第13話
※
微かな足音に、俺は目を覚ました。続いてひそひそ声が聞こえてくる。
「ガルド、リフィアは寝かしつけたか?」
「ああ、大丈夫だよモーテン。しばらくは目覚めない。いつものことだ。それより」
「なんだ?」
「リックに見せるつもりじゃないだろうな?」
「まさか」
モーテンが余計に声を低めた。
「リック少尉はまだ若い。現実として受け入れるには、あまりに残酷だろう。彼にとっても、『彼ら』にとっても」
「そうだな」
やがて、足音と声は聞こえなくなっていった。
「ん……」
俺は微かに呻いた。首筋に軽い、虫に刺されたような痛みがある。って、ちょっと待てよ。
「うわあ!」
慌てて上半身を起こした。寝かされていたからだ。きっと首筋の痛みは、鎮静剤か何かを注射されたことの証左だろう。咄嗟にうなじに手を当てる。炎症や化膿は起きていないようだ。
しかし。
どうして俺は気を失っていたんだ? いや、気絶させられていたんだ? 俺はブルー・ムーンに協力したのだ。最初にルナに気絶させられた時とは状況が違う。彼らに対し、敵対行動をとるつもりがないことは、モーテンを始めとした面々が承知しているはず。
それなのに、軍用輸送車に乗り込んだところから先の記憶がないのは一体何事か。
「随分早いお目覚めだな、リック」
「どわっ! って、あんたか」
声をかけてきたのは、ルナだった。未だに俺の監視役を続けているらしい。
「今、何時だ? 俺はどのくらい眠ってたんだ?」
「ざっと十二時間。今は十六時二十三分。というわけで」
何? 『というわけで』って、どういう意味だ?
「もう少し眠っていてもらおうか」
すると、ルナは目にも留まらぬ速さで腰元からナイフを引き抜いた。対人戦用の、小振りなナイフだ。
しかし、俺に向けてきたのは飽くまで柄の部分。そこで殴って俺を気絶させるつもりなのだろう。ゆっくりと立ち上がり、歩を進めてくるルナ。だが、先ほどのガルドとモーテンの会話を思い出せば、俺もただ耳を塞いでいるわけにはいかない。
戦わなければ。お互い怪我をしない程度に。
と言っても、ルナの戦闘能力が突出しているのは紛れもない事実だ。新兵の俺では勝てはしまい。真正面から勝負すれば。
「ま、待て待て待て! 俺が何も見聞きしていなければいいんだろう? じっとしてるよ! だからもう気絶させるのは……」
無言で迫ってくるルナ。素直に座り込む俺。と、見せかけて。
「でやっ!」
俺は思いっきり、床の絨毯を引っ張り上げた。
「くっ!」
俺を相手にして、完全に油断していたのだろう。ルナはバランスを崩した。防寒用の絨毯が敷かれていたのが幸いした。
俺は向こう側に転倒するルナに向かい、拳を握る。腹部にアッパーを喰らわせようとしたのだ。が、ルナは後退してそれを回避。しかしたたらを踏んで、すぐに対応できずにいる。そこに一歩、俺は大きく踏み込んだ。が。
「うあ!?」
俺も転倒した。前方へ、ルナを押し倒すような格好で。
俺は、左手でルナの右手を押さえていた。ナイフを使えないようにと。だが、問題は俺の右手だった。
俄かに信じられなかった。おいおい右手よ。どうしてお前は、ルナの左胸を鷲掴みにしているんだ?
一体何が起こっているのか、ルナは困惑した様子。目線が彷徨う。
「あー……、あの、ルナ、さん?」
ぱっと離れることができればよかったのだろう。だが、俺も衝撃を受けて動けない。
やがて、ルナと俺の目が合った。はっ、と短く息を吸うルナ。見る見るうちに、頬に赤みが差していく。そして、
「どけよ!!」
「ひっ!」
俺は思いっきりふっ飛ばされた。膝を思いっきり屈伸させたルナは、バネのように足を跳ね上げて俺の腹部を蹴飛ばしたのだ。
「ぐふっ!」
肺から強制的に空気が押し出され、息が詰まる。尻餅をついた俺の前で仁王立ちになったルナは、不似合いな甲高い声で喚きたてた。
「どさくさに紛れてなにすんのよ! この変態! ケダモノ! 鬼畜以下!」
「わあぁあ! い、命だけは勘弁してくれ!」
「おい、どうしたんだ?」
扉の向こうから、ガルドの訝し気な声がする。
「入るぞ」
ガチャリ、と扉が開けられた。
「どうしたんだ、ルナ?」
「こ、こいつ! 私の胸――」
と言いかけて、ルナは黙り込んだ。流石に今の状況を説明するのは、羞恥心ゆえに困難だろう。
「って、リック!」
「は、はい!?」
今度は、ガルドは視線を俺に合わせた。
「君、どうして起きているんだ? まだ鎮静剤が効いているはずなのに!」
『そ、それは……』と言いかけて、俺は気づいてしまった。ぶるぶるとかぶりを振って、脳みそを再起動させる。
「やっぱり、俺は意図的に気絶させられていたんだな? なんのためだ? これから何かマズいことでもやらかそうってのか?」
「きっ、君には関係のないことだ!」
ガルドは狼狽を隠せていない。
「ルナ、彼をちゃんと見張っていろ!」
「り、了解」
落ち着きを取り戻したのか、ルナは冷たい声音で復唱する。俺も素直に座り込もうとした。
いや、ちょっと待て。何が行われるのか、俺はそれを見届けるべきではないのか? モーテンは、ステリア共和国の闇の部分を見せてくれた。であれば、ブルー・ムーンもまた裏で何をしているのか、それも俺は知っておいた方がいいのではないか?
