第22話

 サイスの変装は実に見事だった。ばさっとマントを脱ぎ捨てるような所作のみで、いつの間にか政府軍中尉の軍服姿になっていた。


「私に連行されるふりをして、キャットウォークを進んでねぇ。機体の場所はすぐに分かるわぁ」


 それはそうだ。この輸送機は、そもそもAMMを搭載するために、体積のほとんどが整備ドックになっているのだから。


「では、自分はこういう口調になりますので」


 突然、サイスの口調が変わった。語尾を伸ばす甘ったれた声ではなく、いかにも軍人らしいハキハキとしたものになったのだ。目つきも鋭くなったように感じられる。

 背中のベルトに挟んでいた拳銃(これには俺も気づかなかった)を取り出したサイスは、それを俺の背中に押し当てた。


「セーフティはかけたままだ。安心してくれ」

「は、はッ」

「では行くぞ。このカードをそこのドアにスキャンさせてくれ。後は、両手を挙げて歩いてAMMのところまで進むんだ」

「はッ」


 上官に対するそれのように復唱する俺。


「よし、ドアを開錠しろ」


 カードをドア横のパネルに読み込ませると、サッとスライドして開いた。すぐにサイスが俺の手からカードを引ったくる。

 元来た方へと歩を進めると、『この先整備ドック 転落注意』との紙が貼られたドアにぶつかった。その金属質なドアノブに手をかけ、引き開ける。そこには、新型AMMが立っていた。整備ドックの灯りの元、その四肢を沈黙させている。俯きかけた頭部のバイザーは、まさに搭乗者を待ち受けるように、ギラリと灯りを反射している。威風堂々といったところか。


 キャットウォークを進んでいくと、多くの兵士が俺、ではなく俺の後ろを歩くサイスに敬礼した。頷きながら、そして銃口を俺に押し当てながら進んでいくサイス。彼女は拳銃を巧みに隠しながら、階下の整備士たちに呼びかけた。


「この機体の整備状態はどうだ?」

「はッ、損傷ありません! 先ほど使用した弾丸は、既に再装填されております!」

「了解した」


 サイスの声に、再び手元のディスプレイに目を落とす整備士。


「今だ、乗り込め!」


 小声で、しかし鋭く命じられた俺は、サイスの陰に入るようにしながらAMMのハッチを開放、コクピットに乗り込んだ。


「おっと、これを」


 コクピットの背もたれに寄りかかった直後、小さな紙切れをサイスに渡された。何だ、これは?


「重要なものだ。後で読め」


 サイスがそう言った直後、異常に気づいた整備士たちが騒ぎ出した。


「お、おい、このAMM、起動してるぞ!」

「馬鹿な! 一体誰が乗ってる?」

「踏み潰されるぞ!」


 これはマズい。早く起動シークエンスを完了し、ここから脱出しなければ。

 サイスが搭乗している以上、この輸送機を墜落させるわけにはいかない。俺は右手を伸ばし、輸送機側面に掛けられていた百二十ミリ機関砲を手に取った。迷いなく整備ドックの後部ハッチに銃撃を加える。ちょうどAMMで体当たりし、割ることができるように。薬莢が床に落ち、ガランガランと金属音が響く。

 高度はだいぶ落ちているはずだ。パラシュートがないのは、スラスター噴射でどうにかすることにしよう。


「行くぞ!」


 全身に、電流のように走る痛みを無視して、俺は背部スラスターをフルパワーに。ダッシュして空に飛び出した。


 既に空気は夜のそれだった。ひんやりとした感覚が、AMMの外側から染み込んでくる。高度は一千。俺でも無事降り立つ自信がある。だが、そんなことに気を取られている場合ではなかった。


「なっ!?」


『後方に熱源反応多数』との表示。輸送機下部に装備された空対地機銃が、弾丸をばら撒き始めたのだ。流石に新型AMMとはいえ、真後ろに攻撃できる武器は搭載されていない。

 俺が全身のスラスターを駆使して弾幕から逃れていると、背部を映していたサブディスプレイが真っ白になった。これは爆発だ。しかし、俺は被弾したわけではない。


 はっとした。爆発したのは輸送機だ。撃墜されたのか? いや、クーデターがまだ起きていない以上、政府軍機が標的にされる恐れはないはず。これはもしや、


「自爆したのか!?」


 俺は思わず声を上げた。ではサイスは? サイス・リトファー中尉はどうなった?

