18.宣戦布告
「あんた宛に荷物よ」
投げつけられた包みを、彩羽は顔で受け止めた。手を出す気力も体力も残っていない。膝に落ちた包みをぼんやり見やる。
業を煮やした沙月が、いらいらと近付いて手荒く包みを開いた。
「ほら」
広げられたのは、仕立てあがった服だった。ハヤトがくれた青い布で縫われたドレス。服毒から回復してすぐに、流花町内の仕立て屋に発注していたことも、すっかり忘れていた。
しなやかにうねる青の中に咲く白い花のような模様を見て、彩羽は嗚咽した。
何事も良くなっていると信じていたあの頃に、戻りたかった。
「いい加減にしてよ。蓮華もあんたもいない分、そりゃ私は儲かるけど、さすがにしんどいんだから」
はぁ、と盛大にため息をつく沙月を、彩羽は潤んだ目で見つめた。
(そういえば沙月、ちょっと痩せた?)
分かっている。こうして仕事をせず落ち込んでばかりでは、他の女にしわ寄せがいく。借金も増える。せっかく引き寄せた自由の身が遠のいてしまう。
それでも、彩羽は以前にも増して生きる気力を無くしていた。
蓮華とハヤトを失った今、なんのために生きたらいいのか、皆目分からなかった。
外の世界も、ハヤトに会えないならなんの魅力も感じない。
ならばこのまま、枯れ果ててしまいたかった。
「あー。もう」
沙月は、髪を乱暴にかきむしった。
「蓮華も、なんだってあの夜あんなところに居たのかしら。休んでたくせに」
「休んでた?」
眉を潜める彩羽に、沙月は大袈裟に呆れた顔をした。
「知らなかったの? ああ、あんた、その日公休だったもんね」
やれやれ、と首を振るのに合わせ、茶色の髪はサラサラ揺れた。真っ直ぐに戻って、沙月のうんざりとした顔を縁取った。
「あの日の昼前に連絡があったのよ。弟の容態が急に悪くなったから休むって」
「うそ……」
「失礼ね。ほんとよ。なんだったら宮美さんに確かめたらどう?」
沙月は怒って出て行った。
開店時間になったとみえ、女たちが酒場へ行く足音が、厚い布越しに幾つも通り過ぎた。
彩羽は呆然と青いドレスを抱えた。
(蓮華が、嘘を)
ゆっくりと、あの夜を思い出す。
酒を一本割ってしまったから、借りにいく、と。そのような仕事を店主は通常、仕事中の女に命じない。自ら出向くか、休みの女に行かせる。そうならないように、宮美は毎日、念入りに在庫を管理している。
路地を入っていく前に見かけたという弟。よしんば花街に遊びに来ていたとして、町内の者ですら足を踏み入れない暗がりへ、客が入っていくだろうか。
ハヤトの言うとおり、蓮華は彩羽を誘い出し、路地へ引き込んだ。そこに待つ狩人に、彩羽の命を奪わせるために。
考えたくないが、蓮華が狩人と連携していたという視点からあの夜の出来事を見ると、全ての辻褄が合ってしまう。
後悔の涙が頬を伝った。
(やっぱり、あたし、蓮華に裏切られていたんだ)
認めざるを得ない。
『通報したらいい』
言い捨てた彼の険しい表情は、今でも瞼の裏に焼きついている。
ハヤトは、彩羽を守ろうとしてくれた。狩人に扮して彩羽に手をかけると見せかけ昏倒させ、正体を見破って簪を振りかざす蓮華に銃口を……。
蓮華を殺したのがハヤトだと気がついた彩羽に全てを打ち明けたのは、彩羽なら分かってくれると信じていたからに違いない。
その想いを、彩羽は撥ね付けた。
怪我と熱で弱っていた。見つかれば、反撃どころか逃げ切るのも難しい状態だっただろう。それなのに、悲しみに沈む彩羽を慰めようとここまで来てくれた。
その思い遣りを、反故にしてしまった。