俺はルナたちに背を向け、部屋の窓に駆け寄った。
「おいリック! 何をしている!?」
ガルドの言葉を無視。幸いにも、窓は鍵が開いていた。
敏捷性なら、ルナにも負けない自信がある。俺はがらりと窓を引き開け、外へと飛び出した。ルナに足を掴まれかけたが、軽く蹴飛ばすように振り払う。銃声が轟いたのは、ちょうど俺が足を着いた時だった。
「まさか……!」
嫌な予感と共に、俺は駆け出した。この基地の構造は分からなかったが、とにかく銃声のした方へ。
いくつもの扉を抜け、砂だらけの中庭を突破して、とにかく走る。やがて、もう一発の銃声が響いた。急がなければ。
二発目の銃声を耳にしたことで、俺は正確に、発砲された距離と包囲を割り出した。
「ここか!」
勢いよく扉を開けると、中庭に出た。そして、そこに展開されている光景を見て、半分驚き、半分確信を得た。
「おいお前ら! 何をしている! すぐに処刑を中止しろ!」
そこにいる全員の目が、俺に集中する。ビデオカメラを手にした戦闘員が一人。自動小銃を構えた戦闘員が四人。そして目隠しと猿轡をされ、後ろ手に手首をロープで括られた第三小隊の兵士が四人。加えてモーテンがそこにいた。
間に合った。パイロットたちは、まだ撃たれてはいない。
「リック少尉? 寝ていたんじゃないのか?」
「寝ていられるもんか!」
俺は敬意も何もかなぐり捨てて、モーテンに詰め寄った。
「どうしてこんなことをする!? 彼らは俺同様に、降伏した敗残兵だぞ! 戦いを諦めた人間なんだ! 殺さなくたって」
と言いかけた時、言葉が途切れた。後頭部を強打されたのだ。
「がッ!」
「ルナ、手荒な真似はよせ!」
そうか、俺はルナに追いつかれたのか。そう思う間に、地面がどんどん迫ってくる。膝を着き、しかし腕を立てられないまま、俺は無様にぶっ倒れた。
記憶が飛ぶ直前に聞こえてきたのは、情け容赦ない銃声と、くぐもった悲鳴だった。
※
まったく、何度俺を気絶させれば、こいつらは気が済むのか。そんなことを考えつつ、俺はゆっくりと目を開けた。
寝かされていたのは、先ほどルナと一悶着あった件の部屋。だが、既に外は薄暗く、そして騒がしい。何かあったのか?
俺は手錠がされていないのを確認してから、ゆっくりと身を起こした。
「あらぁ、お目覚め?」
「うわ!」
気がついた時に驚いてばかりいる俺も成長がないな。と言っても、今まで聞いたことのない声で、面識のない人間に突然声をかけられては、驚かない方が不自然だろう。
取り敢えず、反射的に声の主の方を見た俺は、ポカンと口を開けた。そこにいたのは、防弾ベストに身を包み、それでも抜群のスタイルを隠しきれていない、艶っぽい女性だった。
ポニーテールにまとめられた髪に、明るいグレーの瞳。やや低めの、アルトの声音。明らかにルナとは別人だ。
「あの、あなたは……?」
「あら、自己紹介がまだだったわね」
俺が布団から身を起こすと、その女性は膝を折って俺と目線の高さを合わせた。なんだか、それだけでドキドキさせられてしまう。っていうか、防弾ベストの上からでも胸の谷間が見える、ってどんだけだよ。
「あたしはサイス・リトファー。政府軍中尉。っていうのは建前で、本当はスパイよ。ブルー・ムーンのね」
「は、はあ」
そうか。彼女が『密偵』だったのか。
「若い人が頑張ってくれたっていうので、挨拶にと思ってきたら、あなた気絶してるんだもの。何事かと驚いたわよ」
「そ、そうですか」
すると、サイスは俺の鼻先を指で突きながら、
「ひっ!?」
「残念だけど、今はゆっくりお話していられないのよ。逃げないとね」
「逃げる?」
「ええ。政府軍にこの基地の場所がバレたの。空爆してくるみたいだから、私やルナたちでは太刀打ちできないわ。あなたも支度なさいな」
そう言ってサイスは立ち上がり、腰にホルスターを結びつけて部屋を出ていった。
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