第24話 岐と呼ばれしもの

「痛てて……」


 食事会も終わって美波と御琴が帰宅した後、海斗は部屋に戻るなりベッドに倒れ込んだ。


『大丈夫、海斗?』

「何とか……あいたたた」


 ミサキが海斗の体を操るのをやめた途端、猛烈な疲労と痛みが体を駆け抜ける。彼女が体を動かすのを助けてくれていたので生活に支障をきたすことはなかったが、本来彼はこの一週間に起きた戦いで疲労困憊だ。


『ごめん……もう少し私が上手く操れていたら』

「言っただろ、文句は言わないって。御琴も助かったからそれでいいよ」


 部屋の隅に置いた竹刀袋に目をやる。その中身はあの時、光の中から引き抜いた御神刀の三日月だ。

 本来は天原あまはら神社に奉納されているはずのそれを離れた場所にいた海斗の手元に手繰り寄せたのも驚くべきことだが、あの時に見た白昼夢と同じようにあやかしを不思議な力で倒したことはミサキに尋ねずにはいられなかった。


「もしかして、何か思い出したのか?」

『勾玉が光った時にいくつかね。三日月の手繰り寄せ方と、あの技を使うための祝詞のりとについて……たぶん、あれは元々私が使えた力なんだと思う』

「あんな化け物を一撃だもんな。それにしても、なんで三日月を?」

『御神刀って言うだけのことはあるわ。あれ、あやかしを倒すために用いられる本物の霊刀よ』

「……なんでそんな物がうちの神社にあるんだ」

『たぶんだけど、あの時に見た光景が関係しているんじゃないかって思うの。あの光景が過去の光景だとすると、あの武者が持っていたのが三日月ってことになる』

「それじゃ、うちの先祖って可能性もあるな」


 昔の武士は化け物退治もしていたという話は日本史の授業でも習った覚えがあった。だがそれは怪現象など得体の知れない存在を「妖怪」と呼び、山賊など人の世を乱す存在を「鬼」と呼んでいたのではないかとも言われている。

 だが、海斗はこの一週間に常識ではくくれない存在に何度も遭遇している。あるいは本当に妖魔の類がこの世に存在していたとしても、もう彼には信じることしかできなかった。


「じゃあ隣にいた巫女さんは?」

『わからない。でも祝詞を唱えて三日月に霊力を受け渡していたところから見て、あの武者と協力関係にある人物なんだと思う』


 神社と言えば三日月が奉納されていた天原神社が真っ先に浮かぶが、あそこは元々伊薙家の氏神を祀るために創建されたと聞いている。歴史も古いそうだが、他に関わった家があるとは過去に祖父からも宮司の親戚からも聞いたことが無い。


「結局、わかったことはほとんどないってことか……あ、そうだ。あと一つだけ」


 みずちを倒した時の事だ。あの時、ミサキと唱えた祝詞の中に気になる言葉があったのを思い出していた。


「『くなど』って何だ?」

くなどの神のことかもしれない。魔除けや道中安全の神様として知られている日本古来の神様の一柱ひとはしらね。「くなど」って言葉は「来てはならない場所」って意味にも通じるの。だから外敵や悪霊を防ぐ神様でもあるのよ』