謝りたい。許されなくてもいい。偽りの親友を失いたくない一心で、彼を傷つけてしまったことを、ただ詫びたい。
(もう、来てくれないかもしれない)
来店しても、それは彩羽を「処分」するためかもしれない。
(それでもいい)
それで償いになるなら、喜んで彼の手にかかろう。
ずっと隠匿していた本当の名を言い残した。それは、信頼の証ではないだろう。
いつでも都合の良い時に、彩羽を重要な秘密を握る危険人物に仕立てるためのパーツにもなる。
喉元が、彼の指の感触を思い出した。感覚をより現実にするために、彩羽は喉を反らし指を当てた。嫌な圧迫感に喘ぎ、指の下でドクドクと血管が脈打つ。
ああ、と彩羽は目を閉じた。首から手を離す。
もし彼が彩羽を絞め殺すとなれば、生命活動が終わるまでの間、彼は指に、彩羽の鼓動を感じ続けるのだろうか。それとも、すでに何も感じず、ただ課せられた仕事として処理するのか。
地郷政府から、狩人から、二重の理由で命を狙われる彼は、生き延びるために、命を脅かす全てを撃ち落とす必要がある。
例え相手が、二度も命を助けた相手でも。
何故、と思う。
何故地郷では、テゥアータの民は生きることさえ許されないのか。
日夜、花街で遊ぶ金を持つ人がいる一方、生きることすら困難な貧困で身体を売らなければならない者がいるのか。
永き宇宙の旅を経て、大切に運んだ生命のタネを繁栄させたのは、このように理不尽な世界を作るためだったのか。
彩羽は、ゆっくりと立ち上がった。
ふらつく足を踏みしめ、着ているものを脱いだ。かわりに、新しいドレスへ脚を通す。
胸を覆う身頃から肩へ伸びた幅広のリボンを、首の後ろで結ぶ。自然に落ちた布は、吸い付くように上半身に沿う。腰から下は緩やかに広がり、身体の動きに合わせて裾がうねった。真夏の晴天を思わせる濃い青に、白い点の飛び柄が散る。
余った布で仕立ててもらったケープを羽織る。母が好きだった色とデザインのドレスを。ハヤトがくれた布で。
上質な布の重さは、肩を支えてくれているように感じられた。
蓮華が死んで以来、初めて化粧をした。荒れた肌を隠し、紅を引く。
髪に櫛を入れた。長い時間をかけてしなやかさと艶を取り戻した髪を、束ねる。母がよくしていたように、髪を持ち上げ、高い位置で結う。露になった項を、わずかに春めいた風が撫でた。
身支度を終え、彩羽は指輪を胸元へ当てた。目を閉じ、呼吸を整える。酒場の喧騒が、いっとき遠のいた。
静かに息を吐ききって、顔を上げた。
(負けない)
足を踏み出す。
入り口の厚布を両腕で押し上げ、廊下へ出た。
(蓮華に裏切られたことも)
廊下に満ちる悩ましい声をかき割るように、彩羽の靴音が進む。
(ハヤトを傷つけてしまったことも)
客を案内する女が、慄き道を開けた。客が目を見張る。
(この地郷の不条理にも)
幾重にも重なった薄布に腕を差し入れた。掻き分け、押し広げていく。
(だから、ハヤト。あたしを見て。会えなくてもいい。どこかで、あたしの噂だけでも聞いて。あたしは、闘う。絶対に幸せを手にしてみせる。こんなあたしでも幸せになれることを証明してやる)
酒場にどよめきが広がった。皆が注目するなか、彩羽は一つ深呼吸をした。白い肌にくっきり引かれた紅の端が、優雅に引きあがった。片足を半歩引き、膝と腰を折る。
「彩羽でございます。皆様にはご心配をおかけして、申し訳ありません。今後とも、どうぞご贔屓に」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます