5.尋問

 部屋の様子など、目で見なくても知っている。どの部屋も、作りや物の配置は同じだ。


 壁に掛けたランプの灯りが、白っぽく塗りこめた壁に反射して部屋全体をぼんやり明るくしている。ランプの下に、客が頼んだ飲み物などを置く小さなテーブルと椅子がある。

 何より彩羽の気持ちを塞ぐのは、部屋の大部分を占拠する豪奢な寝台だ。上質な綿や羽毛を詰めた寝具は厚みがあり、ただ睡眠をとるためであればこの上なく快適だろう。しかし、それはまた、押し付けられたなら逃げ場のない、柔らかな拘束道具だった。


 いつものようにすればいい。怖いのは最初だけ。あとは、何も考えず、何も見ず、何も感ずただ、木彫りの人形となって横たわっていればいい。なされるがままに時間が過ぎれば解放される。


 念じながら、足元ばかりを見て腰を折った。


「彩羽でございます」


 声が震えた。


 返答はなかった。恐る恐る目を上げ、彩羽は首を傾げた。部屋に、誰も見えない。


「あ、あれ?」


 客は先に案内してあると、宮美は言ったはずだ。

 きょろきょろしていると、もそりと寝台が揺れた。寝具に埋もれていた人物が身体を起こした。


「すんげぇフカフカだな、これ」


 柔らかな寝具におぼれそうになりながら寝台の縁に腰掛けた客は、男にしては骨格が細かった。中州の中ほどを流れる水路の対岸に男娼店があるが、そこにいても可笑しくない華奢な身体つきだ。逆光の上、色の濃い色付き眼鏡をかけているため、はっきりとした年齢は推測できない。


 客が立ち上がる。背はあまり高くない。彩羽より拳一つ分高いか高くないかといった具合だった。


「突っ立ってないで、座りな」


 予想外の言葉をかけられ、反応が遅れた。逡巡していると、客は腕で寝台を示した。戸惑う彩羽にもう一度座るよう勧めると、自分は寝台脇に椅子を引き寄せ、背もたれを抱えるて座る。


「あ、では」


 今までにない流れだ。とりあえず、客の機嫌を損ねないよう、言うことを聞くことに専念した。


 机に盆を置くと、寝台の縁へ腰を下ろした。服の裾が傷に擦れる。出来るだけさり気なく脚を隠した。その間に客は自分で水を注いでいた。


「怪我、してるのか」


 客の顔は、まっすぐ彩羽の脚に向いていた。脚を引く彩羽に、追い討ちをかけるように客は隠した傷を指差した。


「どうしたんだ、それ」

「転んで」


 用意していた答えに、客は椅子を傾け、無遠慮に服の裾をめくった。身体を強張らせる彩羽が思うよりすぐに裾は下ろされたが、解せない様子の客は背もたれの上に組んだ腕へ顎を載せた。じろじろと彩羽を観察している。


「どこで転んだ。その傷の具合だと、粗い砂利の上を滑ったようだけど、流花にそんな場所はないだろう」

「昨夜、外に呼ばれていて」


 これは、どうせ他の誰かに聞けば分かってしまうことだ。

 客は、ああ、と肩を上げた。


「あれね。外でもえらい騒ぎになっている。領主が撃たれて、パニくった下男が火をつけたとかで。カゲの関与が疑われているらしいが。そうか」


 客が口の端を上げた。目元が隠れているにも関わらず、凄みを感じた。彩羽の握った手に冷たい汗が染み出した。


「あんたは、カゲに助けられたんじゃないのか?」

「違います。自力で」

「倒れた箪笥に挟まれたって話じゃないか」

「もがいているうちに、出れて」

「それから? 詳しく話してくれ」


 ニヤニヤ背もたれを抱えられ、彩羽は硬直した。


 地郷公安部員なのかもしれない。それか、狩人か。下手な受け答えをすれば、彩羽の命も危ない。頭の芯が冷たくなった。

 が、ふと、昨夜の青年の姿が脳裏に浮かぶと、彩羽の心は不思議なほど静まった。


(彼に助けられた命だ。彼を助けるために取られたって構わない)


「とにかく火の無い方に走ったら、出口があって。裏口だと思います」

「あそこは、厳重に鍵がかかっていて容易に開かないと聞くが」

「開いてました。誰か、先に通った人がいたんだと」

「ふーん。運が良かったな。で、そこから?」

「よく、覚えてないです。夢中で。気が付いたら、崖から落ちて」

「で、怪我はそれだけ? それとも隠しているけどどこか?」


 頷きかけ、危ういところで止めた。服を脱がされれば、嘘は簡単に暴露される。


「脚だけ」

「あり得ないな」


 ばっさりと否定され、彩羽は生唾を飲み込んだ。震えながらも、どうにか言葉を紡ぎだす。


「上着を、着ていたんです。舞の衣装は体が透けて、恥ずかしいから」


 客の目元に薄明かりが射し込む。色眼鏡越しに垣間見えた眼つきは鋭かった。


「普通に落ちたなら、今頃あんたは血まみれの引き取り手のない遺体として、地郷公安部処理班の厄介になっているだろうよ」

「だけど、本当です。奇跡的に、これだけですんで」

「奇跡はそんな簡単に起こらないね」

「なら、このあたしは幽霊なんです」


 必死のあまり、口走った。


 実際、彩羽も考えれば考えるほど昨夜の青年が実在したのか自信が薄れていた。現実に、あれほどの動きができる人がいるものなのか。死の淵に立たされ、幻を見たのではないのか。本当に自分は、あの場にいたのか、ここに居るのか。


 しかし、さすがに、職務質問とも取られる場で幽霊はないだろう。嘘を言っていますと打ち明けたも同然だ。


(ああもう、あたしってどうしようもないバカ)


 俯き、太腿に載った服を握り締めた。このまま縄をかけられ、橋を渡った先の地聖ちせい町にある地郷公安本部で取調べを受けるのか。どんな拷問が待っているのか。苦悶に耐え、最後まであの青年について黙秘を続けていられるだろうか。

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