第7話
「これは……」
俺は驚きを禁じ得なかった。俺がついていった先には、ご馳走がずらりと並んでいたからだ。
裸電球が天井からいくつも吊るされ、淡い光を投げかけている。横長の造りで、手狭だが十名ほどは座れるだろう。
「ど、どこでこんな食糧を?」
「軍の輸送トラックを襲っているのさ」
そう答えたのは、浅黒い顔に深い皺を刻んだ巨木のような男性だった。こちらに右の横顔を向けている。
「俺はハイリヒッド・モーテン。ブルー・ムーンの前線指揮官だ」
「あ、ど、どうも」
差し出された手を握ろうとして、俺は思わず引いてしまった。こちらに向き直った男性、モーテンには大きな傷があったのだ。顔の左側、ちょうど上下に目を両断するように、皮膚が縦にミミズ腫れを起こしている。
「ああ、これか? 八年前だ。ステリア政府軍との戦闘でな」
歪に唇の端を持ち上げるモーテン。傷をなぞりながら、『昔はいい男だったんだが』と、壮年の男らしいことを言う。
「そうか、戦闘で……」
昨日と今日しか戦闘経験のない俺には、想像できない話だった。って、ちょっと待てよ。
「軍のトラックを襲った、って言いましたね?」
「ん、ああ」
思わず敬語になってしまう俺と、朗らかに答えるモーテン。
「軍用品とは言え、トラックの輸送班は民間企業を雇っています! 彼らを殺してまで食糧を!?」
「殺しちゃいない!」
再び甲高い声が響き渡った。モーテンの陰になっていた、ルナの声だ。
「発煙弾と非殺傷弾でトラックを奪ったんだ! 死傷者は出ていない!」
「嘘つけ! 国営放送で聞いたぞ、テロリスト共は輸送班を皆殺しにして、食糧や軍用品を奪ってるって!」
「だから、さっき言っただろう? 政府なんて信用できない! 自分たちの利益のために、自国民を平気で殺すんだからな! テロだ事故だと誤魔化して!」
「だから、証拠を見せてみろって言ってるだろうが!」
「そ、それは……」
返答に窮するルナ。
「俺のことも、始めは厚遇しておいて、油断したところを殺すつもりなんだろう? だったら今やれ! いや、戦場でやっておくべきだった! 殺したきゃ潔く殺せ!」
「まあまあ、そのへんにしておいてくれ、リック少尉。我々に君を殺すつもりはない」
モーテンが身を乗り出して、俺とルナの間に割って入る。
「で、でも、それなら輸送班の皆はどうしたんです? やっぱり殺すしかなかったんじゃないですか?」
すると、モーテンは冷たいため息をついた。
「我々は殺していない。だが、彼らが命を落としたのは確かだ」
「どういう意味です?」
「輸送班を解放するのはいい。しかしその後、彼らは政府軍に残らず殺されてしまっているんだ」
「えっ、は、はあ……?」
俺は開いた口が塞がらなくなった。
「そ、それこそ何を証拠に言ってるんです?」
「リック少尉には、後で証拠映像を見せてあげよう。食事前に見るようなものじゃないのでね」
「……分かりました」
そこまで言うなら、見せてもらうしかあるまい。俺が肩を上下させると、ふと違和感を覚えた。俺のそばにいたのはルナ。彼女が着ているシャツの袖を、リフィアが引いている。この年頃で『死んだ』だの『殺した』だのと、物騒な会話は聞くに堪えないのだろう。
俺は屈みこみ、リフィアと目を合わせた。
「ごめんよ、リフィア。もうこんな話はしないから」
「本当に、人質さん?」
「ああ」
大きく頷き、ぽんぽんと頭を叩く。するとリフィアはふぅ、と息をつき、しかしまだ心配げな様子で頷き返してきた。
俺は深い後悔の念に囚われた。俺はここから脱出するために、リフィアを人質に使おうとしていたのだ。なんて卑怯なことを考えていたのだろう。
手錠が外された今、ここで彼女を抱え込んでしまえばどうにかなるはず。だが、そんなことがどうしてできようか。
ここにいるブルー・ムーンの面々の狙いは分からない。しかし、俺を敵対視しているわけではなさそうだ。それに、捕虜の扱いとは思えないような厚遇。さらには、ステリア共和国の影の部分を開示しようという姿勢。
もう少し、ここにいてみようか。まあ、『どんな手段を使ってもルナからは逃げきれない』という思いもあったのだが。先ほどのナイフ捌きを見れば、きっと誰だってそう思う。
すると、テーブルを挟んだ反対側の扉が開き、先ほどの金髪長身の青年が入ってきた。確かガルド、と呼ばれていたか。
周囲に緊張の気配が走るのを、俺は肌で感じた。穏やかな雰囲気を保っているのは、モーテンくらいのものだ。
「皆、着席してくれ」
明瞭な口調で促す。すると皆は、ゴトゴトと音を立てて腰を下ろした。
「人質はそこだ」
