第3話

 輸送機内の仮眠室は、天井から裸電球が一本吊り下げられた薄暗いところだった。二段ベッドが二組、部屋の両脇に配され、入り口の正面には窓がある。埃を払うのもそこそこに、俺は片方のベッドの下段に腰を下ろし、頭を抱えた。


 頭痛がするわけでも、不快な思いをしているわけでもない。ただ単純に、俺の行為は正しかったのか、それについて考え込んでいたのだ。戦闘行為、要は人殺しが正当化されるものかどうか。


 いつの間にか、俺は深い思索の海へと跳び込んでいた。


         ※


 俺が三歳の時、戦争が始まる七年前、両親は事故で命を落とした。単なる交通事故だ。安全装置を過信したがための、不注意による単純極まりない事故。他人を巻き込まなかったのは不幸中の幸いだろう。


 両親を喪っていながら『不幸中の幸い』などと言うのは、一見薄情に思われるかもしれない。だが、俺には両親と過ごした記憶がほとんど残っていないのだ。

 周囲の人間は俺を憐れんでくれた。しかし、何故彼らが複雑な笑みを俺に向けていたのか、当時の俺は、それをまったく理解できていなかった。もしかしたら今も。


 俺は伯父夫婦の元へと引き取られ、何不自由なく育てられた。だが、なまじ悲しみが湧いてこなかったがゆえに、人が死ぬ、ということに対して、随分と鈍感になってしまっていたようだ。

 学業もぱっとしなかった俺は、十五歳までの義務教育期間を終えてから、すぐに軍に志願した。その頃には、ブルー・ムーンが引き起こしたとされるテロ事件が続発していた。


 ステリア共和国が攻撃を受けている。その事実は、今まで人間の死というものに恐怖を覚えたことがなかった俺に、強烈な正義感と使命感とを叩きつけた。

 それから、俺は前線に立つ兵士となることを目標とした。そして、義務教育期間中から軍事訓練に参加し始めた。全体の士気は極めて高く、『若すぎる』という理由で馬鹿にはされない。逆に、愛国心を象徴する若き兵士として、優遇された節もある。


 基礎訓練が終わったのは、ちょうど義務教育を終えた頃。すぐに戦線に出てもよかったが、当時の教官に引き留められた。


『お前には才能がある。士官を目指して、もう少し勉強してみないか』


 だそうだ。

 確かに、義務教育での勉強よりも、軍事的分野の研究や作戦立案の方が俺には向いていた。

 それを自覚したのは、士官学校に入って最初の演習が実施された時だ。俺は四名の部下を率い、敵地を制圧するという演習で、華々しい戦果を挙げた。

 たまたまその四名が優秀だったのかもしれない。だが、自分の身体を鍛えていてよかった、と思う部分も少なからずある。ペイント弾での模擬戦とはいえ、実銃を振り回していたのだ。当時、子供の俺にそんなものが扱いきれるとは、誰も想像していなかっただろう。


 AMMのパイロットに推されたのは、三ヶ月ほど前だ。運動能力、知能指数、その他適正を測られ、選抜されていたらしい。

 当時はAMMは極秘の存在だったから、初めてその姿を見た時は呆気に取られた。と同時に、これが自分の手足となって戦線に立つ姿を想像して武者震いしたのは、一生記憶に残る出来事だと言えるだろう。


 その時に受けた説明としては、次のようなものだ。


 AMMとは、Anti-Material-Mobileの略称であること。

 敵味方の判別が難しい現場で判断が早まること。

 人間に近いフォルムを有することで、攻撃・防御のそれぞれの体勢を取りやすくなったこと。


 などなど。

 そうして、ようやく俺は前線に出られたわけだ。が、どこか心理的な引っ掛かりを感じる。

 まともに人の死というものを意識してこなかった俺に、他人の命を奪う権利があるのだろうか。俺は自分で自分を、勝手に正義漢だと思っているだけではないか。


「分からねぇな」

「何が分からないって?」


 俺がはっと顔を上げると、隊長が神妙な面持ちで俺を見下ろしていた。


「た、隊長、自分は、その」

「大丈夫だ。お前はよくやっている」


 ポン、と俺の肩を叩く隊長。


「今は休め。戦場から帰って、『あの時こうしていれば』と考える時間は嫌というほどある。ひとまず休むんだ」

「はい」


 俺は隊長から目を逸らし、声というより息だけでそう言った。隊長はふっと軽いため息をつきながら、


「何かあったら相談に乗るからな」


 と言って、仮眠室を出ていった。隊長こそ休まなくてもいいのだろうか? いや、俺だけ休んでもいいのだろうか? 罪悪感に囚われつつも、隊長の指示だから、と自分を納得させ、ベッドに潜り込んだ。


