another side(2)

 地下室から戻ったマサキは、部屋の扉を前に動きを止めた。微かな違和感に警戒し、音をたてないようドアノブを回す。


 細く開いた隙間から光が溢れた。手元さえおぼつかない闇を見ていた目に、小さなランプの灯りは眩しすぎた。明るさに慣れるまで十分に時間をとり、さらに扉を開いていく。

 明らかになった違和感の正体に、マサキは安堵と驚愕の息をついた。


 いつの間に戻っていたのか。湯浴みも済ませたのだろう。鬘を外した彼本来の髪は、毛先が湿って束になっている。机上のランプが逆光となり、淡い金髪を透き通った飴色に縁取っていた。仕事の時と異なるゆったりとした服に身を包み、椅子へ横向きに座っている。片膝を抱え、どこか遠くをぼんやりと見ていた。細い鎖を絡めた指先が、時折思い出したように動く。

 腰に携帯した銃が意味を失うほどに無防備な様だ。扉を完全に開いても尚、金の瞳は動かない。


 マサキはわざと大きな咳払いをした。ようやく彼がビクリと肩を震わせる。一瞬鋭く辺りを見回した目が、マサキを捉えて、気まずそうに伏せられた。


(重症だな)


 『藤紫』に潜入していた、蓮華という狩人と刺し違えた傷は、内部で炎症を繰り返しながらもすでに完治している。仕事も負傷以前と同様にこなせるようになった。

 しかし、不調を押して『藤紫』の様子を見に行って以来、塞ぎこむようになった。今のように、父親の形見を無意識に弄びながら物思いに沈む。


「茶を沸かすが、飲むか?」


 何事もなかったように聞けば、小さく頷く。もそもそと座り直した。指には、鎖が絡まったままだった。


「店には行ったのか」


 薬缶を火にかけ問うと、今度は無言で俯いた。


「いいのか? 彩羽さんのこと、このままで」

「あやは、は」


 クッと声を途切れさせて、刹那、彼は歯を食いしばった。が、短く息を吐いて続けた。


「すぐ、忘れるよ。どのみち、目をつけた奴らがいなくなったから、引き揚げる予定だったんだし」


 平淡に流す声に反し、拳は爪が食い込むほどに握られていた。気が付かない振りをして、マサキはとぼけたように続けた。


「彩羽さん、復帰したそうだ。前よりずっと綺麗になっていると、町どころか村でも噂になっている」

「ふぅん」

「自分をここまで成長させてくれたお客様に感謝していると、言っているそうだ」

「いい客で、良かったな」

「彼がくれた布で仕立てた服で、自分を鼓舞しているらしい。青地に、ナズナみたいな模様の」


 彼が顔を伏せた。少々追い詰めすぎたかと危惧しながら、マサキは彼の反応を待った。


 薬缶の口から盛んに湯気が上がり始めた。薬草を混ぜた茶葉を入れると、清々しい香りが立ち昇った。が、爽やかな空気は直ちに霧散し、重苦しい沈黙にとって変わった。


 マサ、と虫の羽音かと思う弱い声が発せられた。


「俺、いつまで生きたらいい?」


 苦いものがマサキの胸を塞いだ。敢えて何も感じなかった振りをして器を手にした。


「まるで、他人のために生きているような言い方だな」

「だって……そうじゃん」


 否定できない。

 彼に背を向けているのをいいことに、マサキは強く目を瞑った。


 ぽつぽつと、彼が言葉を並べていく。


「俺がいなかったら、母さんだって死なずに済んだし。コウも、レンも。リュウも。彼女も、親友を失わずに済んだ」


 表情を変えないまま、ペンダントを握り締めた拳だけが小さく震えていた。


「マサキだって」

「そうとは限らないだろう」


 ふたつの器に茶を注ぎ、ひとつを彼の前に置いた。向かい合った椅子に腰掛け、組んだ両手を机に載せた。


 十六年間。


 彼がここまで生きるために、幾つの命が犠牲になっただろう。彼を逃がすため。盾となって。襲い来る狩人に討たれ。


 その度に自分は、彼に言い続けた。

 守ってくれた人の分も生きろ、と。


 だがそれは、細い双肩で支えるには、あまりに重い。


 向けられた銃口の前で、突きつけられた刃の先で、ふと彼の目から闘志が消えるるのをマサキは何度か見てきた。

 暗い死の淵を、羨望の眼差しで覗き込む気配を感じていた。


 それでも足掻きながら生き続けている理由。それが、マサキに生きる理由を与えるためであると、地郷公安部員時代の上司だった亡き先代の頭領から聞かされた時は、動揺のあまり、何も感じられなかった。