「へえ……初めて聞いた。まさに悪霊退治にうってつけの神様なんだな。日本の神様なんてアマテラスとかスサノオとかしか知らないからさ」

『だからあの祝詞は「くなどの神のお力をもって悪霊を討ち滅ぼします」って意味になるのよ』

「何でそれをミサキが知っていたのかって思うけど……」

『ごめん、それ以上は私も思い出せていないの』

「だよな。はあ……」


 そう都合よくはいかないものだと、海斗は天井を見上げる。雷で突き破られた屋根は簡単な補修が入っていて何とか雨はしのげそうだ。

 海斗は胸元に手をやる。だがそこにはあるはずの感触はない。勾玉は彼とミサキに白昼夢を見せた後、いつの間にか消えていた。


「……あと二つ、か」


 この勾玉についても、わからないことだらけだ。海斗の手に残っているのは二つ。また事件を解決すればミサキに記憶が戻るのだろうか。


「海斗、おるか?」

「じいちゃん――あいた!?」


 武志が部屋のドアをノックし、呼び掛けて来た。海斗は体を起こした拍子に激痛が走り、ベッドの上で悶えた。


「……何か用?」

「部屋に来んか? 頼まれてたことで、少し見つかったことがあっての」

「わかった。今行くよ」


 頼んでいたこととは、神社に封じられていた何かについてだ。海斗はミサキに頼んで体を動かしてもらい、武志の部屋へと向かった。


「あまり記録が残ってなくてのう。蔵の中からやっと見つけだしたのがこれじゃ」


 そう言って古びた書物を海斗に見せる。


「これ何?」

「ご先祖様の日記じゃよ。あの神社を建てた頃のことが書いてあったわい」

「あの神社の!?」


 海斗は驚き、日記を開く。だが、古文の達筆の上に旧字も多く、海斗には読むことが難しい代物だった。


「まあ、わしにも完璧に読めるわけじゃないんじゃが……どうやらうちのご先祖様がどうやってこの地を治めるに至ったかを記したものみたいじゃ」

「戦国時代にこの地の領主様になったんだっけ?」

「うむ。ご先祖様は元々この地の者ではなかったらしいが、当時仕えていた殿様からこの地一帯を拝領はいりょうして領主になったそうじゃ」

「へー、凄いじゃん。武勲でも立てたの?」

「ううむ……それが、戦働いくさばたらきについての記録がどこにも見つからんのじゃ。日記にあるご先祖様の功績は退の話だけでの」

「……妖怪退治?」


 武志の部屋の隅には古文書が積み上げられている。どうやらかなりの数のものを調べたらしい。


「ここから先はおとぎ話みたいな話でのう。当時、この地には人々を惑わせ、苦しめる妖怪がたびたび現れていたそうじゃ。そこに派遣されてきたのがご先祖様じゃ」

「それで妖怪退治を?」

「うむ。わしらから見れば信じられん話じゃが、現地の協力者と一緒に妖怪を退治し、二度と悪さができんように洞窟に封じ込めたとされておる。この一件で人々からこの地を治めて欲しいと求められ、ご先祖様はこの地の領主になったとのことじゃ」

『現地の……協力者』


 ミサキも気が付いた。もしその話が確かなら、あの時に見た二人は伊薙家の先祖とその協力者ということになる。


「しかし、こういった話は大概いつのことか分からんものなんじゃが……この話はその年号まで記されておるんじゃ。天正十七年……豊臣秀吉が天下統一を果たす前の年のことじゃ。天原神社が建てられたのが天正十八年じゃから、一応辻褄は合っておるがの」

「ねえ、じいちゃん……その妖怪の名前、わかる?」

「妖怪の名前か?」


 武志は付箋がついたページを確認していく。そして、当該のページを示す。


「夜の鳥?」

「これで『ぬえ』と読む。日本の歴史でも何度か登場する正体不明の妖怪じゃ」


 ぬえは鎌倉時代に記された『平家物語』にもその名前が残る妖怪だった。しかし、この妖怪は現在知られているような数々の妖怪と違う点が一つあった。

 それが、その姿を克明に表したものが存在しないということだ。


 ある史料では顔は猿。ある史料では頭が猫。胴体も狸であったり虎であったりと、とにかくどんな姿をしているかがわからない。

 これが転じて、つかみどころのない得体の知れない人物のことをたとえる際にも用いられることがあるほどだ。


「なんじゃ? 神妙な顔をしおって。ただの言い伝えじゃぞ?」

「あ、いや……何でもないよ」


 まだ断言するのは早い。だが、封印されていた洞窟で失われていた封印のための注連縄しめなわと壊されていた要石かなめいし。そして、人を惑わすという怪異。あまりにも引っかかるものが多い。


「歴史というものは支配者がその統治の正統性を示すために作られることが多いんじゃ。だからこの話も後世の者たちが何かしらの出来事を脚色したものじゃろうて。小説で言えば執筆がうちの先祖で、ここにある何たらとか言う協力者が原作と言ったところじゃろう」

「え、ちょっと待ってじいちゃん。その協力者の名前って書いてあるの?」

「うむ、書いておるな。わしにはどう読むかはわからんがの」


 そう言って武志は海斗にその部分を指し示す。そこに書いてあった文字を、ミサキが読み上げた。


『「くなど」……』

「……マジかよ」


 記されていたその名前に、海斗もミサキも息をのんだ。妖怪退治をした先祖。退治され、封印された「ぬえ」、そしてあの時に見た白昼夢の二人に該当する人物。


『どういうこと。くなどの名を持つ人がいたってこと?』

「それじゃあ、この人は妖怪退治の後、どうなったんだ……?」

「記録からわかるのは、元々この地にいた寺社の関係者ということで、天原神社の創建にも関わってはおるようじゃ。じゃが、それ以降は記述が見つからんかった」


 武士の家ならまだしも、文字を使える人も限られる一般人の記録は残りにくい。真偽の分からない妖怪退治の記述にまつわればなおさらと言えた。

 そして武志は書物を閉じ、自分の机に置いた。


「ま、調べた中ではこんなところかのう」

「ありがとう、じいちゃん。色々と助かったよ」

「まあ、ご先祖様のことについて知りたいというのは伊薙家を継ぐ男としていい事じゃ。いくらでも手を貸してやるわい……ところで海斗、お前ずいぶんと暑そうじゃな?」

「え?」


 武志の指摘で海斗は気付く。夏とはいってもまだ初夏だ。夜になって涼しくなっているのに彼は先程から手で扇いだり、胸元に空気を入れたりしていた。


「ちょっといいか……こりゃいかん、熱が出とる。おおーい、咲耶さん!」

「あ、あれ……?」


 部屋から武志が出ていく中、海斗は立ち上がろうとするが体に力が入らない。

 ミサキの助けで体を動かしていたので海斗は全く気が付いていなかった。ここ数日の疲労、この日の川での戦い、そしてそれを押して無理をした結果か。体調を崩していたのだった。

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