 目を覚ました時、輸送機は既にステリア共和国の首都・アールスの軍飛行場に着陸するところだった。というより、着陸に伴う振動で目を覚ました、と言った方が正しい。


「おい、リック! って、起きてたか」

「はッ、失礼しま……いてっ!」


 仮眠室に入ってきた隊長の前に立とうとして、俺は思いっきり頭部をベッドの上段にぶつけた。隊長は手をひらひらさせ、慌てるなと一言。


「二時間後、我々は軍事パレードに出席する。AMMも一緒だ。顔でも洗って、準備しろ」

「りょ、了解!」


 よく見れば、隊長はすでに無精髭を剃った後らしく、正装もしていた。指揮官は大変だな、と、未だぼんやりした頭の片隅で俺は思った。ちょうど朝日が差し込み、仮眠室は鮮やかな橙色に染められる。そうか、もう四時間ほども眠っていたのか。

 

「もう基地に着くから、それから準備しても構わん。焦らなくていいからな」


 隊長の気遣いに、俺は今度こそ敬礼して、短く復唱した。


         ※


《さあ、ではご登場いただきましょう! 我が国が誇る最新兵器! そして、ブルー・ムーンの拠点を一夜にして制圧した英雄たち! どうぞ!》


 耳を聾する爆音と共に、目の前がさっと明るくなった。アールス市内の軍事基地のドームが開く。修繕されたAMMのコクピット内で、俺は周囲を見渡した。

 基地内の飛行場は、とにかく人で溢れ返っていた。多くの人々が、俺たちに笑顔を向けて手を振り、国旗を振り回したり称賛の声を上げたりしている。

 ドームの影から、先頭の隊長機が姿を現すと、歓声はよりその音の厚みを増した。今回のしんがりは俺だ。


 隊長を始め、パイロットたちの名前が呼ばれていく。


《最後に、若くしてパイロットとなり、見事なサポートを務めたリック・アダムス少尉!》


 ゆっくりと歩み出す俺。熱を帯びる市民たち。誰も彼もが、称賛とも感謝ともつかない、しかし明るい笑顔と歓声を浴びせかけてくる。あまりこういう場に慣れていなかった俺は、コクピット内で俯き、赤面してしまった。


 しかし、その時脳裏をよぎったのは、未明の戦闘で目に入ったテロリストたちの表情だった。誰もが必死に、俺たちを殺そうとしていた。だが、今俺たちを取り囲んでいる人々はどうか。大人数で俺たちに注目しているとはいえ、その顔には溢れんばかりの笑みが浮かんでいる。


 敵か味方か。それだけで、これほど俺たちへの感情が違うという当たり前の事実に、俺は釈然としないものを覚えた。敵だって、考え方の相違こそあれ、人間には変わりないのだ。

 俺は、それを殺した。しかし今は、その同じ人間に褒め称えられている。殺すべきであるテロリストたちとは反対に、守るべきである一般市民によって。

 何かの文献で読んだ一節が、ふっと意識に浮かんできた。


『正義の反対語は、悪ではなく、もう一つの正義である』


 テロリストたちにも、己の正義があったということだろうか。それとも俺と同じように、ただ根無し草のように生きてきて、テロリストに身を落としたのだろうか。

 いやそもそも、彼らは自分たちをテロリストだとは思っていないのかもしれない。だとしたら、未明の俺たちによるパワー・プラント強襲の方が、よほどテロ攻撃に近いのではないか。


 などなど考えていると、俺だけがこの国の人々の中で、取り残されていくような錯覚に襲われた。正義とは、一体なんだ?


 その日の午後も、イベント尽くしだった。首相から表彰され、防衛大臣から労いの言葉をかけられ、戦死者遺族からは『よくぞ家族の仇を討ってくれた』と涙ながらに抱き着かれ。

 そんなことをしている間に、『自分はやはり正しいことをしたのだ』という感覚と、『理由はどうあれ殺人を犯した』という事象との間で、葛藤は強まるばかりだった。


 俺の若さゆえの悩みなのだろうか。だとしたら、このまま戦い続ければ解決・納得するのだろうか。そもそも、こんなことで悩んでいるのは俺ぐらいのものなのではないか。

 両親が生きていたら、今のような俺を褒めてくれただろうか。

 やはり、今すぐ答えを出せ、というのは、我ながら無理難題であるらしいとしか言いようがなかった。

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