第11話 記憶の断片

 海斗かいとが目を開いた時、まず最初に飛び込んできたのは濃い青だった。

 抜けるような初夏の青空。今日もいい天気になりそうだと海斗はぼんやりとした寝起きの頭でそう思った。


「しまった……寝ちゃったのか」


 部屋は相変わらずぐちゃぐちゃのまま。片付けもろくにできていない。

 だがそれも当然のことと言える。昨日はあまりにも多くのことがあった。

 落雷、ミサキ、鎌鼬かまいたち、邪気、勾玉……ただの高校二年生には処理しきれるものではない。深雪とともに料理部の子たちを救急車に乗せた後は強制的に生徒は家に帰され、戦いのダメージを抱えたまま学校から帰ると、そのまま倒れ込むようにしてベッドに入ってしまったのだ。


「痛みは……ちょっとあるな」


 それでも普段から祖父に鍛えられていたこともあり、体を動かすのに支障がないくらいには回復していた。


「……腹減った」


 昨晩はそのまま寝入ってしまったので何も食べていない。そう言えば夕食を作る予定だったのにすっぽかしてしまった。


「何か作るか……って、その前に着替えないと」


 校内で鎌鼬かまいたちにワイシャツの肩口を切り裂かれたままだった。家庭科室で戦った時にもあちこちを切られている。さすがにこのまま学校に行くのもまずい。着替えるためにボタンを外して脱ごうと――。


「あれ?」


 そこで海斗は手が止まった。昨日はこのタイミングでミサキが悲鳴を上げていた。だが、今朝はそんな気配がない。一体どうしたというのか。


「ミサキ?」


 呼び掛けてみるが反応がない。寝ているのだろうか。そもそも彼女は寝る必要があるのだろうか。


『ちょっと海斗、何で答えないのよ!』

「おわっ!?」


 そんなことを思っていた矢先、耳元からミサキの大声が響いた。


「何だよミサキ、いきなり!」

『いきなり? こっちはさっきからずっと呼び掛けていたのよ。あんたの

「は?」


 ミサキの言葉に首をかしげる。ほんのわずかでも人の声が聞こえていた覚えはない。


「目の前ってどういう意味だ?」

『もしかして、全然聞こえてなかったの?』

「いったい何の話だ?」

『こう言うことよ……って、やっても見えないのか。はぁ……』


 ため息をつかれる。海斗には彼女が何を伝えたいのかわからない。


『もうすぐ、あんたのおじいちゃんが部屋に来るわ』

「なんで、お前がそんなことわか――」

「おお、起きとったか海斗」


 昨日の落雷の衝撃で壊れたドアは既に取り外してある。廊下から海斗の祖父、武志たけしが部屋をのぞき込んでいた。


「え、なんで……?」

「なんじゃ、まだ寝ぼけておるんか? わしの家なんじゃからおって当たり前じゃろう」

「ああ、そうだよね。俺、何言ってるんだろ。あはは」

「まあ、疲れておるのも仕方ないかのう。昨日は学校が大変だったみたいじゃし」


 昨日の事件はニュースでも報じられていた。学校祭前の高校で校内にいた者が教師生徒を問わず集団で気を失う謎の事件。ガス漏れか、集団パニックかなど様々な推測がされているそうだ。


「ああ、ごめんじいちゃん。夕食作れなくて」

「構わん構わん。お陰で久しぶりにインスタントラーメンを食べることができたからのう。あれもたまには良いものじゃ!」


 豪快に笑い飛ばす武志。海斗が夕飯を作れなかったことについては特に気にしていないようだった。


「それよりも海斗よ」


 唐突に、武志が神妙な顔で海斗をにらむ。いきなりの雰囲気の変貌に海斗はぎょっとした。


「お前、ずいぶんボロボロで帰って来たんじゃのう。ケンカか?」


 ワイシャツの破れや海斗の負ったダメージを武志も見逃していなかった。日常生活でつくものではない。何かあったと考える方が普通だ。


「……うん、美波を守るためにね」


 隠し事をできる相手ではない。だから海斗は真実のみを答えた。


「そうか、お前がのう」


 少し驚いた反応をして、それからニヤッと武志は笑う。


「もちろん勝ったんじゃろうな?」

「……当然」

「うむ。それでこそ我が孫じゃ。がっはっは!」


 そして、武志もそれ以上追及するつもりはなかった。普通なら孫がボロボロになるくらいのケンカをしてきたら追及をする。それに、美波も被害に遭ったこともきっと母親を通じて彼の耳に入っているはずだ。美波を守って戦ったというのなら、その現場に海斗がいたことになる。

