13.三人組と狩人

 数日して彩羽は店に戻った。客と女の一部は復帰を喜んでくれ、蓮華などは快気祝いだといって耳飾りをくれた。


「前に乱暴な客から守ってくれたお礼も、きちんとしたかったし。ほら、私の簪とお揃いなんだ。良かったら使って」


 枝花や球を連ねた繊細な金属細工の先に、箔を埋め込んだ青い硝子の玉が下がっている耳飾りは、彼女の言うとおり、癖のある黒髪を毎日飾っている簪と同じ意匠だった。


「お揃いとか。学問所の初等科でもあるまいし」


 沙月がけなしたが、彩羽は素直に嬉しかった。


「いいの? こんな高級なもの」

「元は親戚のお下がりだけど。お気に入りだから、彩羽にも使って欲しいんだ」

「ありがとう。大事にする」


 さっそく耳に飾ると、頭を動かす度に硝子球の重みで耳たぶが揺れる。その感触が楽しく、彩羽は蓮華と笑いあった。


 笑いながらも、胸の奥底では不安が消えなかった。


 こっそり宮美に聞いたところ、あれからハヤトは来店していない。

 ともすれば悪いほうへ妄想が広がるのを押し込めながら、彩羽は上達した作り笑顔で接客をこなしていった。




 細く氷雨が降る夜。

 興奮した話し声が近付いたと思うと、入り口の鐘が鳴った。三人の常連が連れ立って酒場の一角、卓の三辺を囲むソファ席に座る。


「本当か、モッさん。働きすぎで見間違えたんじゃないのか?」


 ひょろりと背の高い男が、真ん中に座った男に尋ねた。モッさんと呼ばれた真ん中の男は、三人の中で最も背が低くずんぐりしている。髪も髭も、おまけに眉もごわごわした黒い癖毛で、肌は良く日に焼けて浅黒かった。いつもは太い眉の下で大きな目をぐりぐり動かし上機嫌だが、今夜はむっすりと暗い表情をしていた。


 モッさんは、反対側に座った丸眼鏡の男の脇をつついた。


「どう思うよ、ハカセ。俺が嘘を言うとでも?」


 ハカセは、丸眼鏡を指で押し上げた。分厚いレンズの中で、筆で刷いたような細い目がきらりと光る。


「君が嘘を言う確率は今までの言動から考えて非常に低いとみていいだろう。しかし同様に、何もない場所にいきなり人が現れるという現象が起こりうる確率も低い。ただしこれは地球人種に限った話であり、テゥアータ人におけるこの手の現象については統計学的に資料が極めて少なく、検討の余地がない」

「ほらみろ。ハカセだってこう言ってるんだから、タケさんも信じろよ」


 得意顔のモッさんに、タケさんは薄い肩をすくめて、いつもの簡素な料理を注文した。

 塩を振った芋の素揚げ、川で獲れる小魚の唐揚げ、発酵させず焼いたパン、ヤギの乳酒といった庶民的な料理を運んだ彩羽は、最近では自然と出るようになった営業スマイルで皿を並べていった。


 その間も、モッさんの話は続いた。


「あの、地郷公安部の塀が続く長い道があるだろ。あやつが現れたんは、その道のど真ん中なんだよ。それも、俺がほんの瞬きを一回する間に、だよ」

「塀の切れ目があったんじゃないのか? そりゃ、あやつらはへんちくりんな力を持ってるっていうけど、地郷じゃ使えないんじゃなかったかな」


「テゥアータ人の力については現在の地郷中央研究所における科学技術でも解析は不能であり、全容が見えていない。しかしながら六年前、地郷北部由嵩ゆたか村におけるテゥアータ人三名による村人惨殺事件において家屋の破壊および村人への殺傷行為には彼らの力が使用されたと考えられ……」


「おーい、彩羽ちゃん」


 延々と続くハカセの解説を無視して、タケさんが手を挙げた。タケさんは財布の中身を確認し、他の二人に割り勘を了承させると、よいしょ、と座る場所をずらした。自分とモッさんの間に出来た隙間を掌で叩く。


「ちょっとモッさんの話を聞いてやってくれよ。彼、今日大変な目に遭ったって」


 彩羽が座ると、モッさんは続けた。


「そいでよ。桃色の長い髪をした男っぽかったけど、そいつが俺に聞くんだよ。ここはどこだ、て。俺もびびってたからさ。地郷公安部の通りだって答えた。そんなことはない、自分はどこそこに行く途中だった、ひくなんちゃらはどこだとか、訳の分かんない事をまくしたてるんだよ。おっかなかったなぁ」


 彩羽は相槌を打ちながら、数ヶ月前『藤紫』に忽然と表れたテゥアータ人の男女を思い出していた。彼らも、どこかから落ちたと言っていた。


「そうこうしているうちに、地郷公安部が集まって。威嚇発砲を受けてそやつは、腰につけてた刃物を抜いてよ。そっからはもう、目の前を弾が飛びまくるわ、すぐ側で刃物が振り回されるわ。生きた心地がしなかったよ」


 モッさんはぶるりと身体を震わせた。タケさんの顔色が僅かに白くなった。


「さすがの地郷公安部も、一発でドンとはいかないんだな」


「現在地郷公安部員の平均的な射撃命中率は三割。射撃を専門とする部員でも六割と、過去最高だった十二年前に比べ格段に低くなっている。現役の地郷公安部員中最も射撃成績の良好な部員は地郷公安本部所属のミツキ副本部長で、彼は若干二十五歳にして……」


「しかしまあ」


 タケさんがため息をついた。


「俺たちが子供ん頃は、近所に住むあやつらと良く遊んだもんだけどな。彩羽ちゃんには想像もつかないだろ」

「ええ、まあ」


 そもそも、同じ年頃の子供と遊んだ記憶のない彩羽は、表面だけの笑顔で頷いた。彼らの語るテゥアータ人への地郷公安部の対応が恐ろしく、袖の下では肌が粟立っていた。


「目の前であれを見てしまうとなぁ」


 モッさんも太い息を吐いて声を潜めた。


「こんど、妹が子供を産むんだけどよ。ちゃんとした色の子が産まれるか、心配でしょうがないよ。ほら、長い間子宝に恵まれなかっただろ? 願って願って、ようやく授かったんだ。それがもし、呪われた色違いだったとしてみろよ。どんなに悲しむことか」


「ここ数年で地球人種同士の交配により生まれた子供のうち髪あるいは瞳の色が茶色または黒以外のテゥアータ形質を持つ割合は約二割程度だが、あくまでも届出のあった件数からの数字であり実際は……」


「不穏だねぇ。ミカドのお力で、テゥアータの呪いのない地郷にならないものかねぇ」


 彩羽は、すっかり元気をなくしたモッさんの盃へ乳酒を注いだ。ハカセは、まだぶつぶつと口の中で続けていた。


「このままテゥアータ形質の地球人種を処分し続けた場合、十年後に予想される地郷上の人口は現在の半数近くとなり圧倒的な母体数の減少によりテゥアータ星における地球人種の滅亡は回避困難と……」


