第09話 魔法の時間

 学校の中は静まり返っていた。

 先ほどまで聞こえた吹奏楽部の練習の音も、演劇部の声も聞こえない。この建物の中にいた人間が全て邪気の影響を受けたのだろうか。しかし海斗にそれを確認している暇はなかった。


静宮しずみや先輩……」


 屋上へ続く階段を上る。体が痛い、きっと打撲しているだろう。だが、海斗かいとの歩みを止める理由にもならない。ミサキも彼の気持ちが伝わっているからこそ、何も言わない。

 体で押すようにして扉を開く。既に日は沈み、山の向こうからは金色にも似た明かりが空に向けて伸びていた。光源の太陽がないため、その人物の足元からは影が伸びていない。それが海斗には彼女がこの世のものでないような錯覚を与えた。


「……伊薙いなぎ君はこの時間をなんていうか知ってる?」


 嫌なことがあるとここに来る――海斗の想像通り、彼女はそこにいた。

 フェンスに指をかけ、先ほど会った時のように海斗に背を向けて、深雪みゆきは立っていた。


「今の時間はね、写真を撮ると魔法のように芸術的な写真が撮れることから写真家の間ではこう呼ばれるそうよ」


 そう言って深雪は海斗に振り向き、告げる。


魔法の時間マジックタイム


 その胸元には怪しく輝き、禍々しいオーラを放つ勾玉まがたまがあった。


「私、手に入れたのよ。魔法のような力を。誰にも邪魔されない理想の環境を作れる夢のような力を」


 クスクスと笑う深雪は、口調こそ同じだがその雰囲気は先程会った時とまるで違う。


「それなのに、どうして邪魔するの伊薙君?」


 敵意をはらんだ視線が海斗を射抜く。だが海斗はその視線を正面から受け止める。


「君は私の味方だと思っていたのに。私の“魔法”の邪魔をするなんてどういうつもり?」


 深雪の勾玉から邪気が放たれる。それは彼女の意を受けて気流を操り、つむじ風を巻き起こす。


「……魔法なんかじゃないですよ」

「なんですって?」

「それは夢の力なんかじゃないって言ってるんです」

「……っ!」


 深雪が腕を振る。海斗目掛けて突風が起こり深雪と反対側のフェンスへ叩きつけられる。


「私の力よ! 私のことを見ないで嫉妬するだけの奴らを見返す最高の――!」

「だったら――!」


 風の中であらん限りの声で叫ぶ。深雪の耳に、心に直接届く様に声を張り上げる。


「だったらどうして……美波みなみを巻き込んだんですか!」

「っ!?」


 深雪の目が見開かれる。その動揺と共に彼女の力が弱まり、再び海斗は地に降り立つ。


「俺が味方だと思っていたって言うのに、美波は……先輩の味方じゃないって言うんですか?」

「それ……は」

「あの二人のやったことは確かに許せない。だけど、自分の復讐のために関係ないみんなまで巻き込んで……これが本当に先輩がやりたかったことなんですか!?」


 海斗の声に深雪の表情が歪む。心の奥に封印した何かが彼の言葉に呼び起される。


「私が、ほんとうに……やりたかった、こ……と?」


 先輩たちから受け継いだレシピを大切に――。

 尊敬する父母を招いてもてなして――。

 みんなで協力してレストランを――。


「え、だって私は……みんなで、一緒に……そのためにあの二人を…あれ?」


 自分の言動が一致しないことに深雪が気付く。みんなと一緒に学校祭のレストランを成功させようとしていたのに、その料理部を巻き込み、みんなを傷つけ、自分から大切にしていたものを壊そうとしている。


「みんな……伊薙君…神崎さん……あれ、なんで?」

「本当に辛かったなら……」


 勾玉に亀裂が入る。彼女の芯であった部分が揺らぎ、もはや怨みをため込んでいられない。

 海斗は笑顔を作る。泣きそうな顔をしている深雪に、心が壊れかけている彼女を必死に支えるために。


「少しくらい……俺たちを頼ってくださいよ。全部抱え込むの、先輩の悪い癖ですよ」

「――っ!」


 自分は何をしていたのか。自分を分かってもらいたい、理解してもらいたい。それが上手くいかないのに、全部自分で何とかしようとしていた。

 少なくとも、目の前にいる彼と神崎美波の二人は、自分を理解してくれていた。それは自分だけの成果じゃない。二人が自分から歩み寄ってくれたからでもある。それを何故気付いていなかったのか――。

 

「……わた、し…なに、を?」


 勾玉が砕ける。それと同時に、糸の切れた人形のように深雪の体がぐらりと倒れていく。


「先輩!?」

「う……」


 慌てて駆け寄る海斗の前で、深雪はゆっくりと体を起こしていく。


「あれ……私、何で屋上に?」

「……先輩?」

「伊薙君?」


 ぼんやりと周囲を見渡す深雪。もう禍々しい雰囲気も、怨みに満ちた眼を向ける気配もない。


「おかしいな、一度教室に行ったと思ったんだけど」

「何も覚えていないんですか?」

「覚えて……何を?」


 深雪は首をかしげる。海斗の質問に対して彼女らしからぬ受け答えがされ、今までのやり取り全てが彼女の中ではなかったことにされていた。


「いや、なんでもないです」

「……でも、なんだかすっきりした気分。学校祭の準備が進んでいなかったけど、

「えっ?」

「何意外な顔をしてるの、伊薙君。君にもたくさん相談に乗ってもらうからね」

「あ……はい」


 呆気あっけにとられる海斗の前で深雪は立ち上がった。その表情は晴れやかで、不安を抱え込んで押し潰されそうになっていた彼女とはまるで別人だった。


「あら、救急車ね?」


 遠くから救急車のサイレンの音が近づいていることに海斗も気づいた。いや、消防車も一緒だった。それは学校の敷地内に続々と入って来て隊員たちが目まぐるしく動き出していた。


