戦火を駆けるブルー・ムーン

岩井喬

第1話【第一章】

 あたりは静まり返っている。静かだ。実に静かだ。搭乗時に気になっていた重低音は、既に無意識の範疇にある。これから行われる『作戦』のことを思えば、この静寂は『嵐の前の静けさ』という言葉を思い起こさせた。その慣用句に、俺は一抹の恐怖を覚える。


 この窮屈で、真っ暗な空間。辛うじて自分の上下左右、それに前後が分かる程度の体感。いや、まだ感じられるものはある。額や背中から湧き出る汗だ。俺は緊張感を振り払うべく、ぎゅっと両手を握りしめた。


 ここは静かではあるが、無音ではなかった。重低音の唸りを破って、一定の間隔で身体がガタン、ガタンと揺さぶられる。高度一万メートルを飛行中の大型輸送機の中なのだ。振動を無くせという方が無理な話である。


 その静寂は、突如として破られた。


《目標降下ポイント到達まであと三百秒。全機、降下用意》


 輸送機のパイロットの指示だ。同時に、俺は訓練で習った通りに、各々の方向に手を伸ばした。起動ボタンを押し込むと、前方のメインスクリーンが柔らかな光を投げかけてくる。

 その灯りを頼りに、他のスイッチも入れていく。レバーを倒し、火器管制システムをONに。オートバランサーを始動させ、機体背部のパラシュートとのリンクを確認。同時に、前もって入力しておいた各種スラスターの起動シークエンスに異常がないことを確かめる。

 ピリン、という電子音が続けざまに耳朶を打つ。スクリーンには、腕部が専用グローブに、脚部がフットペダルに、それぞれ接続されたことが示されている。四肢ともに異常はない。


《おい、お前たち!》


 唐突にサブスクリーンが発光し、チームメイトの映像を映し出した。この重苦しい声は隊長のものだ。


《分かっているな? 俺たちは歩兵ではない。戦車の搭乗員でも、航空機のパイロットでもない! 人類史上最初の、AMMをまとった兵士だ! ヘマをやらかして、我らが祖国・ステリア共和国の歴史に泥を塗るんじゃない! 分かったか!》

《了解!》

《了解!》


 次々に復唱する仲間たち。俺は緊張のあまり、一瞬声が詰まった。


《おいリック! リック・アダムス少尉! 復唱はどうした!》

「は、はッ、了解であります!」


 俺は名指しされて、ようやく顔を上げた。

 先ほどから行っていたのは、AMM、対物機動兵器の一連の起動要綱に記されていた流れ。そして、俺はそのパイロットとして初の任務に臨むところだった。


《おやぁ? お坊ちゃんは勢いがないな? 初任務でビビってるのかなぁ?》

《やめろ、馬鹿。俺たちは四人、つまり四機しかいないんだ。士気を下げさせるな》

《へいへい》


 チームメイトにして上官にあたる二人が、軽い言い合いをしている。まったく、気楽に言ってくれるものだと思う。だが、このAMMが敵、すなわち我が国からの分離独立を掲げるゲリラ部隊『ブルー・ムーン』にもたらすインパクトは凄まじいものがあるだろう。

 このAMMは、特殊合金でできた二十メートルの巨人なのだ。そんなものが突然、自分たちのパワー・プラントに降ってきて、破壊の限りを尽くすとは。俺たち以外の人間には想像もつかない光景だろう。


 七頭身の巨人は、対戦車ライフル程度では傷つかない。小火器など、向けられていようがいまいが同じことだ。戦車砲やミサイルは、極力回避するか盾で防御するようにとのお達しだが、飽くまで『極力』。それだけ防弾性に優れているということだろう。それに、この滑らかな挙動をもってすれば防御態勢を取るのも容易い。


《目標降下ポイントに到達。各機、降下開始。繰り返す。降下開始》

《よし、行くぞ! ステリアの技術力を、テロリスト共に見せつけてやれ!》


 今度は皆、揃って復唱した。

 降下する順番は、俺と隊長、それに残り二人ということになっている。後衛が俺と隊長、前衛が残る二人だ。


《遅れるなよ、リック!》


 その掛け声と共に、俺は隊長と並行して宙に躍り出た。身を斬るような風切り音と共に、過ぎ去っていく静寂。轟々と外気が機体を叩く。急に広まった機外の空間を意識し、俺は大きく深呼吸をする。四肢を大きく伸ばし、パラシュートの展開に備える。

 同時に、メインスクリーンは緑一色となった。降下前に合わせたデジタル時計は、午前二時ちょうどを示している。当然ながら、夜間は光学センサー、もとい通常のカメラは意味を為さない。スクリーンが緑色になったのは、光学センサーを赤外線センサーに切り替えたからだ。


《よし、リック! パラシュートを展開しろ!》

「了解!」


 背を上に降下していた俺は、急な減速に身体が引き攣るのを感じた。パラシュートは無事展開されたようだ。現在の高度は八千メートル。高高度からの降下という意味では適切な高さだ。


《第二陣、行きます!》


 その声に、俺はサブスクリーンへと目を遣った。引き帰していく輸送機と、今降下を開始した二機の機体が、それぞれ青いマーカーで表示されている。衝突の危険はないようだ。

 パラシュートの展開を後回しにした第二陣の二機が、俺と隊長の機体を追い越して急速に降りていく。高度六千のところで抜かされた。


 第二陣の二機には、重要な任務がある。後から降りてくる俺と隊長のために、盾となるのだ。降下地点に上手いこと遮蔽物があるとは限らない。それに、着地は二足歩行兵器の最も隙を見せる瞬間だということは、俺たちにも知らされている。

 敵の対空砲火を最小限に留め、後続機、すなわち俺たちのための着地地点を確保する。その任務のため、第二陣には強力な大型の盾が装備されている。


《高度三千! じき見えてくるぞ》


 隊長からの通信。すると、緑色のスクリーン上に敵のパワー・プラントが見えてきた。同時に、先行した第二陣の機体も。


《対空砲火、来ます!》

《予想通りだ。第二陣は防御態勢に移れ。無茶して攻撃に転ずる必要はない》

《了解!》


 ここで、第二陣はパラシュートを切り離し、自由落下体勢へ。敵からの攻撃を知らせるアラームが鳴ったが、そこは第二陣が防いでくれている。


《第二陣、着陸します!》

《了解、俺とリックも合流する。それまでは手出し不要だ。敵の的になっていてくれ》

《はッ!》


 高度一千……五百……三百……今だ!


「パラシュート、切断!」


 ガコン、と機体が軋むような音を立て、再び重力の虜となる。


「姿勢制御、良好! このまま着地します!」

《その調子だ、リック!》


 先ほどとは比べ物にならない速度で、高度が下がっていく。二百……百……五十!


「スラスター噴射!」


 ボウッ、という音と共に、浮遊感が俺を包み込む。それからガツン、と軽く頭を殴打されたかのような感覚。膝の関節を調整し、思いの外緩やかに俺は着地に成功した。


《全機降下完了! 第二陣、その盾を捨てて、攻撃体勢を取れ!》


 今日数回目の復唱の後、第二陣は、自機よりも大きな盾をわきに投げ捨てた。


《火器管制システム、異常なし!》

《同じく!》


 二人に続いて俺も『いつでも攻撃できます!』と叫ぶ。自分に喝を入れるつもりでもあった。


《よし! 全機、全火器の使用を許可! 派手にやれ、散開!》


 俺は機体が手にした百二十ミリ機関砲をプラントに向け、銃撃を開始した。

 ここら先は、作戦会議の通り。第二陣だった二機が左右に展開し、隊長が正面から切り込む。俺は隊長を援護しつつ、ゆっくりと前進する。


《残弾に注意しろよ、リック!》

「了解です!」


 すると、正面から火柱が上がった。パワー・プラントの中枢部に命中したらしい。

 敵の武装は、主に高射砲と対人ロケット砲。念のため、俺は肘から手の甲にかけて装備された防弾パネルをかざした。一瞬、爆風が視界を覆ったが、行動に支障はない。

 俺は頭部に装備された、十ミリバルカン砲を叩き込んだ。そのまま首を巡らすようにして、弾丸をばら撒く。薬莢が足元に落ちていくのに合わせ、敵は薙ぎ払われていった。アスファルトがえぐられて、粉塵が舞う。


「すごい……」


 胸部のコクピット内で、俺は思わず声を漏らしていた。こちらは四機、すなわち四人しかいないのに、これほどの勢いで、一方的に敵基地を制圧できるとは。空爆するよりも繊細かつ直接的な打撃を与えている。隊長の弁ではないが、確かにステリア共和国の技術力は素晴らしい。


 突然、アラームが鳴り響いた。


「後ろか!」


 俺はその場でくるり、と機体を反転させ、低いビルの陰に屈みこんだ。ドンドンドン、と爆発音が連続する。俺は立ち上がって、遮蔽物にしていたビルを跳び越えた。そこにいたのは、次弾装填中の六連装ロケット砲。


「こいつ!」


 俺は着地しながら銃撃。ロケット砲は爆発四散、一瞬で消し飛んだ。


《リック! 無事か!》

「問題ありません!」


 再び響いたアラームに、俺はそちらに向き直りながら腕を胸の前にかざした。腕の動きは、レバーやトリガーではなくグローブで行う。モーション・キャプチャーの技術発展により、コクピット内での腕の動きはダイレクトに機体の動きに反映されるので、自分の腕のように動かすことが可能だ。

 重機関銃を捕捉した俺は、機関砲を構え、銃撃を加えた。

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