第56話 その名を継ぐ者

 海斗の手の中で勾玉がはじけた。秘められた膨大な霊力が噴き出し、海斗の願いに応えてミサキを包み込む。


「海斗!?」

「頼んだ、ミサキ」


 海斗は確信していた。ミサキのその正体を。

 かつて見た、伊薙武深いなぎたけみの放った技と退魔の力を付与した岐春くなどはるの姿。そして伊薙が継承してきた技を受け継ぐ海斗。歴史の陰に消え、ぬえの復活に伴い生じたミサキを祓う力を持ったミサキ。両者の関係はあまりにも似ていたからだ。


「記憶が……!」


 これまでの戦いで得た確信。妖を祓う力をぬえは「くなどの力」とそう呼んだ。退魔の力を持つ者が簡単に現れるわけがない。この地に残り、技を継承し、陰から伊薙を守り続けて来た存在が、今も残っているのだとすれば――。


 ――守ってくれ。


 ミサキの耳に、懐かしい声が聞こえた気がした。小さい頃から、ずっと彼女を守り育んで来た大切な存在の声、そしてその姿が輪郭をもっていく。


 ――あなたならできる。


 それは別れの日。ミサキが全てを失った日。笑顔で送り出してくれた両親の姿。過酷な運命に抗うために、これから娘を向かわせることに心を痛めながらも、彼女ならできると二人は自信を持って送り出す。


「お父さん……お母さん」


 力を、技を、幼い時から伝えられた。たった一人の継承者として過酷な修行を積んだが、いつも優しい両親の愛情が彼女をまっすぐに育んだ。


「……私が守るんだ。みんなを」


 皆はミサキを知らない。だが、ミサキは皆を知っている。孤立無援で記憶も力も失いながらも、たった一人との魂のえにしに導かれて彼女はその御魂みたまを海斗の下へと寄せた。

 記憶が戻らないのは彼女以上の力を持つ者によって施された強力な術のため、だが、それ以上の術者の力を用いれば、それを解除することは可能。くなどの力を使い、ぬえを四百年もの間この地に封じ続け、今なお願いをかなえる力を勾玉に残した彼女なら、それができる。


『さあ、行きなさい。あなたならそれができる』

「はい……


 岐春くなどはるの声が響く。力が正しく継承されていることを、その眼で見届けることができた彼女も満足そうな声を残して消えていく。


『守ってあげてください。この時代の伊薙を、あなたのえにしを繋ぐ存在を』

「もちろんです。魔をはらい、伊薙を助けて未来をつむぐ。それが私の使命――」


 そして、ミサキは全てを取り戻す。己の名前も、継承した力も、技も、その全てが封印から解き放たれる。


くなどを受け継ぐ者として!」


 迷いなく、不足なく、えにしの守り手は遂にこの地に降り立った。海斗と出会うまでの全ての記憶が蘇り、その力を行使するすべも取り戻す。


「ギイイイイ!」


 煙幕が晴れ、土蜘蛛がその眼で海斗らをとらえる。だがミサキはまっすぐにあやかしを見据え、微塵も怯まずに睨みつける。


「海斗……美波さん、御琴さん、深雪さん。今から私が言う位置へ移動して」

「ミサキ?」

「今からあれを倒すから」


 人間を一飲みできるほどの大蜘蛛を「倒す」と断言したその声に不安は全くなかった。揺るぎない自信が彼女にはある。


「……わかった」


 ミサキが指定した場所は園庭の四隅だった。気を失っているまどかは海斗が背負い。各々がその場所へと走る。


「ギイイイイ!」

「あなたの相手はこっちよ!」


 ミサキが土蜘蛛に真正面から向かっていく。一対の足が左右からミサキに襲い掛かるが、彼女はさらに加速し、その間を通り抜ける。そして、地に打ち捨てられていた三日月をその手に再び取る。


「やあああっ!」


 そして三日月の刃を土蜘蛛の足に突き立てる。外骨格に覆われた足に深々と突き刺さり、祓いの力が流し込まれる。


「ギャアアア!」

「まだまだ!」


 それでも暴れ続ける土蜘蛛の攻撃をさばき続ける。時に受け止め、刃で受け流し、卓越した剣術でそのことごとくを無効化していく。


「凄い……」


 指定された位置にたどり着いた海斗がその戦いぶりを見て驚く。それと同時にどこか奇妙な感覚も覚えていた。その体さばき、足運び、太刀筋のいずれもがどこかで見たことがあるものだった。


「ミサキさん!」

「着いたわよ!」

「これでいいの?」

「ええ。そのままそこにいて!」


 美波、御琴、深雪も指定の場所に着く。そして、ミサキは戦いながら土蜘蛛を誘導していた。それは四人がいる位置のちょうど中間。園庭の中心だった。


くなど御名みなにて魂治たまおさむ――」


 ミサキが祝詞のりとを唱える。全てを取り戻した今なら迷いなくその力を行使できる。人なのか、あやかしなのかあやふやな存在としてではなく、人間として。人を守る力として。