 だが、学校で何があったのか、武志は聞かない。彼自慢の孫は後ろ暗いことをするような男ではない。そんな信頼があった。


「いけね、もうこんな時間だ。学校行かないと」

「おお、そのことじゃが。今日は休みになったみたいじゃぞ」

「え?」

「まあ、仕方ないじゃろ。倒れた子たちは様子を見にゃならんし、学校もマスコミやら警察の対応をせにゃならん。授業どころじゃないわい」

「ああ……てことは母さんは?」

「うむ。今日も早く出ていったわい。じゃから海斗、何か作ってくれんか。朝からインスタントラーメンはさすがにちときついからのう」


 言ったそばから武志の腹が鳴る。海斗は苦笑して「了解」と答えるのだった。


「……なあ、さっきは何でじいちゃんが来るってわかったんだ?」


 廊下を歩く中で海斗はミサキに問いかける。武志が部屋に近づいていたことは見ていなければわからないはずだ。


『そうそう。海斗にそれを言いたかったのよ!』


 ミサキから伝わる言葉は興奮に満ちていた。そして彼女は自慢げに衝撃の言葉を放つ。


『私、海斗の体から抜けて動けるようになったの』

「はあっ!?」

「な、なんじゃ海斗!?」


 海斗の思わず発した声に武志が驚きの目で彼に振り返る。慌てて海斗は何でもないと取りつくろう。


『霊力もある程度戻って来たみたいだし、記憶もちょっと戻ってる。もしかしたら昨日の事件を解決したお陰で何か変化があったのかもしれないわ』

「じいちゃんが来るのがわかったのはそれが理由か」


 海斗が起床した時には既にミサキは彼の体から抜けて周りを見て回っていた時だったらしい。確かにそれなら彼女の声が聞こえなかったのも頷ける。


「それなら、なんで俺はミサキのことを視れなかったんだ? 今は幽霊とか見えるんじゃなかったのか?」

『海斗の中にいた時は私と視覚を共有していたからでしょうね』

「そうか、俺の体から出たら共有しなくなるから……」

『誤算だったわ……それに霊体のままじゃ何も触れないし、何の意味もないじゃない』


 ミサキの心底残念そうな気持ちが海斗に伝わって来る。本当ならば自分の姿を見せたかったに違いない。喜んだ反面、落胆も大きかったのだ。


『というわけで、もうしばらくお世話になるわ』

「えー」

『仕方ないじゃない。海斗しか頼れる人がいなんだもの』

「……やれやれ」

『大丈夫。着替えの時は出ていくから』

「それは助かるけどな」


 しかし、最大の懸念事項だった風呂やプールの授業の際の着替えなどの問題はクリアできたと言える。昨日はトイレに行くだけでも色々と大変だったのだから。


「……それにしてもお前、どんどん幽霊じみて来てないか?」

『……言わないで。私もちょっと思ったから』


 結局、何も進んでいないと言える。だが、それでも進もうとしなければならない。彼らにはまだ残されている謎がある。それを検討しなくてはならないのだ。


「そう言えば記憶がちょっと戻ったって――」


――必ず、みんなを守るんだから!


 先ほどまで見ていた夢がフラッシュバックする。あれはいったい何だったのだろうか。だが彼女が泣き叫んでいた姿が海斗の心に引っかかる。彼女に語りかけていたのが誰なのか。それこそが、彼女の正体を知る鍵なのかもしれない。


「何か思い出したことはあったのか? ここへ来る前のこととか」

『やっぱり断片的な記憶がいくつかあるだけで、私の過去に繋がるものは全然ないわ。でも、ちょっと気になる言葉があって』

「言葉?」

『うん、誰かが私に言っていたの。それが誰かは分からないけど――』


 そして海斗はミサキの言葉に、あの夢が彼女の記憶の一部である確信を得るのだった。


『「み……を守れ」って』

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