第十四話 会議は踊る:フライングキャッツ
飴色の円卓を囲んだ豪奢な椅子は主席に加えて十二脚あった。席は全て埋まっている。四面を大理石のテクスチャで構成された広い会議場にはベルベットの飾りカーテン下がっており、正面には徽章、対面には幾つもの記章が飾られていた。
徽章を背にしているのはカケルだ。頬が緊張に赤らんでいる。
円卓の中央には多面パネルが浮かび、議席それぞれから死角なく端的に状況を綴って皆の認識を共通化していた。
平易な表現が並んでいるのはまだ幼い権力者のためだろうか。場違いの飾り物。裸の王様。そう思うとカケルは余計に頬が熱くなった。
カケルから一歩引いた位置にモービアスνは立っていた。カケルが相続を宣言した以上、代理の職務はそのままでも今後はずっとその位置に立つ。主の心労に苛まれながらも彼には誇りと充足があった。
老いた外見のニュートは白く垂れた眉の下で円卓に並ぶ総ての者の表情を視界に収めていた。
定例理事会を前にこの緊急動議が招集されたのは僅か二週間前だった。
主幹理事の大代表十二名を揃えて問うのは故風間十蔵博士の遺産。ひと括りに私財とされた項目の公開だ。
議題としては何を今更と皆が思っただろう。加えてなぜ今なのか。発議は匿名だ。
緊張と退屈の入り混じった表情でカケルは円卓と向き合っていた。特定の人物に目が行かないよう気を張っているが、それも意外と難しい。
皆の顔は良く知っていた。モーフィアスに連れられて公私に渡って幾度も訪ねた。物心ついた頃から今もなお円卓の面々とは付き合いがある。
すべてが無私の善人ではないが、その甲斐あってカケルには真摯に接してくれる。しかし今この中には敵に与する者がいた。
今回の動議はクロガネの動きを封じる搦め手なのだ。
クロガネとカケルの繋がりに確信を持つのは現場にいたアニマことアムデジールだけ。つまりアマルガムオルタが裏にいる。
アニマはクロガネが脅威だと知っている。カイジュウを倒された彼女はクロガネの正体に気付いたはずだ。万が一にもブルワークを発見し、そこにアクセスする術があるとしたら、それはクロガネを置いて他にない。
財団を扇動しクロガネを公けにすることがこの動議の狙いだった。それが叶わなくてもカケルの権限が保留されればクロガネは動かせない。
平和を謳うベル・クレール財団が自らに兵器の保有を許すはずもない。
風間博士の出自が兵器開発であるのは事実だ。だからこそ財団の推進する平和維持活動は信用の担保を優先している。
アムデジールの企みは理事の誰かに取り入って風間博士の私財に兵器が含まれていると囁くだけで事足りたはずだ。
その懸念を払拭したいというのが皆の趣旨だ。もしも私財に兵器に類するものが含まれていれば、即座に破棄を宣言し実行する必要がある。
カケルの相続した遺産には膨大な軍事兵器の研究資料や試作品が含まれていた。その最たるものがクロガネだ。だがその存在を明かすことなどできない。
暗く縁のないその空間は周囲と床面の映像だけで照度を維持していた。床からの光がアリアンの曲線を照らし上げ双丘に光溜まりを作っている。
ヒールの下には円卓があり財団理事の大代表が彼女の足の下で生真面目に論じ合っている。まるで硝子張りの天井に立って階下を見おろしているようだ。
アルティラνがワゴンを押して円卓の上を横切って行く。相変わらずの仏頂面だがもう慣れてしまった。あれでも表情筋は断線していない。
自身を見下ろすモービアスνの傍に停めアルティラνが茶器を整える。一歩下がって場所を譲った。注ぐのは彼の特権いや趣味だ。
暗闇の全周には円卓に沿って主幹理事の立像が並んでいる。それぞれの胸元に浮かぶ角のある塊は心理状態の三次元グラフだ。
会議場にアクセスされたフレーム若しくはパペットの差分データを小刻みに分析し心理状態をシミュレートしている。
それらを一通り見て回るとアリアンも二人の所に歩いて行った。モービアスνがポットを掲げて見せる。足下に立たずむもう一人の彼とはまるで異なる動作をしていた。
「さすがヘカトンケイル型だね、反応に遅延がない」
アリアンが声をかけるとモービアスνは片目を閉じて微笑んだ。
「一式人格を付与されておりますのは、もはや私だけになってしまいました」
もちろん戦略兵装の中枢に人格を与えた風間博士の意図など今では測るよしもない。
足下で理事会は進行している。当面カケルに発言の場はないが相当に疲弊しているだろう。十二名の大代表のうち四名が私財の公開を主張していた。
ベル・クレール財団は複数のグリッドで平和維持活動を推進している。公開を主張する四人はいずれも活動に係わっており反戦思想で知られる第三人類との関係も深い。
彼らは無視できない勢力だ。穿った見方をするならば発議事由に第三人類の意向も見え隠れしている。
