第26話 偉大なる長ネギ

「異常はありませんね」


 お昼ご飯を食べた後、海斗は咲耶に連れられて病院に来ていた。学校祭も目前に迫っているので、風邪をひいているのなら症状によっては翌日、学校を休ませようという判断からだ。


「先生。異常がないというのは?」


 海斗を診た若い医師の言葉に咲耶は質問を返した。午前中は部活指導があったため、帰って来た午後に彼を病院に連れて来ていた。


「検査をしてみましたが、特にどこか悪いところがあるというわけではないようです。炎症も見られませんし、風邪でもありません」

「では、うちの子はどうして熱を? もしかして最近多発している例の症状と……」

「いえ、それとは違いますね。念のため検査してみましたが、嘔吐なども見られませんし、熱も微熱です。たぶん、ストレスが原因となった発熱ではないかと」

「ストレス?」

「いくつかのストレスが重なったり、慢性的なストレスが続いている状況だと、三十七度台の熱が出る場合があるんです。海斗君は体がだるい感じもあるって言ってたよね?」


 海斗は頷き返す。


「いずれもストレスによる発熱では見られる症状ですね。これは風邪とは発熱のメカニズムが違うので解熱剤も効かないんですよ」

「では、ストレスの原因を解決しろと?」

「原因が解決した後もしばらく続くことがあります。なので、少しゆっくりしてストレスを溜めないようにするのがいいと思いますよ」

「なるほど。それじゃあ帰ったら寝かせて様子を見ることにします」


 海斗と咲耶は二人で深々と頭を下げ、診察室から出る。


「海斗、あんたそんなにストレス溜めてたの?」

「……自分じゃわからなかったけど、そうなんだろうな」

「まあ、先週雷が落ちたあたりから色々あったからね」


 その日から憑依したミサキ、始まった怪異。そして深雪、御琴と続けて襲われたのだ。ストレスが無かったわけがない。むしろ立て続けに対処した上、怪異の元凶となった彼女らの心の叫びも聞かされた海斗は、知らない間に限界を超えていたのかもしれない。


「まあテストも終わってるし、あんたは出席日数も問題ないし、明日は休んでもいいから」

「教師が欠席を勧めるなよ」

「学校祭直前に倒れられても困るだけだからね。料理部の手伝いをやるんだろ?」

「うん。美波にハメられて」

「あはは。あの子、昔から抜け目ないからね」


 苦笑する咲耶。だが、そんな顔がふと一瞬だけ悲しげに見えたのを海斗も気づいた。


「あの後どうなるか心配だったけど、まっすぐ育ってよかったよ。海斗も御琴ちゃんもよくやったよ」


 その言葉が、美波の母親の死のことだと言うことはすぐにわかった。あまり咲耶もこの件について語ることはないので、海斗は少し驚いた。


「……俺、何もしてないけど?」

「普通に過ごしていたのがよかったのさ。あの頃のお前たちは『死』が何なのかわかってなかったからね。だからこそ、そんなお前らと毎日関わっていたことであの子の悲しみも少しは緩和されたんだろうさ」

「……婆ちゃんが死んだ時だもんな。俺が誰かが死んだことで大泣きしたのって」

「小四だったかな。あれで参列者がみんな釣られて号泣したもんだから凄い見送りになってたよ」


 その頃まで、海斗にとって死というものは身近ではなかった。だが、祖母の葬式が終り、出棺の時になって唐突に涙が出て来たのを思い出した。


「なんか恥ずかしいな」

「いいのさ。お義父さんはむしろ感謝していたよ。あれだけたくさんの人がおばあちゃんを慕っていたことを目の当たりにできたんだからってね」


 思えばその頃からだった。武志が海斗に剣を教え始めたのは。強くなって欲しい、つらいことに立ち向かえるように心を、体を。本人がそこまで自覚しているかはわからないが、祖母の死が一つのきっかけになったのは確かだ。


「死んでから人は何かを残してくれる。たぶん、あんたには大切なものが失われる辛さや悲しさを教えてくれたのかもね。海斗、おばあちゃんからもらったものを無駄にしちゃいけないよ」