憎魂ぞうこんいて和魂にぎみたま


 深雪の持つ勾玉が光を放つ。親しみ交わる力を備え、平和や調和を望む心。それが和魂にぎみたま


争魂そうこん恥じて荒魂あらみたま!」


 御琴の勾玉が光る。前に進む力を備え、耐え忍ぶ心を持つ。それが荒魂あらみたま


逆魂ぎゃっこんおそれて幸魂さきみたま!」


 美波の勾玉が煌めく。人を愛し育てる力を備え、思いやりや感情を大切にし、相互理解を計ろうとする心。それが幸魂さきみたま


狂魂きょうこんかくして奇魂くしみたま!」


 最後に海斗の持つ勾玉が眩く輝く。知性を備え、真理を求めて探究する心、それこそが奇魂くしみたま


相剋そうこくって曲霊まがひせいし、相生そうじょうって直霊なおひに祓わん!」


 そして、四魂しこんを統べるのが陰陽正邪いんようせいじゃ直霊なおひ曲霊まがひ。誰もが持ち合わせている表と裏の心。どちらかに転べば四魂も全てが正邪に染まる。ぬえの手によって曲霊まがひに転じたのならば、正しき直霊なおひに戻せばいい。

 四つの勾玉の放った光が互いを結ぶ。四方から伸びた光が土蜘蛛の所で交差し、強烈な光となって土蜘蛛を包み込む。


「ギャアアアアアアア!!」


 浄化の光がミサキの身を焼く。構成する邪気が祓われ、その身が崩壊していく。


「オオオオオ!!」


 だが土蜘蛛は最後の力で海斗へ、あるいは統制者であったまどか目掛けて走り出す。その足取りは弱弱しく、速度も緩やかではあったが、海斗は右手の痛みで動きが鈍い。まどかをなかなか担ぎ上げられず、このままでは間に合わない。


「海斗!」


 そこへ、ミサキが飛び込む。海斗を背に三日月を構える。それは彼にとっても覚えがある『かすみ』の構えで。


「まさか!?」

われつは、御魂みたまを染めし禍津まがつなり。我は妖言およづれまどいしえにしを正す一族やからなり!」


 その言葉はこれまで海斗と共に唱えたものだった。ミサキが紡ぎ、海斗が唱え、その力を刀身に宿らせる。二人の身が一体となって放ったその技を、ミサキは一人で行使する。


はらえ給い、清め給え、かむながら守り給い、さきわえ給え!」

「ギイイイイ!」


 三日月の刀身が青白い光を帯びる。ミサキの力が祓いの力を三日月に帯びさせ、つむがれる祝詞のりとによってその力が増幅されていく。

 ミサキがはしる。土蜘蛛が自分を遮る存在目掛けて渾身の力を込めて足を振り下ろす。


くなど御名みなにて神逐かむやらう――」

「なっ!?」


 だが、その足をミサキは最小限の動きで回避する。大ぶりの一撃を外し、地面に足先が突き刺さった土蜘蛛は懐に飛び込んだミサキに最大の隙を晒す。


「見切り!?」


 それは昨日、祖父に教えられた動きだった。わずかな動きで攻撃を回避し、生じた隙に一撃を叩き込む一寸の見切り。それだけではない。これまでの体さばき、足運び、太刀筋……その全てが、海斗が祖父に教わって来た伊薙家のものだった。


御神威みいつをもって禍津まがつを断つ!」


 ミサキが三日月を後方へ引く。そして下段から渾身の力を込めた一撃が跳ね上がる。


絶刀ぜっとう神威一閃かむいいっせん!」


 蒼い光が弧を描く。それは刀の名の通りに三日月を彷彿とさせる。祓いの力が刃となって土蜘蛛の身を腹から一直線に頭頂部まで貫く。


「ギャアアアアアアア!!」


 断末魔の中、土蜘蛛の体が真っ二つに引き裂かれていく。浄化の光と祓いの力の両方を浴びた土蜘蛛は、夕陽が輝くのを背にそのまま消滅していった。


「やった……」


 邪悪に染まった勾玉が壊され、ミサキが土蜘蛛を倒したことによって三木きぼう園を包み込んでいた邪気も晴れて行った。よどんだ空気は夕陽に照らされ、元の夏の陽気を取り戻して行く。


「……これで、全ての御魂みたまはらったわ」

「……ミサキ」


 三日月を鞘に納めるミサキを前に、海斗は言葉を失っていた。

 聞きたいことは山の様にあった。海斗と出会う前のこと。何故憑依して現れたのか。伊薙とくなどとの関係――そして、使


「ありがとう。あなたのお陰で全部取り戻せた。私が何をするべきなのかも」


 ミサキは振り向かない。ただ夕陽を見上げてその言葉を告げた。


「だから……これでお別れよ、海斗」



 第四章「渇愛かつあい奇魂くしみたま」 完

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