第22話 神威一閃

 海斗かいととミサキが発見した時、勾玉まがたまは確かに四つとも白かった。それが何故、その半数の色が変わっているのか。そして、何故そこから力を感じるのか。海斗にも、そしてミサキにもそれは分からなかった。


『凄い霊力……』


 だが、そこから感じる力は御琴たちに宿っていた勾玉のそれとは質が違う。邪気とは違う、清浄な気を放っていた。


「わっ!?」

『きゃっ!?』


 突如、勾玉が光を放った。手の平から色のついた二つの勾玉が浮き上がり、深雪や御琴たちのように、それが海斗の胸元に宿る。


「な、何だこれ!?」


 二つの勾玉が強く輝く。それは邪気を吹き飛ばすほどに神々しく、清らかな力だった。それが海斗の中に、そしてその奥のミサキへと注ぎ込まれていく。


「――っ!」

『――っ!』


 その時、海斗とミサキは白昼夢を見る。今とは違う風景、違う服装。違う時代のどこかで異形のものと戦う二人の男女の姿を。

 そして、巫女姿の女が祝詞のりとを唱え、甲冑を来た男が構えた刀に蒼白い光を集わせ、その一閃が禍々まがまがしきあやかしを一撃の下に葬る様を――。


「何だ今の……?」


 見えたのは一瞬のことだった。事実、みずちはまだこちらへ向かっている途中だ。しかし、海斗には今の光景がただの夢とは思えなかった。どこか現実味を帯びたものとして感じられたのだ。


『……』

「ミサキ?」

『……知ってる』


 対してミサキは、海斗とは違った反応を見せていた。ゆっくりと海斗の右手が持ちあがる。眼前にかざし、手の平をみずちに向ける。


『私は――この力を知っている』


 海斗の右手から、いや体全体から蒼白い光が立ち上る。それは白昼夢の中で見た刀が帯びていたものと同じものだった。


「な、何だこれ……」

『海斗、今から私が言うことを繰り返して』

「お……おい、ミサキ。いったい何を」

『いいから!』


 海斗の体を操っているとは言え、その身で発言する権利は海斗にある。ミサキの有無を言わせぬ迫力に、海斗は頷いた。


やいばは我が下に』

「ま、やいばは我が下に」


 それは、歌の様に紡がれる。白昼夢の中で見た女性が唱えていた言葉によく似たその言葉。


『導き給え、我が下に。たまわし給え、我が下に』

「導き給え、我が下に。たまわし給え、我が下に」


 海斗の目の前に蒼白い光の柱が立ち上る。その中に手を入れると固い感触があった。


『我が手に来たれ、

「我が手に来たれ……三日月!?」


 一言一言に思いを込めて、一言一句に願いを込めて。その名は告げられた。

 海斗の手が光からゆっくりと引き抜かれる。その手には黒塗りの鞘に収められた日本刀が握られていた。


「み、三日月って……御神刀の!?」

『話は後! みずちが来るわ!』


 海斗が驚く間もなく、彼の体は三日月を抜く。長い間受け継がれてきたそれは、夕陽を受けて数百年前の刀とは思えないほど美しく、怪しく輝く。


「シャアアアアア!」

『海斗、もう一度お願い!』

「わ、わかった!」


 迫り来るみずちからミサキは一歩も引こうとしない。再びミサキの唱えるままに、海斗はその言葉を口にする。


われつは、御魂みたまを染めし禍津まがつなり――我は妖言およづれまどいしえにしを正す一族やからなり」


 三日月の刀身が青白い光を帯びる。祝詞のりとつむがれるごとにその光が強くなっていく。言葉が言霊ことだまとなり悪しきものをはらう力を刀に与える。ミサキから海斗を通じて放たれた霊力は、その力を一点に集結させていた。


はらえ給い、清め給え、かむながら守り給い、さきわえ給え」


 半身はんみに構え、中段より少し高めに三日月を持ち上げ、右腕に交差するように左手で柄を持つ。それは白昼夢で見た武者が取っていた、そして海斗にも覚えのある「かすみ」の構え。


くなど御名みなにて神逐かむやらう。御神威みいつをもって禍津まがつを断つ!」


 みずちが突進の勢いのまま、大口を開けて襲い掛かって来る。それを前に、ミサキは海斗の体を走らせる――。


「『絶刀ぜっとう神威一閃かむいいっせん!』」


 三日月がひらめく。下段から放たれたそれはその名の通り、弧を描いてみずちの体を真正面から真っ二つに両断する。


「――――っ!」


 みずちの体を突き抜け、祓いの力が尾の先にまで届く。左右に開かれたみずちの体は海斗たちの左右を通り抜け、絶命と同時に消滅した。


「……お、終わったのか?」

『……ええ、みずちはこれで完全に消滅したわ』


 邪気が晴れていく。もやのかかったような光景から夕陽が赤く川面を照らしていく。

 そして、声が聞こえて来る。鎌鼬かまいたちを倒した時と同じように。御琴の叫び声を伴って。


『あんたなんて――お母さんを死なせたくせに!』


 激情のあまり、親友を傷つけてしまったこと。


『……なんで……食べたいのに! どうして食べられないの!?』


 まどかの成長に焦り始めたこと。ストレスで物が食べられなくなったこと。そして――。


『海斗は……あたしが先に好きになったのに!』

「――っ!?」


 戦いの中でも海斗に言うことが無かった、海斗への思い。ずっと秘めたまま、ようやく気付いた淡い恋心。それが、まどかの登場によって全てを奪われてしまうのではないかという危機感。

 失った全てを取り戻したい。自分の全てが壊れてしまった原因を排除したい。そのために三木まどかを呪う。

 海斗たちと一緒にいる間にも渦巻いていた嫉妬の気持ち。それが痛いほどに海斗の胸を締め付ける。


「少しでも……気づいてやることはできたのかな」

『……無理だと思う』


 海斗は言った。御琴は負けても「次は見ていろ」と燃えるタイプだと。事実、彼女はそれだけのバイタリティを持つ女の子だった。


『いつも自分で解決していたから、自分で処理できないことに直面して、どうしたらいいかわからなくなったんだと思う』

「……辛いな」


 いつも悩み事などないかのように明るく振る舞い、その裏では人知れず努力をしていたからこそ、それが実らなかったことに悔しさを覚えるのではなく、全力を尽くすことすらできなかったことが彼女には最も辛かったのだ。

 もし、まどかに危機感を抱かなければ。そしてちゃんと食べることができて、全力で戦えていれば。もっと早くに恋心を自覚して、それと向き合っていれば。あるいはそれらが全て一緒に起こらなければ……だが全ては仮定の話だ。


「う……んん」

「御琴!」

『海斗、待って。三日月を隠してからよ!』

「いけね!」


 邪気も晴れ、人々が気が付き始めている。さすがに日本刀を抜いたままというのは誰に見られるかわからない。戦いの中で泥まみれになっていた竹刀袋を拾い上げ、鞘に納めた三日月を隠す。


「……海斗?」

「目、覚めたか御琴?」

「……そっか、あたし泣き疲れて寝ちゃったんだね」


 目を覚ました御琴は、やはり何も覚えてはいなかった。海斗の家を飛び出してからこの橋で大泣きしていたことまでは覚えていたが、そこから先の記憶がない。それを彼女は泣き疲れて寝ていたのだと解釈していた。


「うわあ……もしかして、夕立でも降った? 海斗もあたしもずぶ濡れなんだけど?」

「……まあ、そんなところだ」

「なんか、思い出すなあ。小さい頃に川遊びしたこと」


 御琴は立ち上がり、川岸に歩み寄るとその手で水をすくって海斗に飛ばす。


「わっ、おい御琴!」

「いいじゃん。どうせ二人ともずぶ濡れなんだから。それそれ!」

「こら、やめろ御琴! この!」

「わっ、やったなー!」


 二人は子供の頃のように水をかけ合う。さっきまでの戦いのダメージはまだ残っている。それでも、いつもみたいに無邪気に笑う御琴が楽しそうで。つい海斗も付き合ってしまう。ミサキはそんな海斗が倒れてしまわないように、少しだけ力を貸してあげていた。


