第18話
壁に背を預け、自分の願望と関心を吹き飛ばす。どのくらいそうしていたのか分からない。
俺は何度目かのため息をつきながら、顎に手を遣った。すると、ゆっくりと、俯いた俺の視線の先に軍靴が入ってきた。
「君は見ない顔だね」
そう言われて俺は顔を上げた。バセット少佐だった。
俺は慌てて姿勢を正したが、敵とも味方ともつかない人物からの声かけに、どう対応したよいのか分からない。『はあ』と間抜けな音を喉から押し出す。
「私はバセット・カーティン少佐。八年前まで、ブルー・ムーンの司令官を務めていた」
「知ってます。ルナのお父様ですよね」
軽く笑みを浮かべながら、頷く少佐。
ふと、疑問が浮かんだ。
「どうして俺、いえ、自分にお声がけを? この規模の武装集団なら、新入りの戦闘員たちも少なくないと思いますが」
「気になったんだ。君はどうも浮かない顔をしている。彼らとは立場が違うように思えたのでね」
再び『はあ』と応じる俺。すると、俺の戸惑いを察してくれたのだろう、モーテンが会話に混ざってきた。
「少佐、紹介が遅れました。彼はリック・アダムス少尉。政府軍AMMのパイロットで、現在は我々が捕虜にしております」
「ほう」
少佐の目が、楽し気に輝いた。
「捕虜にしては寛大な扱いを受けているようだね」
「当然です。彼がいなければ、今我々がこうしていられるかどうか、怪しいもので」
モーテンの言葉に、少佐は『寝返ってくれたのかね?』と一言。
「あ、いや、寝返ったというか何と言うか……。生きていたいと思っていたら、いろいろ偶然が重なってしまって、ここに居候させていただいてます」
すると、少佐は悪戯っぽく口元を歪めてみせた。
「では少尉、君はどうして生きていたいと思うんだい?」
「え?」
唐突な話題転換に、俺は返答に窮した。
当然『死にたくない』という気分はあるだろう。だが、『生きていたい』というのは、積極的な願望だ。何かをしたくない、というような消極的な心境とは似て非なるもの。無意識のうちにそんな言葉が出たところを鑑みるに、俺には『何かをやり遂げたい』という思いがあるのかもしれない。
俺が唸っていると、少佐は『いやいや、すまない』と快活に笑ってみせた。
「若いうちは特に意識することがないのかもしれないな。忘れてくれ」
「は、はッ」
俺の肩にポンと手を載せながら、去っていく少佐。するとそのすぐ後ろに、ルナが立っていた。いつもの仏頂面を浮かべながら。
「ど、どうしたんだ、ルナ?」
ルナは無言。ただじとっ、とした目で俺を睨んでいる。何故だろう、と考え始めて、すぐに俺は察しがついた。もしかして。
「親父さんの注意を逸らされて怒ってるのか?」
「!」
するとルナは、一瞬で顔を真っ赤にした。
「ちっ、違う! そんなことはない!」
「あれだけ楽しそうにしてたもんな。そりゃ離れたくないと思うわな」
「だから、そういうわけじゃ……」
「八年も経ってたら、ずっと一緒にいたいと思うもんだよな」
「黙れ!」
「ひっ!」
目にも留まらぬ速さでルナはナイフを抜刀、俺の喉仏に突きつけた。
ここに至って、ようやく俺は、ルナが狼狽し、激昂した理由が分かった。ルナは純粋に、両親に甘えていたかったのだ。そして、プライドの高さからそれを指摘されたくなかった。
納得半分、恐怖半分で、俺は『お、落ち着けルナ!』と蚊の鳴くような声を絞り出した。救いを求めて周囲に視線を巡らせるが、ガルドはリフィアと話し込んでいるし、モーテンに至っては、ニヤニヤしながらこちらを見つめていた。
「わ、悪かったよルナ、だから、い、命だけは……」
すっと血の気を引かせたルナは、冷えきった目でこちらを睨みながらナイフを仕舞った。
「分かればいいんだよ、分かれば」
くるりと背を向けたルナを見ながら、俺は自分の首を擦る。出血はなかったが、皮は斬られていた。俺が一人、青白くなったのは言うまでもない。
※
「いやー、食った食った!」
「こんなに豪勢な食事は久方ぶりです!」
「少佐が生きていらしたんだ、そのくらいいいだろう」
確かに料理は美味そう『だった』。過去形なのは、俺自身は食べなかったからであり、何故食べなかったのかといえば、生きた心地がしなかったからだ。
しかし、それは不幸中の幸いだった。空腹故に、緊張感が緩みきらなかったのだ。だからこそだろう、壁越しに殺気を感じたのは。