顎をしゃくってみせるガルド。灯りの元で見ると、ガルドもまだまだ若い。二十歳くらいだろうか。
「おい人質! 聞こえているのか!」
「ああ、聞こえてるよ」
俺は手をひらひらさせて、指定された席に座った。わざとおどけた風を装って、相手がキレるか否かを確かめようと試みる。この程度でキレていたら、随分器の小さい人間だと言えるだろう。
だが、ガルドはふん、と鼻を鳴らすに留めた。若いながらも冷静さ、頭脳の明晰さを感じさせる。
その時、俺の背後を何かが掠めた。
「お兄ちゃん!」
リフィアだった。緊張感が途切れるのを待って、ガルドの元へと駆け寄ったのだ。長テーブルをぐるりと回り込む。並んでいるところを見ると、確かに二人の雰囲気はよく似ている。彼らは実の兄と妹なのか。
「さあさあ、人質だからといって遠慮は要らん。たらふく食べてくれ」
「は、はい」
モーテンに促され、俺は手近にあったサラダから手をつける。すると、『う、美味い』という声が自然と湧いてきた。
「だろう? 今は何も考えなくていい。腹が減っては戦はできぬ、だ。まあ、捕虜である君に敵も味方もないだろうが」
「はあ」
よく分かるような、分からないような助言だ。緊張感を和らげてくれたことには感謝しなければならないが。
食事を終えた頃には、随分と時間が経っていた。腕時計は没収されていたので、当てにしていたのは向かいの壁掛け時計。午後十時を回っている。
「さ、リフィア。お前はもう寝なさい」
やけに優しいガルドの声に、リフィアは
「うん。おやすみなさい」
と素直に従った。ぺこり、と深くお辞儀をしながら、食堂を後にする。
「いつもはゴネるんだがね」
モーテンが俺に耳打ちした。
「俺のせい……ですか」
「うむ。リフィアは、君には懐いているようだが、先ほどの会話を聞いていたからな。暴力的な会話は耳にしたくないんだろう」
「ああ、僕もそう思う」
口出ししてきたのはガルドだった。
「ルナ、リフィアが寝つくまでそばにいてやってくれ」
「了解」
頷いて、リフィアの後をゆっくり歩いていくルナ。彼女の退室と共に、ガルドは立ち上がった。
「こっちだ、人質」
「あ、ああ」
再び顎で指示される。きっとガルドは、俺を嫌っているのだろう。『何故こいつを生かしたのか』と、ルナに迫っていたし。まあ、殺されないらしいということが分かっただけで良しとするか。
俺はガルドに従って、一度屋外に出た。渡り廊下からは、真ん丸に近い月が見える。しばし、俺たちは月に照らされながら、ひんやりとした空気の中を歩いていった。
「実戦経験はどれほどだ? 人質」
「悪い。俺にはリックって名前があるんだが」
「身を弁えろ。お前は今、虜囚の身だぞ」
「はいはい、分かりましたよ」
俺は素直に答えることにした。
「歩兵の経験はない。AMMのパイロットとして、昨日の未明に出撃して以来、今日で二日目だ」
「どうだ? 僕の部下たちを殺した気分は」
おや、意外とお喋りだな。
「俺は自分と仲間を守るために、最善を尽くしただけだ。気分なんてものは、心に入ってこない」
「貴様、ロボットか?」
「まさか」
一体なんの冗談のつもりなのか。ガルドは鼻息を鳴らしながら、
「ロボットだろうが人間だろうが、映像を観てもらえば分かるさ。この国が裏でいったい何をしているのか」
と言って別の建物に入っていった。
「モーテン、準備は?」
「ああ」
この建物は、全体が一室になっていた。さほど広くはなく、古臭いブラウン管のテレビと、映像媒体の再生機器が置かれている。
「立体映像が出せなくて申し訳ないがね」
そう言って、モーテンはテレビの前から退いた。そのままリモコンの再生ボタンを押し込む。映像は、赤外線カメラで捉えられたものらしく、緑色に染まっていた。
荒野が映っている。夜間のようだ。画面中央を、未舗装の道路が走っている。するとすぐに、画面右からトラックが走ってきた。荷台には何も描かれていない。輸送車であることを隠すためか。
突然、轟音と共に白い煙が上がった。非殺傷タイプの発煙型手榴弾が使われたようだ。
すると、カメラが唐突に動き出した。揺れ方からして、ヘルメットに装着されたカメラのようだ。
《全員動くな! トラックから降りろ!》
ほぼ同時に、けたたましい銃声が響き渡った。非殺傷弾だから、発砲に躊躇いがないのだろう。慌てて飛び出してくる運転手たち。各々がライフルを握っているが、まともに狙いもつけられないでいる。
これから先がどうなるのか、俺は唾を飲んで画面を見つめた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます