第四章「渇愛の奇魂」

第40話 史上最悪の目覚め、再び

 その朝、海斗は異様な寝苦しさで目が覚めた。

 窓から差し込む朝日はいつもの通り、気温は七月に入って朝でも暑さを感じるようになるが、まだそれで目が覚めるほどでもない。


「……なんか重い」


 左腕にのしかかる重さで血流が妨げられ、手に強い痺れを生じている。寝返りを打とうとしてもその重みが邪魔で体勢も変えられない。服にも何かが引っかかっているようで、左半身が全体的に動かしづらい。

 昨日の戦いの中で邪気にさらされた時や、美波との戦いで炎によるダメージを受けた時にも体の重みは感じたが、これほど物理的にはっきりと感じるほどではない。そもそも体の傷や火傷は勾玉の力で完治している。妖狐に傷を受けた左腕についてもそうだ。


「なんでこんなに寝苦しいんだよ」


 いい加減辛くなって来た海斗が目を開けた。そして、左側を見る。


「……え?」


 彼はその驚きによって一瞬で目が覚めた。


「う……ん…」

「!?!?!?!?」


 覚醒を通り越し、瞬時に飛び込んできた情報の処理が追い付かなくなり、海斗はパニックに陥った。


 女の子だった。

 左腕の上に女の子の頭が乗っている。俗に言う腕枕という奴だ。その体は当然と言うべきか、一緒の布団の中に入っている。

 顔は完全に海斗の死角で、女の子の黒髪しか見えない。穏やかな寝息を立てながらも両手は海斗のパジャマをしっかりとつかんでいる。わずかに見える部分からは、彼女が美波たちと同じ、芦原高校の制服を着ていることくらいは確認できた。

 左足に感じる重みは恐らく彼女の足だろう。頭、腕、脚により見事に三か所を押さえて海斗の左半身の動きを封じている。


(待て待て待て待て、何が起きてるんだ!?)


 制服姿の女の子が。

 海斗にしがみつくようにして。

 隣で眠っている。


「ん~……」

(わーーーーっ!?)


 そんな海斗の頭が必死に状況を理解しようと努めている中、女の子はのん気に顔を胸元に押し付けて来る。思わず叫びそうになったが、この二週間、怪異と戦って培った強靭な精神力で耐える。


「あったかーい……」


 彼女はとても安らかな気持ちになっているが、対称的に海斗の心臓は既に心拍数は全力疾走した後のように高まっている。

 女の子と一緒に寝るのは別に初めてではない。だが、それは小さい頃の話で相手も美波と御琴だ。いくら海斗と言えど、この年齢になって女の子との交際経験などの過程を丸々すっ飛ばしていきなり同衾どうきんだ。落ち着けと言う方が無理な話である。


(誰だ、誰なんだ!? ミサキ、おい助けてくれ!)


 女の子を起こさない様に動かせる範囲で首を回して部屋を見渡すが、ミサキの姿はどこにもない。またどこかへ行っているのだろうか。


「……行っちゃやだ」

(ちょっ!?)


 甘えた声と共に女の子の左腕が海斗の体に回る。寝ぼけているのか、強引に引き寄せて抱き着くような形で海斗の温もりを堪能しているようだ。

 この場で彼女を起こすという手もある。だが、そうなれば記憶がない中で女の子を部屋に……布団の中に連れ込んだというあらぬ嫌疑がかかる。そもそも現在の体勢は言い訳できない。


(……しまった、目覚まし!)


 この日は美波が家に来る約束をしている。事情を知った彼女にこれまでのことについて説明をすることになっている。

 だから寝坊しないように、海斗は昨晩寝る前にスマートフォンでアラームをセットしていた。その位置は海斗の右側、枕の横だ。


(鳴る前に解除しないと!)


 左向きに引き寄せられてしまっているのでスマートフォンが見えない。残された右腕で海斗は頭の後ろを探す。


(あった!)


 指先にかかる固い感触。その位置にあるのはスマートフォンに間違いない。海斗は音を立てない様、下手に動かないように細心の注意を払いながらそれを引き寄せ――。


「――あ」


 引き寄せようとして指先でつついてしまった。ベッドの淵から床に落ちる音が盛大に立つ。


「ん……?」

(まずいまずいまずいまずいまずい!)


《ピロリロリン! ピロリロリン! ピロリロリン! ピロリロリン!》


 そして、無情にもそのタイミングでアラームが鳴り響いた。


「ん……もう朝?」

「……」


 海斗は覚悟を決めた。諦めとも言う。


「ん~……うるさいなあ。海斗、アラーム止めて」

「……え?」


 自分の名前が呼ばれたことに海斗は驚く。そして、その声は彼にとって聞き覚えがあるものだったことにやっと気づいた。


「ミ……ミサキ?」

「他に誰がいるのよ……海斗ったら寝ぼけてるの?」


 やっと海斗を拘束していた手が離れる。胸元でもぞもぞと動くミサキはどうやら目をこすっているみたいだ。


「なんか今日は暖かい……って言うか、暑い……なんか息苦しいし、霊体なのにどうして……え?」


 ミサキが恐る恐る目の前にあるものを確かめる。わずかに間隔を取り、ゆっくりと顔を上げていく。


「…………」

「…………」


 目が合った。


「…………」

「…………」


 ミサキが視線を外した。

 自分が何の上に頭を置いているのかをその目で見る。


「…………」

「…………」


 ミサキの顔が真っ赤に染まって行く。対して海斗は蒼白になって行く。


「――き」

「待て待て待て待て! ストップ、ミサキ!」


 悲鳴を挙げそうになったミサキの口を慌てて海斗が手で塞ぐ。


「親もじいちゃんもいるんだ。悲鳴を上げたら気付かれる!」

「……」


 必死の問いかけにミサキも冷静さを取り戻していく。抵抗が無くなった所で海斗はゆっくりとした口調で尋ねる。


「……落ち着いたか?」


 ミサキは静かにうなずく。彼女も自分の立場を分かっているので冷静に、状況を整理した結果、ここで騒ぐメリットが無いことを理解する。


「それじゃ、何が起きてるのかを――」

「おっはー、カイくん。ちょっと早いけど来ちゃっ――」


 海斗の部屋のドアが開いた。彼女にとっては昔から変わらない気軽な入室だったのだが――。 


「……た」


 美波が固まった。海斗とミサキは、彼女が見ている自分たちの状況を見直す。

 一つのベッドに男と女。

 そして海斗は見たことのない女の子の口を押えてマウントを取っている。


「えと……あの……」


 美波の目が泳ぐ。見てはいけないものを目撃してしまったと思い、どうしたらいいか迷っているようだ。さすがの美波も仲のいい幼馴染がこんな状態になっている所に遭遇してすぐに切り返せるほど冷静になれない。


「……お邪魔しました!」


 そして、最終的な結論はドアを閉めて、見なかったことにすることだった。


「待ってくれ、美波!」

「違うのよ、美波さん!」


 海斗は後に語る。

 自分史上最悪の目覚めはミサキが来た日と、この日だったと。

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