another side(3)

 夕暮れに沈む小屋に、リズムをつけたノックが密やかに響いた。


 開いた扉の隙間から滑り込んだのはタキだけだった。マサキは彼の背後に広がる夕闇を確認して首を傾げた。


「ひとりか」

「ハヤトさんは、ナズナさんのところに寄るって。一緒に花火を見たいそうです」


 我がままの代弁をさせられたタキは、まだ少年の面差しが残る上目遣いで居心地悪そうにもじもじしていた。マサキは肩をすくめると頷く。ほっとしたタキの様子に苦笑しながら、細く開いた窓の外を見やった。


「お前も、一緒に花火を見たい相手がいるなら遠慮しなくてもいいぞ」


 軽く振ると、タキは笑いながら一枚の紙を差し出した。


「そんな相手、いませんて」

「この前は、羨ましがっていたじゃないか」

「今はいいです。ハヤトさんたち見てるだけで、こっちまで幸せになれるから」


 はにかむタキから紙を受け取る。朝からハヤトとタキは、これを受け取るため地聖町に赴いていた。ミカドの居城『方舟』に潜入している仲間からの報告書だ。

 汗を拭う手を止め、タキは穏やかな顔で尾根のほうへ目を向けた。


「ほんと、あの二人、見てるだけでお腹一杯ですよね」

「そうだな」


 ほんの僅かでも顔を出す時間を作れたら、ハヤトは足しげくナズナの元へ走った。もちろん、今まで通り周囲への警戒や仕事ぶりは怠らない。

 好意を自覚したら真っ直ぐに愛情を注ぐ様は、マサキが見ていても微笑ましく、羨ましいものだった。

 はたして自分もサクラへ真っ直ぐ想いを注ぎ続けていたら、今頃はどのようなことになっていただろうか。詮無きことを考えるマサキの耳が、かすかな物音を聞きつけた。


 祭りへ向かう村人の足音にしては、方向が違う。尾根を越える小道をはずれ、この小屋へ近付いてくる。それも、ひとつ、ふたつではない。かなりの数が、間隔を開け、あらゆる方角から近付いていた。


(完全包囲するつもりか)


 程なくしてタキも同様の音を捉えたとみえ、マサキへ目で合図した。


「しかし、祭りまで催すとは。余程価値ある鉱脈を当てたとみえる」


 口では世間話を続け、マサキは足音を忍ばせて壁際へ寄った。


「そうですね。中央から研究者も来てるらしくて」


 話を合わせるタキへ、手で指示を出す。


『退避』


 マサキは床板のひとつを静かに踏み込んだ。梃子の原理で、床の一部が板の継ぎ目に沿って持ち上がる。床下に掘られた深い縦穴の入り口が開いた。

 タキが暗い縦穴へイタチのように身を滑り込ませたのと、小屋の扉へ何かが衝突するのと、同時だった。蝶番が軋み、扉の内側に亀裂が走る。タキの後を追うつもりで腰を下げたマサキは、思いなおして足を放した。


 抜け道の入り口が音を立てて閉じた瞬間、扉が完全に押し破られた。木の屑が盛大に飛び散る。


「随分荒ぶったお客様だな」


 肩をすくめるマサキを、駆け込んだ数名の男女が囲んだ。それぞれ自分の得意とする間合いを取っているため、距離はバラバラだ。

 自分を囲む殺意に気を配り、内心マサキは眉をひそめた。


(珍しい)


 いつもは、報奨金の分け前が減ることを嫌って個々で動いている狩人が、これだけの数で行動を共にするのは今までになかった。


(どこまで時間を稼げるか)


 タキが逃げ込んだ縦穴は、大人の背丈の倍の深さがある。壁に手掛かりらしいものはなく、よじ登ることはできない。底に続く横穴を通って、村があるのと反対の尾根を横切った先に出るしかなかった。そこから、最後の「仕事」のため明朝地聖町へ向かう仲間の元まで走り、救援を呼んで戻るまで。


(もつかな)


 右手の男が動いた。それをきっかけに、我先にと狩人たちはひとつの獲物目掛けて行動に出た。


(なるほど。寄せ集めではあるが)


 振り下ろされる武器も、動きもまちまちだった。最も速くマサキに近付いた男の刃先を、足を引いてかわし後頭部を払う。勢いのままつんのめった先にいた女の腕を刃が貫いた。次に振り下ろされた棍棒をかいくぐると相手の手首を掴み、片足を軸に身体を反転させ胸倉から背負う。同時に身体を勢いよく屈めると、投げ飛ばされた男と向かってきた別の男が互いに頭部をぶつけ合って昏倒した。

 足元を狙って薙ぐ鎖を間一髪で避け、横から向けられた銃口目掛けて発砲する。胸部から血を噴出し倒れる女の銃から発せられた弾が、天井のどこかに当たり木屑が零れ落ちた。目に木屑が入って気が逸れた男の腕をねじ上げ、崩れ落ちる顔面へ膝を打ち込む。


 たちまち床に横たわる十数名を見て、戸口から新たに侵入した者たちは腰を低く構えたまま動きを止めた。


(一体誰が、この一団を率いている?)


