第十五話 パッチワークガール#2:アニマ
堪え切れず吹き出した。アニマは腹を抱えて笑った。
パネルに映る視線映像は凍りついた会議場を映し出していた。小生意気な少年は頬を引攣らせ老執事も苦り切った顔をしている。
「空気の読めないヒトって、イヤね」
きっとあの男は自分が何を言ったかまだ分っていない。フースークは遺産に兵器があると認めてしまったのだ。アニマの紅く塗った唇は大きく吊り上がった。
黒い境界面の麓、瓦礫を拓いた空き地にアニマは立っていた。周囲には灰色のオブジェに支えられたパネルが立ち並んでいる。その先はただの廃墟だった。間近には世界の果てが迫っている。
ブルワークには本来三〇〇キロ立方の基礎容量があった。これは階層や部屋を含めた容量で、感覚的な広さは一〇キロ平方ほどの平面だ。
現状、ブルワークに残っているのは、ファントムの捕獲地点を中心とした一キロ程度の立方体だ。消え去ったすべてが、ファントムの拘束に費やされていた。
『君は、カケルの相続した遺産に兵器があると?』
パネルから呆然と呟く声が響いた。信じられない。裏切られた。そんな感情が十二分にこもっている。下手糞だがチャールズは役者だ。彼の目線の映像にはフースークのきょとんとした間抜面が映っていた。
『そうだねえ』
面倒くさそうな様子で頭を掻いてフースークは徐に席を立った。視点が彼を追って行く。フースークは上座の前に立って老執事に手を翳した。
『彼をご覧、世界有数の兵器管制システムだ。カケルくんのメイドは白兵戦用だし何よりこの世界は高精度軍事シミュレータでできている。これは全部、博士の遺産だ』
円卓に鎮座した面々はこれを彼の言葉遊びだと思ったようだ。募る苛立ちを見て取ってアニマは高揚した。ポップコーンを投げたい気分だ。
『それらはもはや兵器ではない。私たちが存在を懸念しているのはまだ見ぬ力だ』
発言した女の名は知らなかったがフースークのせいで場が傾いているのは確かだった。こうなれば状況を転がすことも容易い。遺産を取り上げる方向に持って行くこともできる。上手くいけばあの馬鹿でかいロボットは自分のモノだ。
『メドゥ・スワン。君はこの財団のトップにいて博士の何を理解していたの』
フースークが問う。これは彼女の円卓の全員の神経を逆撫でしたに違いない。もしも彼らの情動が目に見えたならきっと酷い有様だろう。
フースークはまるで顔の近くに舞う羽虫を追い払うように手を振った。襟を弾いて形ばかり身形を整えるとカケルを振り返った。
『大いなる力には大いなる責任が伴う。どこかの偉い人がそう言ってた』
身を返して円卓を睥睨し意外と通る声を上げた。
『博士は自分の罪をこの子に託した』
そう言ってフースークは主人の傍に佇むニュートの老人を振り返った。
『だが、ここに揺らぐことのない理性があり』
芝居掛かった一礼をして玉座に畏まる幼い相続者に目を遣る。
『ここに理想を追う無垢な魂がある』
皆は呆然と道化を見つめていた。まるで出座のラッパを吹き鳴らされたかのように背筋を張らねばいられなかった。
『僕らには受け継がれた全てとカケルくんを護る義務がある。例え何が遺されようとそれを兵器と呼ばせはしない。その意思なくして我々のいる意味が何処にある?』
フースークは円卓を振り返り高らかにそう宣言した。放心するメドゥ・スワンに通じたかは疑問だが言外にこれ以上の反論が背信であると彼は告げた。
つまり最高権限に意を反する者は理事の席を奪うと言う意味だ。
幸い彼らがそれを理解する機会は当面なかった。一人を除いて。
『わかったか』
彼は言葉の余韻の中でチャールズに目を遣った。彼の目を、その向こうのアニマを見つめて笑った。
『おまえなんかお呼びじゃないんだ』
自分に向けられたその囁きにアニマは反射的にパネルを叩き落した。
肩を抱いて怖気に頸を縮める。これはすべてあの男の茶番だ。初めから自分に見せるための下手な演出だったのだ。
アニマはコンソールに飛びつき真っ先にチャールズとの関係を切った。次に第三人類との仲介を片端から消して行く。こちらへの逆流は御免だ。
ふと思い出し経済マップを宙に拡げた。少年の私財凍結に乗じる予定だった経済侵攻を解除しなければ。だがそれらはすでに大半が浸食され食い散らかされていた。
「何なの、何なのよ」
悪態と泣き言を交互に吐きながら手駒を置き換える。支援が追いつかず大方を切り捨てた。立て直したはずが潜り込んだ異分子に唆され次々に手駒が寝返っていく。
不意に隣のパネルが間抜けな大音量でアニマを呼んだ。
飛び上がった拍子に手駒が沈んだ。悲鳴を上げて頭を掻き毟り戦略マップを投げ捨てる。これだからあの男に関わるとろくなことがない。
沈んだ船を放り投げアニマは呆然としたまま隣のパネルを覗き込んだ。画面は古き良きアクションレースの真っ最中だった。
