another side (1)

 耳元で聞こえたうめき声に、マサキは目を開いた。


 辺りはまだ闇に包まれている。町外れのあばら家は、深夜の静寂の中にあった。今夜は、鳴き交わす野良ネコもいない。風もなく、直接床に敷いた寝具には、床板の隙間から染み込んだしんとした晩秋の冷気が溜まっていた。


 寝返りをうち、起き上がろうとした背中がつかえた。暗闇で首を回してその原因を見極め、やれやれと息をついた。

 いつの間に潜り込んできたものか。幼い時から面倒を見てきたハヤトの背中が、マサキの寝返りを妨害していた。


 カゲをまとめる頭領として、マサキは常に警戒を怠らない。どんなに深く眠っていても、僅かな異音にも目を覚ます自信がある。

 しかし、この青年の気配だけは、掴み損ねる率が年々高くなっていた。万が一、彼がマサキを裏切るようなことがあれば、間違いなく命はないだろう。


(そのときは、そのときか)


 この子を一時でも長く生かすために生きると決めたからには、その彼に殺されるようなことがあれば仕方がないと思えた。


 苦しそうにハヤトが身じろぎをした。喘ぐ息の下で、小さく母を呼ぶ。


 丘を覆う赤い花はすでに枯れ、後に茂った緑の葉も色を深くしている時期だ。にも関わらず、幼い無垢な心に刻まれた傷は、ふとした時に十二年も前の残酷な場面を、夢の中で鮮やかに再現するようだ。

 マサキが愛した女性の最期の瞬間を。ハヤトの母親が狩人に殺されたあの時を。


 実際幼い彼がその場を見たのか。話を聞いても依然はっきりしない。狩人に囲まれた彼女が息子の名を呼び、「逃げて」と叫んだ、とハヤトは記憶している。

 しかし、彼女の遺した手紙の内容と当時の二人の位置関係を考えると、疑問が残った。事前に惨劇を予知し、自らの死によってマサキたちを守ると覚悟した彼女が、わざわざ狩人に愛息の存在を示す行動をとるはずがない。


 固く閉じたハヤトの目尻から、涙が流れ落ちた。


 マサキは青年の細い肩を強めに揺さぶった。数回繰り返すとようやく、青年はあわいに引き寄せられて目を見開いた。焦点が定まらないまま視線を彷徨わせる。マサキと目が合うと、安堵したように身体の力を抜いた。


「ごめん。起こした?」

「いや、いい。それより。まだ、夢に見るのか」


 ハヤトは、素直に頷いた。目尻の涙に気が付き、決まり悪げに袖で擦った。


 枕もとの水差しを引き寄せ、手探りで栓と本体に渡して張った紙が切れていないことを確認してからハヤトへ差し出した。


 喉を潤しながら、ハヤトはまだ悪夢の後味から逃れられない様子だ。荒い呼吸に上下する胸元から無意識にペンダントを探り出すと、指に絡めては解く。常時身に付けている父親の形見を弄ぶのは、彼の気持ちが不安定なときや考え事をしているときの癖だった。


 マサキは別の話題をふった。


「花街は、どうだった」


 領主ヒデトの屋敷からハヤトが助け出した少女。極力一般人を巻き込まず任務を遂げるのがカゲの信条とは言え、かなりの無茶をしたものだ。叱られた本人は何食わぬ顔で、


『ま、詰めが甘かったのは認める』


 と肩をすくめただけだったが。


 思いがけなく彼の本来の髪色を知られてしまい、組織に危険が及ぶ可能性があるかどうか探る任務を、当事者のハヤトに任せた。

 成人したとは言え、十六のハヤトを花街に送り込むことにマサキの親心が抵抗を示した。が、彼は領主暗殺を命じられたときと同じ、淡々とした顔で夜の流花へ赴いていった。


 マサキの問いに「ああ」と返事をした後、何を思い出したのかクツクツと肩を震わせた。色艶ごとを回想しての笑いではない、子供っぽさが感じられた。


「面白い子だった。ま、経過観察、てとこかな」


 何があったか知らないが、とりあえず危険はないものと判断する。


「なら良かった」

「しばらく見張りは必要だね。探りを入れる奴らもいた。店が巻き込まれる事態は回避したい」


 そうか、とマサキは頷いてみせた。


「しばらくお前は、その子の監視を続けろ。同行者の人選に希望があれば聞く」

「了解。じゃあ、またリュウとタキがいい」


 迷いなく指名すると、ハヤトは無防備に大あくびをした。


 リュウとタキの両名は、マサキも認める実力ある若者だ。

 農村の出で、横暴な領主に家族を奪われた、ハヤトより数年年上のリュウ。

 髪の色だけにテゥアータの形質を持ち、それが原因で幼少期に親から捨てられた、まだ未成年のタキ。

 この二人は、最近ハヤトと「仕事」をすることが多い。先日の領主ヒデト邸の潜入調査及びヒデト暗殺も、彼らが担った。ゆくゆくは、この三名がカゲを率いていくことになるだろう。


 マサキの返事を待たず、ハヤトはさっさと寝具へ潜り込んだ。もう一度大きなあくびをすると、たちまち寝息をたてる。


(だから、何故、人の寝場所を横取りする)


 憎らしく思いながらも、無下に蹴り出すことも出来ない。狩人の夜襲を受け、寝ぼけ眼で逃げた経験は一度や二度ではない。彼にとって、保護者であるマサキの側は最も安心して眠れる場所なのだ。


 地郷社会でのテゥアータ人やその形質を持つ者を取り巻く情勢は、厳しくなる一方だ。


 髪色を誤魔化すための染料は使用禁止になった。テゥアータ人やその形質を持つ者を見つければ、相手が生まれたばかりの赤子であろうと地郷公安部に通報する義務が課せられている。彼らを匿ったり、知らぬふりをすれば、謀反者として処刑される。

 カゲの中ですら、テゥアータ人擁護に関して意見が分かれていた。テゥアータの形質を持つ人々を守るという当初の目的は薄れ、不当な税の徴収や貧困に喘ぐ人々を助ける義賊としての目的のほうが濃くなりつつある。


 最も安心できる場所にいながら、青年は眠るときもこげ茶色の髪を模した鬘を身に着けている。無防備に投げ出した腕の先には拳銃。


 よく、ここまで育ってくれた、とマサキは目を細めた。仲間の協力もあり、無事成人させることができた。持ち前の身体能力の高さと日々の鍛錬によって、今ではカゲの中で最も有力な実行部隊のひとりになっていた。


 しかし、ハヤトの素性を明かせる、信頼できる仲間は減った。鬘で髪を、色眼鏡やゴーグルで瞳を、そして偽名で名を隠し続けている。常に周囲を警戒し、言動にすら他人に成りすましている気配があった。


 彼が、彼として生きることはもう、出来ないのか。


 マサキは、尾根に根を張る桜の大木を思った。外へ出たとしてもここからでは見られないが、樹形は細部まで脳裏に浮かぶ。今の時期は、赤や黄色に色を変えた葉もまばらになり、冬芽をつけた枝を露わにしていることだろう。


(サクラ)


 心の中でそっと、樹と同じ名を持つ女性へ呼びかけた。


『みんなの笑顔を守る人になる』


 彼女と交わした約束は、まだ果たせていない。これから先、果たすことが出来るだろうか。幼子が立派に成長する間、己の身体は着実に衰退の一途を辿っている。


 すっかり眠気の遠ざかった身体を無理やり狭い隙間に横たえて、マサキは目を閉じた。


 地球人種の自治区・地郷の政府とテゥアータ国が歩み寄ることは、もう出来ないのだろうか。


(俺がやっていることは、意味があるのか)


 焦りが、じりじりとマサキの心を焙っていた。

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