第31話 みんなで作るから
数日間の雨と曇りの日を挟み、不安定だった天気は徐々に回復し、土曜日は久しぶりの快晴に見舞われた。
「塀の位置ってここでいいんですか?」
「もう少し右でもいいわ。その方が場面転換で移動しやすいんじゃないかしら?」
昼過ぎに病院に到着した海斗たちは本番前最後の打合せを終え、舞台づくりを行っていた。夕方になり、開始の時間が迫る中、徐々に会場となっているレクリエーションルームには人が集まり始めていた。
「カイくん、お疲れー」
そこへ、小道具を抱えた美波と御琴がやってきた。その後ろには大きなカゴを抱えたまどかもいる。すでに衣装を着て劇を始める準備は万端だ。
「へー、似合うな三人とも」
「あたしはどっちかと言うとカッコいい方が好きなんだけどね。まあ、こういうのも可愛くて好きかも」
着ぐるみ姿の御琴は、マスコットみたいな姿に照れくさそうにしていたが、まんざらでもない様子だった。遠巻きに見ている子供たちからは御琴に手を振っている者もいた。
「……私はこの格好で歩いていたら『坊主』って話しかけられました」
まどかが切なげに目をそらす。役の上では男に見えることはいいのだろうが、まだ演じてもいない時にそう言われるのは女の子としては少々ショックだったらしい。
「あはは。まどかちゃん、似合い過ぎだもんね」
「美波の着物は、
「うん。お母さんの浴衣を仕立て直してみたのです。あと、キツネのお面も用意してみました」
袖の中から取り出したキツネのお面を顔に重ねる。ちょっと不気味だが、確かに雰囲気は出そうだ。
「やる気満々だな、美波」
「お父さんも観に来るからね。いつもより気合入ってるよ」
あれから美波の練習では安全のために塀から飛び降りるシーンは控え、ゆっくりと降りるようにした。台本も少し変えることを検討したが、美波も問題ないと言っていたので、結局台本はそのままだ。
ただ、あれから一度も美波は体調を崩すこともなく、皆も彼女の言うとおりに貧血のように一時的なものだと思っていた。
「豊秋おじさん来るのか」
「へー、よくお休み取れたじゃん」
「うん。今日は絶対に来るんだって、イレギュラーなお仕事も全部昨日までに終わらせてた」
美波はいつもより浮かれた様子だった。父親の参観はこれまでもほとんどなかったので、自分の頑張っている姿を直接見せることができる機会は彼女にとっても大切な時なのだ。
「あ、そうだ先輩。これも使ってみてください」
まどかが持ってきた背負いカゴを海斗に渡す。使い込まれたなかなかの年代物だ。
「園の倉庫にあったので借りてきました。これ背負ってたらお百姓さんらしくありませんか?」
「へー、いいなこれ。あとは中に何か入れておいた方が雰囲気が出そうだな……」
「そんなの、今更調達できないでしょ」
「ん? それじゃあネギでも入れておく?」
ひょいっと、美波がカゴにネギを数本放り込んだ。
「……何であるんだ」
「またお父さんが貰ってきちゃって。お裾分けに持ってきたのです」
持っていた紙袋を美波は持ち上げて海斗に見せる。その中にはまだ何本もネギが入っていた。
「紙袋に入れておいたからあとで持って帰ってね」
「……ありがたくいただくよ」
実は先日、美波に貰ったネギはまだ消費しきれていない。あと何日ネギを食べ続けるのか、海斗は少し頭が痛くなった。
「さあみんな、そろそろ位置について。時間よ」
深雪が手を叩き、皆もうなずく。時間はまもなく、開始時間の十八時だ。小道具を抱えて舞台袖へと移動する。ちなみにミサキは海斗たちの位置に近い窓の付近に佇み、観客として参加していた。
「皆さん、本日は私たちの演劇『キツネの嫁ご』にご来場いただきありがとうございます」
深雪が代表として、来場者へ挨拶をする。彼女はよくボランティアで来ているので患者たちにとっては馴染みの相手だ。
海斗たちは自分たちの予想よりも多くの人が来てくれていることにやや驚いていた。そんな中、美波はその中を見渡し、自分の父親の姿を捜していた。
「あ、いた」
最後尾の立ち見客たちに交じり、豊秋はカメラを手に劇の始まりを待っていた。あちらも美波の視線に気が付いたのか、手を軽く振っていた。
「みんな、頑張ろうね」
「それでは、最後までどうかお楽しみください」
深雪の紹介が終わり、拍手に包まれる。そして場が静まったところを見計らい、彼女の合図に合わせて病院の職員が音響機器のスイッチを入れ、BGMが流れ始めた。
「ほう、今日は特に綺麗な夕焼けだな」
『……よし、練習の成果』
カゴを背負い、作業を終えた様子で海斗が扮する弥助が登場した。この一週間、ICレコーダーも使い、家に帰ったらミサキも付きっきりで練習していたお陰で、台詞回しも何とか様になっていた。ミサキもその順調なスタートを見て胸を撫で下ろしていた。
「昔々、あるところに弥助と言う大変働き者の若者がいました」
視力の低い患者や子供たちに向けて深雪が話の展開に合わせてナレーションを入れる。初めて物語を見る人にも配慮したやり方だ。
「ある日、弥助は仕事の帰りに原っぱで一人の若い娘と出会いました」
「こんな所で、若い娘さんが、一人で何をしていなさる?」
「特にあてもなく、この夕陽を眺めておりました」
