第03話 至高なる粗塩

 女の子のいる中でという、何の辱めかと言いたくなるハードルの高い着替えを済ませた海斗は、手早く朝食を作り、慌ただしく学校へ向かった。


『急いでるみたいだけど、もしかして遅刻寸前?』

「いや、学校には間に合うんだけどな」


 急いだ様子の海斗にミサキが尋ねる。腕時計を見て時間を確認すると、海斗はとある十字路で立ち止まり、息をついた。


「よし、何とか間に合った」

『待ち合わせ?』

「ああ。美波みなみたちといつも一緒に通学してるんだ」

『「たち」ってことは、もう一人の幼馴染も一緒ってことね』

「まあな」

『どっちが海斗の本命かわかるのね』

「……お前、まだ言ってるのか」


 海斗は呆れてため息を吐く。


「そもそも俺がどう思っていても、相手も同じ気持ちじゃなくちゃ意味ないだろ?」

『まあ、それはそうなんだけど……ほら、私もそういうのに興味を持つ年頃と言うか』

「あれ、少しは記憶が戻ったのか?」


 異性関係に興味津々な所や言葉遣いから推察すると、ミサキは海斗とそう年齢は離れていないのではないだろうか。そんなことを彼も考えていた。


『うーん……断片的な言葉しか浮かばないの。そもそも海斗に名前を聞かれて答えた「ミサキ」だって、本当に自分の名前なのか自信が持てないし』

「ミサキか……」


 海斗は何か引っかかるものを感じた。どこかで「ミサキ」と言う言葉を聞いたことがあるような気がしたのだ。


「ちょっと検索してみるか」


 スマートフォンを取り出してブラウザを立ち上げる。

「ミサキ」と打ち込んで検索してみると、たくさんの候補が出て来るが、その多くは企業や商店名、アニメキャラクターの名前などだ。


「他に何か用語を加えないとダメか。これじゃ多すぎる」

『うーん……』

「何してるの、カイくん?」


 何か追加するキーワードがないかと考えていると、海斗に声をかけて来る女の子があった。


「おっはー」

「よう、美波」


 肩まである長い髪をふわりと揺らしながら、神崎美波かんざきみなみはひらひらと手を振って海斗の下へと小走りに近づいて来た。


「朝の雷凄かったよねー。びっくりして起きちゃった」

「……ああ」


 思わず遠い目をする。まさか自分の家に、それも自分の部屋に落ちたとは言えない。そしてその直後から謎の少女に憑りつかれていることなど。


『ふーん、「カイくん」ね。親しそうな呼び方じゃない』


 だが、当の謎の少女ミサキはのん気に、海斗を親しげに呼んだ美波に興味津々だった。


「小さい頃から変わってないだけだ。特に意味はないぞ」

「ん、なに?」

「いや……いい加減その呼び方、子供っぽいから変えないかと思って」

「えー」


 あからさまに美波が不満げな声を漏らした。


「だって、御琴みことはとっくに俺のこと呼び捨てだろ」

面倒めどい」


 しかし、あっさり否定される。しかも三文字という短さだった。


「慣れた言い方が一番。だから海斗カイくん海斗カイくん御琴みこちんは御琴みこちんなのです」

『なんか……ふわっとした感じの子ね』

「ほのぼのしてるだろ。ちなみに御琴は真逆だ」

『活発な感じ?』

「そういうこと。飽きないぞ、この二人といると」

『ふうん……いい友達関係なのね』


 ミサキから、優しい声が聞こえて来る。それはどこか羨ましさと寂しさをを含んだものだった。記憶もなく、自分の正体もわからない彼女にとって、こういう光景を見るのは少し辛いものがあるのだろうか。

 空気を変えるため、海斗はここにいないもう一人の幼馴染について美波に尋ねた。


「御琴と言えば、あいつはどうしたんだ?」

御琴みこちんは部活だって」

「あ、そうか。プール開きか」


 先程の祖父の言葉を思い出す。水泳部の顧問である海斗の母親が早朝から家を出たのはそのためだ。


御琴みこちん張り切ってたよー。いよいよ私の季節が来たって」

「今年は燃えてたからな、あいつ」


 二人の幼馴染、八重垣御琴やえがきみことは水泳部期待のエースだった。昨年は県の記録にあと少しというところまで迫り、今年の夏にかける意気込みは並々ならぬものがあるという。


「昨日電話で『芦原高校のの力、見せてやるー』って言ってた」

「たぶんの間違いだな、それ」


 タチウオはその見た目が「太刀」に似ていることからその名前が付いたのだが、一説には立ち泳ぎする姿から「立魚」とついたというものもある。ただし、成長するとその大きさはトビウオの比ではない。大物は二メートルもの大きさに成長する。水泳選手の形容としては適していないと海斗は思った。


「そうだよねー。タチウオだと立ち泳ぎで記録塗り変えなくちゃいけないもんね」

「……それはそれで見てみたいな」


 五十メートル自由形。立ち泳ぎで記録更新。そんなことができる選手がいたら世界中が驚くだろう。


「あ、ちょうどいいかも。ねえねえ、学校祭のメニュー、タチウオ料理なんてどうかな?」

「タチウオ料理?」

「タチウオはいいよー。唐揚げに煮付け、ムニエルも捨てがたいのです」

『うう、おいしそう……食べるための体が無いのが悔しい』


 美波が口にする料理の名前はいずれも食欲をそそられるものばかりだ。気付けばミサキも海斗の中で聞き入っていた。


「でも、やっぱり私は塩焼きが好きかなー」

「塩焼きか」

「うん、素材の味を一番生かせるチョイスなのです。もちろん塩焼きならこれを使うのが一番!」


 そう言って美波がカバンの中から何やら白い粉が入った袋を取り出し、高々と掲げた。


「ぱらぱぱー、粗塩あらじおー!」


 某ネコ型ロボットよろしく、効果音付きで粗塩(一キログラム四百円)が現れた。


「何でカバンに入ってるんだよ!?」

「カイくん、女の子のカバンの中は秘密がいっぱいなのです」

『海斗、女の子のカバンの中は秘密がいっぱいなのよ』

「二人でハモるなよ……」

「え?」

「いや、こっちの話」


 偶然に台詞が被ったとはいえ、思わず海斗はツッコミを入れてしまった。


「冗談は置いといて、これ今日の部活で使うから持って来たんだ」

「ああ、なるほど。それでか」


 海斗たちの高校では学校祭の際にいくつかの部活も出店する。美波の所属する料理部は毎年恒例の高校生レストランだった。十年近く前にテレビの取材が入ったことで世間でも有名になり、毎年多くの人がそれ目当てに押し寄せるほど注目されている。


「今週は粗塩で色々と試してみようと思うのです」

「普通の食塩じゃないのか、それ?」

「そうなのです。粗塩はいいよー。ミネラルも豊富だし、素材の味を最も引き出してくれる最高の調味料なのです」


 美波は粗塩を勧めるために熱弁をふるう。その姿はテレビショッピングの司会以上に力強く、商品の魅力を見事にアピールしていた。


「カイくんも料理するなら使ってみたら?」

「あ、料理で思い出した」


 海斗は美波に用事があったのを思い出す。ポンと手を打ち、話の流れを止めるといつものように尋ねた。


「今日は母さんがまた遅くなるみたいでさ、なんか作らなくちゃいけなくなったんだ。俺のレパートリーじゃなんかピンと来なくて。夕飯にいいレシピあるか?」

「ん、おっけー。考えておくから放課後に料理部来れる?」

「ああ、ついでもあるし。行こうと思ってた」

「ついで?」

「これこれ」


 海斗がカバンの中から古びたノートを取り出す。そこには「平成十年度 料理部レシピ集」と書かれている。


「おー、うちの部のレシピ本」

静宮しずみや先輩から借りてたんだ。そろそろ返そうと思って」

「なんかカイくん、ほとんどうちの部員だねえ。いっそ入部しちゃいなよ」

「お前、そんなこと言って俺を学校祭の戦力にしようとしてるだろ」

「う、バレた」


 美波がぺろりと舌を出した。料理部のレストランはメニューの作成から当日の店の経営まですべてを生徒が取り仕切っている。だが、料理部のメンバーは基本的に女子ばかり。男手が足りないため、毎年仕入れた食材を運ぶのはかなりの重労働なのだと海斗も聞いていた。


「今年は新入部員も少なかったから特に人手不足なんだよねー。男手があるだけでずいぶん助かるんだけど」

「……ま、暇があったら手伝いに行ってやるよ」

「おおー!」


 美波がパッと表情を輝かせる。


「さすがカイくん。『手伝いに行ってやる』なんて男だねえ。深雪みゆき先輩には私から言っておくから」

「ちょっと待て。暇があったらって言ったんだぞ俺は?」

言質げんちは取ったのです」


 そう言って美波がスマートフォンをポケットから取り出す。いつの間に録音していたのか、タッチして先程の会話の部分を再生する。


『手伝いに行ってやるよ』

「ほら」

「都合よく切り取るなよ!?」

「ふっふっふ。不用意な発言は逃さないのです」


 勝ち誇った顔の美波。だが海斗も料理部のレシピ本を借りたりして日々お世話になっている身だ。ここで少しは恩返しをしておいた方がいいのも確かだった。


「……わかった、行くよ」

「イエス。労働者ゲット」

「お前、いつか覚えてろよ」

『あはは。意外としたたかね、この子』


 ガックリとうなだれる海斗。そんな彼の中ではクスクスとミサキの笑みが漏れ聞こえていた。


「ところでカイくん、何か悩み事でもあったりする?」

「へ?」


 唐突に美波から聞かれた言葉に海斗は少し驚く。美波は海斗の顔をじっと見て言う。


「んー、なんとなく雰囲気がいつものカイくんと違う。上手く言えないけど、ような感じ?」

「っ!?」

『……この子、鋭いわね』

「甘く見たらいけないのはさっきので分かっただろ?」


 恐らく普段とのほんの少しの違いだろう。だがそれを感じ取っていたのはさすが付き合いが長いからとでも言うべきか。

 だが、この妙な状況を伝えるには状況が整理しきれていない。海斗はその内彼女にも打ち明けるだろうという予感はあったが、今はそれとなく誤魔化すことにした。


「……朝からちょっと調子が悪くてな」

「ふーん。気休めかもしれないけど、お清めでもしておく?」

「お清め?」

「うん。簡単なお祓いみたいなものかな。体を清めて厄を逃すのです」

「へー、それじゃお願いしようかな」


 そう言って美波はスマートフォンをカバンに戻し、何やら探し始める。


『ちょっと待ってよ。私は人間よ。お祓いされるような悪霊とかそんなオカルトな存在じゃないわよ!』

「お前、今の状況はオカルトそのものだろ……」

『うぐっ……』


 人の中に別の人間がいる状態でオカルトを否定されても説得力がなかった。とはいえ、手がかりが全くつかめない現状では手当たり次第に何かを試してみるしかないかもしれない。ミサキも渋々ながら了承するのだった。


「はらいたまえー、きよめたまえー」

「……ちょっと待て、美波」


 を始めた美波を、海斗はすぐに止めさせた。


「ん?」

「何やってんだ?」

「粗塩振りかけてる」


 カバンから取り出したのは、小分けの袋に入った粗塩だった。


「またそれか!?」

「お清めには粗塩なのです」


 えっへんと胸を張る美波。海斗も葬式の際に粗塩で盛り塩がされているのを見た記憶がある。だが、直接振りかけるのは果たして効果があるのだろうか。


「どう、何か変わった?」

『ううん、何も』


 中のミサキの反応はあまりかんばしくない。どうやら効果らしきものはないようだった。


「も少し振っとく?」

「いや、いい」


 美波のカバンの中からはまだ小分け袋が出て来る。いったいあの中には何がどれだけ入っているというのか。謎は深まるばかりだった。


「うーん、あとは焼いて浄化するしか」

「却下だ」


 塩焼きにされた魚の気持ちが少しわかった海斗だった。

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