「……わかってる」


 大切なものが失われる。それは自分だけではない。深雪や御琴はそれを失ったから、失う危機感からあんなことになったのだ。それを放っておけなかったのは、海斗の性分だ。だけど、そのルーツが誰かの死というのもまた皮肉な気がした。


「これからも美波ちゃんの力になってあげるんだよ。海斗」

「ああ」

「まあ、一番手っ取り早いのは嫁に貰うことだが」

「その言葉で台無しじゃねえか!」


 いい話だったのに台無しだと、近くに立っていたミサキも苦笑いを浮かべていた。


「――およ、カイくんと咲耶さん?」


 そんなやり取りを咲耶と続けていたら、唐突に美波の声がした。


「あれ、美波?」

「珍しいねー、病院こんなところで。風邪?」

「ちょっと体調崩しちまってな」

「夏風邪は気を付けた方がいいよー。良かったらネギあげようか?」

「……まさか持ってるのか?」


 思わず海斗は美波のカバンに目をやった。粗塩が飛び出してきただけにネギが出て来ることは十分に考えられる。


「あるよ?」


 やはり当然のごとく、美波はカバンから先住せんじゅネギを引っ張り出した。


「何であるんだよ!?」

「お父さんが職場でもらって来たから、後でお裾分けに行こうかなって思ってたんだ」

「お、そいつはありがたい。ありがたく貰うとするよ」

「母さんも平然と受け入れるなよ!?」

「女の子のカバンなら当然だろ?」

「当然なのです」


 思わず海斗はミサキの方も見る。彼女も腕組みして頷いていた。味方がいない。

 

「むかーしむかし、偉い学者さんは言いました。死んだ人の鼻と耳にネギを差すと、鼻血を出して蘇ると」

「どこの学者だよ!?」

「よく知ってるね。貝原益軒かいばらえきけんか」

「本当にいたのかよ!? というか誰!?」

『江戸時代の学者ね。海斗、知らないの?』


 ミサキまで当たり前のようにそれを言う。海斗は何だか自分の方が非常識なのではという気がしてきた。


「ただの言い伝えだけどねー。でも、ネギが体にいいのは本当だよ。身体を温めて汗をかかせてくれるし、痛みとたんを取って、胃腸も整えて、よく眠れるんだ。風邪を引いた時にはお勧めなのです」

「ネギの成分の硫化アリルは体内の解毒作用に役立つとも言われてる。だから便秘や利尿にも薬効があるって話だ。悪い物を取ってくれるからネギには魔除けや厄除けの効果があるなんて話もある」

「おおー、さすが咲耶さん!」

「ふっ、できる女の常識だ」


 決め顔で咲耶が胸を張る。できる女は日ごろからジャージで生活しないと思うと海斗は言いたかったが、これ以上ツッコミを続けると熱がさらに上がりそうな気がしたので海斗は言うのをやめた。


「……そういや、何でここに美波がいるんだ?」

「ん? 御琴みこちんの付き添いだよ」

「御琴が?」

「うん、私たちまどかちゃんのお見舞いに来てるんだ」


 美波によると、既に御琴はまどかの病室に行っているらしい。美波だけ飲み物を買いに自販機のある階に降りて来たのだという。


「カイくんも来る? まどかちゃん喜ぶと思うよ」

「……そうだな。俺も久しぶりに会いたいし」


 昨日の怪異にさらされ、倒れたという話は海斗も聞いているし、その後も気にかかっていた。深雪の時は同様に巻き込まれた美波は翌日には退院していたが、まどかは御琴が狙った相手そのものだ。事件の翌日にまだ病院にいることから、何かまだ影響が残っているのではないかと海斗は思った。


「行きたいなら構わないよ。私も三木の容体は気になっていたから」

『そうね。行きましょう』

「それじゃ、ジュース買って行こっか」


 咲耶もミサキも同意してくれる。美波に続いて皆は歩き出した。


『私もまどかちゃんってが気になるから』


 だけど、なぜかミサキは海斗をジト目で睨んでいた。

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