お
「もうすぐ日が沈む。そうしたら真っ暗になって危険だ。早く帰った方がいい」
「私には家がございません。親も死んでしまい、独りぼっちなのでございます」
「そうか。もし良かったら、今夜はオラの家に泊まっていかんか?」
「しかし、それではご迷惑では?」
「オラも独り身だ。だから気兼ねはいらん」
「……では、お言葉に甘えると致します」
「話しているうちに、お
深雪のナレーションに合わせて海斗が美波を抱き上げようとする。
「うわっ!?」
「わわっ!?」
しかし、衣装を着ての動きはいつもと違っていたために勝手が違う。少しバランスを崩してしまうが美波を落とさないよう、海斗は何とか踏みとどまった。
「わ、悪い美波」
「う、うん。びっくりした……」
小声で謝る海斗。美波も思わず海斗にしがみついていた。
「おい兄ちゃん、そんな可愛い娘さん一人支えられねえでどうする!」
「お兄ちゃん、頑張れ!」
観客から茶化すようなヤジが飛び、笑いに包まれる。子供たちからは声援が送られていた。
「前途多難な出会いでしたが、お
そして、深雪がその展開をアドリブでフォローする。その言葉が面白かったのか、また観客たちが笑った。
「えへへ。なんだか楽しいね」
「え?」
海斗と共に舞台袖へ退いた美波が不意にそんなことを言った。
「今の深雪先輩みたいにハプニングもアドリブで補ったり、観ている人が声をかけてくれて、みんなでこの劇を作っているんだなーって思ったら楽しくなっちゃった」
「……そうだな。劇って観てる時ばかり楽しいんだと思ってたけど、演じる楽しさっていうのもあるんだな」
海斗は窓際で観ているミサキに目をやる。ずっと練習に付き合ってくれた彼女は物語の全体を知っているにもかかわらず、海斗らが演じている姿を楽しんでいた。
「うん。だから役者とナレーターと、音楽と照明、そしてお客さんみんながこの劇の主役なのかもね」
場面転換が終わり、美波がまた次の出番のために舞台袖へ歩き出す。その顔は今この時を心から楽しんでいるようだった。すぐにまた舞台に出たい。そしてみんなと楽しみたい。そんな気持ちが海斗には伝わっていた。
「器量もよく、美しいお
弥助の家に場面が変わる。深雪のナレーションに合わせて時間も進み、途中から子役のまどかが二人の間に入った。
「こうして、幸せな生活が続いていきましたが、一つだけ不思議なことがありました。それは弥助の飼っていた犬が、彼女を見るたびに吠えることでした」
犬役の御琴が登場する。子供たちの間からは声が上がる。御琴もそれに応えて手を振った。それもまた深雪はアドリブでネタにする。
「見ての通り、誰にでも愛想のいい可愛い犬です」
どっと観客が沸く。つい海斗たちも笑ってしまいそうになった。
「ですが、なぜかお
「うう……ワンワン!」
「お前さん、あの犬をどうにかしてください!」
「そうは言ってもなあ……小さい頃から育てているから、どこかへ捨てるのもかわいそうだ」
「弥助はどうしても犬が捨てられず、結局家の裏口の所で繋いでおくことにしたのです」
御琴が仕切りの向こう側で吠える。観客や弥助にはいい笑顔を向けているだけにそのギャップに子供たちは驚いているようだった。
『……ん、何の音?』
窓際で劇を観ていたミサキが何かに気づいた。窓の外から叩いてくる音がしていたのだ。
「あ、雨だ」
劇もだんだん盛り上がりを見せてくる中、いつしか夕焼けが窓から見えていた。しかし、いつもの夕焼けと違うのは、まどに水滴が叩きつけられていたことだった。
「おお、狐の嫁入りだ」
「あらー、狐の劇を観ている時に狐の嫁入りなんて奇遇ね」
珍しい天気に遭遇したことを観客が口にし始める。その声は海斗たちにも聞こえていた。しかし、特に気に留めず自分たちの劇に集中する。
「ある時、村の若者たちの集会が弥助の家でありました。お
「ううー、ワン!」
「しかし、裏口を出た所には犬がいることをすっかり忘れていたのです。お
「きゃー!」
「な、何だ今の悲鳴は!?」
「お
ここで、衝撃を受けたことを表す重苦しいサウンドが流れる。腰を抜かした拍子に顔を隠したお
「……お、おまえ。キツネだったのか」
「ああ、なんてことでしょう。あなただけではなく、村の衆にまで正体を知られては、もうここにはいられません」
美波がテーブルで作った塀に飛び乗る。
「さようなら。もう会うことはないでしょう――」
「おっかあ! どこへ行くの、おっかあ!」
その時、美波が顔を上げた拍子に、それは目に入った。
記憶に焼き付くほどに鮮やかな赤い夕陽と、窓に打ち付けている雨水――狐の嫁入りを。
「あ――」
あの日と同じ時間。同じ天気。何かを思い起こさせる台詞。そして、飛び降り――すべての条件を満たしたことにより、
「なに……これ……」
朧げな映像。ノイズがかかったような声も明確には思い出せない。だが、徐々にあの日焼き付いたものが目の前で再生され始めていく。
美波の足が震える。もうそこはテーブルの上でも、塀の上でもない。
母親が身を投げた橋の上だった。
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