第21話


         ※


「ぐふっ! がっ! ぶふっ!」


 連れていかれたのは、輸送機の下部、人通りのない廊下の先の部屋だった。裸電球が、五畳ほどの狭い部屋を照らしている。

 その灯りの元、俺は中将のボディガードたちから暴行を受けていた。入室して早々、俺は足を引っかけられて転倒し、そのままの状態で殴る蹴るという暴力に晒されていた。


 ボディガードたちは、俺を嘲ったり、罵ったりはしなかった。逆に、無表情を繕った顔面から、少しばかりの憐憫の念が感じ取れた。彼らとて、味方をいたぶるのは不本意なのだろう。

 と、考えたのも束の間、腹部に軍靴のつま先がめり込み、俺は胃の内容物を吐き出した。


「がはっ!」


 口内を切ったために、吐瀉物に赤いものが混じる。すると、唐突にボディガードたちが、嵐のような暴行を止めた。リーダーと思しき者が、左右に目を遣って顎をしゃくってみせる。

 一番端にいた兵士が、軍務用の水筒を俺の口に近づけてきた。俺に飲ませようというのか。


 その時、俺は一つ気づいた。思いの外、身体が動くのだ。振り返ってみれば、もし俺を殺したり、屈服させたりするつもりなら、もっと暴行は内臓に響くように為されるはず。それどころか、射殺してしまえば済む話だ。どういうことだろう。


「出ろ」


 と言う兵士の指示と共に、俺は引っ張り立たされた。身体の節々は痛むものの、動くのに支障はない。致命傷は避けられている。やはり、俺は何らかの目的で生かされているのだ。それこそ、中将の言う『悲劇のヒーロー』を演じるために。


 次に俺が連れ込まれたのは、隣の部屋だった。先ほどの部屋同様、五畳ほどの広さだが、照明はやや明るい。中央に小さなテーブルが置かれ、その上には録音用のマイクが置かれている。

 俺は目線で指示され、入り口と反対側の椅子に座らされた。


 すぐ後ろに一人の兵士が立つ。マイクに注目していた俺の背後で、カチャリ、と嫌な金属音がした。間違いない。これは拳銃のセーフティが解除される音だ。どうやら俺は、何かを喋ることを強制されているらしい。

 ぱさり、と紙の束が置かれる。そこには、先ほど中将の部屋で目を通したのと同じ文面が書かれている。ブルー・ムーンは野蛮で粗暴なテロ集団である、と。そして自分の負傷は、ブルー・ムーンの戦闘員に負わされたものである、と。


「嘘をつけ、というわけか」


 兵士は誰も口を利かない。


「俺は屈しないぞ。政府軍がどれほどのことをしてきたのか、知ってるんだ。お前らなんか」


『怖くない』と言いかけて、俺は堪らず悲鳴を上げた。背後から撃たれたのだ。右の上腕を掠めるように。

 あまりの激痛に動けないでいる俺に、別な兵士が医療処置をしようとする。俺は腕を振り回して拒絶したかったが、あまりの灼熱感に、動かしようがなかった。


 すると、『次は左腕だ』と兵士が言った。なんだ。こいつらにも口があったのか。

 そんな皮肉的なことはさておき、俺が反抗し続ければ、本当に殺されるかもしれない。俺は再び紙の束に目を落とした。カチリ、と音を立てて、兵士が録音開始ボタンを押し込む。俺は完全に打つ手がなく、孤立無援だった。ここは、もはや連中に従うしかあるまい。


 軍部は利権の拡張のために、弱いものを餌食に、弱肉強食の論理で動きだそうとしている。周辺国はパニックになるだろう。

 防ぎたい。それを妨げたい。俺は強くそう願った。このままでは、ステリア共和国は合理主義と管理社会の波に呑まれ、独裁国家、全体主義国家になってしまうかもしれない。


 だが、生きていたいのも事実だ。『死にたくないのではなく、生きていたい』――その違いを語ってくれたバセット少佐の言葉が甦る。

 ならば、今は生存のために苦渋の決断をするしかない。俺は咳ばらいをして、大きく息を吸ってから紙面の文章を朗読し始めた。


         ※


 輸送機がアールスに着いたのは、夕日が鋭く差し込む頃だった。

 俺は渡された原稿を読み上げ、その後、救護室に運び込まれた。意識は明瞭で挙動にも違和感はなかったが、痛みは常について回った。

 救護室では、絆創膏や医療用テープの貼りつけ、それに麻酔を打たれてから傷を縫われるなどの処置を受け、一応痛みは引いた。だが、相当不格好な姿に見えるだろうなと察しはついた。


