ。目許を覆うマスクの上に、やはり無理やり緋色のマスクを被せられている。
「おいおいメジャーリーガーだぞ」
ガンズロウが呆れたように囁いた。
「よくあるカードだ。レアじゃない」
二人の足許に音もなく小さな塊が投げ込まれた。間髪を置かず炸裂する。爆風は鋭利な鋼片を伴っていた。アニマの高笑いが響いた。
ハンドガンを両手に構えてガンズロウは走った。
彼の銃は、音、匂い、反動のすべてが執拗に火薬式を再現している。彼自身も実物に触れた経験は幾度とないのだが。
銃口の先、黒い影が不意に失せ予想もつかない方向に現れた。ナイトシーカーはあえて迷彩を切り替えて混乱を誘う。
しかも連射、擲弾、ケーブルを引いたダガーなど、多彩な攻撃で範囲しながら追い込んで来る。対するガンズロウは点の攻撃でしかない。カウボーイ対ガンマンだ。
真横の爆風に煽られたコートに身体が引かれた。足下は歪で不安定な土石流跡だ。踏み損ねれば一瞬で態勢を崩す。
細い鋼糸にキャトルマンを弾かれそうになり、慌てて銃尻で抑え込んだ。
見えるものと見えないもの、聴こえるものと聴こえないもの。緩急を無作為に取り混ぜた攻撃が鬱陶しい。
「女子供には荷が重いな。こっちに来て正解だった」
「まるでこちらが軽いような言い草だな」
擦れ違うガンズロウの強がりにデアボリカは皮肉を返した。
瞬間、空から落ちた灰色の影に追われて横に跳ぶ。サイハイブーツに踏まれた構造体が砕けて砂礫に成り果てた。重力設定を無視した威力だ。
振り返ったスペリオーラは灰色の残像と化し、辛うじて身を躱したデアボリカを掠め過ぎた。直線的だが異様に速い。
重力と慣性を書き換えているようだ。飛行能力もその産物だろう。スペリオーラが立ち止まり四肢に突き立つ黒いダガーを払い落とした。おまけに強靭だ。
デアボリカは瓦礫の上で燥いだ声を上げるアニマを一瞥した。
狙いを読んだスペリオーラが瞬時に距離を詰める。連続する横薙ぎの蹴りを躱すたび黒い布片が千切れ飛んだ。スペリオーラが垂直に跳び上がり、逆光を突いてデアボリカの背後に立った。体を入れ替える間を与えずスペリオーラは拳を突き入れた。
四散する凶器を避け、ガンズロウは瓦礫の縁に転がり込んだ。頭上を鋼片が飛んで行く。尾を引く鋼糸に気づいて飛び出した。
網だ。
辺りを見渡し逃げ道を探る。身を隠す場所は少ない。崩れて流された建屋の一部か二人が載せられた弾頭の殻か。気配に向けて引鉄を引く。左手の銃がホールドオープンのまま固まった。アクセサリのストック切れだ。
火薬式の演出に凝り過ぎたせいで装弾容量が有限なのだ。銃を投げ捨てガンズロウは瓦礫に突き刺さった弾頭の殻に向かって走った。
追われる気配を背中に感じながら殻の裏に回り込む。そこに擲弾が仕掛けられていた。
デアボリカの身体がくの字に折れた。スペリオーラの腕がそして半身がデアボリカの身体を貫くように潜り込む。
不意に漆黒の身体が四散した。散った欠片が羽搏いた。無数の蝙蝠がたたらを踏むスペリオーラを擦り抜ける。
だがスペリオーラは一瞬で体勢を立て直し、ひと塊になって人の姿を成そうとする蝙蝠の群れを振り返った。
彼女の項に一匹の蝙蝠が貼りついていた。
落雷がスペリオーラを貫いた。身体を反り、声にならない悲鳴を上げてスペリオーラは膝から崩れ落ちた。
擲弾が破裂した。爆炎は大きいが弾頭の殻は形を留めていた。ガンズロウは殻をひと回りして辛うじて爆発を背にしている。
無数の金槌の音を背中に聞いて擲弾の凶悪さにげんなりした。顔を上げると眼前にナイトシーカーがいる。行動を読んでいたのだろう。ガンズロウの右手に残ったハンドガンはすでにホールドオープンの状態だった。
ナイトシーカーが機銃を構えた。ガンズロウはハンドガンを投げ捨て両手を掲げた。
目を閉じる。片目だけを。
挙げた両手に引かれて開いたウエスタンコートの裾から無数の銃口が覗いた。
「悪いな。汚い手はお互い様だ」
ここに至り火薬式の演出は省略されている。ナイトシーカーの身体は瞬時に断片に成り果て、軽いものは宙に散り、重いものは地面に転がった。
「うそ、ン」
声援を喉に詰まらせたままアニマは凍りついた。中途半端に降り上げた腕をどうしたものかと途方に暮れる。
ふと背景に微かな違和感を覚えた。引っ切りなしに続いていた轟音と振動が途切れている。アニマはカイジュウとクロガネを振り返った。
地面と大気が大きく震えた。演出限界を超えた音が今届いた。カイジュウの半身が爆散する。所々に爆炎の閃きを抱えて黒煙が雷雲の如く膨れ上がった。
鋼の拳が霞を割った。ネクサスキューブを越える高さの噴煙を抜けクロガネが姿を現した。幾つもの破片が爆炎に押されて飛散する。
その中に塵と煙の尾を引いて人が宙を駆けて来る。あるいは慌てふためいている。悲鳴とも絶叫ともつかない声が大きくなって、瓦礫の中に突っ込んだ。