「何かあったのかしら?」

「……もしかして、料理部のみんなが倒れてるのを誰かが気付いたのかな?」

「えっ、料理部の子たちが!?」


 海斗の言葉を聞き、血相を変えて深雪が走り出した。


「それを早く言ってよ伊薙君!」

「わ、待ってください先輩!」


 そんな深雪の後を追い、海斗も痛む体を引きずりながら走り出すのだった――。







「――あーあ、やっぱりちょっと怨みの力が足りなかったかなー」


 海斗たちが去り、誰もいなくなった屋上でひとり、少年はフェンスにもたれかかった。


「面白い御魂みたまだと思ったんだけどね」


 少年が天を見上げる。逢魔が時を過ぎた空は闇の度合いを増し、夜へ向かっていく。


「しかし人間って馬鹿だよねえ。群れなくちゃいられないくせに、群れたら群れたで誰かを排除しようとする。矛盾だらけだ」


 だが、少年は単純に悔しがっているだけではなかった。その結末を楽しみもしていた。

 いじめを受け、絶望していた彼女を堕としたものの、彼女の中にまだ大事なものを守りたいという気持ちが残っていたのが失敗の原因だった。そこを海斗の言葉で揺さぶられたことで自分のやっていることの矛盾に気付いてしまった。


「げに人間の心は理解し難し……まっ、失敗を糧に次に行きましょう。次回のミサキにご期待ください! なーんてね」


 ケラケラと笑いながらポケットから勾玉を取り出す。それは深雪が身に着けていたものとは別の色。


「次は単純に誰かを恨んでいるような子がいいなー。さあて、だ・れ・に・し・よ・う・か・な・て・ん・の・か・み・さ・ま・の――」


 遊び相手を選ぶ気軽さで、次の贄を探していく。そして、その指が突然止まったと思うと、彼はいきなり笑い出す。


「あはは、口が滑った! この僕が“天の神様の言うとおり”なんてね、あはははははは!」


 誰も見ていない黄金と闇に染まった屋上で、一人少年は腹を抱えて笑い転げる。そして、ひとしきり笑った後に再び体を起こす。


「……それにしてもあの男。何者だったんだ?」


 そして次なる興味が向いたのは海斗だった。

 神威も信心も薄れたこの世界で怪異を感じ取り、あまつさえ撃退せしめた彼。


「あの子のミサキをはらったのは偶然じゃない。明確な意思を感じたんだよなあ」


 家庭科室での海斗の言動から、何かと話していたような様子もうかがえる。しかし、イヤホンをつけていなかったし、電話で話していたとも考えられない。

 それに、彼から感じたもう一つの気配。それは――。


「ま、いいか。少しは張り合いがなくちゃ面白くないもんね」


 少年は勢いをつけ、跳ね起きるように立ち上がる。


「それに、邪魔する気ならそのうち会えるだろうし」


 懐から何かを取り出す。それは、深雪がのぞき込んだあの鏡。


「さあて、お陰で少しは面白くなりそうだ」


 鏡が宵の薄明かりを受けて怪しく輝く。老若男女様々な声が雑音の様にめちゃくちゃに混じり合う。その中で、ひと際強い声がはっきりと、その存在を主張した。


『――私が、一番努力していたはずなのに』

「お、いたいた」


 強い思念を感じた少年はフェンスに顔を近づけて、学校の敷地を見下ろす。救急車と消防車が入ってきたお陰で生徒たちにも動揺が広がっているが部活動も中断されているのでその場に立ち止まっている者が多い。


『――どうして上手くいかないの』

「ふんふーん、どこかなー?」


 少年の意思に呼応したのか、鏡はこの声に焦点を当て、その声が徐々に明晰になって行く。悪意の元を探して少年の目は無邪気に動く。だが、その奥底には蛇の様な醜悪しゅうあくさをにじませていた。


『――あたしは、どうしたら』

「はは。なかなか強い心の闇だ……あそこか!」


 そして、少年の目が留まる。グラウンドから外れた一角。整然と区画され、水で満たされた水色の道を泳ぎきった少女の一人からその感情は発されていた。

 彼が視界にその姿をとらえると共に、鏡にもその人物の顔が映り込む。


「面白そうな子、見ぃーつけた」


 伝わる負の感情に少年の口元が緩む。その奥にどす黒い悪意を抱きながら。


「二つ目も、いいミサキになりそうだ」


 邪気に満ちた勾玉を握りしめ、少年は嘲笑あざわらうのだった。




 第一章「慟哭どうこく和魂にぎみたま」 完

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