「あー、面白かった。なんか


 ひとしきり遊んだ後は二人で岸辺に並んで座る。夕陽はまだ見えるが半分ほど沈み、東の空は暗くなり始めている。


「そうだな、帰ろう。美波がめし作って待ってる」

「……美波みなみんに謝らなくちゃね」


 御琴には家を飛び出した記憶は残っていた。だから自分がどんな酷いことを言ってしまったのか、それを思い出して唇を思わず噛む。


「大丈夫だって」


 そんな、不安を抱く御琴の手を海斗は握った。


「むしろ美波は待ってるよ。『びっくりするほど美味しい料理完成させておく』って言ってたんだぞ」

「……そっか」

「そうそう。肝心なところで気が弱いのはお前の欠点だ。もっと強気で行け」


 御琴の目を見つめ、海斗は笑顔で勇気づける。そんな海斗の手を、御琴も握り返した。ほのかに赤く染まっている頬は、夕陽が当たっているせいなのか。


「……真面目な顔でガン見してる所悪いんだけど。海斗、気づいてる?」

「え?」

「あたし今、服が透けてるんだけど」


 言われて海斗は思わず視線を下に向けてしまう。シャツが濡れ、肌に張り付いてうっすらとその下から下着の色が――。


『海斗!』

「ぐえっ!?」


 無理やりミサキが海斗の首をねじる。予期していなかった動きと激痛に海斗は情けない悲鳴を上げた。


「あっはっはっは! 何してんの海斗。自分で首ひねってダメージ受けてる!」

「うるせえ! お前もちょっとは恥じらえ!」


 悶絶して転がる海斗を御琴は指さして笑う。首をさすりながら海斗は立ち上がった。


「そろそろ帰ろうぜ。自転車、後ろ乗って行けよ」

「二人乗りは違反だぞー」

「それなら置いて行くだけだ。走って来い」

「あ、ちょっと待ってよ海斗。今のなし!」


 歩き出した海斗の後ろを慌てて御琴は追いかける。土手の上に乗り捨てた自転車を起こし、またがると、続いて乗り込んだ御琴が後ろからしがみついた。


「お、おい」

「この方が安定するじゃない」


 仕方なく、そのまま海斗はペダルを踏みこむ。濡れて二人とも服が肌に張り付いていたが、不思議と不快さはない。むしろ互いに伝わるぬくもりが心地よく感じた。

 徐々にスピードに乗り始めたところで、御琴は海斗の背に顔をうずめてささやく。


「……大好きだよ。海斗」

「え、何か言ったか?」

「なんでもなーい。ほら、早くこげー! 愛する美波みなみんのご飯が待ってるのだー!」

「俺も作ったんだけど!」


 その言葉は風の音で海斗に届くことはなかった。夕陽に背を向け、二人は家へ向かう。


 ――その姿を、一人の少年が見送っていた。


「まさかみずちを倒すとはね。だけどお陰で思い出したよ」


 海斗が放った一撃。神の威光をもってあやかしを葬り去ったあの技は、彼の中の忌まわしい記憶を呼び起こしていた。


「……まだ生き残っていたのか、伊薙いなぎの一族」


 その名を忌々しく呼ぶ。どす黒い怨みのこもった言葉は呪詛にも近かった。


「でも、わからないな。あの力はくなどのものだ。伊薙のものじゃない」


 海斗が放った技、それは伊薙の者がかつて使った武の力だった。だが、退魔の力は伊薙自身が持っていたものではない。それを彼は知っている。


「……ま、わからないからいいや」


 だが、少年はあっさりと思考を放棄する。それよりも彼の興味を引くものがあったからだ。少年はふちに蛇の意匠が施された鏡を取り出す。それを覗き込み、恍惚の表情で嘲笑う。


御琴あのこは失敗したけど、いい種を撒いてくれたからね」


 鏡に映し出されたのはたくさんの料理を並べたテーブルの前で、誰かを待っている一人の少女の姿。


「心の底に押し込めていたから見逃していたよ……育てればいいミサキになりそうだ」


 心の中で、その蓋が開きかけていた。大切な友達にぶつけられた心無い言葉が、封じられていたものの目を覚まさせようとしていた。


「次はどんな面白い物が見れるんだろうなあ。楽しみで仕方ない」


 少年がポケットから邪気に染まり、黒塗られた勾玉を取り出す。これから始まることを思い、少年が高らかに笑い始める。


「あはははは! 今度はどうするのかな、伊薙! 見せてもらうよ!」


 そして夕陽が完全に山の向こうに隠れる。

 少年の姿は、人知れず消えていた。




 第二章「嫉妬しっと荒魂あらみたま」 完

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