11.カゲへの怨み

 ナナがどこに行ったか知らないかと蓮華に問われたとき、彩羽は化粧を済ませたところだった。


「いつもは一緒に身支度をする頃なんだけど、姿が見えないの。私、今日は早めに酒場へ出るよう、宮美さんに言われているのに」


 言われてみると、彼女はもう品良く化粧をし、うねりのある黒い髪を高い位置に結い上げ、簪で飾っている。身支度が完了していた。


「分かった。探しておくから、蓮華は先に店に出て」

「ごめんね、忙しい時間に」


 急ぎ足の蓮華を見送り、さて、と彩羽は考えた。


 蓮華と同じ時に店主に「買われた」ナナは、まだ十三歳だ。個室での接客は、地郷法で許されていない。彩羽の時は役場の監視を潜り抜けて年齢詐称をさせられたが、ナナについては心配ないだろう。


(あたしのときと違って、役場への書類は宮美さんも目を通すから)


 店主の部屋に引きずり込まれた可能性は、ないと思いたい。とりあえずナナが立ち寄りそうな場所を見て回った。

 女たちの自室が並ぶ廊下を探し、現在空き部屋になっているところを探した。


 調味料などを保管する倉庫を覗くと、微かな啜り泣きが聞こえた。名を呼ぶと、彩羽の鳩尾の高さまである貯水用の甕の間で動くものがあった。


「支度しなくちゃ。おいで」


 ナナの幼さが残る顔は、涙と埃でぐちゃぐちゃになっていた。汚れをハンカチで拭ってやり、細い手を引いた。彼女は大人しくついてきた。


 ナナは、地郷公安部員だった父親を亡くした後、母と再婚相手、その連れ子の四人で生活をしていたそうだ。養父の金遣いは荒く、父親が残した財も底をついたところで、生活に困った母がナナを『藤紫』に売ったそうだ。

 ナナが買われたとき、宮美が教えてくれた。


『家族の都合で売られることが、なくなればいいのにね』


 ナナの仕事着を縫いながら、ため息混じりに呟いた宮美の顔が脳裏に浮かんだ。


 彩羽は自室に招いたナナを、金属を磨いた鏡の前に座らせた。ふたりが座ると、床面が見えなくなる。


 本当ならまず化粧を済ませたいが、泣き腫らした目を少しでも落ち着かせてからのほうがいいだろう。先に髪へ櫛を通した。艶がない乾燥した栗毛は、彼女が長い間まともな食事をしていなかったことをうかがわせる。


「仕事が辛いの?」


 ぽそりと問うと、ナナは首を横に振った。手にした栗毛がするりと逃げる。黒い勝気な目が、鏡を通して彩羽を睨んだ。


「酒場の仕事ばかりでつまんない。これじゃ、なにかにつけて返さなきゃいけない金が増やされていくばかりじゃん。それよりも、さっさと客をとって出て行きたいのに、あのおばさんが成人しないとダメだとか言って」


 宮美をおばさん呼ばわりする少女に、彩羽は苦笑いした。初潮が始まって間もない少女が、「おもてなし」の実態を知らないまま強がっているものと思い、宥める。

 しかし彼女は、継ぎのあたった上着のボタンを指で弄りながら口を尖らせた。


「家でオヤジやバカ兄にされてたことで、ここじゃ金がもらえるんだから。なんてことないよ」


 思わず彩羽は櫛を取り落とした。その驚きように、ナナは不満そうに鼻を鳴らす。だが、自分の乏しい髪を器用に結い上げる彩羽の手元を見つめる眼差しには、尊敬が込められていた。


「時々、悲しくはなる。母さんに裏切られたこと。あたしがオヤジたちにやられているのを知って、あんだけ怒っていたのに。結局は奴らの生活のためにあたしを売りとばしたんだから」


 飾りをつけてもらった髪を角度を変えて鏡に写して見ながら、ナナはため息をついた。


「ね、彩羽からおばさんにお願いしてよ。あの人、彩羽には甘いから」

「宮美さん、て呼ばなきゃダメ。それに、彼女は別にあたしを贔屓になんてしてないよ」


 そうかな、と呟き、ナナはもう一度、年齢を誤魔化して接客できるよう宮美を説得して欲しいと頼んできた。


「一日でも早くここを出て、復讐したいんだ」

「復讐って、誰に?」

「カゲの奴ら」


 憎しみに満ちた黒い眼に、彩羽はたじろいだ。ぎり、と食いしばった歯の間から、ナナは十三の少女と思えない凄みのある唸りを漏らした。


「父さんが奴らに殺されなかったら、こんなことにならなかった。絶対許さない」


 拳を震わせ、ナナは立ち上がった。そしてふと、彩羽を見下ろし、気まずそうに頬を赤らめて視線を反らせた。


「ごめん。喋りすぎちゃった」

「いいよ。ずっと、誰にも言えなくて我慢してたんだよね」


 やや強張った口調で返したのに気がつかなかったのか。ナナは僅かに目を潤ませた。小さく頷く。普段隠していた素顔を彩羽に見せてしまったことを恥じるように拳で頬を擦ると、髪の礼を言って立ち去った。


 彩羽はしばらく、身動きすらできず座り込んでいた。


 流花町から外に出たことのない彩羽は、客の話でのみ地郷という世界を知っている。

 未曾有の災難から逃れて永く宇宙を旅した祖先が星に戻ると、不可思議な力を操るテゥアータ人が星を占拠していた。祖先はどうにか星の一部を自分たちの手中に取り戻し、そこを地郷と名付けてミカドを頂点とした政府を置いた。


 彩羽が生まれる前は、地球人種とテゥアータ人は友好的な関係の中で貿易を行い、人の行き来もあったらしい。しかし、次第に関係性は悪化し、やむなくミカドは地郷からテゥアータ人を排除することとなった。


 彩羽が三歳のとき、親テゥアータ派が乱を起こした。テゥアータ人に非はない、迫害を辞めるべきだと唱え、地郷公安部と激しく衝突した。双方に、多くの犠牲者が出たと聞く。このときの親テゥアータ派が、現在のカゲになったと言われる。


 元は地郷に住むテゥアータ人やその形質を持つ人々を擁護する集団だったカゲも、現在は多少行動の目的を変えていた。領主ヒデトのように、地郷公安部の目をかいくぐって領民から不当に税を搾取する悪人や豪商の財を奪い、貧困に窮する人々へ分け与える義賊としての側面が目立つ。カゲを密かに英雄と讃える者も少なくない。


 横暴な権力者によって貧困に追いやられた人々へ差し伸べる救援の手。同じ手でカゲは、人を殺め、遺されたナナを花街へ追い込んでいる。


 怨みに染まったナナの目を思い出すと、背筋がゾクリとした。同時に、初来店時に彩羽をおどした、残忍さしか感じさせなかったハヤトの顔も思い出した。


 カゲと狩人。どちらが善か。悪者はどちらか。

 彩羽には分からない。


 ただ、ひとつだけ、はっきりしている。


 ナナとハヤト。互いの存在を、絶対に知られてはいけない。



 開店間近を知らせる鐘が打ち鳴らされた。


 彩羽はようやく仕事の衣装を身にまとった。艶のある薄布で仕立てられた衣装は軽く、しなやかに肌へ沿う。しかし、心は、女守衛の纏う革の防具のように重かった。

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