 壁で背後を守り、マサキは注意深く戸口を塞ぐものたちを見た。藍色の星明りを背景にひしめく影の一部が道を開けるように蠢く。


 その時、ヒュルと音がした。刹那、辺りが白い光に包まれる。尾根の稜線を黒々と描き出し、花火が上がった。

 闇に慣れた目をしかめた隙に、五名ほどが一斉に動いた。


「なっ」


 マサキの項に、ぞわりと悪寒が走った。先ほどタキが持ち帰ったメモの内容が頭を過ぎる。


『方舟内部、一様に生気なし。全く同じ行動、反応。操られている?』


 一読したときは、何を示しているのか分からなかった。今マサキの目の前に動いているものたちは、まさに文面の通りだ。

 地郷公安部員時代、何度か部下の一斉行動訓練を見たこともあったが、どんなに統率の取れた集団でも個々の思いややる気に差があり、目の色や表情、動きに僅かな違いが表れていた。

 しかし、目前に迫る敵は、一人の手の指のように、ただひとつの意志の下で動いているようだ。暗闇の中でも感じる彼らの顔に生気はなく、よって気配も薄い。

 同時にマサキへ達するだろう彼らの腕のどこから避けるか判断がつかない。どこかを優先すれば、他のどこかを確実に取られる。


 立ち尽くしたのは一瞬だったはずだ。それでも、マサキは腹と肩、両腕へ同時に衝撃を受け、壁へ押し付けられてしまった。


 二発目、三発目の花火が上がる。色鮮やかな光を背負い、ゆるりと進み出た姿があった。


「シゲ、か」


 ハヤトの父と、母を殺した因縁の相手が、そこに居た。

 薄い頭髪をひっつめに結び、皮膚を鋭利な刃物で切り開いたような細く鋭い目をした細身の狩人は、ゆっくりと唇の両端を引き上げた。


「あんたに用は無い。カゲでハヤトと名乗る奴は、どこだ」


 肩へ食い込んだ男の手が、喉へにじり寄る。顎を引き、束縛してくる力が弱まる隙を窺うが、男たちはいずれも、少しもぶれない力でマサキを壁に張り付け続けていた。頑丈な鎖で縛られているのと同じ束縛感。少しでも緩みが生じないか足掻くが、びくともしない。身じろぎをするマサキに、シゲが歩み寄った。


「ま、大人しく吐くわけがないな」


 力を失った右手から銃をもぎとられる。撃鉄が音をたて、血流の減少で動きの鈍った掌に銃口が押し当てられた。

 銃口からほとばしる火花に、マサキは激痛に耐えかねて目を瞑った。瞼の裏に、顔が浮かぶ。


(ハジメ)


 楽しそうに笑うシゲの背後で、花火は打ち上げられ続けていた。




 寄せ集めの狩人たちが、まるで操られているかのように一糸乱れず動く様は、異様だった。

 かねてから地郷政府の背後にテゥアータの関与が噂されているが、自国の民を苦しめるよう力を貸す理由が思いつかない。

 数の上でも装備の上でも圧倒的に劣勢なカゲが、領主や政府、地郷公安部が公然と支援する狩人と対等に存在し得たのは、団結力の違いだった。

 頭領をたて、組織として動くカゲに対し、狩人は個で動いていた。

 もし、「狩人の祖」と崇められるシゲが先頭に立ち彼らをまとめあげれば、勝ち目はない。そう、先代の頭領も言っていた。


 意識が薄れつつある中、今更考えても仕方の無いことをマサキはつらつらと考え続けていた。


 全身、あらゆるところを斬られ、相当に血が流れたであろうのに、感覚が麻痺して痛みを感じることはなかった。

 狩人たちはすでに一人残らず撤退したのか。かすむ視界の範囲に動くものはなく、辺りは、不気味なほどに静まり返っていた。


(聴覚もやられたのか)


 すぐさま否定した。かすかな物音が聞こえた。

 肩をつかまれる。


「マサ」


 目の前にあるはずのものが見えない。泣き出す手前の顔をしているのだろう。仕方の無い奴だ、とマサキは息を吐き出した。


「見れたのか、花火は」

「なに言ってんだ、こんな状況で」


 間があった。辺りを改めて確認したに違いない。


「どういうことだよ、これ」


 彼の手が触れているところだけ、マサキは自分の肉体の存在を感じられた。意識がここに留まれる時間はもう僅かしかない。開くのも億劫な瞼を引き上げ、声の方向へ目を向ける。


「危険だ。逃げろ、すぐに」

「断る。出来ない。誰だ、こんな」


 思い当たったのだろう。彼の語気が途端に強くなった。


「もしかして、奴か。前言っていた、シゲっていう」


 肯定も否定もしなかった。シゲを討ったとして、根本的に状況が変わるとは思えない。背後に蠢くなにか。それを突き止め、消さないことには同じことが繰り返される。だが、突き止めることすら、カゲには出来ないだろう。


「生きろ。それが、奴への、最大の復讐だ」


 果たして、彼の耳までこの声は届いているのか。鼻先に、彼が変装に使う鬘の毛先が当たる。


(ここまでか)


 彼の、本当の名を呼んだ。


 強くなれ。全てを赦せるくらい、強く。


「マサ! 逝くな!」


 必死の呼び声に応えることも叶わなかった。 

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