 しぃ、とタケさんがハカセの口を手で覆った。


「ハカセ。滅多なことを言うんじゃないよ。狩人に聞かれたら、また牢獄行きだぞ。芋でも食え。いつものことだけど、塩加減が抜群だ」


 まだ何か言い続けようとするハカセの口に、芋が突っ込まれた。むぐむぐと咀嚼した後、乳酒を煽ったハカセがぼそりと呟く。


「完全なるミカドの失政だ」


 ハカセの言わんとする内容を彩羽が知ることは出来なかった。しかし、その場の空気がピシリと音をたてて凍りついたことは、痛いほどに感じた。


「は、ハカセぇ」


 おろおろとするタケさんの視線の先で、ひとりの客が顔を反らせた。彩羽も少し前から、その客が酒を飲みながら三人組のほうをちらちら盗み見ていたのを知っていた。


「店主、会計を」


 男は低いがよく通る声で言うと立ち上がった。金属の触れ合う音がする。彼の長靴を飾る鎖や鋲が、歩みに合わせて冷たい楽を奏でた。


 会計を済ませると、男は小さな札を店主へ差し出した。店主は札を確認し、会計台の下を探った。


 花店はどこでも、客による武具の持込みを禁じている。

 地郷では一般民も銃器の保持が認められていたし、昨今では子供であってもテゥアータ人の「駆除」が可能なようにと、武具の携帯を推奨する領主も居るくらいだ。

 だが、酔った客同士が店内で殺し合いを繰り広げた事件が相次いだため、現在では流花町のどの花店でも武具を入り口で預かることになっていた。


「お預かりしておりましたのは、こちらのお荷物でよろしかったですね」


 会計台に置かれたのは、弦の張られていない弓と矢筒だった。客は頷くと、最後に三人組を一瞥して長靴の飾りを鳴らしながら出て行った。


「あ、あの人、か、狩人だよ」


 タケさんが、顔色を一層青くして震え始めた。モッさんの髭の先も細かく震えていた。当のハカセは、まだ口の中でブツブツ言いながら宙に目を据わらせていた。


「どうして彼が狩人だと?」


 そっと問うと、タケさんが耳打ちで答えてくれた。


「狩人ってのは仲間意識のある集団でもないらしいんだけどね。個人的に動いているというか」

「まとまっていないのね?」

「そう。褒賞金の取り合いで、諍いが絶えない。で、彼らが崇める狩人の祖といわれる、シゲって男がいて。彼が、勝手気ままに力を振るうテゥアータ人を弓矢で仕留めたのが狩人の始まりと言われてて、今でも弓矢は狩人の象徴的な武具になってるんだよ」


 その間も、口元に立てたタケさんの掌は震えていた。


 彩羽の腕に鳥肌が立った。タケさんたちとは別の恐怖が重なった。小さなナナの顔が脳裏に浮かんだ。


(今度は、ナナを殺された狩人仲間が、あたしを狙って?)


 そんなことはない、と彩羽は無理矢理不安を押し込めた。さっきタケさんが、狩人に仲間意識はないと言ったではないか。自分に言い聞かせるが、彩羽の肌は滑らかさを取り戻さなかった。


「そ、そんな、彩羽ちゃんを怖がらせるようなこと、言うんじゃないよ」


 モッさんの叱責に、タケさんが罰の悪そうな顔になった。


「どっちにしても、どうするよ。あの様子じゃ、ハカセは完全に目をつけられちまってるよ」

「俺たちもな。いつもつるんでる仲間を見逃す奴らじゃないし」


 低い声で談義が行われたが、良策は何も浮かばなかった。


 このまま飲む気にもなれない。かといって、恐ろしくて勘定を済ませることもできない。男三人は、鬱々とした沈黙の中で座り込んでしまった。


 突如、店の前の通りから悲鳴が上がった。恐怖と興奮を帯びた叫び声が入り乱れる中、男が飛び込んできた。


「守衛は、守衛はいないのか」

「どうされました?」


 慄き問う店主に、男は生唾を飲み込んだ。目玉が零れんばかりに瞼を開いて外を指差した。


「人が、撃たれた。血が。殺された」

「まさか。ここは流花ですよ」


 青ざめながら戸口から顔を出して、店主はヒィと悲鳴を上げた。


 彩羽は窓辺へ寄った。隣の店の前に人だかりが出来ていた。眉を潜め、厚みが不均衡な硝子を透かし見た。歪んだ人々の足の間から、鎖や鋲で飾られた長靴が見えた。


「さっきの」


 思わず声に出て、口を押さえた。彩羽の背後から窓へ顔を寄せたタケさんが唾を飲み込む音が聞こえた。


「なんてぇこったぁ」


 モッさんがハカセの肩を抱き、ハカセはブツブツと呟き続けていた。

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