初冬の花
9.藤紫ガールズトーク
この冬最初の冷たい風が土ぼこりを巻き上げる午後、『藤紫』の女たちは酒場の一角、店の中で唯一の暖炉の前に椅子を集めて造花を作っていた。
今年の新年に飾った店内の造花は、一年間、酒場の喧騒や悩ましい欲望の喘ぎに晒されて、みすぼらしく色あせていた。
女たちは他愛のないことを喋りながら、手を動かしていく。白い指先が、花弁の形に切り抜かれた布片を数枚摘み上げる。幅半分ほどずらしながら布片を重ねると、竹を細く割った軸へ糊で貼り付ける。
その作業を数回繰り返し、出来上がった花を何本かまとめると、簡単な花束になった。昼の日差しの下では作り物の白々しさが目立つが、夜、ほの暗いランプの灯りに浮かび上がると、真冬でも咲き誇る花園に見える。
同じように、夜は化粧をして髪を結い、美しく男を誘う女たちも、昼の陽の下ではそばかすやにきび跡が目立ち、肌の張り艶もいまいちだったりする。
中のひとりが、作りかけの花を放り投げると、立ち上がって腰を伸ばした。
「あたしもうダメ。昨日の客のせいで腰が痛くて」
疲労の抜け切らない顔で、しみじみとため息をついた。彼女の隣に座っていた別の女が茶化す。
「随分と威勢の良いお客様だったのね」
「違うよ。その逆。年内に終わらせなければならない仕事に精を出したら、ぎっくり腰になったって。寝台に横になったお客様の腰を一晩中揉んでたら、こっちが腰を痛めちゃって」
彩羽は思わず手を止めた。いつも皆の輪に入れない彩羽は、他の女がどのように客をもてなしているか聞くことがなかった。俄然興味が湧いたが、素知らぬ振りをして、黙々と作業に戻った。耳だけはぴんと立てて、一言足りと聞き漏らすまいとがんばった。
「ああ、居るよね、そういうお客様」
沙月が笑って頷くと、他の女たちも次々に珍客自慢を始めた。
「あたし、一晩中、子守唄歌わされたことがある」
「延々と下手な詩作に付き合わされたときは、耳が腐るかと思った」
「部屋に入るなり服を脱がされて、こっちはその気なのに絵のモデルになれって。寒いのに椅子に座らされて、ピクリとも動くなって」
並べられる小話に、彩羽は内心胸を撫で下ろした。ハヤトに対し、身体を預けずただ話をするだけの接客を続けていていいものかどうか迷っていたときだっただけに、「おもてなし」の多様さに安心した。
「彩羽のあのお客様は、どうなの?」
例のごとく、意地悪い視線が彩羽へ降り注いだ。追い討ちをかけるように、新参の蓮華が無邪気に付け足した。
「あの若いお客様のこと?」
蓮華は、香芽が身請けされた後に補填された店員のひとりだった。宮美と同じように通いで勤務しているが、今日は早出をして花作りに加わっていた。勤務を始めてまだ日が浅く、店員の間での彩羽の立ち位置を感じ取っていないのか。蓮華の目には、接客のやり方を模索するうえでなにか参考になる話が聞けるという期待がキラキラと溢れていた。
「目立ってるよね、あの人」
「若いし。どんなに誘っても、するっとかわされるのよね」
「なのに、来店されてすぐ、こんな彩羽をご指名なんて」
流された沙月の視線には、痛いほどの嫌味が含まれていた。
たくさんの目に囲まれ、彩羽は唾を飲み込んだ。声が上ずる。
「そんな、たいしたことはないし。それにもう、十日も来られていないし」
「あんな上客を逃したっていうの? だから私に譲れと言ったのに」
前回ハヤトが来店した折の揉め事を蒸し返された。またもや彩羽は怒りを覚えた。沙月の取り巻きたちが会得顔で頷きあうのも、腹立たしかった。
明かすことの出来ない彼の身分を思うと、女の視線を無視してやり過ごすのが良いかもしれない。しかし、蓮華の純粋な向上心から湧き出る好奇心を無視するのは難しかった。
渋々、彩羽は答えた。
「ただの話し相手よ。ほんと、他愛のないことばかり。友達がヤギをからかったら怒ったヤギに角で突かれてズボンのお尻の部分を破られたとか、罠に掛かったネズミを放置していたら今度はネコが掛かったとか。そんなこと」
「なにそれ。面白い」
「そんなことを、わざわざ高いお金出して話しに来るの?」
ことさらバカにしたように、沙月の取り巻きたちは笑った。
けれど、蓮華は笑っていなかった。簪で止めたまとめ髪から零れた黒髪を撫で上げながら、ほうとため息をついた。
「お客様が私たちに求めるものは、人それぞれなのね。欲情の対象から、話し相手まで」
蓮華には、病気の弟がいるらしい。早急に手術をすれば命は助かると医者に言われ、手術代を工面するため、自らの身体を犠牲にしてでも短期間に多く稼げる『藤紫』に通うことを決めたと、初日の挨拶で言っていた。初勤務の夜、新参者と見ると試さずにおられない客の相手をした後、無言で考え込んでいる様子を、彩羽だけでなく他の女も心配していた。
いま、造花を手にひとつ頷いた蓮華の顔は、すでに何かを悟ったような、吹っ切れた笑みを浮かべている。
彩羽は密かに、蓮華への賞賛をため息に込めて吐き出した。息は、薄暗い室内でほんのり白く漂った。
(あたしには、無理)
ハヤトに言われ、自然な笑顔で客と接するうちに彩羽の酒場での評価は徐々に上がってきた。それでも、奥の間に呼ばれる恐怖は拭えない。