 今では、哀れにも、申し訳ないようにも思う。


 湯気が踊る液面を見つめ、マサキは心中でため息をついた。


(時期も、悪かったな)


 カゲのハヤトが『藤紫』の彩羽という女の元へ通っている。狩人へ情報を流したのがリュウだと判明したとき、彼はその場で迷わず「始末」した。


『ハヤトさん、すごく冷静でした』


 立ち会ったタキの報告を聞き、マサキは眉を潜めた。本来の姿を明かしていなかったとはいえ、最も信頼し、共に窮地を乗り越えてきた兄貴分を平常心で撃てるほど、彼は冷淡な青年でないはずだった。


 日を置かず、彩羽殺害計画を知った。彼が負傷して戻ったときに、マサキは、遅ればせながら不安が的中したことを思い知らされた。


 一瞬の躊躇が生死を分ける。幼い時分から身にしみて知っているはずだ。だが、簪を手に襲い掛かる蓮華への発砲を、彼は躊躇った。タキが彼の「何があっても手を出すな」という命令を無視しなければ、命はなかったかもしれない。


 いや、もしかしたら彼は、そうなることを望んでいたかもしれなかった。


 蓮華を親友と呼ぶ彩羽の気持ちを慮り、護身を躊躇う。


(それほどに、情を深くしたか)


 悲しむ彼女を慰めようと無理をして赴いた『藤紫』で何があったのか。上司であり養父であるマサキにすら、なにも打ち明けようとしない。


(潮時か)


 茶の器に添えていた手を開いた。幾人もの血にまみれた手。


「リオから、報告があった」


 地郷政府の中心部に潜入している仲間の名に、ハヤトは眼つきを鋭くした。カゲの射撃手としての顔になる。


「昨今のミカドの独裁ぶりは目に余る。おまけに、一貫性がない。密かに物資や技術をテゥアータに流している形跡もある。憤りを募らせている官僚も多い」


 一度言葉を切り、耳をすませた。遠くで川が流れる。風が木の枝を軋ませる。そのほかの音は、なかった。ハヤトは、カゲの優秀な一員としてマサキの言葉を待っていた。


「ミカドを、討つ」


 ハヤトが息を詰めた。マサキは強く頷き、拳を固めた。自分で口にしていながら鼓動が速まる。


「時期は決めていない。準備が整い次第。人員の候補は決めてある。お前とタキは」


 背筋を伸ばすハヤトの目は、次なる使命に燃え、獣のようにらんらんとしていた。


「今回の任務からはずす」

「は?」

「俺たち上層部のみで行動する。実行に移すと同時に、カゲを解体する」

「待てよ」


 食って掛かる勢いでハヤトが立ち上がった。机に乗り出し、声を抑えながらも怒鳴る。


「そんな危険なことを、俺たち抜きでやるなんて無茶だ」

「カゲ結成当初から幾多の修羅場を生き抜いてきた古参では、心許ないと?」


 にやりと返せば、言葉を詰まらせて目を泳がせる。いきりたつハヤトを静かに見上げ、マサキは続けた。


「このままでは、カゲも狩人も、双方が無駄に消耗するだけだ。根を絶たねば、枝葉は枯れない」


 そっと、柔らかな金の髪へ指を通した。


「お前たちは若い。身を潜めながらも、幸せを掴め」


 母親譲りの顔が、くしゃりと歪んだ。きつく閉じた瞼の間から、ぽろぽろと涙が零れ落ちる。


「嫌だ。無茶言うなよ。こんな状況にひとり放り出されて、どうやって」

「いますぐ、というわけじゃない。それに、ひとりじゃないだろう。タキも、リオも、ユズも居る」


 ぽんぽんと頭を叩く。小さな少年だったときと同じように。顔を涙まみれにしながら、唇を噛み締め、真っ赤な目ですがるように見つめてくる姿は、今もあの頃と変わらない。

 母を亡くし、事情があってマサキと引き離された後再会した、四歳のときと。


 自分ひとり置いていかれる恐怖と不安に、立ちすくんでいる。


(辛いのは、お前だけじゃない)


 心の内を悟られないよう、マサキは精一杯の笑顔で頷いた。


「彩羽さんも、居るだろ」


 マサキは確信していた。


 彼女なら、この青年を支えてくれるはずだ。何事にも動じない強い人物像という鎧を纏った、繊細でもろい彼を。

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