 いや、その前に無事着地しなければ。旧型よりも、遥かに早いレスポンス。増強されたスラスター。そして、俺を地面に吸い込んでいくような不可視の重力。

 俺はシミュレーターでやった時よりも軽々と着地し、屈伸するようにして立ち上がった。すぐに小さな丘を見つけ、跳躍してその陰に入る。まるで旧型に羽が生えたような、実に軽々とした挙動だ。

 こいつを使いこなさなければ。俺はぐっと唇を噛んだ。


 それにしても、サイスはどうしたのだろう。俺はコクピット内で、先ほど手渡された紙片を開いてみた。そこには――。


「!」


 書かれていたのは三つ。

 この新型AAMを駆使し、クーデターが成功するまで首都防衛中のAMMを引きつけておいてほしいということ。

 俺にもどうか、このクーデターに基づく作戦に協力してほしいということ。

 そして、自分も婚約者の元へ行くということ。


「婚約者の元、って……!」


 俺は愕然とした。上を見上げる。


「うっ!」


 ちょうど輸送機の残骸が、炎を上げながら墜落してくるところだった。慌てて駆け出し、頭上に腕をかざして巻き込まれるのを防ぐ。

 あの爆炎の中にサイスがいるのか。

 彼女にかかれば、内部から輸送機を爆破することなど容易なことなのだろう。だが、ここで死んでしまうとは。


「くっ……」


 俺は自分だけが脱出したことに、凄まじい罪悪感に襲われた。それはじっとりと、廃油を頭から被せられるような不快な、それでいて剣山に心を挟まれるような、粘着性と鋭利さを兼ね備えた暗い感情だった。


 よくよく考えてみると、自分のために誰かが命を落としたのは、これが初めてかもしれない。

 そう思えば、たった二度しか顔を合わせたことのないサイスの死さえ、俺の心を圧殺するのに十分な破壊力を有していた。

 

 気づくと、俺の操縦用グローブに、水滴がぽつりぽつりと落ちていた。

 これで人の死が理解できた、悲しみが実感できたとは思えない。だが、それだけ理解や実感が困難な、負の感情の塊であることは察せられたように思う。それ自体、傲慢かもしれないけれど。


 会わなければ。ルナやリフィアに会わなければ。何故かは分からないが、そんな気持ちが俺を引き立て始めた。

 彼らに合流しなければ。いや、その前にどこかに隠れなければ。いやいや、どっちを優先すべきなのか決めなければ。

 俺はグローブから手を抜き、ぐっと顔の上半分を袖で拭ってから、耳型センサーを起動した。

 

 幸いなことに、すぐさま無線通信が入ってきた。


《こちらブルー・ムーン実戦部隊指揮官、ハイリヒッド・モーテン中尉。リック・アダムス少尉、聞こえるか?》

「は、はい!」


 そこで、しばしの間があった。


「モーテン隊長?」

《ああ、すまない。尋ねにくいことを訊く。君は今、我々に協力する気はあるか?》

「えっ」


 思わず言葉に詰まる俺。生きていたいがために、そしてサイスに導かれるままにここまで来てしまったが、いざ協力だ共闘だと言われたら、明確な答えを打ち出せない。

 しかし、先ほどの思い――ルナやリフィアに会いたいという気持ちが、俺を突き動かした。


「はい。協力します」

《感謝する。一旦、旧市街地に入ってくれ。話はそれからだ》


         ※


 AMMをしゃがみ込ませ、俺はすっと地面に降り立った。既に顔なじみになったブルー・ムーンの戦闘員たちが、安堵の表情を浮かべている。だが、その前に。


「モーテン隊長!」

「おお、リック少尉。酷い傷だな、やはり政府軍にやられたのか?」

「はい。悲劇のヒーローにしてやるとまで言われましたが」

「そうか。しかしその目論見が外れたようで、我々も安心した。で、クーデターに基づく作戦だが」

「あっ、ちょっと待ってください」


 俺はやんわりとモーテンの言葉を遮り、逆に問いかけた。


「隊長、あなたはサイス中尉が自爆覚悟であることを知りながら、輸送機に忍び込ませたんですか?」


 ほんの一瞬、周囲から音が消えた。だが、モーテンも黙ってはいられない。いつもの調子で『そうだ』と一言。


「何故任せたんです? 死ぬつもりだと分かっている味方を、どうして切り捨てたんです? むざむざ自爆攻撃を仕掛けさせるなんて!」


 俺は自分の声がだんだん大きくなっていくのを留められなかった。


「これじゃあ、殺人と一緒だ! なんてことを、あんたらはッ!」


 俺はずいっと両腕を伸ばし、モーテンの胸倉を掴んだ。しかし、笑みこそ浮かべてはいないものの、モーテンは落ち着き払った目をしている。

 俺に対する非難は、思いがけない方向から迫ってきた。


「あんたに一体何が分かるっていうんだ、リック!」


 そう言って俺を突き飛ばしたのは、目を真っ赤に染めたルナだった。

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