路面の先を小さなカートがひた走り幾台もの武装車両が追っている。パネルの視点は先頭の追跡車だ。高出力ECMやセンサー負荷メーザーで弱らせながら派手な物理弾頭でカートを追い詰めて行く。
どうやら貧乏探偵と愉快な仲間たちの逃走劇だ。
アニマは瞬時に機嫌を取り戻した。コンソールを操縦桿に変え嬌声を上げて突っ込んだ。カートのガンマンに反撃され何台もの追跡車が火達磨になって転がった。
だがこちらの残機は無尽蔵だ。次から次に車を乗り換えカートの外装が跡形もなくなるまで物理弾頭をばら撒いた。
味方を弾替わりに突入させ遂にカートを側壁の染みにした。時間は掛けたが完勝だ。
勝利の余韻に浸るうち二つの人影がカートから引き摺り出された。銃口に囲まれながら干物のように壁面に押しつけられている。
ブルワークに対する物理クラッキングなど当然、予想していた。アマルガムオルタの物理スタッフがどれほどの規模を有しているか無謀なハッカーどもは思い知るべきだ。
ドライスケープの万能感などリアルでは何の役にも立たない。金で懐柔するかいたぶって吐かせるかだ。
アニマは先の負債を思い出し、さっさと始末して情報を引き出すことにした。
「ヤっちゃって。頭だけあれば構わないから」
命じると警備ボットがバイスのような手で二人の項を抑え込んだ。マニピュレータで神経接続の外部コネクタを探り始める。
警備ボットは困惑したように手先を迷わせ不意に頭を掴んで捻じ曲げた。
「うへえ」
アニマは舌を出して呻いた。二人とも顔が背中を向いてしまった。何という悪趣味。でも構わない。直接、頭を切り開くだけだ。せめてあの貧乏探偵たちの面を拝んでやろうとアニマはパネルに顔を寄せた。
目鼻のないセンサーカバーがそこにあった。軍用ボットだ。遠隔操作のパペットだった。怒りの声を上げる前に何かが閃きパネルがブラックアウトした。
沈黙したパネルの前でアニマはしばし惚けていた。
ネクサスキューブの防衛は彼女の役割のひとつだ。大いに関係するとは言えこの案件は小事だ。叱責に値しないはずだ。最初からなかったなら問題でさえない。
アニマは心の中で必死に言い訳を組み立てた。
そうだ必須項目がある。ハンマーガールの確保だ。あの小娘は行き詰まったファントム解析の鍵になるやも知れずこれだけは成すべしとレイチェルに厳命されていた。
アニマは端のパネルに駆け寄ってコンソールに齧りついた。いくつかの映像は小ぢんまりした個室を中心に映している。
ハンマーガールの中身は冬堂博士のひとり娘だ。手配に融通の利いたレクター博士とは異なり正面切って手出しできない。
その意味では相続直前に捕らえた風間少年も惜しい機会を逃してしまった。だからこそハンマーガールの周辺に撒いた手札には慎重を期した。
わざわざ小娘の友人にクラックボットを運ばせたのだ。もちろん本人は何も知らないからアマルガムオルタの痕跡は何ひとつ残らない。
クラックボットは物理的にハンマーガールのマシンを掌握している。居室の映像はその手筈が整った証拠だ。
パネルの中では手土産と思しき花があった。食べ散らかしたケーキの箱を脇に寄せ小娘が自分と同じ姿をしたフレームを矯めつ眇めつしていた。どうやら友人はもう帰ったようだ。なおさら好都合。
ブルワークを逃げ延びた際の有り様からして代替のフレームを調整しているといったところか。ならばじきゲートインするに違いない。
外にアクセスした瞬間、クラックボットは小娘を掌握するだろう。
たかがフレームの調整に小娘の表情はくるくると変わった。興奮と不安と困惑が交互に入り混じって実に忙しい。それほど大層なフレームなのだろうか。
だがそのうち時間を気にし始めた。焦ってどんどん調整が雑になって行く。
アニマですらそれで良いのかと思う所で手を打ってフレームをチェンバーに投げ込んだ。
最後のケーキの欠片を口に放り込みベッドに飛び込む。いよいよだ。
不意に画面いっぱいに茶色の和毛が映った。アニマが声を上げて仰け反った。
和毛がカメラから少し下がった。パネルの向こうで覗き込んだのは縫いぐるみの熊だ。呆然と眺めるうち画面の縁をごそごそと探り始め、蜘蛛のようなものを引っ張り出した。クラックボットだ。
「うそでしょ。何アンタ。何ヤッテんの」
パネルに向かっておろおろと呟く。縫いぐるみの熊はクラックボットをしげしげと眺め徐に両手に挟んでぷちんと潰した。
パネルがブラックアウトした。
ふらふらと後退りアニマは両手で頬を挟んで絶叫した。
不意に周囲の日が陰った。仰け反って空を仰ぐと巨大な黒い影が伸し掛かるように天を埋めている。まるで空が落ちて来るようだ。
宙に無数の亀裂が走り、爆ぜるように砕け散った。ビルよりも巨大な二本の足がブルワークの地面に突き刺さった。
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