第23話

「サイスがどんなに辛い思いをして任務にあたってきたか、あんたに分かるとでもいうの!? 馬鹿にしないでよ、人間を!!」


 あまりの気迫に、俺はぐっと首を縮めた。俺には、ルナの言葉に含まれた『人間』という言葉が『死』と直結して聞こえた。そんなことにはお構いなしに、ルナはなおもまくしたてる。


「サイスはな、六年前に婚約者を喪ってから、ずっと精神不安定だったんだ! 薬に手を出して、その副作用を抑える薬を入手して、それでも副作用は消え切らなくて。彼女にはもう、頼れる人間はいなかった! それがどれほど悲しいことか、あんたに分かるはずがないでしょう!? だから自爆任務に志願したんだ、あんたを助ける、っていう使命の基にね!」


 一気呵成に言葉を吐き出し、荒い息をつくルナ。何故かその肩は、大剣で戦っていた時よりも大きく上下していた。それほどに、精神をすり減らして叫び続けたのか。論点がズレてきていたような気もするが、あまりの感情の奔流に巻き込まれた俺は、反論する術を持たなかった。

 しかし、次にルナが取ったのは、まさに常軌を逸した挙動だった。

 顔を両手で覆い、嗚咽を漏らし始めたのだ。


「お、おい!」


 まさか、ルナ・カーティンともあろう人物が、人目をはばからずに泣き出すとは。

 確か、父親であるバセット少佐が亡くなった時も絶叫していたようだったが、その時俺は、まともに周囲を把握できる状態になかった。新型AMMの掌に乗せられていたためだ。


 だが、今ならルナの様子、そして言いたいことを把握することができる。いや、否応なしに頭に叩き込まれてくる。彼女の言葉、一挙手一投足が俺の心にヒビを入れていくかのようだ。これは、先ほどまで政府軍兵士たちに暴行を受けていた時には感じられなかった、異質な、そして大きなダメージだった。


 俺は黙するしかない。と同時に、自己嫌悪のスパイラルに巻き込まれていくのを止められなかった。

 きっと、俺は踏み込みすぎたのだ。そこにどれだけ俺の意志が介在したかは分からない。だが、他者の死、及びそれが周囲に及ぼす影響というものについて、あまりにも無知だったと言わざるを得まい。そしてそのまま他の皆の心に踏み込んでしまった。


 泣き崩れるルナを前に、俺は何もしてやれない。手を差し伸べることも、肩に手を載せてやることも。言葉をかけるなど論外だろう。

 それでも、これだけは分かってほしかった。俺がいかに、ルナを始めとした皆のことを心配していたか。その生存を願っていたか。

 俺は、自分の語彙力のなさを初めて恨んだ。くそっ、こんな時に何を言ってやればいいというんだ?


 その時だった。


「ねえ、人質さん」


 見下ろすと、気を取り戻したリフィアが、俺のシャツの裾を引っ張るところだった。

 

「さっき、ルナお姉ちゃんのお父さんが言ってた。もうすぐ戦争は終わるって。こんな悲しいことは、長くは続かないって。本当なの?」


 あまりに無邪気で、それでいて触れたらすぐに砕け散ってしまいそうなリフィアの姿。俺は腰を折り、目線を合わせて問うた。


「それは、本当にバセット少佐が言っていたことかい?」


 大きく頷いてみせるリフィア。


「そうだね……」


 ここで、『戦争が終わるか否かはクーデターの成否にかかっている』などと言っても、何の説得力もないだろう。リフィアにも分かるように説明する必要もある。


「いいかい、リフィア」


 俺はぐっと顔を近づけた。


「正直、俺にも分からないんだ。本当に戦争が終わるのかどうか。でも一つだけ言えることがある。ここにいる皆は、戦争を終わらせたいと心から願っている、っていうことなんだ。それは、信じてくれるだろう?」

「うん……」


 しばし俯いていたリフィアだが、次の一言は強烈だった。


「もしそうなら、えっと、戦争が終わったら、ガルドお兄ちゃんも喜んでくれるかな?」


 俺は背後から、長い槍で心臓を貫かれたような衝撃を受けた。

 その質問は、卑怯だ。死者の声を聞くことなど、できるはずもないのに。しかも、リフィアの立場というものがある。この場においては、『兄は喜んでくれるか』という問いに対し、『YES』としか答えようがないではないか。


 しかし実際問題、『NO』でないとも言い切れない。俺は凄まじいジレンマに陥ってしまった。俯き、リフィアには不似合いなコンバットブーツのつま先を見つめる。周囲の気配から、誰も助け船を出してくれないことは察しがついた。ルナも、モーテンも、他の皆も。


 だが、俺の頭の中の混乱は、あまりにも呆気なく収束した。リフィアが俺に抱き着いてきたからだ。


「お願い、リックお兄ちゃん、必ず帰ってきて。死なないで。どうか生きて……」


 その壮絶とも、悲痛ともいえる言葉が、まだ十一歳の子供の口から発せられるとは思いもよらなかった。しかし、それが現実なのだ。そんな幼い子供でさえ、『死』というものを意識しなくてはならないということが。


