第38話 彼方からの願い
先ほどと同じように、魔に魅入られた美波はもう一人の自分と共に海斗の姿を笑っていた。
「どうしたのカイくん。もうお
「そんなところで寝たら風邪ひくよー。くすくす」
「美波……」
せっかく正気を取り戻したのに。ついさっきまで、豊秋の無事を喜んでいたのに。また美波は冷たい笑顔を海斗に向けていた。
「この……」
深雪も、御琴も、美波も、ただ人並みに幸せを求めていた少女だったのに、いくら辛いことがあったとしても、それを乗り越える手段は他にもあったはずだ。
それなのに、
「この野郎おおおっ!!」
美波から離れ、柵にもたれて成り行きを見つめる
「あいつだけは……あいつだけは!」
『ダメ、これ以上動いたら体が!』
全身を貫く激痛。海斗は既に気力だけで意識を保っているようなものだった。
「構わない! 体を動かしてくれ、頼む!」
『くっ……』
悲痛な叫びにミサキが強く念じる。ボロボロの海斗の体が手を突き、ゆっくりと立ち上がり――。
『え――っ!?』
「な、なんで……」
その力が突如抜けた。ミサキがいくら念じてもその体が動く気配がない。
『そんな……力がもう残ってない』
ミサキは自分の力の出力が落ちていることに気付いた。豊秋を救うために全ての力を彼女は注いでいた。それは、邪気の浄化だけでなく、豊秋のいる処置室全体を邪気から守るためにもだ。
そして、それから休む間もなく海斗の下へ飛び、体を操っている。彼女自身も限界だったのだ。
「んー……さっきから誰と話してるのかな、カイくん?」
「あー、もう痛みで幻覚見てるのかも」
そうとはわからない美波たちは首をかしげる。そして、思っていた抵抗がないことを悟ると顔を見合わせ、笑った。
「じゃ、もう楽にしてあげようか」
「そうだね」
二人の美波が左右対称の動きで舞うようにして、蒼い炎を操る。倒れ伏す海斗に手をかざし、焼き尽くす対象を指し示す。
「バイバイ」
「カイくん」
――カイくん……助けて。
闇の中に消える直前、美波が残した言葉。それこそが彼女の真実の思い。ならばそれに応えたかった。どんなに辛い状況でも、それができるのは海斗とミサキしかいないのだから。
「うわああああああ!!」
『何か……何か手は――』
だが、互いにもう力が出ない。蒼い炎は容赦なく二人を飲み込み、海斗とミサキの視界が真っ白に塗り潰される。音もなく、炎の中で海斗は自分の体の感覚が失せていくのを感じる。
――そんな中で、二人は声を聞いた。
「守りましょう」
それは、優しい声だった。どこか懐かしさのある、慈愛に満ちた声。
「
海斗のポケットに入っていた勾玉の一つが光を放つ。光が二人をのみ込み、また新たな白昼夢を見せた。
「
夕暮れの中、かつての白昼夢で見た若武者が、巫女を抱きかかえていた。その顔は血の気が失せ、今にも命が尽きようとしていた。
「
「
「ですが……いずれ…
「ああ。我が子孫がそれを討とう。この地を治め、子に技を伝え、その時が来るまで封印を守ろう」
「なれば……
「春っ!!」
春と呼ばれた巫女の両の眼が閉じられる。力を失った体を抱え、武深の叫びは逢魔が時にこだました。
「これは……」
『もしかして、四百年前の……』
「そう、かつて
二人の後ろから声が聞こえた。振り向いたそこには、今まさに命が尽きた巫女、春が立っていた。
「死した私は、
「あの要石が……春さんの墓」
『じゃあ、もう一つは』
「
春が目を伏せる。そして、悲しそうに語る。
「遂に封印が解け、
『……じゃあ、あの勾玉は』
「俺の……先祖の」
春がうなずく。共に戦い、信頼し合った者が蘇った
「
春の体が青白い光に包まれていく。それはミサキが、海斗の体を通して放った霊力のように。
「
「これ――!?」
三つ目の勾玉の色が赤く変わっていく。一週間前、芦原大橋の下で窮地に陥った時に起きた現象と全く同じだった。
「私は、
『それじゃ……
「春さんが、俺たちに力を」
「さあ願いなさい。私が遺した四つの
「願いを……」
『……海斗』
「それじゃ、一つだけお願いするよ」
海斗が赤い勾玉を握りしめる。そして迷いなく、その願いを告げる。
「体を、治して欲しい。傷つくよりも前の、元々の体に」
「……それで、いいのですか?
「そんなのいらないよ……確かにみんなを守りたいけど」
別にヒーローになりたいわけじゃない。アニメや漫画の主人公のように異能の力を操る存在になりたいわけじゃない。海斗が求めるのは一つ。
ただ普通に、みんなといる日常を取り戻したい。怪異のない、みんなで笑っていられた日常に。
「俺は、普通の人間のままでいい」
「……やはり
「そんなんじゃないよ」
「え?」
春が初めて驚きを見せた。海斗は照れくさそうにその理由を教える。
「
『……もう、変なところでカッコつけちゃって』
「やかましい。男の意地ってだけさ」
「ふふ……でも安心しました。それでは、貴方の望むままに」
海斗の体から痛みが消えていく。左腕に負った爪痕も、体を焼かれた痕も、全てが消えていく。そして、役目を果たした勾玉は、二人の目の前で砕け散った。
「海斗、ミサキ。
「大丈夫」
『わかってるわ』
四百年もの間、待ち続けた思い、それを決して無駄にはしない。かつて海斗が母親から言われたように、死者からもらったものを無駄にしないと誓う。
「そして、
海斗らを覆う光が収まっていく。そして、再び二人は炎の中へと身を投じていく。
「あははははは! 燃えちゃえ、燃えちゃえ!」
「お父さんも、
「『――させない』」
人影が炎をものともせずに立ち上がる。燃え上がり、高熱の中をその人影は悠然と歩いてくる。
「絶対にそんなこと、美波にさせてたまるか」
海斗が右手で炎を振り払う。ミサキの霊力が美波の放った狐火を打ち払い、炎を真っ二つに引き裂いて姿を現した。
「嘘……」
「なんで……」
傷ついた体は癒え、火傷の跡も残っていない。この短時間でありえない治癒力に、二人の美波をはじめ、
「……ちっ、
海斗の体から感じる清浄なる力を前に、
「あなた……本当にカイくん?」
「ああ、俺だよ。料理好きで、ツッコミ役で……美波の味方の、伊薙海斗だ!」
漲る霊力が海斗の体から放たれる。その姿に、美波たちは思わず気圧される。
「『
そして、海斗の口から言葉が歌の様に紡がれる。ミサキと共に、その祝詞を唱える。
「『導き給え、我が下に。
あの時、竹刀を失った海斗は願った。
「『我が手に来たれ……三日月!』」
海斗の目の前に蒼白い光の柱が立ち上る。その中に手を入れ、自宅に保管していた三日月を空間を越えて引っ張り出す。黒塗りの鞘に納められた霊刀「三日月」がその姿を現した。
「それでも!」
「どっちが本物かわからないはず!」
二人の美波が炎を手に駆け出す。右と左から迫り、両側から炎を放つつもりだ。
『海斗、任せてもらっていい?』
「ああ」
海斗はミサキに体の行動権を委譲する。三日月を一度地に置き、ミサキはその手をある形にとる。
「それは――!」
美波が驚きの声を上げる。それは彼女も知っている。思い出の中に強く残っている指の形。
――両手でキツネを作って、片方を逆立ちさせて向い合せるの。
『二匹を逆立ちさせて……耳と耳をくっつける』
耳を作る両手の人差し指と小指を交差させる。そのまま手を開くと、中指と薬指が、もう片方の手の人差し指と交差する。残った親指で中指と薬指を、小指で人差し指を支えると、人差し指と中指の間に菱形の穴を作り出す。
「狐の窓……っ!」
『海斗、一緒に唱えて!』
「わかった!」
――これはね、普通じゃ見えないものを見る時に使う方法なの。
『
「
――狐に化かされた時も、これを使うと正体を見破ることができるんだって。
『
「
――だから覚えておくといいことあるかもしれないね。
「『
指で作った窓から海斗は二人の美波を見る。片方はその姿に驚きを見せている美波。そして――狐火をまといながら、海斗目掛けて一直線に駆ける妖狐。
「――お前か」
海斗が三日月を手に取る。かつての先祖が行ったように、共に戦った
「『
あの日、ミサキは願った。力なき身では立ち向かえない
「『
狐の窓でその正体を暴いた海斗とミサキには、もうその姿は美波に見えていない。猛然とこちらに向かってくるただの狐の
「『
三日月の刀身が青白い光を帯びる。
「『
海斗が
「『
そして、思いを込めてその一撃を妖狐に向けて放った。
「『
下段から跳ね上がった三日月が弧を描く。浄化の力が刀を通じて放たれ、刃となって
「――――ッ!」
その身を構成する邪気を祓い、その核となった勾玉を清めの刃が両断する。悲鳴を上げることすらなく、妖狐の姿は夜の闇の中へと霧散して行くのだった。
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