第34話 神崎美波
お父さんが処置室に入れられ、お医者さんや看護師さんたちが走り回る中、私は椅子に座ってどこを見つめるでもなく、視線を
「美波……」
「
二人の幼馴染が私を心配そうに見ていた。なんて声をかけたらいいか、わからないみたいだ。
そうだよね。私だってこんな時、どうしたらいいかわからないもん。
「だ、大丈夫だよ。豊秋おじさん、すぐに目を……覚ま…す、から」
だって、二度目だから。
お母さんが死んだ時、そして今回。二人とも私の前でいなくなっていった。
さっきまで元気にしていたのに。夕陽の中で笑っていたのに。
「……でも、神崎先輩のお父さん、どうして突然倒れたんでしょう」
まどかちゃんの質問に、深雪先輩が首を振る。
「私たちだって、いつ病気に侵されるかわからないわ。それは三木さん、あなたならわかるんじゃないかしら?」
「……そうですね。私だってこの間、原因不明で倒れたばかりですし」
「……私のせいだよ」
私がポツリと呟いた言葉に、みんなは驚く。
「そんなことないよ、
「そうだ、美波はいつも豊秋おじさんのこと、気にかけていただろ!」
二人は必至に弁護してくれているけど、どうしてもそうは思えなかった。
そう、きっと私のせいだ。私のせいでお父さんはこんなことになったんだ。
お母さんが亡くなってから、お父さんはいつも仕事で忙しかった。そんなお父さんに、私は何をしていただろう。
「いつもわがまま言って……お父さんのしたいこともさせてあげられなくて」
今日だってそうだ。私の演劇に合わせて、せっかくのお休みを使わせてしまった。無理にスケジュールも調整して、ずっと遅くまで働いて、仕事を家に持ち帰ってまで私と一緒に過ごそうとしていた。疲れていたはずなのに。
「今日だって……久しぶりの休みだったのに、家で休んでいてって……私、言えなかった。お父さんが来てくれるって、言ってくれたから……それに甘えちゃったんだよ」
「違う……豊秋さんは、少しでも美波と一緒に居たかったから」
「じゃあ、私のせいじゃない! 私がお父さんに無理させて、それで倒れちゃったんじゃない!」
「違う! 海斗は、そんなつもりで行っているんじゃ!」
わかってる。わかってるよ
「お母さんが死んだのだって、きっと私のせいだよ! お母さんが死ぬ直前の記憶が全然ないのだって、きっと私にとって都合が悪い記憶だから!」
「もうやめて!」
「放してよ……」
「
「放してよ……
でも、誰かのせいになんてしたくない。みんな大切な友達だから。だから自分しか責めることができない。自分で自分を傷つけることしか、できないんだから。
「……神崎さん。今、病院のみんなが必死に頑張ってるわ。きっとお父さんは大丈夫よ」
「そ、そうです。私もここでおじさんが目を覚ますまでお付き合いします!」
深雪先輩も、忙しいはずなのに。まどかちゃんも施設に帰らなくちゃいけないはずなのに。
「美波、豊秋おじさんがお前を置いていくはずないって。ここで待っていようぜ」
「そうそう。あたしたちも付き合うからさ。一緒に待ってよ?」
「……うん」
やっと
「ほらほら、涙でぐしゃぐしゃだよ。一度お手洗い行って来たら?」
「……そうだね」
「ついて行こうか?」
「大丈夫。ひとりで行けるから」
「それじゃ、あたし自販機でジュース買って来といてあげる。今日はおごっちゃうんだから……あ」
「どうしたんだ、御琴?」
「……財布忘れた。海斗、お金貸して」
「……お前な」
「あはは、
二人のやりとりで、ようやく笑えた。カイくんも、
「ありがとね」
「このくらい、お安い御用だって」
「そうそう、気にしない気にしない」
たぶん、二人がいなかったら私はもっと早くに心が押し潰されていたかもしれない。だから、二人には本当に感謝している。
「じゃ、ちょっと行ってくるね」
「ああ」
「うん。行ってらっしゃい」
ああ、二人にはたっぷり迷惑かけちゃったな。今度、美味しい料理でもご馳走してあげなくちゃ。カイくんも知らない特別なレシピを――。
「――あれ?」
ここはどこだろう。
私はお手洗いに行こうとしていたはずなのに、気付いたら涼しくなった外の風を受けていた。
「屋上……?」
周りを見渡してやっとわかった。ここは、病院の屋上だ。柵の向こうにはほとんど沈みかけの夕陽が見える。たぶん、カイくんたちと別れてからそんなに時間は経っていないはずだ。
ボーっとしていていつの間にかここまで来てしまった?
それはない。さすがに屋上とお手洗いを間違えるなんてあるはずがない。
「戻らなくちゃ」
キツネにつままれたとはこういうことなのだろうか。そう思って振り返った瞬間だった。
「戻ってどうする気だい?」
「っ!?」
振り返ると、すぐそこに男の子がいた。ずっとそこにいたのだろうか。まるで気配がなかった。
「戻ったところで君に何ができるって言うのさ?」
「……お父さんの無事を祈るの」
「祈る? 神様にかい? それとも仏様にかい? あはは、馬鹿だね。そんなことしたって奴らは応えちゃくれないって言うのに」
小馬鹿にするように彼は私に言う。初対面の人だけど、この人と話していると
「死ぬ時は死ぬのさ。人の祈りなんて何の意味もない」
そんなことは分かっている。だけど、祈らずにはいられない。それが、唯一の肉親ならなおさらだと私は思う。
「所詮は他人なのに、どうしてかなあ。いつだって人は誰かと一緒に居たがる。ねえ、どうしてかわかるかい?」
「……知りません」
「無力さを感じたくないからさ。誰かのせいにするか、誰かと一緒だから自分は大丈夫だって思い込めるんだ。実際には自分が無力だってことから目を逸らしてね!」
「――っ!?」
それは、さっき自分が思っていたことそのものだ。自分には何もできない。だけど、何かが悪かったという所に責任を求めた。みんなの励ましで気分が軽くなった。
実際には、お父さんが倒れたという問題は解決していないのに。
「し、失礼します!」
男の子の前を通り抜け、私は走り出す。もう一秒も話していたくなかった。
「そうか。せいぜい無駄な祈りを捧げるといいよ。そして君は一人になる――お母さんが死んだ時みたいにね」
「――えっ!?」
今、どうして。
どうしてこの子は、私にお母さんがいないことを――!?
