12.毒

 客を見送った後すぐに、彩羽は次の部屋へ呼ばれた。

 身体が辛かったが、月の巡りを考えると「赤花の日」が近い。しばらくは楽が出来る。だから、今は我慢した方がいい。店主の嫌味な顔を思い浮かべ、彩羽は疲れた足を引きずって指定された部屋へ赴いた。


 扉を閉めるといきなり、死角から頭上に何か柔らかいものが落ちてきた。悲鳴をあげる彩羽の耳に、屈託のない笑い声が飛び込む。


「残留おめでとう」


 見ると、ハヤトが笑っていた。手にした柔らかな包みを差し出され、彩羽は戸惑いながらも礼を言った。


 暴力を振るう酔客から身を挺して蓮華を庇って以来、彩羽を指名する客は徐々に増えていった。年末の決算結果で、どうにか店主も認める成果を出すことができ、当分は他店に売りとばされる心配がなくなった。


 そのことを、どこで聞いたものか。それとも、本当に彩羽の知らないところで監視をし続けているのか。

 一月振りに現れたハヤトは、相変わらず先に注文していた水をふたつの器に注ぎ、そのうちひとつを差し出した。乾杯、と軽く器を掲げ、半分ほど飲んで、いつも通り椅子の背もたれを抱えて座った。


 彩羽も礼を言って器に口をつけた。室温に冷やされた水は心地よく喉を転がっていく。


 半分ほど残し、寝台の縁に腰掛け、もらった包みを開けた。


 艶やかな青地に白い点の集まりが飛び柄として織り込まれている布だった。昨今の地郷ではなかなか手に入らない、上等な品だ。しかも、仕事に使う服を一着縫っても少し余るくらいある。


 花街の仕事で着る服は、自分の「商品価値」を高めるのに必要なアイテムだ。心機一転『藤紫』で奮闘すると決めた彩羽への贈り物として、布は最適だった。が、娼婦への高価な贈り物は、店主に没収されることも多い。


「すごい。よく持ち込めたね」

「店主の許可もとってある。将来有望な女娼の原石がこの店に残った祝いだと言ったら、変な顔をしながらも手数料をまけてくれた」


 彩羽は布の面を撫でた。母が好んで身に着けた色。彼はそうとは知らず、形見の指輪に合わせてくれたのかもしれない。ハヤトが身を乗り出して白い飛び柄を指差した。


「ナズナみたいだな、て」


 その言葉がくすぐったい。母がつけてくれた名にちなんで選んでくれたことが嬉しかった。彩羽は赤らむ顔を誤魔化すように、残っていた水を飲み干した。


「なぜいつも水なの?」


 照れ隠しに問うと、ハヤトは空の器を受け取りながら穏やかに答えた。


「仕事中は、酒を飲まないようにしている。判断力が鈍る。値段は三等級の酒と変わらないんだから、損はさせてないと思うよ」

「まあ、そうだけど」


 仕事中。さらりと口にされた言葉が、彩羽の心を曇らせた。


 彼は彩羽を女として求めていない。彩羽が偶然知ってしまった情報を漏らされないよう監視しているだけだ。それが悔しい。


(悔しい? なんで?)


 はたと疑問に思った瞬間、胸の奥が熱くなった。

 ハヤトに、女として求めて欲しい。他の客をもてなすとき受け入れるのは、それが娼婦としての自分の義務だからだ。けれどハヤトなら。


(ダメダメ。娼婦の恋愛なんて。それに彼は)


 テゥアータの形質を色濃く持ち、さらにミカドの治世に反するカゲの一員だ。これ以上関係を深めると危険だ。


「どうした? 熱でもあるのか?」


 赤らんだ顔を覗き込まれ、彩羽は変な声を出して仰け反った。喉の奥が塞がれたように、笛のような音が喉から発せられた。


 そこで彩羽は異変に気が付いた。


(おかしい)


 呼吸が苦しい。喉から腹にかけて、燃えるように熱い。目の前が小さく点滅する光で覆われ、手足の先が痺れた。


「彩羽!」


 寝台から崩れ落ちる身体を、ハヤトが受け止めてくれた。その、支えてくれる腕がどこに触れているのか。感覚がない。


 突然、腹に鈍い衝撃が加わった。ぐらりと前のめりにされ、口の奥に指を入れられた。こみ上げる吐き気を、部屋を汚してはいけないという理性が留める。


「いいから。吐け。できるだけ出すんだ」


 焦りのこもったハヤトの声が、耳の奥で変に反響した。

 騒ぎが壁を透かして伝わったのか、他の人の気配もする。舌の奥を押し下げられ、彩羽は我慢できず胃の中の物を吐き出した。苦い液体が喉を刺激する。


 金属の触れる音、上腕に感じた刺すような痛み、慌しい足音。ハヤトの声。


 様々な感覚が、幾重にも被せられた薄布の向こうから感じられた。さらに遠いところから、母の叱責。


(お母さん、そこに居るの?)




