第十一話 パッチワークガール#1:アニマ

 手を伸ばせば世界の果てがそこにあった。墓所と成り果てたブルワークの街は今や一辺が一キロに満たぬ立方体でしかなかった。

 この世界は今もファントムに齧られ続けている。ワールドフレームのリソースをあれの拘束と解体に費しているせいだ。例え世界を食い尽くしてもあれは存在を止めないだろう。

 瓦礫と化した今の街の中心には黒く透き通った立方体があった。この世界に穿たれた唯一の穴、より深い闇に続く特異点、ネクサスキューブだ。

 移送の負荷と解析の遅延に業を煮やしたあの女は早々にこの世界に降臨しファントムをアマルガムオルタそのものに呑み込ませた。

 あれは外界から隔絶された聖域。あるいは廃墟を見下ろす魔女の館だ。

 特異点の周囲を、蜘蛛の糸に縋る亡者、あるいは古代建築の苦悶する聖者のように無数の立像が取り巻いている。姿形、大小、態勢は様々だが皆一様に絶望に身悶えている。それは朽ちたヒーローたちだ。

 黒い砂塵を含んだ風が吹いている。辛うじて機能する世界演出が狂った笛のような風音を掻き鳴らしている。その中に調子の外れた鼻歌が混じっていた。

 灰色に陰る彫像の隙間を縫って鮮やかな色彩が擦り抜けて行く。時折くるくると舞い踊り彫像と戯れてはまた踊る。

 アニマは上機嫌だった。

 物言わぬ彫像に話しかけ独りころころと笑って頬を叩く。彫像を物色しながら歩いて回りお気に入りのヒーローに栄光の紅いマスクをプレゼントするのが日課だった。

 最期の時まで固定柵に抗った生意気な黒いケープの男を見つけるや飛びついて無理矢理マスクを被せた。

 顔の半ばまでぐいぐいとマスクの縁を引き下ろし、一歩離れて像を見上げる。

「なんて似合わないの」

 そう言ってまたころころと笑った。一頻り笑って唾を吐き捨てた。

 街の中央にある半透明の黒い箱を憎々しげに見上げる。アニマの女主人は今もあのネクサスキューブの中でひとりお愉しみだ。

 メインフレームを剥き出しにする危険を百も承知でもあの哀れな女は己の焦りと独占欲に抗えない。超然とした美貌の下にはこの街と同じ黒々とした嵐が吹き荒れている。

 彼女にとってファントムはそれだけの価値があった。

 自分はどうだ。アニマの内側は、嫉妬と憎悪、承認と破滅が混然としている。

 たったひとつのアニマの愉悦は彼女がファントムに見せた表情だ。その記憶だけが収穫だった。レイチェル・ローゼンは怯えていたのだ。

「はい、はい、もちろん仕事はするわよ。お給料分はね」

 想像上のレイチェルに叱咤されアニマは舌を出した。指先でくるくると紅いマスクを回しながら観覧席と名づけた広場にスキップしていく。

 瓦礫をならした中央に彫像を並べそれらを台座に情報パネルを映している。自身に与えられたパスを使って引き込んだアマルガムオルタの秘情報だ。

 すべて赤いカーペットに落ちた小石のように要注意人物を監視している。幾つかのパネルはすでに放映終了のノイズが走っていた。

 端のパネルに映っているのはガラクタの並んだ狭い部屋だ。複数のパペットを使ってあちこちを覗いて回るも部屋の主はどこにもいない。

「死にぞこないのロリコン探偵は御散歩中?」

 アニマは側面のマップに目線を移し、画面を繰って三つほど集まった光点を眺めた。

「あら意外。あんなのにお友だちがいたの」

 口許に手を当てふと眉を顰める。

「まさかあの陰気なシスコンじゃないでしょうね」

 憎々し気に歯を剥き出しパネルのボタンを連打した。叩くたびキルと書かれたフキダシがポップした。

「お返しよ。穴だらけにしてやるわ。変態は死ぬのよ」

 パネル一面をキルマークで埋めて肩で大きく息をした。それでひと心地ついたのかパネルを掴んで投げ捨てた。鼻を鳴らして次を見る。

 画面には、モノクロ画像とテキストで構成された大昔の画報を装ったレポートが表示されていた。

「何てこと。発育過剰のエロ女のやつ、坊やの所に逃げ込んだのね」

 地団駄を踏んでパネルを叩く。政治力が戯画化され三頭身の有力者が盤に並んだ。アニマは腕を組み手頃な駒を値踏みした。

「なンだ、いいところに飼い主がいるじゃない。あの淫乱娘を教育して頂戴」

 駒を取り上げ胸許から取り出した太い注射器を駒の頭に突き立てた。駒が青黒く膨れ上がる。

「コネと札束の厚さはこっちの方が上なのよ」

 肥大した駒を盤に投げ込んだ。

「アタシのお金じゃないけどネ」

 少し機嫌を良くして、まだ映っているパネルを探して回る。

 白と黒のボディスーツを着た彫像が支える多面パネルに走行中のカートの中らしい映像が映っていた。

「あらあら傷心の女の子の所に行くのね」

 ポップしたプロフィールを付箋のように剥がし指先で摘んで吹いて飛ばした。

 パネルの中の視線はカートのコクピットをさまよっている。しばしシートの上の可愛らしい花束に留まって再び窓の外を向いた。

「美味しい林檎をお届けするわよン」

 アニマはそう呟いて独り高らかに荒野で笑った。

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