アニマが、そしてガンズロウとデアボリカが呆然と見守る中、土煙に咽る声がする。愚痴を溢しながら瓦礫を掻きわけ人影立ち上がった。
黒革の短いベストとスカート。大きな鋼の靴とガントレット。長い真紅のマフラーが風に棚引いた。
ボクは土埃に目を眇めながら辺りを見渡した。
偶然みつけたフレームにハンマーガールのパーツを詰め込んで何とかクロガネに駆け込んだ。と思ったら問答無用でアリアンにチューブに蹴り込まれた。
ガツン、と来たら空の上だ。死ぬかと思った。
「もう、何がなんだか」
ふと周囲を見てウエスタンコートと夜のようなケープの二人に気がついた。呆れた顔でボクを見ている。何てこと。ガンズロウとデアボリカだ。ヘブンサーキットのレアキャラだ。ボクは驚いて飛び上がった。
「すごい。かっこいい。何でここに。あの、動画アップして良いですか?」
盛り上がるボクを眺めて、ガンズロウが小声でデアボリカに言った。
「何で誰も言ってないんだ」
「いや、普通気づくだろう」
デアボリカが呻くように応えた。
この声シルエットはチャリオットとシンだ。まるで気がつかなかった。カルトヒーローが二人もボクの仲間だったなんて。
「ナニ、今度は何ごと?」
水色の髪の女が身震いして砂礫を払った。どうやらボクの着地に煽られて頭から土砂を被っていたようだ。
振り返ったボクの視界にタグがポップした。アニマ、アムデジール。アリアンの注釈だ。この肩で息をする女の人がターゲットだ。
目が合った。呆然と見つめ合う。
「あら、アラマ、何てこと。素敵」
アニマが燥いだ声を上げた。
あまりのテンションにボクは思わず身体を竦めた。初対面でそんなに盛り上がられても。ひとまず自分を棚に上げてそう思う。
「獲物がわざわ自分から」
アニマの紅い唇の端が大きく吊り上がった。ボクの周りを踊るようにくるくると回る。ボクは呆気に取られて目で追い掛けた。
不意にナニナニと宙に耳を傾けて、独りフンフンと頷く。
うわあ。もしかしてボクとロビイくんの会話もこんな風に見えていたのか。そう思うと急に気が重くなった。
「ソウネ、お礼を言わなきゃ」
唐突に、アニマアムデジールは自分の胸元に指を差し込んだ。窮屈な谷間を弄ってどこに仕舞っていたものかモスグリーンの布地を引っ張り出した。
ボクの視線を意識しながら布地の形を整えて行く。ギャリソンキャップだ。
嫌な予感がした。片目を閉じて頭に被ったアニマアムデジールの顔立ちが変わった。賞金稼ぎなら馴染みの笑顔だ。
「はあい、みんなのアイドル、エマノンです。お招きもなしによく来てくれたわ、トンカチ娘。あなたのおかげで先のファントム争奪戦は大盛況だったわよ。大サンキュー」
くるくる回ってボクに摺り寄ると指先でボクの胸を突いた。
「エサがこんなじゃどうなることかと思ったけれど、ファントムが貧乳好きで大助かり。あ、な、た、のおかげでお払い箱の賞金稼ぎ共も一網打尽よーゥ」
アニマアムデジールの身体が跳ね上がった。放物線を描いて落ちる。コートに跳ねたバスケットボールのような音がした。
ボクは拳を空に突き上げたまま、ふんすと鼻から息を吹いた。ギャリソンキャップが軌道を違えひらひらと空を舞っている。
大きく息を吸い込んでボクは背中の柄を掴んだ。
あれがアリアンの言った鍵だ。鍵になる。鍵にする。今ならやれそうな気がする。ハンマーを引き抜きボクはアムデジールに向かって駆け出した。
一歩で踵の杭を地面に穿ち身体を捻って大きく回る。一回、二回、三回。ハンマーを大きく振り回し、目を見開いて竦む青い髪の女に迫った。
「鍵になれ、アムなんとか」
声を上げ、ボクはハンマーでアニマアムデジールを打ち上げた。
悲鳴が尾を引いて空に駆け昇る。
演出エンジンさえ扱いに迷う壊れた音を立てアニマアムデジールが大きく歪んだ。イマジネータ・ドライブの観念干渉だ。具象化エンジンが形状を上書きして行く。
アニマアムデジールの身体が揚げ菓子のように捻れて伸びた。水色と黒と肌色のクラシカルな鍵の形になり果てて網で跳ねる小魚のように身を捩った。
「クロガネ」
ボクが叫ぶと、くで巨体が飛んだ。破裂するような風の音が、銅鑼を打ち合わせるような金属の音が黒い塊の後ろに吹き荒れた。
小屋ほどもあるクロガネの拳がボクらの頭上を横切った。鍵と化したアムデジールを真正面に捉えそのまま捩黒く透き通った壁に叩き込む。
世界が再び大きく揺れた。ネクサスキューブが波打つように撓んだかと思うとクロガネの腕が境界面を貫いた。
キューブの壁の向こう側、弾け散った破片が黒い雪になって宙に融けた。
「鍵の使い方じゃねえだろう、それ」
クロガネの暴風にキャトルマンを押さえてガンズロウの呆れた呟きが聞こえた。
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