「――ふふふ、心の中を見透かすのは得意なんだ。こいつのお陰でね」
振り向いた私の前に、鏡が掲げられていた。蛇の形に縁どられた古びた鏡が。そして、そこに写る私が、私に語り掛けて来る。
『カイくんと
鏡の中の自分が勝手に動くなんて、いつもなら驚いているはずなのに、何故だか今だけは目を逸らせなかった。そして、私の言う言葉から耳を塞げなかった。
『ねえ、もうやめちゃおうよ。誰かに頼るの。強くなりたいんでしょ。本当は?』
「……そうだよ。強くなりたい。カイくんにも、
強くて、優しくて。そんな私の憧れが死んだお母さんだ。お母さんみたいになりたい。それが、私の小さい頃からの目標。
『でも、無理だよねー。だって、いつも二人に頼りっぱなしだもん』
「……っ」
その通りだ。今の私はカイくんたちに支えられっぱなしだ。お母さんが死んだ後、料理の勉強、運動、勉強。いつも三人一緒だった。そんな関係が心地よくもあったし、ずっと一緒に居たいって思ってる。
『でも、それでいいの?』
「……何が言いたいの」
『だって、みんないつまでも一緒じゃないでしょ?』
「……っ!?」
私が少しずつ抱き始めていた不安を、鏡の中の私はあっさり見抜いた。
『深雪先輩とまどかちゃんは卒業したら離れ離れ。カイくんも、
「そんなことわかってる! でも、私たちはそれでも友達で――」
『お母さんみたいに死んじゃっても同じこと言える?』
「――っ!」
見たこともないような、悪意を含んだ笑顔。今すぐにでもこの場所から離れたい。それなのに、どうしても足が動かない。鏡の中の自分の言葉が、私をこの場所に縛り付けてしまう。
『そう。いつかはみんな死んじゃうんだよ。その時に、誰が私を支えてくれるの?』
「そ、それは……」
『お母さんが死んだらお父さん、お父さんが死んだらカイくんと
「……誰も、いないよ」
胸が苦しい。それでも、私は必死に言葉を返す。すると、今度はもう一人の私が優しく微笑む。
『そう思う?』
「……え?」
『大丈夫。すぐ近くに一番信頼できる存在がいるじゃない』
「一番、近くに……?」
その言葉に、私は思わず鏡をさらに覗き込んでしまった。
『そう――私がね』
「――っ!!」
もう一人の私が目を見開く。目が合った瞬間、私は自分の中にありえない感情が湧き上がって来た。
『大丈夫。私はずっとそばにいる。だって私だもん』
「……そうだね。私がいれば大丈夫」
そして、その感情を私は否定できない。どれだけ矛盾していても、どれだけ自分にとって禁じられた行いであっても、それは正しく感じる。
『ずっと一緒なら、何も怖くないよね』
「……うん。怖くないよ」
『そう。大切な人がいるから失うのが怖いんだもんね』
「……うん。大切な人がいなくなっちゃうのが怖いよ」
私の言葉がとても心地いい。私が抱いていた不安を全部取り去ってくれるような優しい言葉。
『それならさ』
「うん」
『最初から』
「最初から」
『いなければいいよね』
「――うん、いなければいい」
ああそうか。どうしてそんなに失うのを怖がっていたんだろう。最初から大切な人がいなければ、失う怖さなんて感じなくて済むんだ。
お母さんも、お父さんも、カイくんも
最初からいなければ、私は苦しまずに済む。悲しまずに済む。
「くっくっく……あっはっはっはっは!」
男の子が笑う。最初は不気味な存在だったけど、今は大切なことを気づかせてくれて感謝にも似た気持ちがある。
「さあ、仕上げだ。こいつをあげるよ」
男の子が何かを取り出す。真っ黒で、胎児みたいな形の石。確か勾玉って言うんだっけ。
「その闇、解放してあげるよ」
「――――っ!」
石が強く輝いた。私の中にいた何かが、それに応えるかのように暴れ出す。
「あ……ああああーっ!」
体の中から黒い煙が噴き出す。それが私の前で集まって、何かが生まれていく。
「あははははは! さあ、第三幕だ!」
男の子の声が消えていく。違う、私の意識が、中から溢れ出て来た真っ黒な感情に乗っ取られていく。
一人になりたくない。一人は嫌だ。そんな孤独の感情。
「行けミサキ! 全てを壊してしまえ!」
最後に見たのは、夕陽が沈んだ瞬間。世界から光が消え、真っ暗に塗り潰されていく。それは、暗闇の中に私一人が取り残されたようで――。
『大丈夫だよ。私がいる』
うん、大丈夫。私は、ずっと一人じゃない。
――だからもう、何もいらない。
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