「必ず帰る。約束するよ」


 俺は驚いた。自分が、こんな柔らかな口調で人と意思疎通ができるとは考えたこともなかったのだ。

 するとリフィアは、うんうんと頷いて俺の肩に顔を埋めた。俺と周囲の戦闘員たち、ブルー・ムーンのメンバーたちは、ちょうど輪を描くようにして立ち尽くし、ルナとリフィアが落ち着くのを待ってくれた。


「大丈夫か、リフィア?」


 再びこくん、と頷くリフィアと目を合わせてから、俺はモーテンに向き直った。


「作戦計画を練りましょう、隊長」


 モーテンは無言で首肯した。


         ※


「これを見てもらおうか」


 野戦用の広いテントの元にいざなわれた俺は、一枚の地図を見せられた。立体画像が浮かび上がり、状況をつぶさに表示する。


「現在のところ、首都防衛軍の二割が我々に協力する姿勢を見せている。彼らには、国防省と各軍事統率機関、それに首相官邸に突入を決行してもらう。確保できたAMMは五機。こちらに向かってくる正規軍のAMMは、十五機といったところだ」


 モーテンの説明に、俺は腕を組んで聞き入っていた。


「その十五機に陽動を仕掛けるため、俺の新型機で首都に軽い攻撃を加える、と」


 無言で頷くモーテン。


「本来なら君にも、アールス市内の制圧に向かってほしいところだが、生憎政府軍パイロットの熟練度が分からない。下手に銃撃戦を起こすと、市民の被る損害はとんでもないことになってしまう」

「AMMにはAMMで対抗してくるでしょうからね」

「その通りだ」


 すると、モーテンは自分の手首を見遣った。古風な腕時計が、そこには嵌められている。


「現在時刻21:00ちょうど。クーデター分子は、22:00から24:00にかけて作戦行動を行う。それまでの間、十五機の旧型AMMを釘付けにしておくのが、君の任務だ」

「はッ」


 何も『全機撃破しろ』と言われているわけではない。『行動不能』に陥らせる必要もない。二時間の間、敵の攻撃を回避しまくっていればいいだけの話だ。パイロットの殺害が命令に入っていないことに、俺は心底安堵した。

 その時、テントの入り口で声がした。


「失礼します」


 そこにいたのは、ルナだった。いつも通り平然としているが、やはりまだ目が充血しているのが痛ましかった。


「自分も戦わせてください」


 その言葉に反応したのは、モーテンより俺が先だった。


「おい大丈夫なのか?」

「何が?」

「何、って……」


 鋭く切り返され、返答に窮する俺。だが、その鋭さこそ、ルナの強さの根源なのだ。


「今日で片をつけます」


 その大剣よりも熱く、切れ味のいい語り口に、モーテンはしっかりと頷きながら『是非とも頼む』と一言。

 ルナはコンバットブーツの踵を揃え、『はッ!』と敬礼した。

 俺も黙ってはいられない。


「自分はAMMのコクピットで、最終調整作業に入ります!」

「うむ。このクーデターの成否は、君たち二人にかかっている。どうか、我々の始めてしまった戦争を、その過ちを、正してほしい。できるな?」


 俺とルナは声を合わせて復唱した。

 返礼し、無線係の元へと歩み去っていくモーテン。その背中を見ながら、俺の胃の底にじくり、と滲んできた恐ろしさを取り払うべく、ルナに向き直った。


「ちょっといいか、ルナ?」

「ああ。どうした?」

「こっちへ」


 俺とルナはテントから出て、放棄された市街地を歩いた。


「どこまで行くんだ、リック?」

「当てはないんだ。歩きながら話そう」


 細かい瓦礫を踏みしめ、薄暗い街路を行く。真っ暗でないのは、まだ電力が供給されている街路灯があるからだ。しかし、それだけではない。


「綺麗なもんだな、やっぱり」


 俺は上方、遥か遠くに視線を飛ばす。その先には、満月がぽっかりと浮かんでいた。


「なんだ、月の話か」


 つまらなそうなルナに向かい、『ああ、そうだ』と答える俺。


「あの月が沈む頃には、世界は変わってる。きっといい方に。俺はそれを見届けたい。生きていたいんだ」


 流石に『ルナと一緒に』と付け足すことはできなかった。旧市街地とはいえ、予想以上にロマンチックな風景が展開されている。心が煽られてしまいそうだったが、言葉は出てこなかった。


 自分でも何を言っているのか、分からなくなる。だが、今度はルナが補足してくれた。


「お互いにな」


 と。

 素っ気ない一言。しかし、その言葉は俺の心にわだかまる澱を、一気に吹き飛ばしてくれた。


「じゃ、あたしはトラップ敷設の手伝いに行くから」

「ああ。気をつけろよ」


 俺はルナが角を曲がるまで、ずっとその背中を見送った。

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