ただ円卓の誰もが情緒的には安定していた。カケルに対する強硬な主張も要求もない。モニタされた心理状態を見ても、害意は皆無だ。
幼少から続く地道な社交活動により彼らは心理的にカケルに篭絡されている。寵愛で覇権を確たるものにするモービアスνの築いた長期戦略の成果だ。
「皆さま特に問題はないようでございますね」
足下の光に照らされた湯気の向こうでモービアスνはいつもと変わらぬ調子で言った。
「今のところはな」
彼の差し出すティーカップをソーサーごと受け取ってアリアンは微かに頷いた。彼女がこの場にいる理由のひとつは、情動と情勢の視覚化だ。
大代表の発言と行動の裏にある意図。個々の置かれた社会的、個人的状況。それらを総合的に分析し「敵」の策略を顕在化することが目的だ。
今回の緊急動議は本来ならカケルの権限で先送りすることもできた。
侵攻作戦の間際にあってあえて火中の栗を拾ったのは今後の敵の手を封じクロガネの正体を明かすような強硬手段を封じるためだ。
「怪しい人を片端から絞めちゃおうよ」
不意に不穏な言葉を投げて緑の髪がアリアンの肩越しに床の映像を覗き込んだ。間近にある深い緑の瞳に思わずカップを取り落としそうになる。
声の主は頬を擦り合わせるほどの距離で微笑んで身を翻した。モービアスνのワゴンに気付いて覗き込み、勝手に物色し始める。
「も少し冷えたのはないかな、モービアス」
「猫舌まであの方に合わせる必要はございません。銘柄に応じて嗜むのが粋というものです」
突然現れたチヅルをモービアスνは平然とあしらった。どことなくアルティラνに接するような躾係の目線だ。当のアルティラνは表情を変えないまま口許で笑っている。
「何だヒメ。こんな所に」
平静を取り戻しアリアンがチヅルを睨んだ。今回の件に彼女が絡んでいるのは知っている。だが、終ぞラウンジには姿を見せていなかった。
案外二代目と顔を合わせるのが気恥ずかしいのかも知れない。
「そりゃあもう。あの人のカッコ良い姿を見に来た訳ですよ」
何故かチヅル自身が自慢気に足下の会議場を指し示した。
「カケルさまのことでしょうか」
アルティラνが平然と訊ねる。この絡みはアリアンとって悪い予感しかしない。
「大人の魅力を分かってないなアルティラ。分られても困るけど」
腰に手を当て、ふんと鼻から息を吹いてチヅルは胸を反らせた。
「カケルさまの魅力なら世界に発信する勢いですが」
アルティラνが対抗してチヅルと同じ姿勢で向き直る。胸の大きさで張り合わないところはまだ情け深い。
「受け一択に世界は拡がらないね」
「あなたとしたことがシリウスさまへの鬼畜責めをご存知ないようですね」
「ちょっと待ってアルティラ、そこを詳しく」
「黙れ小娘ども」
アリアンが一括した。チヅルとアルティラνが顔を見合わせる。
「ブラコンに叱責を受けてしまいました」
「シリウスの責めがうらやましいんだな」
アリアンがティーカップを投げつけそうになったため放置を貫くモービアスνもさすがに慌てて二人を諌めた。
時間を掛けて再現したカップの色合いと繊細なテクスチャはデータといえど決してぞんざいに扱って良いものではない。
「お静かに。会議中でございます」
実際に会議場の屋根裏に位置する訳ではないが情動モニタを優先するため足下の議論はあえて声量を落としている。勿論こちらの状況は不可視聴だ。
『財団の立場は大切だ。だが、それもカケルあってのこと。博士が私財として彼に遺した意図を汲み取らねば』
円卓のひとつを占める大柄な男が公表を求めた面々に説いている。アリアンは目線を足下に戻し微かに困惑の表情を浮かべた。
会議場の人々はみな比較的落ち着いた貌をしている。あえて言うならやや枯れた印象がある。だがその中で男は少々印象が異なっていた。
禿頭で肉厚、突き出した太い眉と、胃凭れするほど濃厚だ。表情が豊かで精力的な容貌をしている。
チャールズ・レクター。アリアンが呼ばれたもうひとつの理由だ。彼はアリアンとシリウスを引き取った資産家の一族であり、その宗家に当たる。人材収集家だ。
家と言う枠にこだわりながら純粋なレクターは少ない。家系の大半は買い集められた人材だ。本来のレクターは宗家に数名を残すのみで、チャールズはその一人だった。
「あれがそう? お父さま?」
チヅルが顔を寄せて覗き込む。いちいち距離が近い。
「叔父だ」
アリアンもシリウスもレクター家と縁を切るのは容易ではない。試みたことはあるが公的な手続きは相対的に不可能だった。現状は名に縛られる以外のデメリットも少ないため協会のようなものだと割り切っている。
だが独立の意趣返しとして二人の関係に家庭監査を割り込ませたのはあのチャールズだ。アリアンにとって恐らくシリウスにとっても、呪って止まない相手だった。