あと一月。客の関心が新参の蓮華に集まる時期と重なる。彩羽には不利な状況で、どうすべきか。「赤花の日」も終わり、これからが勝負だというのに、彩羽はなんの策も持っていなかった。
酒場は相変わらず賑わっていた。中央研究所や地郷公安部関係の職場では給料日だったとあって、初見の客も見受けられた。
あちらこちらの席から、蓮華に声がかかる。沙月は常連客に酌をしていた。
「彩羽、これ奥の机ね」
宮美から渡されたものを運ぶだけの彩羽が頑張って笑顔で対応しても、客はそれぞれの会話に花を咲かせて見向きもしない。
蓮華と同日に「買われた」ナナという少女も、見習いの印である蕾をあしらった髪飾りをつけて宮美の側で手伝いをしていた。
(ナナと同じ程度の働きしか出来ていない)
自分でも不甲斐なさに胸の奥が冷たくなる。会計台に立つ店主が、一瞬自分を見た気がした。彩羽は客の陰に身を縮めて、空いた皿を回収した。
突然、ものが割れる音が響いた。
「なにしやがる」
怒鳴り声に、蓮華の謝罪が重なる。
ひとつ卓を挟んだ床に破片と酒が広がっていた。一張羅を酒浸しにされた男が、酔いと怒りで首まで真っ赤に染めて蓮華を罵っていた。
周囲の客が男を柔らかく宥めるが、元から酒癖も良くないのだろう。口を挟まれる毎に苛立ちを募らせ、ついには拳を握り締めると蓮華の頭上へ振り上げた。
咄嗟に彩羽は間に割って入った。怯える蓮華に覆いかぶさる。肩へ、鈍い痛みが走った。
(こんなの、ヒデトから受けた痛みに比べればマシ)
自分に言い聞かせ、彩羽は酒臭い床に額づいた。身をかがめると、肩甲骨辺りに痛みが走る。それでも、唸り続ける男へ丁寧に頭を下げた。
「申し訳ありません、お客様。彼女はまだ新参者で不慣れなため、どうかここは寛大なお気持ちでお許しくださいませ」
男の吐いた唾が額に張り付いた。
「見上げた覚悟だな。てめぇが代わりに弁償してくれるんだろうな。その身体でよ」
土で汚れた靴底が結った黒髪を踏みにじった。それでも彩羽は、反撃することなく謝罪の意を示し続けた。
「そこまでだ」
力強い足音が近付いた。たちまち男は、屈強な女守衛によって取り押さえられた。守衛の一人が、彩羽を気遣って助け起こしてくれる。
「外傷はなさそうだけど、この肩は冷やしたほうがいい」
すぐさま、宮美が水で濡らしたタオルをあてがってくれた。腫れているのだろう、冷たさが気持ちよく滲みた。
男が喚き散らしながらも女守衛に引きずられて外へ連れ出されると、ようやく酒場に張り詰めていた空気が緩んだ。
「いやぁ、大丈夫か?」
「勇気あるな」
呪縛から解かれたように、客が口々に蓮華と彩羽を労わる。大勢の温かな労いに包まれ、彩羽は呆然と座り込んだ。
「見直したよ、彩羽ちゃん」
「よくやった」
客のにこやかな賞賛に囲まれ、彩羽はうろたえた。ハヤト以外の男から掛けられる言葉に、ここまで温もりを感じたのは初めてだ。男は獣だと思い込んでいたが、案外そうでもないのか。それとも、欲情に駆られると誰もが豹変するのか。
無理やり店に出さされてからの三年間、恐怖一色だった男への印象が揺らぎ、彩羽は戸惑った。
渦巻く歓声に応えるべきと分かっていながら、具体的にどうすればいいのか分からない。
おろおろする彩羽に代わり、宮美が優雅に腕を組んで頷いた。
「ほーんと。彩羽すごい。これだけ大の男が集まっていながら、蓮華を守ったのはか弱い彩羽ひとり。これは、どういうことかしら。ねぇ」
「姐さん、きっついな」
調子者が合いの手を入れ、一同がわっと湧いた。彩羽に目配せをした宮美が、にっこりと皆を見渡した。
「ということで、皆々様、どうぞ彩羽をご贔屓に。新しく『藤紫』に加わった蓮華も、これからよろしく」
緩やかにうねる栗毛を揺らし宮美が優雅に腰を折ると、ひとりの男が進み出た。恭しく彩羽へ手を差し伸べる。
「今宵のお相手を務めさせていただきます」
「いや、俺が」
彼を押しのけるように手を出す男が現れ、やんややんやと大騒ぎになった。守衛が険しい表情で立ち上がろうとするのを、宮美が片目を瞑って制止する。
「そんなにいっぺんに来られたら、彩羽が壊れてしまうじゃない。今日のところは、お気持ちだけありがたく受け取らせていただくわ」
どこに持っていたのか、宮美が空の器を差し出した。たちまち小銭や紙幣が放り込まれる。さり気なく後ずさりしようとした男も、にこやかに器を差し出されると吸い込まれるように金を出した。
「さすがは宮美だ」
側の守衛が苦笑した。驚き見上げると、彼女は屈強な顔に笑みを湛え、肩をすくめた。
「私もここの勤めが長いが、彼女は昔からああだったよ。身体を許すのはごく限られた男に対してだけ。それでも酒場を盛り上げ、客受けがいい。見ろ、店主も口が出せない」
親指で示された会計台では、苦虫を噛み潰したような店主が、それでも無言で状況を眺めていた。
年の区切りが近付く。冷たく澄んだ川の水がその朝運んできたのは、ひとつの水死体だった。
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