 ぼんやりと、彩羽は目を開けた。あらゆる物の輪郭が膨張してぼやけていた。が、次第に細く収束し、通常に戻っていく。


「気が付いた」


 安堵する宮美の顔が、視野いっぱいに現れた。栗色の瞳を涙が覆っている。ゆっくり首を回すと、藤紫ではない見慣れない部屋だった。


「ハ……お客様、は?」


 どこだろうと考えながら問う。眉尻を下げた宮美が、柔らかく答えた。


「お帰りになられてるわ。あなたは二日間、意識不明だったのよ」


 一体何が、と聞く前に、毎朝『藤紫』の女を診察してくれる医者が部屋へ入ってきた。清潔な天井の雰囲気からして、どうやらここは流花町内にある彼の病院のようだ。


「いやはや、的確な応急処置がなされたから助かったものの、毒にやられるとは難儀だったな」

「毒?」


 眉を潜めると、ぎこぎなく宮美が頷いた。


「調味料庫の水甕の一つに毒が入れられてたらしいの。加熱されると無毒化するものだったみたい。お料理を召し上がった酒場のお客さまもなんともなかったわ」


 母、青蘭は毒を盛られて死んだ。自分もまた毒によって苦しめられた。白磁の肌を土気色にして苦しむ母の姿が思い出され、彩羽は身震いをした。


「一体誰が?」


 冷えた手先を、宮美が温かな手で包み込んでくれた。落ち着いて聞いて、と前置きする彼女の声が震えていた。


「地郷公安部が店を捜査して、水から検出されたのと同じ成分を持つ薬草を見付けたの。ナナの、部屋で。死んでいるナナの側で」

「ナナ? ナナがどうして」

「分からない。彩羽あなた、事件の数日前にナナの髪を結ってあげてたじゃない? あの時何か言ってた?」


 カゲに復讐したい。


 ナナの声を思い出した。


 喉まで出かかった言葉を、彩羽は飲み込んだ。ハヤトがカゲの一員だと気が付いたナナが復讐のために毒を盛ったかもしれないなどと言えば、ハヤトがカゲであることをも明かすことになる。


(そんなこと、出来ない)


 彩羽は、記憶を辿る振りをして答えを考えた。


「あのとき、ナナは泣いていて。どうしたのか聞いたら、お母さんを思い出して悲しくなった、て」

「やっぱり、馴染めなかったのかな」


 宮美が目を伏せ、ため息をついた。ナナが、現実の辛さに自ら死に至ったのだろうと思っているのか。

 花店に売られた身を悲観して自ら死を選ぶ女の話は、いくらでもあった。そのため、女の自室に刃物や鋭利なものの持ち込みは禁じられていたし、壁や天井にひも状のものを掛ける出っ張りができないよう配慮されている。

 最も手軽に監視をくぐり抜けられるのが服毒自殺だ。

 ナナが自殺のために毒を持ち込んでいたとして、果たして店の水甕に投じるだろうか。


 医者の許可が出るまで仕事に復帰しないよう言い渡され、彩羽はひとり、寝台に横たわって天井を睨みつけた。


 カゲに対抗し、テゥアータ人をこの星上から滅するべきと唱える過激派・狩人。

 ナナは、狩人のひとりだったのか。それとも、ハヤトを狙う狩人が、彼女のカゲへの憎悪を知って毒を渡したのか。

 作戦が失敗して、ナナは背後にいる狩人に口を封じられたのか。それとも、宮美の思うように、口では威勢の良いことを言っていたが、花街の生活が辛くなって自ら命を絶ったのか。


 薬が効いてきた。彩羽は考えながらトロトロと睡魔に引かれていった。


 たまたま水を飲んでしまったのが自分だけでよかった。酒場でも一晩に何回か飲用の水を注文される。他の客が、特に地郷政府の重鎮などが毒を口にしていたら、世間の店に対する評価はがた落ちだっただろう。


 彼との時間を夢に再現させていた彩羽は、ハッと目を開いた。睡魔を突き放す。


 彼も、あのとき水を飲んでいた。彩羽ほどの量ではなさそうだったが、確かに盃を掲げた後、口をつけていた。ハヤトは無事なのか。


 もしかしてと、別の疑念が沸き起こった。

ナナを殺害したのはカゲかもしれない。毒を盛られたハヤトの仇を返したのかもしれない。


(そんな)


 彩羽にとって親しい人同士が殺し合う図が、生々しく脳裏に浮かんだ。


 眠気に取って代わって襲い掛かる恐怖と不安に、彩羽は母の指輪を握り締めた。 

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