「優秀な人?」
「私を欲しがるくらいにはな」
チヅルが片方の眉を高く上げた。
「駒としてだ」
溜息混じりにアリアンは答えた。
レクターの宗家は自らを管理者と任じている。あるいはゲームプレーヤだ。養子をそれぞれの手駒に、彼らは血族内で熾烈な順列争いに明け暮れているのだ。
その中でチャールズが位置しているのは次々席だ。ベル・クレール財団の理事職はけして地位的になおざりにできない要職のはずだ。
「チャールズさまは公表には慎重なご様子でいらっしゃいますね」
アリアンは周囲に並ぶ立像に目を遣った。
メドゥ・スワン、ジェラルド・リチャーズ、エドワード・ヘイズ、チャドウィック。公表を支持している四人には、微かな焦りが現れている。
彼らの感情のラインが繋がる先は、第三人類の平和維持活動か、それともアマルガムオルタだろうか。
中でもメドゥ・スワンは発議の当事者だと目されている。もしも黒幕が後者なら何らかの成果は得ようとするはずだ。
「チャールズ叔父さんにもっとつついて貰えないかな」
チヅルが勝手なことを言う。
だがチャールズに対する自身の心象にアリアンは微かな違和感を覚えていた。
「本来あれの役目だ」
円卓には異分子がもう一人いる。穏やかな空気に馴染みこそすれどこか明後日の方を向いている。
いつもの手櫛の蓬髪と無精髭。着崩したシャツと褪せたジャケットを羽織って彼はだらしなく円卓に肘をついていた。
フースークはカケルの後見人だ。大代表の末席にある。風態にそぐわず彼は複数の巨大法人に身を置いている。ベル・クレール財団はそのひとつだった。
「壊すならともかく、あの方に議会の誘導は不向きでは?」
モービアスνが呟いた。不安と懸念を隠し立てしない。とは言え主幹理事と並ぶ立ち位置にいるのは彼だけだ。そもそも、フースークはこの胡乱な会議に反対していた。ブルワーク侵攻の事後を憂うなど無駄だと言うのがその理由だ。
だが本音は単に面倒なだけだと透けて見えた。結果おまえも動けと引っ張り出されてしまったのだ。
「まるで役に立ちませんね」
アルティラνが真顔で言った。
「否定はしないけどみんなヒドイ」
声を上げチヅルがフースークの頭上まで駆けて行く。否定はしないのか。アリアンは幻痛のするこめかみをほぐしながら口の中で突っ込んだ。
「頑張ってくださいよ」
しゃがみ込み、チズルが床の映像を叩く。天井から落ちて来た埃を追うように眼下のフースークが目線を上げた。
チヅルを見つめる。
ぎゃあとはしたない声を上げチヅルはスカートの裾を抑えた。凍りついた頬から耳の先までみるみる紅く染まっていく。
「見えるはずないだろう、向こうから」
アリアンが呆れて呟いた。チヅルの放り出したティーカップはモービアスνの咄嗟の救済措置で辛うじて宙に留まっている。
「番狂わせにならなければ良いのですが」
モービアスνが小さく呟いた。
カケルの視線はチャールズとメドゥの間を行き来していた。視界の隅にフースークを捉えているがあえて目を向けないようにする。
フースークの役割は私財公開派を誘導して真意を質すことにある。
円卓の席ではカケルとモービアスνには自由がない。博士の遺産とアマルガムオルタの狙いを加味して立ち回れるのは彼だけだ。
幸い今はチャールズがその役を負ってくれている。だがそれはあくまで場の流れだ。こちらで制御できる訳ではない。
フーはふと天井に目線を向けまるで誰かに舌でも出されたかのようにきょとんとした表情を見せた。小さく肩を竦めて視線を円卓に戻すとチャールズと目が合った。
見れば皆が彼に視線を向けている。公開支持派も全員だ。メドゥは少し鎮痛な顔をしていた。
「研究者としての博士といちばん親交が深かったのは君だフースーク」
チャールズが言った。上の空だった彼には話が見えなかった。カケルとモービアスνを窺うと焦りの表情を押し隠している。
「たぶん、そうだね」
曖昧に頷いた。フースークの視界にパネルがポップした。聞き流したと踏んでアリアンが咄嗟に直前の映像を送り込んで来たのだ。
「私は博士がカケルに危険な物を遺すとは思えないのだ。それを世間に晒すのは博士の想いを踏み躙ることになりはしないだろうか」
アシストは良かったが惜しむらくは送られた映像が高速再生ではなかったことだ。フーがその意図を理解するまでチャールズは待ってくれなかった。
「君は博士がカケルに兵器を残したと思うかね?」
「そりゃあ残しただろうさ」
空気の読めないフーの言葉はチャールズもメドゥも円卓どころか目に見えぬ傍聴席さえも凍りつかせた。
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