 そんなことを考えていると、救護室のドアが開いた。入ってきたのは、テレビカメラを担いだ男性とリポーターと思しき女性。不愛想な男性に対し、女性はいかにも作り笑いと分かる明るい表情を浮かべている。あまりにわざとらしかったので、こちらが笑い出しそうになった。やたらと化粧が濃いのも、滑稽に見える。そして胸がでかい。


「はい、こちらAMM輸送機により、国営放送リポーター、メアリー・チャンがお送り致します! 先ほど、武装集団ブルー・ムーンの捕虜となっていたリック・アダムス少尉です! よくぞ無事お帰りになりましたね!」

「あ、は、はあ」


 俺はポカンとしたままそれだけを言った。

 その時、気づいてしまった。カメラマンの男性が、肩からホルスターを提げていることに。俺が下手なことを言ったら、すぐに射殺するつもりなのだろう。ということは、これは生放送ではないわけか。いずれにせよ、俺が生き残るには、常に『YES』と答えていく必要があるのだろう。


「酷い暴行を受けたようですが、大丈夫ですか?」


 大丈夫でないことは一目瞭然であるだろうに。まあ、誰にやられたかを言ってしまってはアウトだろう。俺は『ええ、まあ』と答えるに留めた。


 その後も、くだらないことを散々訊かれた。『恐怖は感じたか』だの、『食事はどんなものだったのか』だのと。俺はほとんど嘘を突き通すことになった。


 十分ほどが経過しただろうか、リポーターは満足気に頷き、カメラの方へと振り返った。


「はい、こちらメアリー・チャンがお送り致しました! 皆さん、今後も戦い続ける兵隊さんたちのために、戦時であることを意識して生活していきましょう! それでは! アディオ~ス!」


 無邪気にカメラに向かって手を振るリポーター。カメラマンは得物を下ろし、にこりともしないで振り返って、さっさと部屋を出ていった。

 残されたのは、俺とリポーターの二人だけ。すると突然、リポーターがきょろきょろとあたりを見回した。


「ど、どうしたんですか?」

「オーケー、この部屋に監視カメラはないみたいね」


 するとリポーターは自分の顎に爪を突き立て、べりべりと顔の皮を削ぎ始めた。


「う、うわっ!」

「そんなに驚かなくていいのよぉ、傷つくわぁ、リックくん」


 ああ、これは仮装だったのか。それも皮膚の上にもう一枚皮を被るようなものだから、大変だったと思うのだが。


「よいしょっと」


 金髪のかつらを外したのを見て、ようやく俺は相手の素性を知った。


「サ、サイス・リトファー中尉……?」

「そうそう! ま、中尉っていうのは肩書きオンリーだけどねぇ」

「何してるんです? こんなところで」


 するとサイスはスッ転ぶように前のめりになった。


「何って、あなたを助けに来たのよぉ!」

「お、俺を?」


 大きく頷くサイス。


「ねぇリックくん。このままじゃ、あなたは政府のプロパガンダにされちゃうわぁ。そんなの嫌でしょう?」

「絶対嫌です!」


 俺はベッドから上半身を起こした。右上腕に鋭い痛みが走ったが、気にしている場合ではない。


「一つ朗報があるの」


 ニヤリ、と蠱惑的な笑みを浮かべながら、サイスは一言述べた。


「クーデター」

「!?」


 俺は自分の耳を疑った。クーデター? 一体どこの誰が? いや、そもそも勝算はあるのか?


「まあまあ、心配はいらないわぁ」

「心配ないって……。AMMは、少なくとも五個小隊残っているんですよ? 首都アールスに! 通常兵器で太刀打ちできる相手では」


『相手ではない』と言おうとした俺の前で、サイスはチッチッチ、と人差し指を振ってみせた。


「誰もAMMを相手にするとは言ってないわぁ。あなたが倒してくれればね」

「は?」


 な、何だって?


「お、俺がAMMを……?」

「だってちょうどいいじゃない。ここに一機、それも最新鋭機があるんだもの」


 それはそうだが。


「じゃあ、俺が新型をパクって脱走するなりなんなりして、首都防衛にあたっているAMMを旧市街地にでも誘導して戦えば……?」


 大きく首肯するサイス。その間に、クーデターで軍上層部を引きずり下ろし、命令系統を切ってAMMたちを無力化する。全機を撃破する必要はないわけか。


「この輸送機内だったら、いくらでも案内できるけどぉ。どうするぅ?」


 俺はぐっと大きく頷いた。


「戦います。戦わせてください」

「オッケー! 歩けるぅ?」

「は、はい」


『それじゃ』と言って背を向けたサイスに、俺は速足でついていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る