「全員伏せろ!!」
俺は叫んだ。同時に、片方の壁が付近の戦闘員と共に吹っ飛ぶ。さらに電灯が消え、手榴弾が投げ込まれる。
「敵襲! 敵襲だぞ!」
状況を見極めたのか、少佐もまた声を上げる。
「おいリック、これはどういうことだ!?」
近くにいたガルドが、俺に馬乗りになるようにして圧し掛かってきた。
「貴様、スパイだったのか!?」
「違う! ただのパイロットだ!」
「戯言を抜かせ! だったら何故ここの位置が分かるんだ!?」
首を絞める勢いで、俺の襟元を押さえつけるガルド。
その時、はっとした。
「そんな……!」
まさか。いや、しかしそうとしか考えられない。
「バイタルサインを探知されたんだ!」
「何だと?」
「俺たち政府軍の兵士は、皆身体のどこかに小型チップを埋め込まれている。生死を確かめるためだ。もしかしたら、俺のチップからバイタルサインが出て、それを解析されたのかもしれない!」
待てよ。だったらどうして、俺は今まで野放しにされていたのだろう? もしかしたら、AMMでの制圧が困難な密林の基地を捕捉するためか。
「非戦闘員は地下壕へ! 戦闘員は各自、迎撃態勢を取れ!」
少佐の声が響く。だが、その頃には既に敵は侵入を開始していた。狭い空間だ。これでは一気に制圧されてしまう。
そこまで考えて、俺はガルドを引っ張り倒した。
「いつまで人の上に乗ってるんだ! これじゃ撃たれるぞ!」
だが、ガルドは俺に気をかけてはいなかった。
「リフィア? リフィアはどこだ!?」
俺はぐるり、と身体を半回転させて、ガルドを床に押さえつけた。
「お前は実戦を知らなすぎるぞ、ガルド! 俺がリフィアの安全を確保するから、お前は地下壕に先に行け!」
「だ、だが!」
「急げってんだよ!」
ガルドに噛みつかんばかりの勢いで叫ぶ。するとようやくガルドは納得したのか、『た、頼む!』とだけ言って駆け出した。
俺はホルスターに手を遣ろうとして、はっとした。俺は捕虜だ。武器など全て取り上げられている。俺も逃げるしかないのだろうか?
その頃には、既に敵は侵入を開始していた。爆破された壁面から次々と歩み入ってくる。やがて地上階は、白兵戦の様相を呈し始めた。銃声がこれでもかと反響し、マズルフラッシュが室内の闇を暴き出す。銃剣同士がぶつかり合い、火花を散らし、その先で肉が突かれる生々しい音を立てる。
俺が先に考えたのは、逃げることより戦うことだった。何か武器はないか? 武器は。
匍匐前進で後退しながら、俺は左右に目を走らせた。その時、カツン、とブーツの先に何かが接触した。この感覚は金属製のもの。現状では銃器だ。俺は慌てて腕を伸ばし、その自動小銃を引っ張り寄せた。既に銃剣が取り付けられてる。
弾倉に弾丸が残っていることを確認し、三点バーストに設定、初弾を装填した。
まさか政府軍と戦うことになるとは、皮肉なものだ。あれだけ訓練を受けていたのに。だが、少佐の言葉ではないが俺は『生きていたい』のだ。戦わなければ。危険には抵抗しなければ。
俺は短いスパンで銃撃を始めた。政府軍兵士たちの足を狙い、パタタッ、パタタッ、と短く連射する。だが、弾丸はすぐに尽きた。
「チッ!」
こうなったら、俺も銃剣で突撃せねばなるまい。膝立ちになり、腰だめに構えた。
「ふっ!」
転がるように飛び込んできた兵士の腹部に一突き。口から漏れた血を被る格好になってしまったが、それどころではない。俺はその兵士を盾に使い、銃撃をかわしながら接近、刺突。それを数回繰り返した時、
「リック、退け!」
という甲高い声がした。ルナだ。
俺は盾にしていた兵士を突き飛ばし、その場にしゃがみ込んだ。すると、俺の髪を数本散らしながら、凄まじい風圧が空を斬った。ルナが件の大剣を振り回し、敵に突撃したのだ。
まさかこれを使うとは思いもしなかった。しかし、ルナは熟達した手腕を振るい、場の狭さを感じさせない、ダイナミックな戦闘を展開した。
一振りするごとに、敵の兵士の首や胴体が切り分けられ、血飛沫が飛び交う。その紅色までもが、弾き飛ばされていくような勢いだ。敵は撤退行動を始める。深追いをせず、その場で伏せるルナ。
その時、俺は気づいた。上半身だけになった兵士が、拳銃を握った手を持ち上げようとしているのを。
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